東京を楽しむ"シティボーイ"と、上京して地元のよさに気づいた宮崎人|蛙亭・岩倉美里さん、中野周平さん【上京物語】

インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:関口佳代

蛙亭さんトップ写真

進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。

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今回の「上京物語」に登場いただくのは、お笑いコンビ・蛙亭の岩倉美里さん、中野周平さんです。

宮崎県出身の岩倉さんと岡山県出身の中野さんは、2011年に大阪のNSC(吉本総合芸能学院)で出会いました。お笑い文化が盛んとはいえない土地で育った二人。大阪のボケ・ツッコミ文化に戸惑いながらも無理にノリやスタイルを変えず、自分たちのペースで一段ずつ階段を上っていきます。

2018年のABCお笑いグランプリで第3位。2019年にはM-1グランプリで準々決勝進出、キングオブコント(以下、KOC)で準決勝進出。賞レースでの手応えを得つつ、“あと一歩”を超えるべく2020年の春に東京へやってきました。

東京を自由気ままに楽しむ「シティボーイ」の中野さんと、上京後も地元の「よかとこ」ぶりを発信する岩倉さん。それぞれが歩んできた道のりを、これまで暮らしてきた街の風景に絡めながら振り返っていただきました。

※取材は新型コロナウイルス感染症対策を講じた上で実施しました

地元には「ツッコミ」の文化がなかった

―― 岩倉さんは宮崎県小林市、中野さんは岡山県岡山市出身とのことですが、それぞれの故郷についてお聞かせください。まず、岩倉さんが生まれ育ったのはどんな街で、どのような思い出がありますか?

岩倉:20歳まで宮崎の田舎にある団地に住んでいました。小さいころの遊び場は団地の裏にあった公園とか、人のいない山や川です。お父さんの山仕事に妹と一緒についていって、木を切らせてもらったり、キンカン(宮崎の名産)をちぎって食べたり。あとは川で素潜りして、モリで魚を突いたりしていましたね。

そんな自然豊かな環境ですが、近くにスーパーもゲームセンターもしまむらもあって、生活するにはちょうどいい田舎でした。宮崎市街へもバスで1時間くらい。中学生になると、みんなで宮崎のイオンに行ってましたね。イオンには全てが詰まっているので。

蛙亭・岩倉美里さん写真

―― 中野さんはいかがですか? 岡山で、どんな10代を過ごしましたか?

中野:18歳まで岡山にいました。子どものころはわりとのどかな風景というか、7軒くらい平屋が並んでいて、裏に水田があるような場所に住んでいました。思い出の遊び場は、実家近くの旭川(あさひがわ)です。河川敷にポツンと神社があって、まるで川に浮かんでいるような姿が印象的でしたね。思い返すと、川が氾濫したら結構ヤバい場所にあったな……と。

中高生になると、地元で「街」と呼ばれる岡山駅の周辺で遊んでいました。カラオケ、ボウリング場、ゲーセン、映画館と、あの辺に何でもあったので。ちなみに、岡山駅前に等身大の桃太郎像があるんです。地元の成人式では、袴姿のヤンキーが台座に登るっていうのが恒例行事でした。よくないことなんだけど、他県の“荒れる成人式”に比べて悪さのレベルがダサくて可愛いんですよね。

―― 車をひっくり返したりするようなワルはいなかったと。ちなみに、お笑いのカルチャーに触れられるような場所はありましたか?

中野:「街」に吉本の劇場がありました(三丁目劇場、2013年に閉鎖)。ただ、一度も見に行ったことはないです。僕は中学3年生の時に芸人になろうと思ったんですけど、そのわりに積極的にお笑いに触れようとしたり、勉強したりすることはなくて。ただ「なる!」って決めただけ。

当時の劇場には地元出身の次長課長さんがよく出られていたみたいなので、今思えば、(見に行かなかったのは)もったいなかったと思いますけどね。

―― 岡山は大阪にも近いですが、お笑いの文化は根付いているんでしょうか?

中野:あまり感じなかったですね。岡山ってツッコミの文化がないんですよ。以前、大阪出身の先輩芸人のトットさんが岡山のテレビ局でレギュラー番組を持った時に「ボケたのに『そうなんですね〜』みたいになって、誰もツッコんでくれない。逆にこっちがツッコむと、なんか怒ってるみたいに見えちゃう」って言ってて、岡山県人としてなんか申し訳なかったです。でも、それくらい大阪とはお笑いの感覚が違いますね。

蛙亭・中野周平さん写真

―― 岩倉さんの地元はいかがでしょう? お笑いの舞台を見る機会はありましたか?

岩倉:宮崎市内の宮交シティというショッピングモールで、たまにお笑いイベントをやっていました。でも、それくらいしか芸人を生で見る機会はなくて、やはりお笑いに触れづらい環境だったと思います。宮崎に2つしかない民放のテレビ局では、月曜のゴールデンタイムにどちらも2時間のサスペンスドラマを放送していました。

―― 宮崎ではM-1グランプリも生放送されないそうですね。そうした環境だと、お笑いに興味のある同級生も少なかったのでは?

岩倉:みんな、お笑いのことを知らなさすぎましたね。オリエンタルラジオさんが最初に出てきた時も、宮崎のテレビには映らないから同級生はほとんど知らないんですよ。だから「武勇伝」のネタを友達の前でそのままやったら、すごくウケました(笑)。そこで「これはオリラジっていう芸人のネタなんだよ」って、私が仕入れた最新のお笑いをみんなに広めるみたいな感じでしたね。

NHKの「オンエアバトル」は放送されていましたが、熱心に見ているのは学年で一人か二人くらい。だから、私も中野さんと似たような環境で、お笑い文化、ツッコミ文化というのは全く触れてこなかったです。

―― そんな中、岩倉さんも子どものころから芸人になろうと決めていたそうですね。例えばお笑いの勉強をしたり、ネタを書いてみたり、将来に向けて何か準備していましたか?

岩倉:いえ、特には。一応、ネタ帳みたいなものはありましたけど漫才やコントのつくり方なんて分からなかったし、ボケを思いつくこともなかったので。ただ、KOCは放送されていたから、面白かった芸人さんのネタをノートに書き写していましたね。当時は高校生で、天竺鼠さんのネタが好きでした。

西成のおっちゃんが焼くレバーは、世界一うまかった

―― お二人とも、20歳で大阪のNSCに入学しています。いきなり大阪という“笑いの本場”、しかも猛者が集まるNSCに飛び込んで、戸惑いもあったのでは?

岩倉:大阪の人ってよく「二人でしゃべってるだけで漫才だね」とか言われるらしいんですけど、本当にそんな感じでしたね。会話に必ず一人はツッコミ役がいるのが新鮮で。ただ、最初はやっぱり少し怖くて、同期に「なんやねん!」とか言われたら、「ああ、めっちゃ怒ってる……」と思ってすごい謝ってました

あと、その人が本当に面白いのか、大阪弁の雰囲気だけでみんなが笑っているのか、見極めるのに時間がかかりました。大阪弁に慣れてくると「ただ調子に乗っているだけの面白くないやつ」を見分けられるんです。

中野:ただ声がデカいだけのやつとか、いたよね。

岩倉:でも最初はそんなの分からないし、授業でもそいつはウケているのに、私は笑ってもらえない。お笑いに向いてないのかな、私もこんなふうに(テンション上げて)やらないといけないのかなって、落ち込んでましたね。

―― 中野さんも似たような境遇だったかと思いますが、やはり最初はしんどかったですか?

中野:そうですね。NSCではすぐに淘汰されちゃったので、やべえなって感じていました。おもしろくないやつは話しかけられないので、友達も全然できなくて。4月に入学して、6月に岩倉とコンビを組むまでは、けっこうしんどかったですね。

―― そこから、どうやって蛙亭のスタイルをつくっていったんですか?

岩倉:最初につくったネタはコントだったんですけど、(NSCの)先生から「岩倉さんの、そのまんまの雰囲気で漫才してみたら?」とアドバイスされて、やってみたらAクラスに上がれたんです*1。だから、無理に大阪のノリに合わせず自分たちのままでいいのかな、訛りも変えなくていいのかなと思えたのは、その先生のおかげですね。

蛙亭・岩倉美里さん写真

―― 生活面はいかがでしたか? お二人とも初めての一人暮らしですよね。

岩倉:最初に住んだのは朝潮橋というところです。そこで、街というより、いきなり物件でハズレを引いちゃったんです。地方から出てきた人にはNSCが不動産屋さんを紹介してくれるんですけど、そこの担当の人に言われるがまま決めた家が最悪でした。駅まで自転車で30分かかるし、コンクリート打ち放しで寒いうえにエアコンは壊れているし。冬はいつも布団のなかで寒さを堪えていました。

いま思い出しても、マジでむかつきます。その不動産屋さんに「田舎者だから」と舐められたのかもしれません。方言をしゃべるから舐められるのかなと思って、それからしばらくは芸人以外となるべくしゃべらないようにしていました。

―― 極端ですね(笑)。中野さんも同じ不動産屋さんで探したんですか?

中野:いえ、僕は岩倉より2年早く大阪に来ていたので、別のところで(探しました)。その不動産屋さんの紹介で、難波の部屋を借りました。なるべく歩きたくないから都会に住もうと思って。だから、最初から快適だったし楽しかったですね。

芸人になってからは大国町に引越したんですけど、西成が近いのでよく飲みに行ってました。どの店も安いし、西成のおっちゃんが焼くレバーがこの世で一番うまかったですね。

岩倉:大国町には私も住んでいました。今みたいに、同期の芸人とルームシェアをしていたんです。そのころには、私も大阪が大好きになってましたね。まず、お店が夜中も開いているのが最高でした。地元の居酒屋はだいたい23時で閉まるんですけど、大阪だと23時から飲みに行ける。ラウンドワンが24時間開いてるのも考えられないことでしたね。昼に遊ぶところだと思っていたので。

あと、衝撃だったのは餃子の王将ですね。初めて食べた時に「う、うますぎる! なのに、こんなに安いんかい!」って。1週間に1回は王将に行ってましたね。

「優勝を目指す」ために、上京を決意

―― 大阪時代、仕事はうまくいっていたのでしょうか?

岩倉:そうでもなかったですね。仕事は劇場の出番くらいしかなくて、何をしたらいいのかも分からなかったです。だから、とりあえずネタをつくるしかない。ネタをつくって賞レースで結果を出せば舞台も増えるし、番組にも呼んでもらえるかもしれないから、とりあえず優勝を目指そうって。

中野:本当に一歩ずつ、という感じでしたね。NSCにいたころは狭いNSCの世界が全てで、とりあえずNSCのライブで優勝することをみんな目指していました。でも、そこで1位を取ったところで、芸人になったらあまり役に立たないので、次は劇場へ出るためにネタをつくる。でも、オーディションライブでも持ち時間2分のところを1分で強制終了になっちゃうこともあるから、まずはネタを2分やり切るのが目標になって*2。で、劇場に入ったら上のランクに上がることを目指して。そこまできたら、今度は賞レースへの気持ちも強くなってきて……。

最初はネタの面でも気持ちの面でも一回戦で落ちて当然のレベルでしたけど、ちょっとずつ「決勝」や「優勝」が現実的になっていきました。大阪時代のラスト3年くらいは完全にKOCで優勝するつもりでやっていましたね。

―― 2019年のKOCには初めて東京の予選からエントリーして、準決勝に進出しています。それが上京のきっかけですか?

岩倉:そうですね。ハッキリと上京を決めたのは、2019年の9月にKOC準決勝で敗退した直後でした。翌年以降もエントリーするなら、準決勝や決勝が行われる東京の近くに住んで、慣れておいたほうがいいと思ったからです。最初からこっちに住んでいれば、自宅という最も落ち着く場所から会場に行けて、メンタル面でも優位に立てるだろうと。心技体の全部を万全にして優勝を目指そう、みたいな気持ちでしたね。

シティボーイ中野、東京で無双状態に

―― お二人とも2020年の3月に上京し、1年が経過しました。東京での生活はいかがですか?

岩倉:私はオズワルドの伊藤(俊介)くん、ピン芸人の森本サイダー、ママタルトの大鶴肥満と一緒に新宿の近くに住んでいます。4月から7月までは学芸大学で一人暮らしをしていたんですけど、事情があって出ることになって。その時に、伊藤君が声を掛けてくれました。

今はめちゃくちゃ楽しいですね。家自体も最高に快適ですし、街も好きです。新宿って最初は“東京の大都会”というイメージで、「伊勢丹みたいなおしゃれな高級店ばかりがあるのかな」と想像していたんですけど、気軽に行ける商店街もあるし、大阪にいたころ通っていたような落ち着く居酒屋も多い。私が住んでいるエリアは都会と田舎のちょうど狭間みたいな雰囲気で、東京にもこんなところがあるんだなと思いました。

蛙亭とオズワルド写真
取材中、たまたまオズワルドの伊藤さんが“乱入”。蛙亭の二人とは同期で、仲睦まじい様子がうかがえた

―― 中野さんはいかがでしょうか?

中野笹塚に彼女と住んでいますが、もう、毎日本当に楽しいですね。お気に入りの喫茶店や飲み屋もできましたし。そもそも、僕は都会が大好きで、東京にはいいイメージしかありませんでした。新宿とか渋谷とか銀座とか“メイン”になれる街がいっぱいあって、ワクワクするじゃないですか。

岩倉:中野さんは自分のことを「俺はシティボーイじゃ」って言ってます。東京を楽しみまくってるんですよね。私は大阪を離れるのがすごく不安で、上京後もしばらく寂しかったんですけど、中野さんは最初からブイブイ言わせてました。彼女と一緒に住んでる安心感もあると思うんですけど、「こいつ……落ち込んだりしないんか。無敵だな!」と思って。

逆にもう、なんか頼もしいなって。中野さんを見てたら、こっちも落ち込んでいるのがアホらしくなったというか、元気になれました。

蛙亭ツーショット

―― 生活が充実していることで、仕事にもいい影響が出ていますか?

岩倉:そうですね。特に中野さんはパワーアップしたと思います。それまでも私は中野さんがやるキャラクターで爆笑してたんですけど、東京に来てからはさらに自信に満ちあふれていて、もはや無双状態というか。

中野:基本的には自分に自信がないタイプなんですけど、うまく回り始めたら調子に乗るんです。岩倉から設定をもらって演じるキャラクターが東京でもウケて、それから止まらなくなってどんどん調子に乗っている状態ですね。今は自信しかないです。

岩倉:かっけー。

―― 中野さんは特に、東京の水がバッチリ合ったんですね。

中野:そうですね。もっと都会、もっと真ん中に住みたいですね。銀座とか、六本木とか。

いつか地元の文化会館で「お笑いフェス」をやりたい

―― お二人とも、地元を離れてから10年がたちました。大阪や東京で暮らすようになって、地元への思いが変化したり、改めて良さに気づいたりすることはありましたか?

中野:………(しばし沈黙)。

―― なかなか出てきませんね(笑)。

岩倉:もう岡山、捨てた? はやっ!

蛙亭・中野周平さん写真

中野:地元にあって東京にないものって、特に見当たらないからなあ……。都会にも緑はありますしね。でも、岡山の飲み屋は巡ってみたいですね。18歳で岡山を出ちゃったので、岡山の飲み屋をぜんぜん知らなくて。名産とかも、いいアテになるものがあると思うので、いつか1週間くらいかけてじっくり開拓してみたいです。

―― では、岩倉さんはいかがでしょうか? 今年2月には宮崎の魅力を発信するYouTubeチャンネル「宮崎よかとこチャンネル」を開始するなど、地元愛の強さを感じますが。

岩倉:大阪に住み始めた時、ホームシックになっちゃったんです。でも1年は帰らないって決めていたので、しばらくは耐えて。それで、久しぶりに帰省したら驚いたんですよ。地元、いいところが多すぎるぞって。

朝はいろんな野鳥の鳴き声が、夜は季節ごとに違う虫の音が聞こえて、都会にはない“静寂”を感じました。“匂い”もぜんぜん違いますね。帰省したら必ず深呼吸して「ああ、これだぜ……」って田舎の空気の匂いを感じてます。水も食べ物もおいしいし、普通のスーパーに地鶏も売っている。めちゃくちゃいい環境で育ってきたんだなって思います。

―― 最後に、これから地元でやってみたいことを教えてください。

中野:昔、岡山の成人式に千鳥さんがゲストで来たことがあったんですが、あれは憧れますね。いつか僕らも、成人式に呼ばれてコントをやれる芸人になりたいです。

岩倉:私はいつか絶対に、宮崎でお笑いのフェスをやりたいです。宮崎や九州出身の芸人さんを集めて。会場は地元の文化会館みたいなところがいいですね。そこに集まってくれた子どもたちに「お笑いっていいな」と思ってもらえたら最高です。

蛙亭・岩倉美里さん写真

お話を伺った人:蛙亭

蛙亭

左:中野周平(なかの・しゅうへい)さん。1990年11月20日生まれ、岡山県出身。ツッコミ担当。
右:岩倉美里(いわくら・みさと)さん。 1990年4月10日生まれ、宮崎県出身。ボケとネタづくりを担当。

中野さんのTwitter:@nakano_krkr
岩倉さんのInstagram:@babybabybodybaby

聞き手:榎並紀行(やじろべえ)(えなみ のりゆき)

榎並紀行(やじろべえ)

編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。

Twitter:@noriyukienami
WEBサイト:50歳までにしたい100のコト

編集:はてな編集部

*1:NSCでは能力別に上からA〜Cのクラス分けがされている

*2:劇場ではゴングショー形式のライブが頻繁に行われている