有象無象の坩堝「高円寺」|文・前田裕太(ティモンディ)

著: 前田裕太 

駆け出しの芸人として流れ着いた街

私が芸人を始めてから4年間過ごした場所が『高円寺』である。

新宿まで電車に乗れば数駅で着くし、自転車を使えば下北沢もすぐなので、その立地から、この街は、芸人や、バンドマンや、俳優などの夢追い人が闊歩している。私も、そのうちの一人だった。

噂には、この高円寺の下水は、夢破れた若人達の涙を使っていて、流しても流しても無限に水源があると言われている。

私が昔、番組オーディションを受けた時に、スタッフからボロクソに言われて流した悔し涙も、下水として再利用してくれているなら、あの涙も無駄ではなかったと思える。あくまでも噂なのだけれど。

この街に集まるのは、夢追い人だけではない。高円寺にかかる高架下には飲み屋がスクラムを組んで構えており、対峙するように、酔っ払い達がスクラムを組んで、勝者のいない押し合いの試合を夜な夜な繰り広げている。酔っ払い達が、高架下で等間隔に倒れているのをよく目撃しながら家路に着いていたものだった。

何が情けないかと言うと、その酔っ払い達というのはだいたい、なけなしの銭で酒を飲むギリギリの人間である。そのくせ、そのような人間達に限って脳天気で明るいので、社会的に逸脱した人間達が、横を見て「あ、この人達よりはマシだ」と皆がお互いに思っている。それで精神をお互い保ちあっているのだ。

高円寺内で循環する古着

商店街には古着屋が並ぶ。海外から仕入れてきたビンテージ物は当然値が張るけれど、高円寺には、安価な古着を置いている店もある。これに本当に助けられた。

500円玉ワンコインあれば、使用感はあれど素敵なTシャツを買うこともできる。また、それを売ることもできるのが、古着屋のいいところだ。

「あ、あれ私の売った柄シャツだ」だなんて、すれ違うバンドマンに思ったこともある。次のシーズンには、その見覚えのあるシャツを、ライブ終わりであろう地下アイドルの子がオーバーサイズで着ていたのを目にした。

こうやって、高円寺の住民は、高円寺の中で物品を循環させて、ひとつの生態系を作っていくのだろう。

大切にすべきものは何かを教えてくれた「まちのほんだな」

当時の私は、家の電気とガスと水道のライフラインが全て止まっている状態で、家賃を半年以上滞納している、底辺芸人を全うしていた。そんな経済的に追い詰められていた頃の私が助けられていたのは、喫茶店コクテイルが設置している「まちのほんだな」である。

まちのほんだなとは、自分の好きな本を一冊持ち込んだら、この本棚にある好きな一冊と交換できる、というシステムの、皆に分け隔てなく開かれた本棚である。

身銭が無い当時の私は、飽くなき読書欲に溺れていた。お気に入りの本だった森見登美彦先生の「太陽の塔」という小説を手放し、代わりに高野和明先生の小説「ジェノザイド」を手にしたのを覚えている。

愛読してボロボロになった文庫の「太陽の塔」を手放す時は、ドナドナよろしく、愛する我が子を断腸の思いで見送る気持ちを味わった。きっと庇護していた子が巣立つ時の親と同等の切なさを感じたものだ。

ごめんね、私の太陽の塔。けれど、手放さないと新たな出会いはないのだ。

愛する本を失ってからの私は、怒涛の本の交換ラッシュで、みんなのほんだなの本を読み漁った。

みんなのほんだなは、私にとって初めてみる本との出会いの場、本のマッチングアプリと化していた。出会いまくりの読みまくり。本来なら興味を持つはずのない本も、みんなのほんだななら、手軽に読むことができるので、不埒な読書ライフを過ごしていた。

当然、利用者は私だけではないので、本棚にある本は日に日に変わっていく。飽くなき読書の旅は、永遠に続くように思えた。

ある日、ふと見覚えのある本が、みんなのほんだなに置いてあるのが目に入った。何回も見た背表紙。忘れるはずもない。ボロボロに読み込まれた、森見登美彦先生の「太陽の塔」だった。一度手放した我が本は、誰かの手に渡り、数珠繋ぎに、みんなのほんだなを経由して、色々な人の元を旅していった末、また私の目の前に辿り着いてくれたのだ。

1年以上ぶりの再会だった。「久しぶりに見たけど、お前、全然変わってねぇなあ」なんて感傷に浸る。ただ、一度は燃えるように愛した本。そんな感想だけでは終わらなかった。気がついたら私は「ごめんね、もう離さないからね」といって、抱き締めていた。そして、まだ読みかけの別の本を本棚に入れて、太陽の塔を取り戻すに至った。それからは、太陽の塔は私の本棚で大切に保管している。

色々な本と出会い、分かった。本当に大切にしなければならないものは、新しい素敵な出会いよりも、心から愛したものであることだということを、みんなのほんだなは気づかせてくれたのだ。ありがとう、みんなのほんだな。

「天気の子」聖地となった氷川神社

高円寺の街には、他にもあまり耳にしないスポットがある。高円寺駅の近くにある氷川神社もそのひとつだ。

私は、神社が好きだ。その理由のひとつが、他人の書いた絵馬を見るという、変態じみた趣味があって、例に漏れず氷川神社の絵馬も舐め回すように見ているのだけれど、ここの神社の絵馬には、皆が人生の重要な日が快晴になるように願いを書いている。

何を隠そう、この氷川神社は、全国でもここしかない「気象神社」なのだ。

「結婚式の日が快晴になるように」だとか、「遠距離の彼氏が地元に帰ってくる日は天候が荒れないように」だとか「好きなアイドルの野外ライブは雨が降らないように」というような、自分や他人に向けた愛が端から端まで並んでいる。

素敵だ。小汚い芸人の巣窟と化している高円寺が、お洒落な街として認知している人がいるのも、きっとここの清らかな願いが土地そのものを浄化しているおかげだろう。

以前は、気象予報士の合格祈願で有名だというニッチな神社だったけれど、新海誠監督の「天気の子」に登場する、下駄の形をした可愛らしい絵馬は、この気象神社で販売されているということもあって聖地にもなった。

周りは「記念すべき日が晴れるように」という願いを書いている中、私は「新海誠監督の映画の声優ができますように」と欲まみれの絵馬を書いてぶらさげたけれど、未だ願いは叶っていない。

きっとこんな煩悩まみれの愚者の夢でも、神様くらい器の大きい存在であれば、きっと叶えてくれるに違いない。私が新海誠監督の映画に声優として出演する日も遠くないだろう。祈りよ届け。

高岸と多くの時間を過ごした思い出の地・馬橋公園

そして、私が高円寺を語る上で外せないのが、「馬橋公園」である。

特に何の変哲もない公園なのだけれど、帰臥寝食の場を高円寺に構えていた時、ここが私のベストプレイスだった。

家の近くにある公園だという理由でよく訪れていたのだけれど、まだテレビの仕事も全くなくて、芸人としての年収は5000円にも満たない時、私はよくここで過ごしていた。

世の同年代の人達は、会社である程度地位を確立して、家庭を持つものもいたし、ある程度お金を持って自由を謳歌していた。けれど、バイトをしながらギリギリの生活をしていた私は、公園でしか遊ぶことができなかった。

ライブやバイト以外で言えば、ネタを作り、本を読む時間を除き、大体馬橋公園にいた。小学生の頃は、自分が20代後半になっても尚、公園で時間を過ごすことになるとは思っていなかった。聞くに耐えないかもしれないけれど、可哀想だと哀れまずに、笑ってもらえるとありがたい。

バイトとライブ以外やることのなかった私は、時間を持て余せば、とりあえず高岸を呼んで、ここの公園でキャッチボールをしていた。なんだか書いていて高校時代から2人でやってることは大して変わっていないな、と情けなくなってきた。

馬橋公園で全身オレンジの大男を待ってる間、小説を読みふけ、キャッチボールをして、どうやったら速くて良い球が投げられるかと相談を受けながら、気がついたら陽が暮れて、それだけで1日が終わったこともある。何してんだか。

たまにネタ合わせをして「ちょっと休憩でもしよう」とベンチに座って休憩していると、高岸が「少し身体動かしてくる」と一言残して、馬橋公園を犬のように四つん這いになって一周走り回ることもあった。

188センチの大男が四つん這いで走り、私の元に戻ってきた時には、まるで私が大型犬の飼い主かのように思われそうで、恥ずかしくて堪らなかった。誰かに見られたら、私がドックランで高岸を走らせているように思われたかもしれない。しかし、売れていない芸人の活動時間は、基本的に公園に他に誰もいない時間が多かったので、そうならずに済んで助かった。

そんな恥ずかしい思いもしたけれど、エントリーフィーという、お金を払って出るお笑いライブに出て、バイトをして……という生活の中で馬橋公園で過ごす時間は、私の中では息抜きになっていた。

勢いで買った中古のギターを練習すべく、深夜に馬橋公園へ行ってスピッツの曲を練習していた時期もある。夜の馬橋公園は静かでいい。夜な夜な、ジャカジャカアコースティックギターをかき鳴らして、杉並区に私の歌を響かせたものだった。

ただ、この公園は定期的にボランティアパトロールの人が巡回をしている。深夜の時間帯に熱唱していたら、そのパトロールしていた人に注意されたことがあった。「大声で歌ってると、近隣の人の迷惑になるから、通報される前にやめなね」と注意してくれたのだけれど、なんだかんだあって、最終的にはその人達に上達した「チェリー」を披露したのも良い思い出だ。

なんだか、読む人によっては、果てしなくネガティブキャンペーンをしているように思えるかもしれないけれど、私は高円寺を愛している。

高層ビルのジャングルで冷たいイメージのある東京。そんな中で、人間くさい人達が集まっていて、アクセスも良く、下町の感じもある、そんな高円寺は、もしまた同じ人生を歩むのだとしても、またお世話になりたいと思う。

飲み屋だけでなく、素敵なカフェも並んでいるので、居住の地としなくとも、一度訪れて雰囲気に触れてみることをお勧めする。

著者:前田裕太(ティモンディ)

1992年神奈川県生まれの芸人。STVにて『ハレバレティモンディ』FM愛媛にて『ティモンディの決起集会』などのレギュラー番組を持つ。熱心な読書家でもあり、コラム連載も多数。Twitter

 

編集:小沢あや(ピース)