
近年、ライフスタイルや働き方の多様化に伴い、地方への移住が若い世代から注目されています。また、都市部ではなく故郷で暮らし続ける選択が見直される動きも。さらに現在は、大都市で暮らしながらも、地方での暮らしにポジティブな印象をもっている人は多いはずです。シリーズ「ジモトグラフィー」では、故郷で暮らし続け地元の魅力を発信、また移住によって新たな“地元”と出合い、可能性を模索する若者世代に地方で暮らす理由を伺いながら、実際に住んで感じたリアルな声に耳を傾けていきます。
雄大な北アルプスの裾野に広がる、長野県安曇野(あづみの)市明科(あかしな)地区。年間を通じて降雨量が少なく、冬でも雪があまり降らないため、青々とした空が広がるこの地に、2018年、新しいワイナリーが誕生しました。安曇野市出身の齋藤翔さん、小諸(こもろ)市出身の塩瀬豪さんが営むLe Milieu(ル・ミリュウ)です。当時30歳の若者二人が、荒廃した農地を自分たちの手で開墾し、ぶどう畑を造成。そこで育てたぶどうを使い、安曇野でしかつくれないワインを目指しています。
安曇野で開業したのは齋藤さんの地元であること、豊かな自然や生活環境なども大きな理由ですが、一番の決め手はワインづくりに適した環境にほれ込んだから。やりがいに満ちた仕事と理想の暮らしがかなう安曇野の魅力について、齋藤さん、塩瀬さんに伺いました。
お話を伺った人:塩瀬豪さん/齋藤翔さん
塩瀬豪さん:1987年生まれ、小諸市出身。大学を中退して沖縄にわたり、ダイビングインストラクターになるが、負傷して帰郷。2008年、あづみアップル(安曇野市)に入社し、栽培から醸造まで携わる。2018年に独立し、ワイナリー「Le Milieu 」設立。
齋藤翔さん:1987年生まれ、安曇野市出身。大学卒業後、帰郷して地元の飲食店に勤務中、ソムリエ資格を取得。その後、楠わいなりー(須坂市)、安曇野ワイナリー(安曇野市)で勤務しつつ、三郷と明科でぶどう栽培を開始。2018年に塩瀬さんとともにワイナリー「Le Milieu 」設立。
10代では気づかなかった地元への愛着。雄大な北アルプスに癒やされて

── 塩瀬さんと齋藤さんは2018年に、ともに30歳という若さで安曇野市にワイナリー「Le Milieu」を立ち上げました。はじめに、お二人がワインづくりを始められるまでの経緯を教えてください。
齋藤翔さん(以下、齋藤):私はもともと安曇野出身で、大学進学で大阪に出てからは南アフリカに留学したり、高知県で漁師をやったりと、20代前半はいろんな場所を転々としていました。その後、地元に戻って飲食店で働いている時にソムリエの資格を取得したのが、ワインの仕事を始めるきっかけです。
── そのままソムリエにならず、ワイン醸造家に転身したのはなぜですか?
齋藤:醸造家になろうと思ったのは、地元に近い塩尻市のワイナリーで飲んだ1本のワインに感動したからです。安曇野から20〜30kmしか離れていない塩尻のワイナリーで、こんなにおいしいワインがつくれるのかと。
自分も安曇野で誰かの心を動かすようなワインをつくってみたいと思いました。そこでワイナリー勤めを5年間経験したのちに、豪くん(塩瀬さん)とLe Milieuを立ち上げたんです。
塩瀬豪さん(以下、塩瀬):私は大学中退後、沖縄でダイビングのインストラクターになりましたが、けがで続けられなくなり地元に戻ってきました。
当時はちょうど長野県内のワイン産業を盛り上げていこうという「信州ワインバレー構想」がスタートしていて。ダイビングの仕事もそうですが、もともと観光産業に携わりたいという思いがあり、ワインづくりの道に進むことを決めました。
安曇野市の「あづみアップル」というワイナリーに入社してぶどう栽培と醸造に携わったのちに、独立してLe Milieuを設立したというのが大まかな経緯ですね。

── お二人とも地元を一度離れていますが、最終的に長野県に戻ってこられたのは地元への愛着からでしょうか?
齋藤:そうですね。若い頃は都会への憧れがありましたが、年齢を重ねるにつれ地元への愛着が増してきたこともあるかもしれません。特に、ワインの仕事を始めて畑にいる時間が増えてからは、ゆっくり山を眺めるのもいいなと思えるようになって。10代の頃は一つも知らなかった北アルプスの山々の名前も覚えましたし。
天然わさびが育つほど水がきれいなことなど、昔からいわれてきた安曇野の良さも、地元を離れたからこそより感じられるようになったと思います。
塩瀬:私の地元である小諸市には「マンズワイン」というワイナリーがあり、私が通っていた高校のすぐ近くにぶどう畑が広がっていました。子どもの頃からワインづくりの風景を見慣れていたことも、長野県でワインの仕事を始める動機になったと思います。

豊かな自然だけじゃない。住めばわかる安曇野の多彩な魅力

── 近年、長野県は都心からの移住先や二拠点居住先として人気を集めています。改めて、お二人が思う長野県の良さ、ひいては安曇野の魅力を教えてください。
齋藤:一番に思い浮かぶのは、やはり自然の豊かさでしょうか。都会から移住してきた方に長野を選んだ理由を聞いても、「山を見ながら暮らしたくなったから」といった声をよく聞きますし。若い頃はよく長野へスキー旅行に来ていて、リタイヤする年齢になってからは恵まれた自然環境に惹かれて移住してくるという方も多いようですね。
安曇野でいえば、生活環境の良さや都市部へのアクセスの良さも魅力だと思います。松本市に隣接していて、車で20分くらい走れば街中で買い物をしたり食事をすることもできますから。一方で、スキー場にも近い。自然と生活環境、遊びなど、いろんな点でバランスの良い地域なのではないかと。
── 雪はどうですか? 長野には豪雪地帯に指定されている地域もありますが、安曇野もそれなりに降るのでしょうか?
齋藤:いえ、実は県外の方が想像されるほど雪は降りません。同じ中信エリアの白馬村や小谷村などはスキー場も多い特別豪雪地帯ですが、安曇野に関してはしっかり降るのは年に1〜2回くらいでしょうか。少なくとも除雪作業で苦労するということはないと思います。
雨も少なく晴れの日が多いのも魅力ですね。日本海側から安曇野に移住してきた人が、冬でも晴天が多いことに感動していたくらいですから。
── 塩瀬さんは小諸から安曇野に移住されていますが、安曇野のどんなところに魅力を感じますか?
塩瀬:安曇野には県外から移り住んできた方も多いので、移住者にとっても暮らしやすいエリアだと感じます。移住先によっては集落単位でガチガチにコミュニティが形成されていて、なじみづらかったりするケースもあると思いますが、安曇野は昔ながらの集まりや風習に強制的に参加させられるようなこともほとんどありません。
それに、近くには安曇野インターチェンジがあって高速道路にもアクセスしやすいので他地域にも足を延ばしやすいし、車社会の長野県ではとても暮らしやすいエリアだと思います。
── 安曇野エリアでお気に入りの風景やスポットなどはありますか?
塩瀬: Le Milieuがある明科地域から眺める北アルプスの景色ですね。
特に長峰山の展望台から見る景色は本当に雄大で。北アルプスの高さや尾根の長さが存分に感じられます。これを見るためだけに安曇野を訪れる価値があるくらい、素晴らしい風景だと思いますよ。

齋藤:定番ですが、わさび田にはいつも癒やされています。ありふれた田んぼにきれいな水が張られていて、そこに山が反射する風景は本当に美しいんです。
ちなみに、わさびといえば安曇野市穂高にある「藤屋わさび農園」さんが、数年前からチョウザメの養殖にチャレンジしていて、今年から安曇野産キャビアとして試験的に出荷を始めるそうです。仕掛け人は70年以上続くわさび農園の4代目で、私たちと年齢が近いこともあって注目しています。
── お二人もそうですが、安曇野は若い人がチャレンジしやすい環境なのかもしれませんね。
齋藤:古いしきたりやしがらみに縛られないという意味では、チャレンジしやすい環境といえるかもしれません。それから、地元の「遺産」も活用の仕方によっては、大きな可能性があると思います。
荒れ果てた桑畑だって、ちゃんと開墾すれば最高のぶどうを栽培できるようになるわけですし、先ほどの藤屋わさび農園さんも後継者不足で廃業することになった信州サーモンの養殖場を買い取って、チョウザメの養殖を始めたそうです。
意欲を持った若い移住者の方も増えていますし、この場所から新しい産業や名産品が生まれる余地は、まだまだあるんじゃないでしょうか。
── 安曇野市やその周辺で、そうした情熱を持った若い人たちが交流するようなコミュニティはあるんですか?
齋藤:自分の場合、ワイン関係者の集まり以外はあまり参加したことはないのですが、いわゆる異業種交流のような場でコラボ商品をつくることになった、みたいな話は聞きますね。
あと横のつながりという点でいえば、例えば地元の企業から「クラウドファンディングでキャンプ道具をつくるから、その返礼品にワインを使っていいですか?」といったご提案をいただいたこともあります。そうやって地元の企業同士が連携したり、切磋琢磨して新しい仕事を生み出すような動きは増えている印象ですね。
ワインで意気投合。仲間とともに荒れ果てた桑畑を開墾し、ぶどう畑として再生
── ちなみに、お二人はどこで出会ったのでしょうか?
齋藤:安曇野市内のワイン醸造家が集まる交流会で、知人を介して出会いました。豪くんは自分と同い年なのに他のワイナリーの先輩たちとも仲が良く、幅広い世代とつながっている。単純にすごいなと思いましたし、うらやましくも感じました。そのうち、「一緒にワインづくりをしよう」と意気投合して今に至ります。
── 長野県には多くのワイナリーがありますが、安曇野でも昔からワインづくりは盛んだったのでしょうか?
齋藤:豪くんが働いていた「あづみアップル」は約30年前からワイン醸造の事業を始められていますし、2008年にオープンした「安曇野ワイナリー」も前身の会社から数えると長い歴史があります。ただ、同じ長野県内の北信エリアや東信エリアに新しいワイナリーがどんどん誕生していくなかで、中信エリアの安曇野はやや取り残されている感がありました。
だからこそ逆に始めやすいというのはあったように思います。畑の取り合いなども起こらず、事業の立ち上げから比較的早い段階でワインづくりに専念することができましたから。

── 聞くところでは、その畑の開墾もご自身らで行ったそうですね。
齋藤:安曇野市明科地区(安曇野市北東部に位置する地域)の天王原という場所に、もともと桑畑として使われていた土地がありました。とはいえ、当初は荒れ果てていて雑草や木が生い茂っている状態。いわゆる耕作放棄地ですね。そこをぶどう畑にしようということで、地元の有志たちが開墾を始めていて、協力者を公募していたんです。
そこに私たちも応募して加わり、一緒に畑を再生していきました。(開墾地10haのうち、1.5haをLe Milieuが所有)石を拾い、木の根っこを撤去するところからのスタートで、かなりきつい肉体労働です。仕事の合間の限られた時間で少しずつ進めて、元の畑の状態に戻すまでに数カ月かかりましたね。
冬の間に開墾を終わらせて、春にぶどうの苗を植えて棚を建てる*1のですが、ぶどうが収穫できるようになるまで約3年かかります。ですから、その3年間は「収穫物のない農作業」にひたすら勤しんでいました。
でも、そのおかげで、独立してすぐにワインづくりを始めることができたので、あの時にしんどい思いをしてよかったなと。

── 安曇野はぶどうづくりに適した環境なのでしょうか?
齋藤:正直、恵まれた環境だと思います。雨が少なくて日照時間が長いうえ、昼夜の寒暖差も大きい気候なので、ぶどう栽培には適しているんです。
ぶどうの良し悪しはワインの要ですから、良い原料を確保できることも、安曇野での独立を決めた大きな理由の一つでしたね。

安曇野で「誰かの人生を変えるようなワイン」をつくりたい

── お二人はこれからも安曇野でワインづくりを続けていかれると思いますが、今後の目標などを教えてください。
齋藤:一番の目標は、シンプルに「めちゃくちゃおいしいワインをつくること」です。それも、この安曇野という土地で、海外の名産地にも負けないワインをつくりたい。
先ほどもお話ししたとおり、安曇野はぶどう栽培に適した条件がそろっていて、十分にそのポテンシャルがあると自負しています。そして、かつての私が1本のワインに感動して醸造家の道を志したように、「Le Milieuのワインを飲んで人生が変わった」と言ってもらえたら最高ですね。
塩瀬: 冒頭にも少しお話ししましたが、もともと観光産業を志していたこともあり、地域資源の活用にずっと関心を抱いています。安曇野には豊かな自然やわさび田などの観光資源もありますが、これにワインツーリズムが加われば、大きな武器になるのではないでしょうか。
そのためには、まずは安曇野にワイナリーがあること、おいしいワインがつくられていることを知ってもらう必要があります。Le Milieuがその一助になれたらとてもうれしいですし、そうなれるように頑張っていきたいと思っています。
聞き手:榎並紀行(やじろべえ)(えなみ のりゆき)
編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。
X(旧Twitter): @noriyukienami
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編集:はてな編集部
*1:ぶどうのつるをはわせるための棚。竹や木、パイプなどで立てる