幡ヶ谷って、どこ?

幡ヶ谷に引越したのは30歳の頃。38歳で結婚するまで、30代の多くを幡ヶ谷で過ごしました。
幡ヶ谷はおそらくほとんどの人にとって、また私にとっても、元々あまりなじみのない地名でした。幡ヶ谷駅は新宿駅から電車で2駅。一つ手前の初台は新国立劇場にお芝居を観に行ったことがあるし、一つ先の笹塚には「笹塚ファクトリー」という劇場があったので、そこでネタをしたこともあります。笹塚ファクトリーでネタをする私の姿を見て、元々吉本の後輩だった夫が私を好きになった話は、また別の機会に。それにしても、幡ヶ谷は用事がなければ行くことのない場所です。
私は、千葉県柏市で生まれ育ちました。いわゆるベッドタウン。父は柏から都内まで毎日通勤していましたし、私も大学から都内だったので、途中までは柏から通っていました。
大学2年生の頃に彼氏ができて、彼の家に入りびたるように。実家から大学までは1時間半、彼氏の家からは30分。遅れてきた反抗期とばかりに、ほとんど実家には帰らなくなりました。
その後、その彼とはお別れして、最初に一人暮らしをした街は中野でした。線路沿いの家で、電車が通ると震度1くらいの揺れが常にありました。その次に住んだのが中野坂上。下の階に飲食店があったわけでもないのに、たくさんの虫と同居しました。その他の点においては、中野区での生活も快適だったのですが、「次の更新では違う街に住んでみたい」と思っていました。
家賃とアクセスのバランスに惹かれてたどり着いた街

新しく住む街の条件は、「吉本の本社がある新宿と、よしもと∞ホールという劇場がある渋谷への交通の便がよく、自転車でも行ける距離であること」。そして、希望家賃は6万円以下。とにかくお金がない時期でした。
その条件に合いそうな物件をネットで探すうちに、幡ヶ谷が候補に上がってきました。新宿は電車ですぐだし、渋谷もバスで行ける。神保町にも吉本の劇場があるのですが、都営新宿線直通の電車に乗ればこちらも乗車時間15分、乗り換えなしで行くことができました。
そして、その当時の私が1番惹かれた理由は、芸人の先輩が何人も住んでいたことでした。あまり友達が多いタイプでも、先輩に可愛がられるタイプでもない私は、芸人がたくさんいるところに飛び込んでいけば、飲みの席に誘ってもらえるのではないかという邪心があったのです。
そうして晴れて、渋谷区民になりました。幡ヶ谷、実は渋谷区なんです。「渋谷区に住むって、都会っぽくてかっこいい!」と思っていました。
家賃5.7万円・6畳1Rからスタート 快適で楽しい幡ヶ谷生活

最初の幡ヶ谷の家の写真です。家賃は5万7000円。6畳のワンルームでユニットバス、少ないけど収納もあり、駅徒歩5分。おそらく幡ヶ谷近辺は、渋谷区の中では最も安く住めるエリアだと思います。この頃の月収は、バイトと芸人としての収入を合わせて15万円くらい。それでもギリギリ生活していけました。
スーパーは駅の近くにライフと、駅直結で24時間営業のダイエーもあります。商店街には八百屋さんとか、焼き鳥がメインのお惣菜屋さんとか、100円ショップや大きめの薬局もあって、すごく生活しやすかったです。一人暮らしの人もファミリー層も、お金がある人もない人も、いろんな人が住んでいる街でした。
細かく言うと、甲州街道を挟んで中野区側は一人暮らし向きのアパートなどがたくさんあって、反対側は少し行くと代々木上原も近く、そちら側に近づくにつれ、おしゃれでお金持ちそうな方々がたくさんいました。次に引っ越す時はあっち側に住むぞ、という目標もできました。
その頃出番が多かった渋谷の劇場までは歩いて30分くらい。バスに乗っても何だかんだそれくらいかかるので、歩いて行くか、自転車で通っていました。自転車は1万円くらいで買ったママチャリを、酷使しすぎて、ある日前のカゴが転げ落ち、自転車のカスタマイズに命をかけている男子中学生のチャリンコみたいになってしまいました。
渋谷から幡ヶ谷に帰ってくる時には、楽しみが2つありました。1つはスーパーのOKストアによること。お肉が他のスーパーより安いので、帰り道に通るOKストアでよく買いだめしていました。そこで買った食材でよく同期と鍋パーティーをしたり、チーズフォンデュパーティーをしたりしました。
ただ友達を幡ヶ谷に呼ぶときには1つ注意点があります。おそらく最初はこんなLINEが来ます。
「幡ヶ谷なんてなかったんだけど」
そんなはずありません。だって私は幡ヶ谷に住んでいるんですから。なぜか多くの人が一回では辿り着けないのです。幡ヶ谷は京王線ではなく京王新線の駅。京王線だと新宿の次の駅は笹塚で、みんなこれに乗ってしまう。京王新線はその間の初台と幡ヶ谷に止まる電車なのですが、新宿から乗る時には改札もホームもそもそも違うのです。
もう1つの楽しみは、歩き飲み。幡ヶ谷近辺に住んでいる先輩や後輩たちとコンビニでお酒を買って、先輩のお財布事情を気遣いながら、いけそうだったらコンビニのホットスナックも買ってもらい、それらが無くなったら次のコンビニをはしごしつつ、渋谷から歩いて帰るのです。缶ビールから始まり、"濃い目"とか"ストロング"とか書いてあるお酒に移っていきます。暑くても寒くても関係なく、みんなでよく歩きました。
先輩方にはお店に飲みにも連れて行っていただきました。幡ヶ谷に住んだのはやはり正解でした。よく行ったのは「祐定」。大衆居酒屋といった雰囲気のお店で、店主がワンオペの時は「瓶ビール1本もらうねー!」とセルフで持ってきたり。特に好きだったのは鶏と長芋炒め。甘塩っぱい味付けで、それっぽく家で再現してみたりするんですが何かが違うんですよね。ウィンナー炒めとか焼きうどんも最高でした。
洋の口の時は、「CONA」で500円のピザを食べたり、肉の口の時は「炭火マルイチ」で牛はもちろん、その日に入荷したジビエの焼肉をいただいたりしました。「浜屋」という海鮮系の居酒屋は昼飲みもやっているので、休みの日には明るいうちから飲むという最高の過ごし方をしたこともありました。
この時の家は、電車で揺れたり異常に虫が出たりすることもなく快適で、嫌だったことと言えば最寄りのコンビニの店員のホットスナックを勧める圧が怖かったことくらいだったので、一度更新し、4年住みました。
憧れの街「代々木上原」と「幡ヶ谷」の曖昧な境界

その後、大好きな街、幡ヶ谷内で引越しをしました。家賃は9万3000円とかだったと思います。この頃にはバイトも辞め、芸人の仕事だけで生活できるようになっていました。
新しい家は、駅から徒歩1分。お風呂とトイレも別で、ガスコンロも2口付いています。間取りは1Kですが、広めでクローゼットも大きく、私の希望が全部叶った家でした。電車の時間2分前に家を出れば間に合うのが、ギリギリ行動派の私には最高でした。
ちなみに、この家に住むことでついに私は、「甲州街道のあっち側」の住人になりました。代々木上原駅からも徒歩15分。私が住んでいたマンション名には"幡ヶ谷"と付いていましたが、近所のマンションは"代々木上原"と言い張っているところもありました。幡ヶ谷に住んでいる有名人はあまり聞いたことないですが、代々木上原は結構聞きます。もしかすると何人かは本当は幡ヶ谷サイドで、「代々木上原」と言い張っているだけかもしれません。
さて、少しお金を手にした私は代々木上原でご飯を食べるようになりました。代々木上原の飲食店はハズレがないです。和食も洋食も大抵どこも美味しい。ただ、どこももれなく高い! 結局、普段使いはなじみの幡ヶ谷の店でした。
コロナ禍になり仕事も休みになり、散歩くらいしかすることがない時期もありました。そんな時よく行ったのは代々木公園。歩いて20分ちょっとなんです。パンの激戦区でもある代々木上原でパンを買い、公園まで歩いて、パンを食べて帰ってきたら午前中くらいはなんとか潰れます。
下北沢までも、歩いて30分。下北沢まで行けば、3COINS、無印良品、カルディ、古着屋もたくさん、お店はなんでもあります。休みの日に何かしたいとなった時に、新宿と渋谷はもちろん、それ以外の選択肢があるのも幡ヶ谷のいいところだと思います。
幡ヶ谷がアラサーの揺れ幅を受け止め、楽しませてくれた
25歳でこの世界に入って、5年で前のコンビを解散。30歳が見えてくると「みんな、本当にこのタイミングで結婚するの!?」というくらい周りの結婚ラッシュ。一方、私は仕事もないしお金もないし彼氏もいない。幡ヶ谷に来た頃は、人生をどうしようか一番悩んでいた時期です。とにかく飲みました。甲類のでっかいペットボトル焼酎を家でちびちび飲む生活から、代々木上原のイタリアンで料理に合うオススメのワインを値段を見ずに頼む生活まで、振れ幅の大きい30代を過ごしました。振り返ればあっという間ですが、幡ヶ谷での毎日は、色んなぐちゃぐちゃした気持ちとの戦いだったように思います。そして結婚を機に幡ヶ谷を出ました。
夫とどこに住むか会議が行われた時、私はもちろん幡ヶ谷希望を出しましたが、条件に合う物件に巡り会えず、現在また中野区民になっております。
幡ヶ谷は、どんな人にとっても選択肢の多い、可能性を秘めた街です。わざわざ行く街ではないけれど、物件探しで京王線沿線を候補に入れている方は一度是非、京王新線の幡ヶ谷も知ってみてください!
著者:山﨑ケイ(やまざきけい)
1982年千葉県柏市生まれ。2013年にお笑いコンビ・相席スタートを結成。「M-1グランプリ2016」の決勝進出のみならず、「キングオブコント」でも2014年から7年連続で準決勝進出する実力派。ニッポン放送「ナイツ ザ・ラジオショー」に火曜パートナーとしてレギュラー出演中。
編集:小沢あや(ピース)