デビュー20周年! 「花*花」こじまいづみの心を癒やした「京都・北山」【関西 私の好きな街】

取材・執筆: 吉村 智樹

 

関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。

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「二十歳を過ぎて、『ひとり暮らしをしながら音楽をやりたい』って思ったときに選んだ場所が、京都北山でした。それから10年、北山に住んでいました。北山が大好きなんです。北山のなかで何度も引越したくらい」

 

そう語るのは、今年(2020)めでたくメジャーデビュー20周年を迎える「花*花」の、こじまいづみさん(44)。

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「京都から通います。それでいいのならデビューします」

『あ〜よかった』『さよなら 大好きな人』など数多のヒット曲を巷へ届けた花*花は、こじまいづみさん、おのまきこさんによるデュオ。2020年5月27日には花*花デビュー20周年を記念し、オールタイムベストと新曲を合わせた33曲入りアルバム「2×20」が発売されます。

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そんなおふたりは、ヒットを連発していたにもかかわらず上京せず、デビューからずっと関西在住を貫いています。

 

こじまいづみさん(以下、こじま):「私“帰巣本能”が強いんやと思うんです。スタート地点があって、そこに戻ることがゴールなんやと。だから私にとって『東京は行くところ。京都は帰るところ』でした。どんなに忙しくても終電で北山へ戻って、始発でまた東京へ行く。当時はそんな生活をしていましたね。『帰れる』と思うから仕事がやれたんです。デビュー契約の時も『私は東京には住みません。京都から通います。それでいいのならデビューします』と言ったんです。たくさんの人たちから『東京に住んだら、もっと楽になるのに』『もっとチャンスをものにできるのに』と上京を勧められたけれど、私には無理でした」

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かつて「京都の代官山」と呼ばれた北山

こじまさんが愛してやまない北山は、「平安京から見て北の方角にある山間部」という、とてもシンプルな理由で名づけられたエリア。京都市営地下鉄烏丸線「北山」駅を最寄りとし、京都駅までわずか15分でアクセスできる人気のベッドタウンです。「京都コンサートホール」「陶板名画の庭」ほか文化施設が多く、京都府立大学を擁する文教地区でもあります。

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こじま:「今も昔も北山って、おしゃれでね。私が初めて住んだころはBEAMSがあったり、トランスコンチネンツがあったり、好きなファッションブランドのお店がいくつもありました。当時の北山は『京都の代官山』と呼ばれていたんです。そりゃもう憧れました。京都カフェブームの先駆けになったサロンっていう店をはじめ、かわいいカフェも、たくさんありましたね。カフェそのものがまだ珍しい時代で、お茶してるだけで『あ、私、センスええんちゃうのん』って自慢したい気持ちになってね(笑)」

 

こじまさんの言うように、かつてはのどかな田園地帯だった北山。1980年代~1990年代にかけて一気に名だたるファッションブランドやカフェ、スイーツショップが進出。北山通は「トレンディなストリート」として全国から注目を集めました。こじまさんもデビュー前は北山の雑貨店でアルバイトをしていたのだそう。

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こじま:「北山は、おしゃれさと自然の調和が、ちょうどいいんです。なにより静かなところが気に入りました。有名ブランドや趣味がいいお店がたくさんあるんですけれど、都会と違って、まだまだ田んぼも多く残っていて。緑が豊かで、空気がおいしい。落ち着くんです。歩いていたら、小鳥のさえずりが聴こえてきてね。鳥が鳴く声なんて、たぶん繁華街に住んでいたら気がつかへんかったんとちゃうかな」

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閉園時間までのんびり過ごした「京都府立植物園」

「自然が好きだ」という、こじまさん、とりわけお気に入りだった場所が広大な敷地を誇る「京都府立植物園」。日本初の公立植物園で、四季折々の花を愛でることができます。

 

こじま:「ここの植物園が、めっちゃ好きなんです。インディーズ盤『あ〜よかった』のカップリングに『植物園北門前』という曲を書いたくらい好き。アーティスト写真やプロモーションビデオもここで撮りました。子どもができてからも、遊びに来るんですよ。いっぱいパンを買って、でっかいビニールシートを敷いて。すんごい静かやし、隣にある京都府立大学のキャンパスからブラバンの音が聴こえてくる。あ~ええな~、この感じって。『もうすぐ閉園しますよ』ってアナウンスがあるまで、ずーっといるんです」

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こじまさんお勧め「トコハベーカリー」のパン。「どれもおいしいんですけれど、特にハード系が好きなんです」

 

植物園で心をほどくという、こじまさん、やはりユニット名の通り、花が好きなのでしょうか。

 

こじま:「いやぁ私、実は花よりも木の方が好きなんです。花*花やっていうてんのにね(笑)。大きな木の下にいると、ほっとするんです。デビューして東京に滞在する日が多くなったあのころは、京都へ戻って植物園の大きな木の下でボケーっと過ごす時間が本当に幸せでした。私ね、ボケーっとすると、そのあとビシッとできるんです」

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児童合唱団で将来のパートナーと出会う

ときには自分を追い詰める原因にもなった、音楽。こじまさんは、どのようにして音楽と出会ったのでしょうか。

 

こじま:「出会いは小学生のころです。友達が児童合唱団の受験へ『ひとりで行くのはイヤや』と言うので、ついていったんです。それで試験会場で一緒に歌ったら、なんのこっちゃよう分からんまま、私もついでに合格しまして(笑)。それからは隔週土曜日にソプラノパートの練習をしに行っていました。電車で通うのが楽しかったし、歌うのがおもしろかった。『歌うって楽しいな』って気づいたのは、振り返れば児童合唱団のころやったんかもしれないですね」

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「たまたま友達についていった」児童合唱団。こじまさんはここで、歌う歓びにめざめます。そしてこの児童合唱団にはもうひとつ、将来を左右する運命の出会いがありました。なんと花*花のパートナーである、おのまきこさんも同じ合唱団にいたのです。

 

こじま:「まきちゃん、私の隣で歌っていたそうなんです。けれども正直、ぜんぜん憶えていなくって(苦笑)」

 

う~ん、いい話にもっていこうと思ったのに! とはいえ、こじまさんはこの児童合唱団の経験を幕開けとして、音楽へと傾倒してゆきます。

 

こじま:「私は兵庫県の高砂出身ですけれど、地元に大きな教会があって、そこにクワイア(ゴスペル音楽の聖歌隊)があったんです。当時は小学生でしたが、子ども心に『めっちゃカッコイイ』って感動してね。加入を申し出ました。中学時代はクワイアバンドで明けても暮れてもゴスペルを歌っていました」

 

花*花のハーモニーに教会音楽の香りを感じていましたが、なるほど、ゴスペルがルーツにあったのですね。

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「ふたりでライブがやりたいな」

では、人前で演奏したいと考え始めたきっかけは、なんでしょう。

 

こじま:「父の影響が大きいです。ベンチャーズやビートルズやストーンズなど、幼いころから我が家ではいつもロックが流れていました。あと、やっぱり憂歌団。高校時代、父親に連れられて神戸の新開地まで憂歌団のライブを観に行きました。隣の席のおっちゃんがヴォーカルの木村さんに柿ピーを投げつけていて、『なんやこのワイルドな雰囲気。めっちゃ楽しいやん!』って驚いて。自分もライブをやりたいと思ったきっかけは、憂歌団ですね」

 

*憂歌団……日本を代表するブルース(憂歌)バンド。木村充揮(往時は秀勝)、内田勘太郎、花岡献治、故・島田和夫の4人は、1975年のデビュー当時から20年以上に亘り不動であった。ライブは酔っぱらいながら歌う木村に向かって観客がヤジを飛ばす独特なスタイルだった。1998年に無期限活動休止したが、2013年に再結成

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憂歌団に感化されるシブい高校時代を送った、こじまさん。もっと音楽を深く学ぼうと、専門学校のヴォーカル科へ通うようになります。そしてここで再び、おのさんと出会うのです。

 

こじま:「まきちゃんと初めてちゃんと喋ったのは専門学校に入ってからです。入学した時に、まきちゃんが『児童合唱団で一緒だった、こじまいづみちゃんじゃない?』と声をかけてくれたんです。憶えていてくれたんですよ、私のことを。それがきっかけで友達になりました。まきちゃんはピアノ科やったけれど、女子が少ない学校やったし、同い年で同郷。意気投合しましたね。帰る電車も一緒で、どんどん仲よくなっていって」

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同じ兵庫県の高砂出身だったふたりは共鳴し、次第に花*花の原型ができあがることとあいなります。

 

こじま:「私が通うヴォーカル科は、テストのときに伴奏者を連れていかなあかんのです。それで、まきちゃんにピアノ演奏をお願いしてたんです。ふたりでスタジオに入って練習していたら、これが楽しくてね。私ももともとピアノを弾いていて弾き語りもするので、『ピアノ2台で合わせてみようか。まきちゃんハモってよ』って一緒に歌いだして。もうテストの練習なんか、そっちのけ。まきちゃんの歌が、これまたうまいんです。『まきちゃん、声めっちゃええやん。ヴォーカルもやったらええのに』って、ふたりで弾いてふたりで歌って。そうこうしているうちに、『コンビでライブがやりたいなあ』と気持ちがたかまって。先生からライブハウスをいくつか紹介してもらい、出演するようになりました」

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花*花という名前は「実は誤植だった」

ふたりともピアノ、ふたりともヴォーカル。ともに作詞作曲をし、アレンジも、弾き語りもする。ありそうでなかった“シンガーソングライターがふたりいる”状態。まさに花と花が合体した最強ユニットが誕生したのです。

 

こじま:「花*花という名前は、めっちゃテキトーにつけました。『女ふたりやし、両手に花で、花花でええんちゃう』くらいの軽い気持ちでした。それでユニット名を提出するとき、漢字の花と花のあいだにお花のイラストを描いたんです。するとそれが苦肉の策で『*』ってタイピングされてしまい、正式表記になってしまいました。言わば誤植ですが、むしろ、よかったです。つのだ☆ひろさんみたいで、いいなって。それに花花だとパンダの名前かと思われちゃうし」

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売れるために話し合ったことは「一度もない」

誤植がユニット名になるという、ゆるぅいスタートを切った花*花。ライブを重ねるたびにステージングの実力をつけ、曲のよさが話題となってゆきます。ところが本人たちは「売れたい」欲が、さらさらなかったのだそう。

 

こじま:「ライブが本当に楽しくて、お互い『もっともっと演りたいな』と思うようになりました。でも、『メジャーデビューするぞ!』『ヒットさせるぞ!』『売れるぞ!』みたいな話には一回もなったことがないんです。ほんまに目標なんて、なんにもなかった。なんんんんんっにもなかったんです。本当になんにも……。なんせ、いまだにない(笑)。なんとなく、ずるずるやってたんです。デビューとかビッグになるとかより、『音楽をもっと知りたい』気持ちのほうが強かった」

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「売れたい」という話になった経験が「いまだに一回もない」という花*花。実際こじまさんは、人気よりも純粋に音楽を追求したい想いに溢れ、専門学校を卒業したのち、アメリカへと向かったのです。

 

こじま:「本場のゴスペルが聴きたかったし、いろんなジャンルの音楽に触れたかったんです。テネシー、シカゴ、ニューオリンズ、ブルーグラスが盛んなナッシュビル、さまざまな街を転々としました。お金が尽きて日本に帰ってきましたが、帰国してからも『いろんな音楽を知りたい』という気持ちがずっと消えずにありました」

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京都の音楽シーンが楽しかった

汲めども尽きぬ音楽への渇望と希求。兵庫県出身のこじまさんが初めてのひとり暮らしの地に京都を選んだのも、「音楽をもっと知りたかったから」なのだそう。

 

こじま:「京都の音楽シーンが、すごくおもしろくて。『くるり』さんがインディーズでリリースしていた時期でしたね。ブルースやジャズのライブハウスをめぐったり、京大西部講堂へハードコアパンクのライブを観に行ったり、アバンギャルドな音楽も聴きに行ったり、たくさんの刺激をもらっていました」

 

*京大西部講堂……1963年に移築されて以来、いまなおアンダーグラウンド表現の聖地として異彩を放つ京都大学の厚生施設。PYG、頭脳警察、浅川マキ、非常階段、ザ・スターリン、フリクション、リザード、ZELDA、ローザ・ルクセンブルグなどなど日本ロック史の「伝説」と呼ばれる多くのライブがここで行われた

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ただただ忙しく、「まわりの大人たちが敵に見えた」

雑多なまでにノンジャンルに音楽に触れ、そこで得たアイデアを花*花へとフィードバックしてゆく、こじまさん。音楽性の高さは東京へも伝わり、「いつの間にかメジャーデビューしていた」と顧みます。そうしてデビューした2000年には第33回「全日本有線放送大賞」新人賞を受賞。さらに同年の「紅白歌合戦」初出場と、勢いのグラフは直角に突きあがってゆくのです。

 

同級生と関西でのんびりライブをやっていたのに、いきなり時の人に。当時の状況をどのように感じていたのでしょう。

 

こじま:「ただただ忙しかった……。バラエティとか、ロケとか、自分たちがやるんだなんて考えたこともなかった。『なんで今こんな話を喋ってんねんやろ。私じゃなくてもええんちゃうん』と思いながらテレビに出ていました。芸能界の常識なんてなんも知らんから、『なんでこの人に頭さげなあかんねやろ』って思いながら、とりあえず眼の前にいるおじさんにおじぎして。眠る時間もなくって、まきちゃんと『メジャーって、こんなにしんどいもんなんか。みんなこれをがんばって耐えてはるんか』と、ぼう然としていました」

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馴れない東京。肌に合わない業界のノリ。不眠不休。心が荒んでゆく日々。しかしそれでも、おのさんと仲違いすることは「なかった」のだとか。

 

こじま:「まわりの大人たちが敵に見えていたんです。敵が多すぎて、こっちがタッグを組んでいないと潰される。そんな感覚でした。大げさではなく、トイレ以外の時間は隣にいる毎日でした。お互いがすり減ってしまって、やさしくなれない日もあったけれど、決定的な喧嘩って一度もないんです。幼いころから同じ街で育って、ふたりで演奏するのが楽しいと思って十代から一緒にやってきたわけですから。知り合いもいない東京で、私らが分裂したら、それこそ孤立してしまう」

どしゃ降りの雨のなか、「休もっか」と告げた

「周りが敵に見える」。ヒット曲を重ねるうちに幸福感をおぼえるどころか疑心暗鬼に陥ってゆくこじまさん。傍目には順風満帆に見えますが、胸のうちは蝕まれていました。そうして、こじまさんはおのさんに、所属事務所の倒産を機に「ある提案」をするのです。

 

こじま:「あ、このままやったら壊れるな、そう感じたんです。忘れもしません。あの日は、どしゃ降りやったな。雨のなか、まきちゃんが車で私を京都まで送ってくれてね。車中でふたりで話をしました。私から『休もっか』と。解散ではなく、無期限の活動休止。あんなにライブが好きやったはずやのに、ツアーの行程も『楽しみやな』ではなく『がんばらなあかんな』と思ってしまっていて、もう疲れがピークやったんです。すると、まきちゃんも『せやなあ』と分かってくれて」

 

あのころ、「花*花が突然、消えた」と報じたマスコミもありました。なるほど、こういう背景があったとは……。花*花の活動休止により、おのさんはソロ活動へ。こじまさんは「さらに北山に引きこもっていた」と言います。

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野鳥に癒やされた「深泥池(みどろがいけ)」

北へ北へと向かって歩きながら話を聴くうちに、辿りついたのが、ぬかるむ池という意味を持つ「深泥池」(みどろがいけ)。植物群落が「深泥池生物群集」として国の天然記念物に指定されています。

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こじま:「深泥池を眺めるのも好きでしたね。水面に鴨など野鳥がいっぱいいましてね。ぼーっと見てると癒やされるんです。あと、深夜に友達と肝試しをしにきたこともありました」

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再活動は「別れた彼氏と再びつきあうような照れくささ」

さて、しばし別行動となったふたりが花*花の活動を再開したのが、2010年。10周年記念イベントが引き金となりました。

 

こじま:「まきちゃんと久しぶりにスタジオに入りまして。するとねー、なんやろなー、恥ずかしいんですよね。一度は別れた彼氏ともう一回つきあうみたいな照れくささがあって、『えへへ』って笑って。でもね、久しぶりにピアノの前で歌ったら、ピタッと合うたんです。すっごいスムーズで、ブランクを感じなかった。きのうまで一緒にやってたみたいに。ライブも、お客さんが『おかえりー』ってあたたかくて。それで、『もうちょっと、せえへん?』『いっそ、アルバムつくろっか~』って。それから10年続いているんですから不思議ですよね。ありがたいことに、今はお互い、ぜんぜん無理していないんです」

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勇気を出して「休む」と言えてよかった

活動を再開してからの10年は、いっそうのびのびとやれるようになったのだとか。造花ではない、派手でもないけれど、永い時間を経て天然の愛らしい花がやっと咲いたのではないでしょうか。

 

こじま:「メジャーデビューから20周年。結成してからだと23年目なんです。人生の半分以上を花*花として過ごしました。続いた秘訣ですか? もっとも売れていた時期に勇気を出して『活動を休む』と言えたからじゃないかな。ヒットを連発しているころだったので、普通ならば休むなんてとんでもない。若かったからできた。それで迷惑をかけた人もいるし本当にわがままなことをしたなと思うんですけれども、あの休んだ時間がなかったら解散していたかもしれない

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「休んだ時間がなかったら解散していたかもしれない」。ポジティブで前向きな言葉は心のビタミンになる場合もあるけれど、過剰摂取すると、むしろ疲れてしまう。彼女たちの「休んでよかった」には、うつむく人たちの背中をさするやさしさがあります。

 

こじま:「花*花の曲は、ノンフィクションなんです。銀河の向こう側の世界を歌っているわけじゃない。半径5メートル以内の嘘のない気持ちを書いてこそ花*花の曲なんやから、日常のバランスが壊れると曲そのものが書けなくなるんです。まずは自分たちの身のまわりの生活を大事にしないと、私たちの曲は生まれてこないんやないかなって」

 

インタビューを終え、こじまさんに再び北山通に立ってもらいました。

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こじま:「改めて、北山っていいなと思います。だって、どこを見渡しても緑が見えるんですよ。この風景が観たくて、また北山に来ちゃうんです」

 

壊れかけた日常のバランスを取り戻すべく、心の換気ができて、ゆったりと羽を休められる場所が、やはり人には必要なのですよね。自分が歌うべき歌を歌うために。

 

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著者:吉村 智樹

吉村智樹

京都在住の放送作家兼フリーライター。街歩きと路上観察をライフワークとし、街で撮ったヘンな看板などを集めた関西版VOW三部作(宝島社)を上梓。新刊は『恐怖電視台』(竹書房)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)。テレビは『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)『京都浪漫 美と伝統を訪ねる』(KBS京都/BS11)『おとなの秘密基地』(テレビ愛知)に参加。

Twitter:@tomokiy Facebook:吉村 智樹 

 

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こじまいづみさん(北山)撮影:デブ子デラックス

※記事公開時、メジャーデビューした年に関する記述に誤りがありました。読者様からのご指摘により、5月14日(木)13:20に修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。