
進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。
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今回の「上京物語」にご登場いただくのは、音楽クリエイターのヒャダインさん。自身もミュージシャンとして活躍するほか、作詞、作曲、編曲、プロデュースとマルチに活躍するクリエイターです。2007年からニコニコ動画に「ヒャダイン」名義で作品を投稿し注目を集め、2010年5月には音楽作家・前山田健一であることを明かして話題となりました。
多忙な日々を過ごすヒャダインさんですが、かつて大阪から上京した当時はなかなか芽が出ず、アルバイトをしながら暮らしていたといいます。そんな上京当時の知られざるエピソードを中心に、東京で過ごした15年間を振り返っていただきました。
9.11をきっかけに音楽の道を志した
――地元である大阪市住吉区はどんな街でしたか。
ヒャダイン 絵に描いたような住宅街でした。下町というほど喧騒もなく、かといって難波のような都会でもない。商業施設もほとんどないし……団地だらけの、いわゆるニュータウンという言葉がしっくりくるかもしれませんね。
――そんな住吉区で大学時代までを過ごされました。
ヒャダイン 僕が住んでいたのは建売の一軒家で、駅まで徒歩20分くらい。大阪市の中心地まではバスで30分くらいだったのですが、実際のところはあまり遊びには行かなかったです。正直、あまり大阪の思い出ってないんですよ。
――思い出深い場所などは?
ヒャダイン まったくないです(笑)。京都大学に入学した後も下宿するという発想がなかったので、自宅から京都まで1時間45分かけて通っていました。アカペラや軽音サークルに入っていましたが、夜遊びなどもほとんどせず、京阪電車の特急で爆睡しながら同じ時間かけて帰宅していましたね。
大学2年生のとき、地元のTSUTAYAでアルバイトを始め、自分でお金を稼ぐことの楽しさを知って夢中になりました。とはいえ、バイト仲間と仲良くなるでもなく、皆が遊びに行っても僕だけは帰っていましたね。
――その時間をクリエイティブな時間にあてていたのでしょうか。
ヒャダイン ……といえば聞こえはいいんですけどね(笑)。正直、コミュ障だったと思います。
――その後、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)をきっかけに音楽の道に進むことを決意されたとか。
ヒャダイン 大学3年生のとき、就活のスタートダッシュに失敗しまして。そこで学生時代にしかできないことをしようと、ニューヨークに長期旅行に出かけたんです。ところが、帰国する前日に9.11の同時多発テロが発生し、しばらく日本に帰れなくなってしまいました。そこで初めて、人生について考えたんです。9.11のテロのように、人生は何があるか分からない。それなら後悔しない生き方がしたい。自分にできることは音楽をつくることだ、音楽で食べていきたい! と。
――そこから本格的に音楽の道を志されたわけですね。
ヒャダイン そうですね。3歳からピアノを習っていて独学で作曲はしていましたが、大学と並行して音楽の専門学校にも通いはじめて。そこで「音楽をやるなら東京で勉強したほうがいい」と言われ、卒業後に上京することを決めました。
「あらゆる害虫、害獣を見た」――築40年のアパートでルームシェア
――2003年の春、いよいよ上京されます。当時、東京にどんな印象をお持ちでしたか。
ヒャダイン 東京って存在しないんじゃないかって思っていました(笑)。テレビとかでは「東京の最新スポットが〜」みたいに紹介されるのを見ていたけど、それまで一度も行ったことがなかったし、正直ニューヨークよりも遠い存在でしたね。だから初めて新幹線で下見に行ったときは「東京って本当にあったんだ!」と思いました。
――(笑) 最初に住まれた街は?
ヒャダイン 中目黒と池尻大橋の間くらいにある蛇崩(じゃくずれ)という場所です。正直、住む場所はどこでもよくて、何のこだわりもありませんでした。大阪のTSUTAYAでアルバイトをしていたときの先輩が、たまたま先に東京にいて。ルームシェアをしていた相手が出ていったという話を聞いたので、そこに住むことになったんです。
――ルームシェア、楽しそうですね。
ヒャダイン 楽しかったですよ! 今はもうなくなってしまったんですが、末広荘(すえひろそう)という2階建てのアパートで、僕と先輩は1階部分に住んでいました。坂の上にあった建物だったので、ドン・キホーテで1万3,000円で買った自転車で毎日上り下りしていましたね。間取りは僕が6畳、先輩も6畳、キッチンなどの共有部分が2畳だったかな。ただ、ちょっとだけ困ったこともあったんです。
――困ったこと?
ヒャダイン アパート自体、築40年と古かったこともあり、あらゆる害虫、害獣が出まくっていました。もう、ぜんぶ見たと思います。ゴキブリは大中小コンプリートしたし、ネズミもつかまえたし、ありえない大きさのハエもわいていたし、お風呂にはナメクジがいました。
――そ、それは……なかなか強烈ですね……。
ヒャダイン 僕は潔癖症というわけではないですが、さすがにちょっとどうなんだろうとは思っていました。ただ、一人暮らし自体も初めてだったし、東京で家賃5万円で、まぁこんなもんなのかなって……。
――いや、さすがに“こんなもん”ではないと思います!
ヒャダイン ですよね(笑)。でも末広荘での生活が楽しかったのは本当ですよ。
自分の曲が大型ビジョンで流れ、「東京でやっていけてる」と思った
――その末広荘にはどれくらい住まれていたのですか?
ヒャダイン 2008年くらいまで住んでいました。そう考えると5年も住んでいたことになるんですね。生活費を稼ぐために最初は沖縄料理屋などの飲食店、その後は家庭教師のアルバイトを中心にしていました。自転車でアルバイト先のご家庭まで行っていましたね。用賀とか大井町くらいまで自転車で回るんです。特に土曜日は稼ぎどきだから一日4件くらい家庭教師を入れたりして。曲づくりに時間を充てるために、効率よく稼ぎたかったんです。
――その間はいわゆる作曲家としての下積み時代ということになるのでしょうか。
ヒャダイン そうですね。でもあまり悩んだりせず、まぁ何とかなるだろうと思っていました。ただ実際は何ともならなくて、レコード会社が行うコンペに応募しても全然通らない。自分の曲はそんなにダメなのかなと思い始め、じゃあちょっと腕試ししてみようかと思って2007年からニコニコ動画で「ヒャダイン」名義で投稿を始めたんです。
――ゲームやアニメのBGMをアレンジし投稿した作品を中心に、次々とミリオン再生を連発。ニコニコ動画上で人気クリエイターとなりました。作家としての自信につながったのでは?
ヒャダイン そうですね。ヒャダイン=前山田健一とはひもづけていなかったんですけど、ほどなくして東方神起さんの『Share The World』や倖田來未さんとmisonoさんのデュエット『It's all Love!』など、大きな案件がどんどん決まるようになりました。
――どちらも2009年にリリースされオリコン1位を獲得された楽曲ですね。そこから一気に注目を集めるようになりました。
ヒャダイン あと自分のなかで思い出深いのは、『きらりん☆レボリューション』というアニメの主題歌です。作詞作曲編曲をがっつりやった初めての仕事だったと思いますが、クライアントから100回くらい直すように言われたのです。
――100回……! 心が折れそうです。
ヒャダイン でも、ここは負けちゃいけないところだと思って、「やります」と。それで100回くらい修正してOKが出たんです。その曲が映像と共に六本木や渋谷の大型ビジョンで流れたのを見て、「ああ、俺は東京で何とかやっていけてる」と噛み締めました。
――音楽一本で生活ができる、と?
ヒャダイン そうですね。末広荘を出たのは世に音楽が流通し始める少し前でしたが、このころにはアルバイトもほとんど辞めていました。唯一、一人だけ面白い生徒がいたのでその子は2011年くらいまで勉強を見ていましたが(笑)。
“ステップアップした感”を求め、恵比寿の1DKへ
――末広荘を出られ、次に住まれたのは?
ヒャダイン 恵比寿です。生まれて初めて物件を探しました。音を出せるように角部屋にして、あとは風水が好きなので方角も大事にしました。年齢はちょうど28歳のとき。4の倍数の年齢のときに引越すといいらしいので、験を担いだんです。
――恵比寿を選んだ理由は?
ヒャダイン 分かりやすくステップアップした感が欲しくて、山手線沿線に住みたかったんです。地元の不動産屋さんに駆け込んで、条件どおりの物件が見つかりました。40平米くらいの広さで、角部屋で1DK。家賃はたしか9万8,000円でしたね。
――恵比寿でその広さだとかなりリーズナブルな気がします。
ヒャダイン 駅からちょっと離れていたからでしょうね。ちなみに末広荘もそうですが、恵比寿のマンションも今はもう取り壊されてないんですよ。だから聖地参りができません(笑)。
――(笑)
ヒャダイン でも、これでやっと人並みになれた感じがしましたね。正直、9万8,000円の家賃は当時の自分にはちょっと高かったんです。だけど、知人から「給料が家賃に追いつくから」と言われて。実際、そうでした。ちょっと無理するくらいが自分にとってよかったんだと思います。一生懸命働きますし。
――その後、2010年にヒャダイン=前山田健一であることを告白されました。
ヒャダイン 本業での活動が忙しくてニコ動での活動がおざなりになっていましたし、キャリアも伴ってきたので、もう公表してもいいかなと思いました。公表後は取材も来るようになり、ほかにもクイズ番組に出たり、自分自身がミュージシャンとしてアニメの主題歌を歌ったりと仕事の幅が広がりました。
――アニメ『日常』のオープニング主題歌『ヒャダインのカカカタ☆カタオモイ-C』と『ヒャダインのじょーじょーゆーじょー』ですね。
ヒャダイン 自分がしゃしゃるつもりはなかったんです。でも、アニメ好きだったら知らない人はいない京アニ(京都アニメーション)制作作品の主題歌をやる人生とやらない人生、どっちがいいかって考えたら、それはやる人生じゃないですか。それでデビューして、そこから露出も増えて、気づいたらこんな感じで活動しています。
――最近ではドラマにもご出演されたりと活動の幅がさらに広がっています。
ヒャダイン 人生は一度きりですからね。お金を積んでもできない経験ですし、同じエンタメという枠での仕事ですから、そこから持って帰れるお土産も多いです。
――ヒャダインさんといえば、ラジオなどで好きなアーティストを紹介される際、世間的に知名度が低い人を積極的に紹介されている印象があります。
ヒャダイン ニコ動で僕がブレイクしたとき、有名だった人がブログで紹介してくれたことがきっかけの一つだったんです。そういう経験もあって、微力ながら自分がきっかけで作品やアーティストが注目されることがあればハッピーだなと思ってご紹介させていただくようにしていますね。
“コロッケ屋さんのある商店街”が苦手
――恵比寿のマンションにはいつごろまで住まれていたのですか?
ヒャダイン 2012年までですね。そこでまた引越ししたのですが、街は変わらず恵比寿で探しました。
――恵比寿がお好きなんですね。
ヒャダイン そうですね、住み慣れていたし、スタジオに行くのも楽でしたから。
――思い出の場所などはありますか?
ヒャダイン 今もよく行きますが、恵比寿ガーデンプレイスですね。実はそんなにお店があるわけじゃないんですが、逆にそれが良くて。当時、僕は上昇志向が強かったので、恵比寿ガーデンプレイスタワーの高層階レストランでご飯を食べたり、ウェスティンホテル東京のラウンジで歌詞を書いたり、そんな生活を楽しんでいました。
――恵比寿という街の良さはどんなところでしょうか。
ヒャダイン 子どもっぽくなくて、落ち着いていて、ご飯もおいしいところ。仲がいい人も近辺に住んでいるし、所属する事務所も恵比寿だし、ほかの街に行く理由がないんですよね。実はそこからもう1回引越しているんですが、相変わらず恵比寿に近いところに住んでいますよ。
――恵比寿はヒャダインさんの肌に合う街なんですね。
ヒャダイン そうなんだと思います。僕、“コロッケ屋さんのある商店街”みたいな下町感が苦手なんです。そういう街もいいと思うし、住みやすそうだとは思うのですが、自分が住むことが想像できないんですよ。遊びに行くのはいいけど、住むイメージが湧かないんです。たぶん、ファミリータウンが苦手なのかな。自分が一人だから、そういう街に住むと孤独が浮き彫りになってしまうのが嫌なのかも。安心感とかいらなくて、いい意味で殺伐とした場所で生きていたいんですよ。
自分が求めるホームタウンが東京には必ずある
――上京して丸15年がたちました。あらためて東京という街をどうご覧になりますか。
ヒャダイン 最高に住みやすい街ですね。物価も程よいし、ご飯もおいしいし、言葉も通じるし、タクシーもすぐつかまる。それに、僕にとっては始まりの街でもあります。僕は東京から人生が始まったんです。地元には何の思い入れもないし、東京こそが帰る場所だと思っています。
――最後に、これから夢を追いかけて上京しようと思っている人にメッセージをお願いします。
ヒャダイン よく東京は冷たい街だなんて言いますが、そうやって自分の人生がうまくいっていないことを東京のせいにしてはダメだと思います。東京はとてもいい街で、どう暮らしていくかは自分次第。人とのつながりを感じたければそういう街に住めばいいし、故郷が恋しいなら似た街を探してみるでもいい。自分が求めるホームタウンが東京には必ずあります。東京を利用して、ステップアップしていきましょう。東京はそれができる街です。がんばってください。
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お話を伺った人:ヒャダイン
音楽クリエイター。本名・前山田健一。3歳の時にピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学を卒業後、2007年に本格的な音楽活動を開始。動画投稿サイトに「ヒャダイン」というアーティストネームで作品を公開し話題を集める。作家の前山田健一としても2009年には提供楽曲がオリコンチャートで連続1位を獲得。2010年5月にヒャダイン=前山田健一であることを公表。J POP、アイドルやアニソン、ゲームなどにさまざまなアーティストへ楽曲提供を行い、自身も歌手、タレントとして活動する。
Web:HYADAIN Official Website
聞き手:山田井ユウキ
Twitter:@cafewriter
※5月23日(木)15:20ごろ、本文を一部修正しました
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編集:はてな編集部