冴えないと思っていた故郷「生駒」に憧れている【奈良県生駒市】

著: 小塚舞子 

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想像以上にマイペースでほのぼのとしている「坂の多い」街

……タッタッタッ。坂を下る私の足音が聴こえる。この音を感じたのは久しぶりかもしれない。いつもと同じ靴なのに、なんだか響きが違う。今度は心臓の音まで聴こえてきた。ドン、ドン、ドン。だんだん速くなっていく鼓動は心臓の場所を教えてくれる。ずっと前から息切れもしている。運動不足だ。私は久しぶりに、実家のある生駒市を歩いていた。

昔は毎日、生駒の坂道を下ったり、上ったりしていた。どんな坂道もへっちゃらだったけれど、クラスでいちばん背の低かった私は、大きなランドセルを背負ったまま坂道を駆け降りてよく転んでいた。あまりに急な坂道だったから、地べたと空を交互に見たような気がする。何とか起き上がると、擦りむいた膝は見ないようにしながら、半べそで家に帰っていた。

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地形の起伏が大きいので坂道が多い。坂道ではない道はほとんどないのでは? というくらい、平らに見える道路でも緩やかな傾斜がある

実家の近所には畑や田んぼが広がっていた。そこでコオロギやカエルを捕まえたり、ダンゴムシをポケットに入れて持ち帰ったり、道端に生えているすっぱい草を食べたりするのが楽しかった。そして、やたらと多い坂道を上り下りしていたおかげで、足腰が強くなった。

街を歩いていると、突然懐かしいことを思い出したり、今の自分を見つめ直したりすることがよくある。いろいろな想いが次々と頭に浮かんでくるのは、きっとここが故郷だからというだけではなく、とても静かな街だからだろう。

私は大阪で生まれて、奈良県生駒市で育った。坂道だらけのこの街に引越したのは2歳のときだから、大阪での記憶はほとんどない。のんびりとした場所で子育てをしようと両親が選んだ街は、おそらく両親が想像していた以上にマイペースなところで、ほのぼのとしていた。

夜は静かすぎるくらいに静かだ。寝る前にベッドで耳を澄ませると「キーン」という、音のない音が鳴っている気さえした。大阪で生まれ育った母はそれが怖かったらしい。

長いトンネルを抜けるとそこは大阪

生駒は大阪のベッドタウンだ。もちろん通勤客も多い。生駒山を挟んで西側は大阪、東側が奈良。近鉄奈良線「生駒駅」から「大阪難波駅」までは快速急行だと約20分。主な移動手段である近鉄電車は、阪神電車や大阪メトロにも乗り入れているので「神戸三宮」や大阪のビジネス街「本町」へも乗り換えなしで行くことができる。

1997年に大阪と奈良をつなぐ「第二阪奈」ができてからは、車でも大阪市の中心部まで30分ほどで出られるようになったが、第二阪奈ができる前は車で山越えをしていた。車酔いしそうなクネクネ道を30分くらいかけてゆっくり走った後、高速道路に乗り継いで、トータル1時間はかかっていた。今は長いトンネルを抜ければすぐ大阪だ。

そう、生駒から大阪に行くときには、必ず生駒山を通過しなければ出られない。幼い私にとってこの山は“壁”だった。壁を越えなければ、外に行くことも帰ることもできないのだ。当時、山は今よりもずっと大きく見えて、トンネルは暗くて怖かった。

なので、生駒に住んでいた幼少期から、県境には必ず「山」があるものだと思っていた。さらにいえば、成人してからもそう思っていた。平坦な道を走っているときに県境を記す標識を見つけ「なぜ山がないところに区切りがあるのだろう」と首をかしげたくらいで、母に尋ねてようやく真実を知ることができた。

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生駒市を代表する「生駒山」。標高642mと高さはそれほどないが山上には遊園地や大阪・奈良の各テレビ局の送信所を有し、街のシンボルとして有名

実家の自分の部屋からも生駒山が見えた。変わり映えのしない退屈な景色。遠足では山登りばかりさせられた。毎日眺めている山に登るより、当時は遊園地や科学館など楽しい場所に行きたかったのに。

「おかえり」と迎えてくれる生駒山

私は仕事を始めてから、大阪で暮らすようになった。関西を中心に俳優やタレントをやっていて、早朝や深夜など仕事の時間帯はバラバラ。生放送やロケの合間にできた空き時間をよく持て余していた。ネットカフェで時間を潰してみたりもしたが、ゆっくり休めない上にオンオフの切り替えができない。だからといって生駒の実家まで帰るとなると、時間も交通費もかかるので、思い切って大阪市内に部屋を借りることにした。

初めてのひとり暮らし、初めての夜。車の音がうるさくてびっくりした。明け方にトラックの音で目を覚ましたときの薄暗く冷えた天井を今でも覚えている。マンション暮らしも初めてだったので、近くに人の気配があることにソワソワして、しばらくは落ち着かなかった。

しかし気軽に外食できる環境や、空いた時間に眠る場所が近くにあることが嬉しくて、私はあっという間にその環境に慣れていった。大阪市は生駒より暖かいという点においても過ごしやすい(生駒の冬はめちゃくちゃ寒い)。

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相変わらず坂道の傾斜がすさまじく、平行に写真を撮るのが難しい

「街に山がある」。そのことに魅力を感じたのは生駒を離れてからだ。新緑の季節、山はふさふさの葉に覆われて豊かな緑色になる。緑で溢れた山を見ていると、思いっきり深呼吸をしたときのような、晴れやかで、爽やかな気持ちになれる。秋になって赤く色付き始めると、美しい反面、今年も終わっていくのだなあと、何となく寂しくなる。

生駒に帰るとき、駅を降りてすぐ目に付くのはこの山だ。久しぶりに見る生駒山はいつも違う表情をしているが、「おかえり」と迎えてくれているようでもあって、離れていたことが申し訳なくなってしまう。

最近、ちょっと生駒に憧れている自分がいる

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桜が咲き始めていた西天満公園。大阪の公園は遊具が充実している

2018年に結婚して子どもが産まれた今も、ずっと大阪に住み続けている。買い物をするのも遊ぶのも、働きながら子育てするのも、本当に便利だと思う。生駒も便利だけれど、大阪のかゆいところに常に手が届くような便利さにはかなわない。いたるところにコンビニがあって、お腹が空いたらすぐにごはんが食べられて、どこでもオムツが買える上に替えられて、仕事で呼び出されてもすぐに駆けつけられる。近所には、ママ友ができた。行きつけのお店も、お気に入りのカレー屋さんも大阪にある。

それなのに最近、私はちょっと生駒に憧れている。CDを買おうにも、かつて生駒にあった「TSUTAYA WAY 生駒店」にはオリコンランキング上位に入っているものしか売っていなかったし(今はCDショップすらなくなってしまった)、外食といえばチェーン店がチラホラあるだけ。素敵なパン屋さんはあっても、有名になったりすることはない。とにかく住宅地ばかりの、あの冴えなさこそがチャームポイントだった生駒に憧れているのだ。

それはなぜか? 生駒がだんだんとおしゃれになったからだ。いや、おしゃれ(?)なスポットは昔からあるにはあった。たとえば「ラッキーガーデン」という生駒山のカフェレストラン。県外の人からもよく「生駒ってラッキーガーデンがあるところでしょ? 行ったことあるよ!」と言われるくらい有名なお店だが、行ったことのない生駒市民は意外と多い。

理由は簡単、とにかく遠い。しかも最寄りは生駒駅ではなく、生駒駅から近鉄生駒線で二駅離れた「一分駅」。Googleで検索してみると、駅から徒歩37分もかかる。しかも四つん這いでないと登れないほどの傾斜がある山道なので、なかなかにハードルが高い(でもとても素敵なところなので挑戦してみてください)。

犬と猫の形をした車両「ブル・ミケ」に乗って山頂まで

最近になって、もっと身近に生駒でおしゃれな気分を味わえるようになった。ここで登場するのが、生駒を語る上で外せない「近鉄生駒ケーブル」だ。1918年に日本初のケーブルカーとして誕生。幼少期はおもちゃみたいに可愛いケーブルカーに乗って、だんだん小さくなっていく街並みを眺めながら、山の上にある遊園地に行くのが好きだった。

2000年には、新型車両が導入され話題になった。今も元気に走っている「ブル」と「ミケ」だ。名前から想像のつく通り、犬と猫の形をした車両なのだが、当時は母と「歴史も思い出もあるケーブルカーがいったいなぜこんな姿に……」と嘆いていた。情緒もへったくれも無くなってしまい、ポップさだけが全面に押し出されたブルとミケのデザインは、笑っているというよりニヤニヤしているように見えた(ちなみに生駒ケーブルには、この二台のほかに「ドレミ」と「スイート」もいる)。

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この日はミケしかおらず、しかも待機中だったが乗客を待つ姿は可愛らしかった

デビュー当時の衝撃的なフォルムも、20年以上が過ぎるときれいに経年変化し、ノスタルジックな雰囲気を纏ったりして、映えるようになっているかも……と思い、実際に見てみるとまだまだ面白さのほうが勝っていた。

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移動手段はアミューズメントパークのようだが、ブル・ミケに揺られて数分経つと、「宝山寺駅」に到着する。その周辺がだんだんにぎやかになってきた。菜食レストランの「ナイヤビンギ」やアジア料理の「摩波楽茶屋」はどちらもゆったり寛げて、店内からの景色が素晴らしい上に食事も絶品なので、初めてのデートにもおすすめだ。

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もともとは旅館だった「ナイヤビンギ」。一見派手に見える外観だが、店内には個室もあるなど落ち着ける空間

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お店の奥にはテラスがある「摩波楽茶屋」。開放的になって、飲むつもりのなかったビールを頼みがち

ナイヤビンギ、摩波楽茶屋は結構昔から営業していて、良いお店だなあと思っていたので私の出演するテレビ番組で紹介したこともあるし、人に勧めることも多かった。この2軒が宝山寺周辺に集まるおしゃれスポットのすべてだと思っていたが、気が付けばここ数年でカフェやレストランなどが次々に増えていった。

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生駒山で採れたオーガニック野菜のヴィーガンメニューが楽しめる「PEACE CAFE」

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アクセサリーパーツや雑貨を購入することができる「chiel」

いるだけで心地いい気分になれる。それが生駒なのだ

実は、生駒が変わり始めたと気付いたときは、あまり嬉しくなかった。ずっと応援していたインディーズバンドがメジャーデビューして、「ミュージックステーション」に出たような感覚。絶対に見るし録画もするけど「売れる前から知ってたよ」と、つい変な自慢をしたくなってしまう。私の生駒が遠くなっていくようだった。つまらないと思っていたくせに、冴えないままでいてほしい。私は自分勝手にすねていた。

しかし、大阪から生駒に移住した友人に「MAHO-ROBA forest」というレストランに連れて行ってもらってから、すねていた気持ちは憧れに変わった。そういえば結構距離があったなと思って調べてみると、宝山寺駅から徒歩21分だったので、こちらもなかなかのハイキングではあるけれど、山の中にポツンと現れるマホロバさん(友人はこのレストランをそう呼んでいる)にはたどり着いてすぐ、一目惚れしてしまった。

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「MAHO-ROBA forest」。木漏れ日の差す店内も、BGMも、カトラリーが鳴らす音でさえもすべてが洗練されている。それでいて背伸びをしない自然な佇まいが心地いい

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ランチは、美しい装飾の絵本のページをめくるように出てくるコース料理。ビジュアルだけでなく繊細な味付けにも感動しっぱなしだった

そして、最高の景色を眺めながらおいしいピザが食べられる「雲亭」も生駒への憧れをさらに膨らませた。こちらは宝山寺駅から徒歩5〜6分くらい(これはもう生駒的距離感でいえば目と鼻の先だ)。向かう途中で猪の親子に遭遇して驚いたが、ジブリ映画に出てきそうなアーチをくぐると、生駒市を一望できる眺めと、町家をリノベーションしたという趣のあるお店が待っている。

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耳までおいしいピザ。左のデザートピザは丸呑みできそうなレベル

雲亭にも、あくまでも「生駒」という街に寄り添った自然な魅力がある。ごはんを食べながら、お茶を飲みながら、ここが自分の故郷だと思うと誇らしかった。お店の人はみんな親切で、こちらまで優しくなれるのも素晴らしいところだ。そして今、この文章を書いているのは生駒駅から徒歩5分くらいのカフェ「kininalu」。

お店に着くと、「本日テイクアウト営業」と書かれた(悲しみの)貼り紙。しかし「カフェはお休みですか?」とお店の人に訊ねると「今日は急遽、子どもが一緒にいることになってしまったので騒がしいんです。それでもよければうちは大丈夫なので、ぜひ食べていってください!」と、にこやかに案内してくれた。

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お客さんは、続々とやってきた。私のときと同じように「今日は子どもがいるんでうるさいんですよー!」と説明すると、みんなそろって「そんなんいいよ、いいよ!」と言って中に入り、コーヒーを飲んだり、おしゃべりを楽しんだりしている。隣の席に来た人ともしゃべる。もちろん、急遽同席することになったお子さんにも「おおきなったなあ!」と話しかける。

常連さんが多い店はちょっと気まずかったりするものだが、そんなアウェイな空気は全く感じない。明るくて和やかで気取らない。穏やかな気持ちになれる。それが生駒なのだ。次は家族で来よう。

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表面がカリッと焼かれて小麦のいい香りがするベーグルと、カブと長ねぎのポタージュ。素材の味が生かされていておいしい。都会で出しても流行るだろうなあ

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コーヒーとチョコレートとナッツのたっぷり入ったビスコッティ。カリッカリの食感がたまらない

ほかにも、行ってみたい場所がたくさんある。「まほうのだがしや チロル堂」は、子どもは100円でガチャを回して出てくる「チロル」と呼ばれる通貨(1〜3チロル入っているらしい)で買い物をする駄菓子屋さん。差額分は大人の飲食代から寄付されるという仕組みで、地域で子どもたちを見守る取り組みが、昔ながらのようだけど新しい。「MAHO-ROBA forest」に連れて行ってくれた友人に教わった「Kinachick no Mori」というレストランも気になるし「IKOMA GOURMET STAND」のドーナツは、今度はお店で食べたいなあ。

日常の悩みはこの街が解決してくれるのかもしれない

「kininalu」を後にしてぶらぶら歩いていると、ふと「私は生駒が好きなんだ」と思った。自分で自分のことを認めてあげられたような気分だった。「冴えない」と思っていたのは、照れ隠しのようなものだったのかもしれない。生駒に素直になれたことで、なんだか嬉しくなってお土産をたくさん買った。

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奈良県産「ゆめのか」いちごは八百屋さんのイチ押し。「THE PINK ELEPHANT」のクッキーと「高山製菓」のかきもち(特にころもち)は見かけると絶対に買ってしまう。たっぷり入ったケールは何と100円

何もないと思っていた生駒だけど、本当は昔からずっと、ひっそりいいところはたくさんあったんだろうなと思う。灯台下暗し。空き家が増えていた実家の近所には、新しい家が次々と建ち始めている。引越しを終えた家の前に置かれた小さな三輪車を見ると、随分前に出ていったくせに「ようこそ」といいたくなった。滞っていると感じていた生駒の空気は、のんびりと、マイペースに流れ続けていたのだ。

この街に生駒山がある。緑があって、土があって、新しいスポットが次々と生まれ、それでも変わらない静けさがある。静けさのあるところでは、自分の足音や、息遣い、心臓の音が聴こえる。無音の空に吸い込まれそうであっても、しっかりと聴くことができる。都会でも聴こうと思えば聴こえるけれど、気付かずに聴き逃してしまうことがほとんどだろう。自然が鳴らす音や時間の経つ音。それは、私の身の回りのさまざまな悩みや出来事について、考えるきっかけをくれる。

そうして物思いにふけながら、坂道を下る。「両親はいつまで元気でいてくれるのかな」とか「子どもの教育、学校はどうしよう」とか、現実的なことばかりが頭をよぎる。悲観しないでいられるのは、その現実的なことを「生駒」が解決してくれるような気がしているからだ。家族と一緒に生駒で暮らすことを想像する。坂道で転ぶ娘を思い浮かべていたら、愛おしくて泣きそうになった。私はいつか、生駒に帰るのかもしれない。

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著者:小塚舞子

小塚舞子

奈良県出身。一人っ子、AB型のタレント兼ときどき文筆業。2021年からフリーランスの活動を始める。TVO「おとな旅あるき旅」ABC「おはよう朝日です」KTV「発見たまご!ころころコロンブス」など、おもに関西のテレビやラジオ番組に出演しながらたまに執筆して、あとはカレーを食べ歩く日々をおくる。ほぼカレーアカウントになっているInstagramはこちら@kozukamaiko

 


編集:岡本尚之