茨城県の実家でテイクアウトの南インド料理店を開いて、インド人に間違われながらゆるく生きています【いろんな街で捕まえて食べる】

著: 玉置 標本 

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日本全国に出張して南インド料理をつくりまくる二人組ユニット『マサラワーラー』の鹿島信治さん(44歳)が、2019年に家庭の都合で東京から茨城県古河市にある実家へと戻り、テイクアウト専門の南インド料理店をオープンしたそうだ。

実際に行ってみると「ここで南インド料理店って!」という立地に驚いたのだが、じっくり話を聞いてみると「ここだから南インド料理店が好きにできるのか」と納得した。

実家の商売を継ぐのではなく、実家で商売をするという道

九月の某平日、鹿島さんから聞いた住所をカーナビに登録して、埼玉県東部にある私の家から出発。高速を使わずとも、一時間ちょっとで利根川を越えた先にある茨城県古河市まで来た。意外と近い。

工業団地、畑、住宅がまばらに並ぶ地方の町。この場所で南インド料理店というマニアックな商売が成り立つのかと不思議に思いながら進んでいくと、ナビの案内は大通りから逸れて、こっちで本当にあっているのかと不安にさせる路地を示した。

11時の開店時間より少し前に到着した場所は、鹿島さんの実家だった。表札に『鹿島』って書いてあるので間違いない。店の場所が実家であるというのは知っていたのだが、想像以上の実家感に驚いた。

f:id:tamaokiyutaka:20210929212312j:plain実家だ

南インド料理店に来たはずなのだが。とにかく玄関から入ればいいのかなと迷っていたら、駐車場の奥にある小屋から鹿島さんの呼ぶ声がした。

どうやらこのスペースが鹿島さんの店『SANJAY PARCEL FOOD SHOP』のようだ。

f:id:tamaokiyutaka:20210929212337j:plain日本の住宅街なのに秘境感がある

f:id:tamaokiyutaka:20210929215049j:plainメニューは日替わりの南インド料理のみ。ベジミールス(野菜の定食)が800円、ノンベジ(肉や魚)のおかずがつくと1000円、さらにオプションがいくつか用意されている。クルマ、トゥルシー、カットリッカイ、料理の説明は記事の後半で

『SANJAY PARCEL FOOD SHOP』という店名の由来は、鹿島さんがインドを旅行中に名前を聞かれて、『信治(しんじ)』だと答えたがインド人には言いにくかったらしく、何度教えても現地によくある名前の『SANJAY(サンジャイ)』と呼ばれ、じゃあそれでいいよとついたあだ名からきているとか。

逆に考えると南インドのタミル・ナード州で、インド人のSANJAYさんが『シンジのほかほか弁当』という店をやっているような話である。

鹿島さんは店から出てくると、「ちょっと看板出しちゃいますね!」と開店準備を始めた。

f:id:tamaokiyutaka:20210929212513j:plainマサラワーラーの相方であり、画家でもある武田さんが描いた看板が掲げられた

f:id:tamaokiyutaka:20210929212516j:plain若干不安になる「奥へ進んでください」の文字

f:id:tamaokiyutaka:20210929212520j:plainよくわからないけど、なんかすごい店だなと思った

インド料理にハマった意外なきっかけ

どういう経緯で茨城県古河市の住宅地にある実家の小屋でインド料理店(しかも日本人にお馴染みのナンとマトンカレーみたいな北インド料理ではなく、料理名を聞いてもピンとこない南インド料理専門)をやることになったのか、話の脱線を楽しみつつじっくりと伺った。

f:id:tamaokiyutaka:20210930162340j:plain南インドカルチャー見聞録』という楽しい本も共著で出している

――まずはインド料理にハマったきっかけから教えてください。

鹿島信治さん(以下、鹿島):「十代からずっと音楽をやっていて、この実家を出て東京に住んでいた二十代前半の時に、ギターも飽きてきたからなにか変わった楽器をやりたいなと探していて、出会ったのがシタールだったんです。それがインドとの接点ですね。

シタールをやりたいけどバンドとして落とし込みたかったんで、インド音楽はやりたくなかったんですよ。それで『Conti(コンチ)』というシタールとドラムの二人編成バンドを組んで、すごく変拍子でプログレッシブロックみたいな感じでやっていました。コロナが流行ってライブが難しくなったけど、今も活動はしていますよ」

f:id:tamaokiyutaka:20210929233555j:plainシタールとドラムス(小林拓馬)による印洋折衷メタモルフォーゼデュオだそうです。写真:Eisuke Asaoka


言葉の説明だとわからないと思うので動画をどうぞ

――カレーじゃなくて楽器がスタートなんですね。

鹿島:「シタールは好きだけど、なるべくインドとは距離を置こうと勝手に思っていたんです。音楽的にも影響されたくなかったし。でも……無理だったんですよね」

――無理でしたか。

鹿島:「そういう音楽をやっているときに、武田尋善(ひろよし)君という絵描きと知り合って、一緒にパフォーマンスをやるようになったんです。

それから二人でなんでかカレーをつくろうってなって。それで新宿の紀伊国屋書店にレシピ本を買いにいって、そっから止まらなくなっちゃった」

f:id:tamaokiyutaka:20211001151354j:plain武田尋善さん。写真提供:武田尋善

鹿島:「一人じゃなく二人だったのが悪かったんですよ。お互いが今日はあれつくった、これつくったって電話を掛けあっていたんです。どっちも負けたくないから、それぞれが週5とかで一日3~4種類つくっていました」

――1+1が2じゃなくて3にも4にもなるっていうやつですね。カレーの量が。

鹿島:「その時は楽しくなっちゃってた。料理を仕事にしている今よりもつくっていたかもしれない。東中野に住んでいたから、必要なスパイスとかがそろう新大久保まで自転車ですぐだったし。

イスラム横丁にあるハラルフードショップ(イスラム教徒向け食材がある店)の『GREEN NASCO』が、もっと奥にある小さい店だったころですね。あのころの客は日本人なんか誰もいなくて、ビビりながら豆とか買ってました」

f:id:tamaokiyutaka:20210930000326j:plain現在のGREEN NASCO。鹿島さんはここの店員と仲良くなり、インドにある実家へ遊びに行ったそうだ。そんなことってあるのか

鹿島:「今思えば、まずかったと思いますけど、なんせ数をつくりました。家族や友達が太る太る。そうなると食わせる人がいなくなってくるので、もう二人でイベントをやろうって。それで『マサラワーラー』という料理ユニットを組んだのが2008年です。

――前から料理が得意だったんですか?

鹿島:「僕は飲食店で働いたことなんてないし、自分で食べるものすらろくにつくっていなかった。なんかスパイスを混ぜたりするのがおもしろかったんじゃないですかね。料理の名前がかっこいいからとか。だから今もインド料理しかつくれない」

f:id:tamaokiyutaka:20210930210103j:plainスパイスって楽しいですよね。写真提供:鹿島信治

鹿島:「最初は北インド料理から入りました。パラックっていうほうれん草とチキンの料理とか、緑だしつくりてえなって思うじゃないですか。それがだんだん南インドに興味が移ったんです。

若いころって唐揚げとか茶色い料理が大好きで、肉が入っていない食事なんて意味がわからない。でも南インド、特にタミル・ナード州の料理だと、野菜と豆だけでパンチのある味がつくれるっていうのがおもしろくて。でもやっぱり肉や魚も好きだからノンベジもつくりますけど。

タミルの味はインドに行く前から好きだったけど、初めて本場で料理を食べて、やっぱりこれだなって思いました。同じ南インドの中でも、僕にはやっぱりタミルなんですよ」

――もはやソウルフードだ。前世の記憶ですかね。

f:id:tamaokiyutaka:20210930210308j:plainインドにて。写真提供:鹿島信治

南インド流『食べさせられ放題』のミールスがしたい

――マサラワーラーではどんな活動をしていたんですか。

鹿島:「最初はただつくりたかったので、つくりたい欲を発散するためだけにワンデイキッチンとかを借りて、ひたすらつくって、来た人に勝手に食べてもらう。気が付くとお客さんの顔を誰一人見ていない。それでいいと思っていた」

――ずっと厨房に籠っているんだ。接客する暇があったらつくらせろと。

鹿島:「でも南インドでミールスというスタイルの食堂にいったら、まず着席するとテーブルにバナナの葉っぱが敷かれて、料理の入ったバケツを持ったおっさんがその日の料理をどんどん盛ってくれる。なくなると『もっといるか?もっと食べろ!』っておかわりをくれる。わんこそば状態で『もういらない!』っていうまでずっと食べさせられる。

このミールス独特の『食べさせられ放題』の雰囲気をすごくやりたい。自分たちで接客もやりたい。食べるお客さんの顔が見たい。それで僕たちのスタイルも変わりましたね。

――料理をつくるだけだと味わえない充実感がありそうです。

鹿島:「そうしたら『こんなに現地的なサーブの仕方で食べられるところなんてない!』って拡散してくれる人が増えて、自分たちで会を主催するよりも、おもしろがってくれる人に呼んでもらう機会が増えました。

でもよく考えると、現地ではつくる人と配る人は別だった。だから二倍働かないといけないんですよね」

f:id:tamaokiyutaka:20210930210403j:plainマサラワーラーの『食べさせられ放題』で料理を配る鹿島さん。写真提供:鹿島信治

鹿島:「ケータリングで全国を回るようになってわかったのが、どんなに田舎でもコアなインド好きっていうのが何人かいる。新潟とか山形とかに呼ばれることもあるんですけど、会場が畑の真ん中にある農家の土蔵みたいなところだったりするんですよ。こんな場所に人が来るのかなって不安に思っていると、どんどん来る。

インドに憧れているけどまだ行ったことがない人が来て、その後にとうとうインドに行ってマサラワーラーで経験しておいてよかったっていわれたり、向こうに何度も行ったり住んでいた人が懐かしがってくれたり。

――日本で体験できるプチインド。好きな人には堪らないですね。

鹿島:「でもイベントも50人を超えだすと、彼氏とか彼女とか友人に連れられてきた、何も知らない人っていうのが一定数現れるんですよ。たぶん『今度カレー食べにいくけどいかない?』って誘われて来るんでしょうね。うっかり何も知らずに来ちゃう」

――多くの人にとって『インド料理=カレー』だから、おいしいカレーが食べられるんだろうな、くらいの軽い気持ちで来ちゃう。

鹿島:「さんざんミールスを食べた後に、『で、カレーはいつでるんですか?』って聞かれたりする。口には出さなくても、最後までよくわからないまま食べさせられて帰る人が結構いて、でもそこからハマってくれる人もいるんですよね。それがすごいおもしろい。

だから最近は人数が多いイベントの場合、最初に聞くようにしているんですよ。『今日カツカレー食べに来た人はいますか~? チーズナンを期待している人はいますか~?』って。絶対にいるんですよ。

マイ箸を持ってきて、縁のないバナナの葉っぱに乗った料理をすごいきれいに食べている人がいたり。そういう出会いが楽しくてしょうがない」

――マサラワーラーは呼べばどこにでも来てくれるんですか。

鹿島:「ケータリングなので普通に店で食べるよりは高くなっちゃいますけど、どこにでも行きますよ。遠くても交通費を相談させてもらえれば軽自動車で向かいます。

場所も普通の二口コンロとかで全然つくれます。カセットコンロも持ち込むから、最悪水道さえあれば調理できるっていうのが強みですね」

――もはや大道芸に近い料理ユニットだ。

鹿島:「毎回全部運んで、全部セッティングして、全部かたずけて帰ってくるので、普通の店よりも大変だとは思います。できるだけ外に出たいっていう性格なので、性に合っているんですけど、このまま70歳までケータリングできるのかと言われたらちょっと難しいかな。でもその時はその時だし。

前に九州まで10日間、トータル3500キロの遠征があって、カーショップでオイル交換した二週間後にまたオイル交換で来たから、どうしたんですか?って驚かれました」

f:id:tamaokiyutaka:20210930210617j:plain荷物は全部持ち込みが基本。写真提供:鹿島信治

鹿島:「料理教室も結構やっています。ただ僕らの調理は目分量なので、渡したレシピはとりあえず見ないで一緒につくってもらい、こうすれば失敗しないぞってっいうポイントを教える。レシピは家に帰ってつくるときのガイドとして使ってくれっていう感じです」

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料理教室もケータリングと並ぶ人気のコンテンツ。写真提供:鹿島信治

鹿島:「音楽関係のつながりでライブハウスが暇な平日に、つくったことのないインド料理をステージでつくろうって、プロジェクターでYouTubeを流しながら初見でつくるっていう、ひどいイベントもやりました。ロックフェスで20分の持ち時間に7品くらいつくったり。僕らは店舗運営とは違う経験値がすごいから、厨房が変わってもなんら問題ない。まったく動揺しないから。

ユニットっていいですね。自分一人でやっていたら、ここまではいかなかったと思うんですよね。あのころは武田君もノリノリだったから……って今でもノリノリですけど」

f:id:tamaokiyutaka:20210930160647j:plain新宿ロフトのステージで料理をつくるマサラワーラー。写真提供:鹿島信治

インドでインド人にインド料理を食べさせる

――これまでにインドは何回くらい行ったんですか?

鹿島:「10回くらいですかね。最後が4~5年前だから、しばらく行ってないんですよ。言葉はペラペラ喋れる程じゃない。大学のオープンカレッジでタミル語講座に一年間通ったので、文字が読めるとか、挨拶ができるとか、買い物ができるくらい。最近もオンライン講座を受けています。『バーフバリ』とかインド映画の影響で、タミル語を習いたい人が多いんですよ。

インドで料理修行まではしていないですけど、現地の料理教室で先生に習ったりはしました。あと向こうの人ってレストランとかで厨房を見せてくれっていうと、おもしろがって中に入れてくれるんですよ。日本だとあり得ないですけど。それで調理を見せてもらったり」

f:id:tamaokiyutaka:20210930211426j:plainインドで料理を習う鹿島さん。写真提供:鹿島信治

鹿島:「東インドのビーチでやるフェスに呼んでもらい、シタールを持っていってライブもやりました。現地の小学校で子どもたちと交流したりとか」

――インド人が日本に三味線を抱えてやってくるみたいな話だ。

f:id:tamaokiyutaka:20211001112951j:plain東インドのビーチにて。写真提供:鹿島信治

f:id:tamaokiyutaka:20211001113000j:plainシタールとライブペインティングの共演。写真提供:鹿島信治

f:id:tamaokiyutaka:20211001113205j:plainいい笑顔。写真提供:鹿島信治

鹿島:「インドでインド人にインド料理を振る舞ったこともあります。知り合いのつてで現地のレストランを借りられるってなって、とにかくなにかやろうと。普通の日本人の料理人だったら日本食を食べてもらおうってなるけど、僕ら全然つくれないですから。肉ジャガだったらサンバルの方が絶対得意!

向こうで食材を買って、厨房を借りて、そこらへんにある道具を適当に使ってつくりましたね。見たことのないミキサーとかで。いざ会場にいったら前日の片づけがまったくしてなくて困りましたけど」

――その状況を想像しただけで、胃がキリキリしてきました。

f:id:tamaokiyutaka:20211001113155j:plainオクラを刻む鹿島さん。写真提供:鹿島信治

f:id:tamaokiyutaka:20211001113202j:plainぶっつけ本番でつくった料理の数々。写真提供:鹿島信治

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壁の絵が不思議。写真提供:鹿島信治

鹿島:「でも楽しかったですよ。インド人が『いつも食べている料理だ』っていう評価をしてくれたし。変なアレンジをしていないぞと。

そのときはまだ日本でのケータリングの経験値がそんなにないころ。なんとか形にはなりましたけど、勢いしかなかったですね。その様子をたまたま来ていたライターが地元の新聞に載せてくれました」

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レポートが載った現地の新聞。写真提供:鹿島信治

――状況が落ち着いたら私も南インドに行きたいなと思っているんですけど、治安ってどんな感じですか。

鹿島:「人が多い街だと比例してだまそうとする人も増えますけど、そんなに治安は悪くないですよ、特に田舎だと。女性が一人で夜中に歩くとかは厳しいですけど、でもそれって大丈夫なのは日本だけですよね。

インドにいったら、ここは日本じゃないってちゃんと思える人だったら平気。『日本だったら~』が頻繁に口から出てくる人は向いていない」

――やっぱり日本の常識とは違うんだ。

鹿島:「インドを好きになる人と、そうじゃない人の違いはそこだと思います。比べたらダメ。でも楽しいし、良い人が多い。バスがストライキで運休になっていて困っていたら、知らないおっさんがバイクに乗せて駅まで送ってくれたり」

――インドでおっさんと二人乗りは怖いですね。

鹿島:「ちょっとヤバいかもって思いつつ、この話は乗った方がおもしろそうだと思うと、いっちゃうんですよね」

――そういった数々の経験が、鹿島さんの料理に深みを出す隠し味なのだと理解しました。

f:id:tamaokiyutaka:20210930211639j:plainインドの調理器具店。写真提供:鹿島信治

意外と南インド料理店に向いた町だった

話を本筋に戻そう。結婚をして小学生の子どももいる鹿島さんが、20年以上住み続けた東京から実家へと戻ってきた理由は、家族の事情だった。

鹿島:「きっかけは母親が倒れて寝たきりになったからです。兄弟全員東京に住んでいて、どうする?って話し合って、じゃあ僕の仕事が一番どこでもできるから僕が帰るよって。看護師の妻が背中を押してくれたのも大きいですね。

それが二年半くらい前だから、コロナのちょっと前。運がよかったといえばよかった。あのまま東京にいたら、僕の仕事は全部なくなっていたでしょうね。こっちに帰ってきたことで、家賃がないから経済的に切羽詰まる生活じゃなくなったし」

――とりあえず暮らしてはいけるぞと。実家に帰ってきて、最初はなにをしたんですか。

鹿島:「まず茨城県内でタミル人をめっちゃ探しました。この辺に住んでいるインド人はパンジャブ州とか北の方ばっかりなんですよね」

――それは来日したタミル人のすることですよ。

鹿島:「毎日情報を集めて、ようやくたどり着いたのがつくば市在住の研究者。知らないタミル人にフェイスブックから『古河市でこういうことをやっているものです、ぜひ会いましょう!』ってメッセージを送って。僕にも知らないインド人からよくメッセージが来るから、それと同じことをしました。

そうしたら向こうも喜んでくれて。4月だったからタミル暦だとちょうど正月。新年を祝う集まりをやるからってつくばに呼んでもらって、そしたらタミル人が20人くらいいて『まじか!』って大興奮。南インドから来日している人ってみんな研究者とかIT技術者の超インテリばかりだから、肉体労働者は僕だけ。すげー楽しかったです」

f:id:tamaokiyutaka:20210930211825j:plainつくばでタミル人に混ざる鹿島さん。写真提供:鹿島信治

――この秘密基地みたいなキッチンスペースは、前からあったんですか。

鹿島:「ここは親が仕事をしていた場所で、帰ってきたときは物置みたいになっていた。厨房があった方がマサラワーラーの仕込みもしやすいんで、自分で片づけて、壁を塗って、調理道具を運び入れました。

せっかく引越してきたからなにかやりたいじゃないですか。ここら辺の人がどんな反応をするのか、どんな人がいるのかも知りたかったので、まずは公民館の調理場を借りて料理教室をやってみると、20~30人くらい集まってくれたんです。この辺にも隠れインド好きがいたんでしょうね」

f:id:tamaokiyutaka:20210929212555j:plain自分でつくったキッチンで仕込む鹿島さん

f:id:tamaokiyutaka:20210929213054j:plainイドゥリという米粉の蒸しパンをつくるためだけの道具などもある

f:id:tamaokiyutaka:20210929212850j:plain友達の部屋に遊びにきた感がすごい空間だった

――想像よりも受け入れてもらえましたか。

鹿島:「すぐ近くの小山市と野田市にカーオークション会場があって、車の仕事をやるには便利だから、この辺はパキスタン人やスリランカ人が多いんですよ。だから完全に身内向けにしか営業していない店が結構あって、週に一度だけ中古車に囲まれた場所でオープンする不思議なハンバーグ屋とか、もう現地感がすごい。そこで慣れている日本人が意外といた。この辺って意外とそういう地域なんですよね。

食材を仕入れるにしても、この地域はめっちゃ便利。ハラルショップもたくさんあるし、野菜も安いし、車で30分くらい走って常総市まで行けばヘビウリとか南アジアの野菜を卸している直売所もある。何も困らないですね」

f:id:tamaokiyutaka:20210929212940j:plain馴染みのハラルショップに連れてきてもらった

f:id:tamaokiyutaka:20210929212946j:plain鹿島さんは誰にでも日本語で普通に話しかけていた。まったく壁をつくらない人だ

――この町は隠れた需要もありそうだし、つくる場所も食材も用意できた。それで弁当販売を始めたんですか。

鹿島:「今みたいなテイクアウトを始めたのは、コロナ渦になってケータリングや料理教室の予定が組めなくなったからですね。去年の四月、五月は予定が全部中止になって60連休とかになった。その時は、もういいや、あがくのやめよう、遊ぼうって、子どもと野草を摘んだりしていていました。超暇なので」

――飲食のイベントも、音楽のライブもできないですもんね。

鹿島:「そのまま半年くらいは暇だなーって思いながら過ごしていたんですけど、これはさすがに暇すぎるぞと。それで保健所の許可を取って、ちょっと弁当でも販売しようかなって。

こんなところに誰が買いに来るんだろうと思いながらオープンしたのが昨年の12月。メニューは僕の気分次第でつくる、日替わりの南インド料理の弁当です」

f:id:tamaokiyutaka:20210930161245j:plain鹿島さんのつくる弁当はボリュームたっぷりだ

f:id:tamaokiyutaka:20210930161018j:plain本日のメニュー、手前がベジタブルクルマ(野菜のナッツ煮込み)、奥がコーリコットゥカリコロンブ(鶏ひき肉のカレー)

 

f:id:tamaokiyutaka:20210930161026j:plainカットリッカイポリヤル(ナスのスパイス炒め)

f:id:tamaokiyutaka:20210930161029j:plainトゥルシー(ホーリーバジル)のペースト

f:id:tamaokiyutaka:20210930161022j:plainミーンコロンブ(サバのカレー)

地域密着型の南インド料理店

――本当にタンドリーチキン弁当とか、バターチキンカレーとかじゃないんですね。どんなお客さんが来るんですか?

鹿島:「最初のうちは遠くから友達が来てくれたけど、今はなんとなくネットとか口コミで広がってくれて、どうにかやっています。ほとんどが日本人ですね。

地元の人だとこの店に興味がないっていう人も多いけど、たまに近所の人がふらっと来てくれたりします」

――鹿島さん家の信治くんが、なにやら店をはじめたらしいぞと。

f:id:tamaokiyutaka:20210930161741j:plain普通の会社員っぽい人が買っていく

鹿島:「最近は南インド料理の店も増えたっていうけど、それって都市部だけだと思うんですよ。東京とか大阪とか博多とか。この辺だとちょっと南インド料理も出すよっていうネパール料理店くらいはあるけど専門店は一軒もないから、千葉、栃木、埼玉、群馬からも買いに来てくれます。

古河市は茨城県の西端で県境だから、水戸みたいな茨城の中心地よりも、むしろ県外からのお客さんが多いくらい」

――東京まで食べに行くよりはここの方が近いっていうエリアが広いんだ。こういうマニアックな商売は、地方だと競合相手が少ないから需要を広くすくえるんですかね。

f:id:tamaokiyutaka:20210930161659j:plain賄いとしてパロタというパンを焼いてくれた。隙あらば変わった料理をつくりたい人だというのが伝わってくる

f:id:tamaokiyutaka:20210930161713j:plain後述するオラソル農園からいただいたバナナの葉に盛ってくれた。ぜんぶうまい!

鹿島:「店の営業日は基本的に火曜、木曜、土曜。でもイベントとか次第なので超流動的。ゆるいっす。インターネットに情報が出ているからお客さんが来てくれますけど、じゃなかったら無理ですよ。場所はすげえ分かりにくいし」

――偶然来る人が少ないタイプの商売だと、駅前とか大通り沿いとかじゃなくても全然いいんですね。

鹿島:「たまにつくば市とかを配達で回ったりもしています。知り合いに『そっち方面に行くけど弁当いります?』って聞くと、会社で注文を集めてくれる。それで何か所か回るのが一番楽。ロスは出ないし、メニューのリクエストを受けることもできるし、ありがたいです」

――コロナが落ち着いて、ケータリングや料理教室の仕事も戻れば、かなり忙しくなりそうです。

鹿島:「でもあんまり働きたくないんですよね。今くらい休めるのが理想。これが東京だったら、こんなにのんびりした働き方は無理だなって思います。

僕の場合ですけど、拠点が東京都内にある意味はなかった。ここと同じ調理場を持とうとしたら月に最低10万はかかるじゃないですか」

――実家じゃなくて、場所を借りたり買うにしても、東京と比べたら何分の一でしょうね。

鹿島:「荷物が多いから移動はすべて車だけど、ここなら東京まで下道でも二時間くらいだから十分通える。コロナ前はイベントが週に3~4回あったから、一年間で5万キロくらい走っていました。東京の安い駐車場はばっちり覚えましたよ。

地方でストレスなく住めるのは、車を運転するのが苦じゃないっていうのが大きいかもしれない。僕は何時間走っても平気で、どこに行くにも一人で運転します。マサラワーラーで九州まで行った時も運転は僕だけ。武田君はオートリキシャしか運転できないから」

f:id:tamaokiyutaka:20210930155533j:plain武田さん自慢のオートリキシャ。写真提供:鹿島信治

大事なことは深く考えすぎないで決める

――東京から古河市に戻ってくるとか、テイクアウトの店をはじめるとか、大きな決断はやっぱり悩みましたか。

鹿島:「どうだろ。とにかく深く考えないようにしているかな。深く考えると何も動けなくなっちゃうじゃないですか。考えすぎちゃって鬱々としている人が結構多いけど、考えてもしょうがない。もちろん良い悪いの判断は絶対に自分でしないといけないですけど、これダメに決まってるじゃんって思えばいいだけ。

これを今やったら、楽しいか、楽しくないか。人を集めるようなイベントはコロナ渦だと楽しいと思えないからできない。でも弁当販売はおもしろそうだなって思ったからやる。

ケータリングもテイクアウトも、何十年後とか考えてない。結構どこに住んでも、なにをやっても生きていけるかなって思っています」

f:id:tamaokiyutaka:20210930162151j:plain当然のように手で食べる鹿島さん

f:id:tamaokiyutaka:20210930220133j:plain指の腹に乗せて、親指の爪で口に押し込んで食べるそうだ

――東京に住まなくても、楽しいことはたくさんありますか。

鹿島:「うちの町はなんにもないからっていう人が多いですけど、意外とね、どこの町でもなんかあるなって思うようになりました。

阿部さんっていうお客さんが、近くに変わったインド料理屋ができたらしいって弁当を買いに来てくれた。軽トラで長靴を履いていたから『農業をやっているんですか?』って聞いたら、畑でビーツをつくっているっていうんですよ」

――ボルシチとかに入れる、真っ赤なカブみたいなやつですよね。

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オラソル農園の阿部夫婦。最近は鹿島さんがリクエストしたメティリーフなどの野菜も育てているらしい

f:id:tamaokiyutaka:20210929212911j:plain今日の料理にも使われていたビーツ

鹿島:「南インド料理でよく使う野菜だから『ビーツ買いたいです!』っていったら、その日のうちに持ってきてくれたんです。それで育てている野菜のリストをもらったら、モリンガ(ドラムスティックと呼ばれる実のなる植物)の葉っぱとか、青パパイヤまである。

『これはどういうことなんですか!』って興奮しましたね。でもそれはお互い様で、向こうからしたら『なんでこんなところに南インド料理屋が!』だから。

ちょっと変わったことをしている人って、同じように少し変わったことをしている人に惹かれるんですよ。田舎だから誰もいないだろうと思っていても、実はいるんです」

f:id:tamaokiyutaka:20210930160056j:plain阿部さんの畑で収穫イベントなどがあると、鹿島さんがケータリングすることも

f:id:tamaokiyutaka:20210929212930j:plainベジの料理なのにパンチがあってうまいんですよ

――たっぷりと話を聞かせていただき、ありがとうございました。ところで鹿島さんって、お客さんから日本人だと思われていますか?

鹿島:「それがね、完全にインド人だと思っている人もたまにいるんですよね。この前も若い男性が初めて来てくれて、ちょっと話したんだけど、帰るときに『日本語めっちゃうまいですね』って言われて。あー、インド人だと思って話していたんだと」

――インド人みたいな日本人じゃなく、完全にインド人だと勘違いしていたんだ。さすがサンジャイ。

鹿島:「それをツイッターに書いたら、今度は前に来たことのある女の人から『日本人だったんですか! ずっとインド人だと思っていて、おかあさんにすごく日本語がうまいインド人がやっている店にいってきたっていっちゃた』って言われました」

――それはもう仕方がないと思います!

f:id:tamaokiyutaka:20210929213103j:plain最後にコラボ料理ということで、持参した生地と製麺機でカレーラーメンをつくってもらった

f:id:tamaokiyutaka:20210929213109j:plain鹿島さんの料理に塩気を足して、茹でた麺と炒める

f:id:tamaokiyutaka:20210929213118j:plainベジタブルクルマとコーリコットゥカリコロンブの焼きラーメン。いろいろそろった調理場なのに、箸というものがないので、隣の家まで取りに行ったのがおもしろかった

もし私が仮にどこかでカレーラーメン屋を開こうとするならば、店の立地だったり、潜在的な客数だったりを考えてしまうだろうが、大切なのはそこじゃないのかもしれない。その状況を楽しめるかどうかが一番の核。とかいって実際に店を開くと、あっさり失敗するだろうけれど。

鹿島さんは常に楽しそうな人だ。楽しいであろう道を選び、楽しめる仕事を自分でつくり、それをちゃんと楽しんでいる人の話は、やっぱりとても楽しかった。

f:id:tamaokiyutaka:20211001153203j:plainカレーリーフ(南インド料理に必須のハーブ)の鉢植えに朝顔の蔓が巻き付いていた。

SANJAY PARCEL FOOD SHOPのTwitter(お店の営業情報はこちら)

鹿島信治さんのTwitter

鹿島信治さんのサイト

武田尋善さんのサイト

マサラワーラー

Conti

オラソル農園

【いろんな街で捕まえて食べる】 過去の記事 

suumo.jp

著者:玉置 標本

玉置標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。『育ちすぎたタケノコでメンマを作ってみた。 実はよく知らない植物を育てる・採る・食べる』(家の光協会)発売中。

Twitter:https://twitter.com/hyouhon ブログ:http://www.hyouhon.com/