19インチのテレビを背負って逃げ込んだのは、映画のまち「調布」だった。

著: 中前 結花

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「それにしても、羨ましいなあ」

おじさんは工具でネジを締めながら、しきりに天井を見上げて、そう繰り返す。

「喫茶店なんかに、たまにあるでしょう。いい雰囲気の。そういうところの天井には、必ずこれが付いてるもんなあ」

“これ”とは、プロペラのような羽が天井でくるくる回る「シーリングファン」のことである。

「調布」という街に越してきて、1週間。

誰かにこの、白くて高い天井を見せたのは初めてのことだった。

ブンブンと勢いよく回る羽の様子は、どこか気を良くしているようにも見えて、家主になったばかりのわたしも鼻が高い。

2016年、春のことだ。

逃げ込んだのは、映画のまち

「うれしくて、天井ばっかり見ちゃいます」

わたしが答えると、おじさんは、「そうでしょう、そうでしょう」というように頷きながら、カウンターテーブルをマイペースに組み立てていく。

いわゆる「便利屋さん」というものを利用したのは初めてのことで、電話では「テーブルの組み立てであれば30分以内に終わります」と言われていたが、すでにおじさんが訪れて1時間以上が経過していた。

だけど特段、急いで欲しいともわたしは思わない。何しろ、こんなふうに人と雑談を交わすのは久々のことだったし、勢いよく回るこの天井の扇風機を、とにかく誰かに見てほしかったのだ。

「田端も山手線で便利でしょうに、なんで調布に?」

おじさんはとてもいい話し相手になった。

「この部屋が気に入ったのと……あとは、もうすぐ映画館ができるって聞いて」

「ああ、そうそう。じきに、駅のあたりは生まれ変わるらしいもんねえ」

「レイトショーを見て、歩いて帰れる家に住むのが夢だったんです」

「ほう。『映画のまち』調布ね」

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古くは、「東洋のハリウッド」とも呼ばれた、映画のまち・調布。今でも、角川大映スタジオや日活調布撮影所、特殊撮影用の模型工房など、なにかと映画に所縁の多い街だ。

しかし、しばらくの間、ここには肝心の「映画館」がなかったという。駅前に立派なシネコンができることがようやく発表されたのだそうだ。

「そう、もうすぐ映画館ができるからなんですよ」

“映画のまち”の住人になりたかったから。

そのときそれは、ほんの取り繕った言い訳のようにも思えたけれど、やがてその言葉には、もっと妄信的で、すがるような想いまで込もってしまうのだった。

「つづき」を終わらせる

引越す少し前、「田端」という街で好きだった人との暮らしが終わった。

それを「別れ」と言うのかもしれなかったけど、あまりにも呆気なくて、わたしには、彼との毎日が幕切れさながら、パタリと終わって「消えてしまった」ように思えた。

毎日一緒に歩いた駅からの道も、うれしいことがあった日には訪れた焼肉屋も、スーパーも。部屋の洗面台でさえもが、目に入るたびに、ジクジクとわたしを苦しめた。

無理やりひとり、「つづき」を続けさせられている気分になるのだ。

時おり、関西で暮らす父からの電話はあったけれど、その内容は「母が亡くなってもうすぐ2年だから、広すぎる実家を処分しようかと考えている」というものだった。

フリーランスで物書きの仕事をしていたわたしには、職場もない。

逃げ場のない小宇宙のような街の中で、わたしはやがて「物語」にすがるようになっていった。


できるだけ、のどかで、あたたかいものがいい。

そんなわたしにとって、映画「かもめ食堂」は丁度よかった。真剣に見入ったり、仕事中は音を消して19インチの小さなテレビにずっと映していたりした。

なにかを抱えたお客たちが次々と訪れる劇中のヘルシンキの食堂に、わたしもふらりと訪れているような気分になる。

そしてあるとき、その「かもめ食堂」にそっくりの部屋を、ぼんやり眺めていたSNSの広告で、発見することになる。

「これだ……」

その日のうちに内見の予約を済ませ、翌日には初めて降り立つ駅「調布」まで訪れていた。東京にいまいち土地勘のないわたしには、それが「田園調布」と同じなのか、あるいはその親戚のようなものなのかもさっぱり分からなかった。

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部屋は思ったとおりの空間だった。薄いブルーの壁には清潔感があって、どこもかしこも、あの映画にそっくりだ。

駅前には大きなパルコがあって、それだけでもう十分だったのだけど、不動産屋さんが言ったのだ。

「調布は、“映画のまち”なんですよ」

「映画のまち……」

「映画に所縁のある土地で、そう呼ばれていて、いよいよ映画館ができます」

「そうですか……」

映画のまち。なんという、心をすっと救われるような響きなのかと思った。引越しにかかる金額は決して安くはなかったけれど、そのときにはもう、「わたしはここに住むもの」というふうに決めてしまっていた。とにもかくにも、そこへ逃げ込みたかったのだ。

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「もうじき、大きなシネコンができますからね」

それから、わたしは家の大きな窓から見える場所に立派な映画館ができるのを、ずっとずっと楽しみにすることとなる。

便利屋のおじさんの手によって、完成を遂げたその「完璧な部屋」で、わたしは調布に映画がやってくるのを、今か今かと待ちわびるのだった。

遠い映画と、高い天井

しかし、よくよく調べるとわたしは落胆する他なかった。

なんと映画館ができるのは、2017年の秋以降だというのだ。不動産屋さんも、便利屋のおじさんも「じきに」と言ったではないか。

「まだ、1年以上もある……」

わたしは相変わらず、田端から連れてきた19インチの小窓に「かもめ食堂」を映しながら、食堂のようなその部屋で、何もかもから逃げるようにして原稿仕事に明け暮れていた。

そしてとある朝、徹夜して書いた記事が、よんどころのない事情でお蔵入りとなる。それは本当に仕方のない事情で、わたしは誰を恨むこともなかった。

だけど、誰の目にも触れぬまま、その原稿は「無かったもの」として流れていく。

わたしの、この部屋で過ごした、わたしだけの時間が、誰にも知られずに、そっと消えていくのだ。

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そのとき、冷たいフローリングにそろりと寝そべって、目にした光景を、わたしは今でもありありと思い出すことができる。

見上げた天井があまりにも遠くて、くるくる回る扇風機の調子があまりにも規則正しくて。

わたしは「羨ましいなあ」という、あのおじさんの声を思い出しながら、子どものように声をあげて泣いてしまった。本当はずっとずっとこうして泣きたかった。あとからあとから、涙があふれてくる。

「ここはどこなんだろうか」と思う。

母と一緒に見つけた田端の部屋は、悲しい思い出に埋もれて引き払ってしまった。

「わたしは、どこへ帰ればいいんだろう……」

未完成の映画のまちで、わたしはもう本当に途方に暮れてしまった。

ものづくりに寄り添う場所

「外に出てみたら」

と言ったのは、前の職場の先輩だった。仕事の忙しさや、実家や彼のことで手いっぱいで、東京での人間関係がそのころ疎遠になりかけていた。

「調布って、たぶんおもしろいよ。好きそうなものいっぱいあると思う」

久々の連絡で越したことを伝えると、そのように教えてくれたのだ。

自分でも「これではいけない」と思いはじめていたし、外に出て、ぶらぶらと歩いてみるのもいいかもしれない。引越してから、実に2カ月以上の時が過ぎてようやく、わたしは「調布」という街と向き合うことになる。

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思えば駅の周りは、パルコにはじまり、スターバックス・マクドナルド・TSUTAYA・ブックオフ…と、主だったチェーン店がすべてそろう便利な場所だ。その一方、ふらりふらりと歩けば、「布多天神社」に「深大寺」「常性寺」と、由緒ある神社仏閣にも恵まれていた。

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広場では、週末ごとに「手づくり市」が開かれていて、わたしはそこで小さな盆栽や観葉植物を買っては部屋に持ち帰るようになった。

どれも小さいながら形が見事で、大事な作品を譲り受けているような気分だ。

毎度「部屋の中でも育ちますか?」とわたしは尋ねる。どのつくり手さんも、育て方を丁寧に説明してくれるので、それを教わるのもおもしろかった。

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ふと訪れた文具店で、たまたま2階に続く階段があるのを見つける。そろりと上がってみると、そこにはほんのりとやさしいお香がかおる、雑貨屋さんがあった。

手づくりの品も多く、どれを手に取っても、ほのぼのとあたたかい。父と母が最期に暮らしていた、奈良県の職人さんがつくったという便箋を買って、父に手紙を出してみることにした。

「実家のことは、なにも反対しないから、思うようにするといいよ」ということ。それから、「また、就職しようかなあと考えています」と書いた。

気持ちが変わらないうちに、と、妖怪の形をしたポストに差し出すと、便箋はそのままふわりと飲みこまれていった。

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(調布は、水木しげる所縁の街でもある)

わたしも誰かと時間を共有しながら、もっと誰かの役に立ちたいと思った。

もう人知れず消えていくような時間を、惜しむのは嫌だ。

この街でいろんなものに触れて、わたしは編み物の先生をしていた「ものづくり」が好きな母のことを思っていた。そして「ものづくり」を応援するような仕事に就こうと決める。

最終面接の日には早起きして、布多天神社に立ち寄り、息を切らしながら「ひとつだけ」とお願いごとをした。面接を終えて、その晩、調布の駅に戻ってくるころには「内定」のメールが届いていた。

明日はまた早起きして、お礼を言いに行かなくてはならない、と思った。

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帰る場所になった街

それからは毎日、調布から電車に揺られ職場へ通うようになる。夜にはシネコンの工事の進み具合を確かめながら帰った。時には、完成した壁に触れながら「ずいぶん進んだなあ」と思う。徐々に調布が、わたしにとって「帰る場所」になっていった。

やがて、平日は遅くまで忙しく働いて、休みの日には友人たちと出かけるようになったけれど、週末のうちどちらかは、調布の街をひとり散策した。

すこし歩くと、「東京オーヴァル京王閣」という競輪場があって、そこで定期的に開催される「蚤の市」がわたしの楽しみになる。

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相変わらず駅前の広場では「手づくり市」が開催されていたし、新しい職場の先輩とは、調布に3つの店舗を構える「手紙舎」というカフェによく遊びに行くようになった。

「手紙舎」では、ものづくりを行う人の個展が定期的に行われていて、飾られた絵や器を眺めながら、ゆっくりとコーヒーを飲んだりした。

そのころには、映画なんか無くても、わたしは調布という街が好きで好きで仕方なくなっていた。

もう、「物語」に逃げ込む必要なんてなくなっていたのだ。

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工事の進み具合を窓から覗くのもやめた。「気づけばできていた」というぐらいが丁度いい気がしてきたし、なにより正直なところ待ちくたびれてしまったのだ。「楽しみにする」ことに、そのころわたしはすっかり飽きてしまっていた。

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そうしている間に、あんなに待ち焦がれた2017年の夏が来た。

完成間近のビルの「壁面」を使った夜の野外上映会で、『パディントン』が上映されるのを、わたしは買い物帰りに眺めていた。

アイスコーヒーを片手に適当な壁にもたれ、パディントンがひとり、大変な冒険をする様子を見守ることにする。

あれやこれやとこの1年ほどを思い出しながら、パディントンもまた、この冒険を「乗り越えてみれば大したことではなかった」と振り返るのだろうか、と考える。

配られたパンフレットを団扇がわりに扇ぎながら、ついにこの街に「映画」が来るのだなあ、とわたしはしみじみ思っていた。

調布に「映画」がやって来た

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そうして暑い夏は通り過ぎ、2017年9月末。ついに調布にシネコンと、ビックカメラ、そしてそれを内包する「トリエ京王調布」が完成した。

成城石井に、雑貨のGEORGE’S。くまざわ書店にパンの神戸屋。新しいスターバックスだけでなく、別館には猿田彦珈琲までできた。これが家から徒歩5分圏内に収まっているのだ。

大変な人気で、初日はなんだか遠慮しておいた。「ついに、できた」外観を窓から眺めているだけで、充実した気持ちが込み上げてきて十分だったのだ。

一応、映画の上映スケジュールもネットで調べた。だけど、そのまま閉じることにする。

「これが見たい!」と思う作品ができるまで、この楽しみは取っておこうと決めた。


そして11月、その日が訪れる。

楽しみにしていた『マイティ・ソー バトルロイヤル』が、調布で上映されることになったのだ。上映開始のその日、いちばん好きな「G-10」の座席のチケットを前売り券で手に入れた。「歩いて5分なのだから」と、上映ギリギリまで、部屋でコーヒーを飲んで過ごす。そして小さなバッグだけを肩から下げ、なんでもないふりで自宅を出て、なんでもないふりで映画館までたどり着いた。「ああ、ここか」となんでもないふりで見上げる。

いよいよエスカレーターで、キラキラの売店が光る薄暗い映画館に運びこまれていく。さすがにこのころには、もう、はやる気持ちを抑え込むのに必死だった。

本当は、ずっとずっとこの日を待っていたのだ。

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わたしは、この街にやって来た日のことを思い出していた。「大丈夫、ちゃんと映画館はやって来るよ」とあのころの自分に教えてあげたい。

エスカレーターの終わりが見え、映画はもうすぐそこだった。これまでに感じたことのない高揚とどくりどくりと熱い気持ちで、たまらず胸がいっぱいになった。


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筆者:中前 結花

中前 結花

エッセイスト、ライター。「minneとものづくりと」の編集長。ものづくりに関わる、人や現場を取材するインタビュー記事と、これまでの人生や暮らしの「ちょっとしたこと」を振り返るエッセイを中心に執筆。本とお笑いとJ-POPが好き。兵庫県うまれ。
Twitter:https://twitter.com/merumae_yuka

編集:ツドイ