27歳、学芸大学で遅れてきた「大人の青春」を過ごした話|文・三浦咲恵

著: 三浦咲恵

始まりは偶然、あるいは運命だったかもしれない

「大人の青春だね、羨ましいよ」私が学芸大学(学大)で過ごした5年間を、後に夫はそう表現した。なんという的確な表現。とてもしっくりくる。

そもそも学大に住みはじめたのは、ただの偶然だった。もともとは名前すら知らなかった場所だ。

今から10年前、当時市ヶ谷に住んでいた私は三軒茶屋に夢中だった。最初は友人に馴染みの店に連れて行かれたことがきっかけだったが、すぐに友人抜きでそのお店に入り浸るようになった。東京という場所の楽しさを教えてくれた場所でもある。市ヶ谷でカメラマンアシスタントとして手取り12万であくせく働きながら、往復700円+70分をかけて毎晩のように三軒茶屋まで飲みに行っていた。

そこに行くと「おー咲恵ちゃん!」と迎えてくれる人たちがいて、肩書きや年齢関係なく全員と友達になれた。それが例え一過性のものでも、その楽しさや新鮮味は、当時の私にとってはなくてはならないものだったのだと思う。お酒が弱いくせに、金がないくせに、まったくよく生きていたなと思う。

そんな生活を半年〜1年ほど続けた頃、とあるカメラマンの方の専属アシスタントになるのを機に、ついに引越すことになった。引越し先の第一候補は言うまでもなく三軒茶屋だ。とりあえず通える距離ならいい、風呂無しでも全然いい。そんな思いで数日間不動産検索サイトにかじりつき、ある程度目星をつけた上で、それらの物件を扱っている不動産屋を訪ねることにした。そして私は降り立ってしまったのだ、学芸大学駅に。

電車からホームに降りた時点で気持ちが良かった。地下鉄の駅や三軒茶屋の駅とは違う、太陽や風を感じることのできる、東急電鉄の抜け感のあるホーム。高いビルや騒音、目が疲れてしまうような大きな看板広告が一切なく、気持ちよく空を眺めることができた。

改札を出てからは、その活気にも驚いた。若者からお年寄りまで、たくさんの人が行き交っていた。ベビーカーや小さな子供も多い。会社勤めの人たちばかりの市ヶ谷と違い、その多様性や生活感が心地よかった。

駅の左右に広がる商店街も魅力的だった。おそらく私はこれに恋に落ちてしまったのだ。なんといっても八百屋があった。

八百屋? と思うかもしれないが、八百屋は市ヶ谷にも三茶にもなかった。生まれ育った大分の田舎にもなかった。田舎(それもド田舎)にあるのは、スーパーか直売所だ。かつてテレビで見ていたような、八百屋で野菜を買うという行為への憧れを、その時初めて自覚した。

もちろん八百屋だけではない。学大の商店街には本当に何でもあった。薬局やスターバックスなどのカフェはもちろん、何十年もやっているであろう和菓子屋にクリーニング屋、美容室に肉屋。それに加えて雑誌から飛び出てきたような洒落たパン屋や花屋、セレクトショップなどもあった。なんなんだこの街は……足りないものがないじゃないか。エモい公園(三谷児童遊園)まであるぞ。


洒落た花屋の店頭で泳ぐ金魚たち

そんなわけで、不動産屋まで辿り着く前に学大の魅力にノックダウン寸前だった私は、当初の三軒茶屋に近い内見予定の物件を素通りし、無事、学芸大学駅が最寄りのアパートに落ち着くことになる。家賃は破格の5万7000円。駅まで歩いて15分だが、自転車があるので余裕だった。お風呂もちゃんと付いていた。カチカチ回さないとお湯が出ないタイプだったけれど、それも楽しかった(気になる人は、“バランス釜”で検索)。角部屋で太陽の光がふんだんに入るその部屋を私は一目で愛した。

一年半経ってから気づいた、学大の本当の魅力

そして幕を開けた学大での生活。しかしながら、専属アシスタントとして働いていた最初の一年半は、当たり前だがお金もないし忙しいしで、せっかく移り住んだ学大を掘ることがあまり出来なかった。というより商店街で買い物して帰るだけで、十分満足していたのだ私は。変化が訪れたのは、カメラマンとして独立して少し経ったある頃だった。

その日の夜、おそらく何かの撮影帰りで無性に甘いものが食べたくなった。スマホでググったのか、フラフラ行き着いたのか覚えていないが、とにかくその夜私は初めて「クレープ シエル」を訪ねた。こんなところにクレープ屋が! と思ったのを覚えている。多分。なんにせよ、西口側に住んでいたので、シエルがある東口側は一年半までの間ノータッチだったのだ。今となっては信じられない。

最初の訪問では、残念ながら入れなかった。店主の女性に「ごめんねー」と言われた。たまたま19時閉店の日だったのだ。


クレープ シエル(移転前)

諦め切れず、改めて別の日に訪れた。その時のお客は私だけだった気がする。6~7席ほどの、カウンター席のみの本当に小さいお店だった。真ん中の方の席に座って、クレープをオーダーして待つ間、目の前に吊り下げられていたバナナの束に釘付けになった。

お、大きい……! これはもしや……。「すみません……そのバナナって南米産ですか?」と私は聞いていた(正確には“聞いていた”らしい。店主のまりちゃん曰く「最初にした会話はそれだった」)。ちなみに南米産だった。


調理器具やコーヒーが、狭いながらも可愛く並んでいる。バナナが美味しそうだ

なんだお前はバナナ評論家か、とツッコみたくなるが、これは私にとって重要だった。私は日本の市場をほぼ制圧している東南アジア産のバナナの味がもともとあまり好きではなく、エクアドルやペルーなどの南米産のバナナが好きだったのだ。ただ日本では高価なのであまり買えないし、クレープ屋でもコスパの問題で使われることなんてほとんどないと思っていた。けれど、このお店にはそれがある。そのことに感動してしまった。

もともと人と会話をするのが好きな上にその店のアットホームな雰囲気も相まって、その後も事あるごとに、まりちゃんにいろいろとお店のことを聞きまくった。結果、一つひとつに対するこだわりが過ぎることが判明した。例えば、生クリームやカスタードはもちろん、チョコレートなどのソース類もすべて手作り。コーヒーは特製ブレンド豆を一杯ずつハンドドリップしている。季節になれば栗の渋川煮を一個一個筋を取りながら作るし、定番メニューのツナすらマグロから手作りしていた。

しかもこの店はアルコールも提供する。ワインから焼酎からウイスキーまで、一般的なセレクションはもちろん、お酒が大好きな店主が選んだちょっとこだわりのお酒まで何でもある。レモンを手絞りしたシンプルなレモンサワーはもちろん、ソフトドリンクで言えば手作りのジンジャーシロップで作るジンジャーエールも絶品だ。もはやバーだ。よく見たら「手作りクレープ & Bar シエル」と書いてあった。バーだったわ。タバコも吸えるし、喫煙者のオアシスだった。ちなみにホールスパイスを煮込んで作るチャイも絶品である。


毎回頼んでいたレモンサワー

気づいたら、あっという間に常連になっていた。シエルは常連客がとにかく多い。20代はもちろんシニア(?)世代まで、ありとあらゆる層の人たちがシエルの常連だった。クレープを求める人、お酒を求める人、タバコを心置きなく吸える場所を求める人、その両方……性別も年齢もバックグラウンドも関係なく、その場ではみんながフラットでリラックスしていた。居心地が良すぎて、私も毎日通うまでそう長くはかからなかった。

常連のあいだで広がる美味しいの輪

味にこだわるシエルには、食通の常連も多い。シエルで仲良くなったみーちゃんは、学大近辺の美味しいお店をたくさん知っていた。教えてもらったそれらのお店は、今でも私の胃袋を離さない。月一回は電車を乗り継いで食べに行く。どれも個性的で、とにかく美味しいのだ。


タイ料理屋のプレミアムなパッタイ(タイ風焼きそば) メニューは不定期で更新


「エムサイズ」の鷹番トースト まずはそのまま、その後はバターと蜂蜜がおすすめ

名前を出せないタイ料理屋は、初めて食べたその日から今でもずっとナンバーワン・タイ料理屋オブマイライフだ。泣けるほど美味しい。エムサイズという名のパン屋さんは、天然酵母というワードが世間で流行るずっと前から自家製酵母でパンを作っている。マスカット酵母、あんず酵母、りんご酵母、びわ酵母、フルーツトマト酵母……この間は、黒文字酵母なんてのもあった(黒文字〈クロモジ〉という植物を初めて知った)。どのパンも個性的で美味しそうで、毎回何を買おうか激しく悩む。とりあえず上の鷹番トーストはマストだ。酵母の風味が最高に美味い。

そして、ほとんど実家になったクレープ屋シエル

学大の美味しいお店を書き出したら止まらないので、とりあえずこの辺で話をシエルに戻そう。気付けば、仕事帰りだろうがそうじゃなかろうが、毎日通ってクレープを食べたり、レモンサワーを飲んだりして夜中までいるようになった。一人暮らしというのは最高に気楽だし自由だが、ふと意識するとちょっと寂しい。シエルはそんな私を癒してくれる存在で、第二の実家、心の恋人だった。


自分の誕生日が店のカレンダーに書き込まれたのが嬉しくて撮った写真

ほかの常連さんたちも、少なからず同じような感覚があったのだろう。店主のまりちゃんが忙しすぎてキャパ越えをすると、スッと自然に席を立ち、流しに立って洗い物をやり始める。会計も計算して釣り銭勘定も自分でやる。私も同じで、まりちゃんが手が離せないときは代わりに電話に出たり、お客さんにメニューの説明をしたりしていた。お客さんだけど、お客さんだけじゃない感じ。

そしていつのまにか、がっつりお店の中の人になっていた。インスタの公式アカウントを立ち上げ、季節のクレープの写真を撮り(これは本業*)文章とともにせっせとアップした。写真をプリントしてはPOPとして店の壁に貼り、メニュー表もデザインして店に置いた。完全に自由にやらせてもらっていたし、ただただ楽しかった。


秋限定 洋梨のクレープ

急に終わりを告げた学大での青春

ずっと終わらないと思っていた日々だが、当たり前のように変化は訪れる。私が結婚&引越しをすることになったのだ。ずっとパートナーがいなかったが、突然出会い、付き合うことになり、あっという間に結婚した。相手はオランダ在住だったので、付き合って一年後にはアムステルダムの住人になっていた。

私がオランダに住んでいる間に、シエルも移転することになった(場所はあまり変わっていない)。カウンターだけの小さな店は、今や三倍ほどの広さになった。時間帯によっては従業員もいて、もはやお客がカウンターの中に入る姿はない。

学大に住んでいた5年間、その中でもシエルにどっぷり浸かっていた3年半は、きっと夫の言うとおり、遅れてきた“大人の青春”だった。恋人と制服チャリ二人乗りの代わりに、飲み友とのチャリ二人乗りは叶った。明け方までファミレスのドリンクバーでダベる経験の代わりに、明け方まで飲み屋でダベる経験をした。花火もした。明け方に騒ぎすぎて卵を投げられる貴重な経験もしたし(反省)、警察に注意される経験もした。最後はどうかと思うが、まあ人生にこういう時期が少しはあっていいと思う。

普通の高校も大学も行っていない私には今でも青春コンプレックスがあるが、今なら胸を張って言える。私は学大で青春を過ごした! と。


やたら嬉しそうな酔っ払い 2016年当時の著者

変わらない愛と変わらない安心感

オランダから帰国してそろそろ二年。お店は変わったが、店主と常連客とクレープの味はずっと変わらないシエルに、今は娘を連れて通う。もちろんタイ料理屋とパン屋にも通う。今は割と遠くに住んでいるのでなかなか行けないが、学芸大学駅に降り立つ度に、実家に帰ってきたようにホッとするのだ。

三歳の娘のお気に入りクレープはバターシュガー。私と一緒だ。母はいつの日か、娘がこの店の常連になってくれる日を心待ちにしている。


著者:三浦咲恵

三浦咲恵

1988年生まれ、大分県出身。サンフランシスコ市立大学・写真専攻を卒業。その後東京でスタジオアシスタントとして経験を積み、2014年に写真家・鳥巣佑有子氏に師事。16年に独立し、雑誌や広告で活動を開始。17年、雑誌『コマーシャルフォト』にて“新世代のフォトグラファー34人”に選出される。18年に写真展“Apple Ball”を開催し、同名の写真集も発売。ショートムービーの撮影も始める。19年オランダ・アムステルダムへ居を移し、21年に帰京。20年からイタリア・ローマの写真コンペ「Passepartout Photo Prize」の審査員。一児の母。好きなものはコーヒー、パン、スパイスカレー、娘。趣味は漫画。
Instagram:@sakiemiura_foto
note:https://note.com/sakiemiura
HP:http://www.sakiemiura.com

編集:岡本尚之