変わっていく商店街、変わらない商店街【兵庫県明石市】

著: はらだ有彩 

 ときどき、無性に商店街が恋しくなる。ずらりと続く店先に、魚やかまぼこ、乾物や果物やお茶、あらゆるものが並べられ、向かい合った軒の間を人々が行き交う。ケースの中で跳ねる魚に思わず零れる感嘆、年季の入った「昼網」の看板、走り書きの値札、無造作に置かれたトロ箱、さっぱりとした呼び込みの声。商品を品定めしながら忙しなく歩き回る人、ただぷらぷらしている人、それぞれの歩く速さ。物心ついたころからずっとシャッターが閉ざされている一角、若い人がオープンした新しい店。にぎわいをゆるやかに包み込む高いアーケード。故郷に帰りたくなると、今住んでいる町でもふと商店街を探してしまう。

 子どものころは、「何もない」町だと思っていた。小学校の遠足といえば校舎の窓からいつも見えている明石公園か天文科学館だったし、明石城跡は当たり前にそこにありすぎて城というよりもはや近所の家という感じだし、港には漁船がびっしりと停泊していて海というよりもはや陸という感じだし。私の父は散歩中、水揚げされ逃げ出してきたらしきタコが近所を歩いているのを見かけたと言っていたし……。……いや、それって「何もない」というか、かなり面白いのでは?と気づいたのは大人になってからだった。

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 生意気な子どもだった私が「何もない」なんて思っていた数十年前から今でも変わらず、JR明石駅には新快速電車が停まる。兵庫県の繁華街、三宮から帰ってきたのであろう大勢の乗客とともに電車を降りると、まず、空気の中に潮の気配を感じる。潮の匂いではなく、海のある町の気配。そして次に、ホームの真正面にそびえ立つ明石城の櫓(やぐら)に出迎えられる。巽(たつみ)櫓と坤(ひつじさる)櫓は国の重要文化財に指定されていると学校で習ったはずだが、あまりにも普通に目の前にあるので城だということをしばしば忘れる。「地元という場所はどこでも城が見えるもの」と長らく誤解し続けていたが、久しぶりに帰省すると、1619年に築城されてから解体や修築を経て、400年後にはJRのホームに寄り添う城がやけにうれしい。「なんだよ、天守閣がないじゃん」と思った方もいるかもしれないが、失われたのではなく、建てられた当時から「ない」のだ。

 城跡を整備した広大な明石公園は、城らしく堀と池に囲まれている。広大すぎて私は今でも全貌を掴めていない。春になると、大きな池の周りが桜で埋め尽くされる。ついでに、春になると明石一帯はいかなごで埋め尽くされる。スーパーマーケットに釜揚げしらすが山積みされる季節が終わると、ホームセンターに釘煮用のえんじ色と銀色のパックが山積みされる季節に変わり、住宅街の換気扇から濃い醤油とみりんの匂いが漂ってくる。

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 明石公園の東には天文科学館がぽつりと建っている。天文経度・東経135度の上に建てられ日本の標準時間を指すように調整された時計塔に、展望室と天体観測室、プラネタリウムが入る。プラネタリウムは月替わりのテーマに沿って毎日数回ずつ投影される。オーロラ、カノープス、クリスマスの星、アルマ望遠鏡、月に降る小惑星、エトセトラ。投影機はドイツのカールツァイス・イエナ社製、現役で稼働しているプラネタリウム投影機の中では日本最古のイカすヤツだ。ふたつの恒星球と支柱が巨大な生き物のようで、なんだか今にも動き出しそうで、いとおしい。

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 商店街は、明石駅の南側に広がっている。駅前ロータリーを抜け、市民図書館や子育て支援センターが入っている商業ビルを通ると「魚の棚」まで雨に濡れずに辿り着くことができる。「魚の棚」とは、東西に約350m延びるアーケードに100ほどの店が連なる商業地区。読み方は「うぉんたな」である。明石で水揚げされ昼のせりにかけられたばかりの「昼網」の魚と、卸売市場で仕入れられた全国の魚が、ときには生きたまま並ぶ。父が散歩中に目撃したというタコはここから逃げてきたと思われる。

 魚の棚の辺りまで来ると、「海のある町の気配」がはっきりと潮の香りに変わり、さらに魚以外の食材やお茶を煎る香りが混ざり合う。関西のどこかの町から少し遠出して観光に来た人、経営する飲食店の今夜のメニューの仕入れに来た人、夕飯の一皿の買い出しに来た人たちが入り乱れる。年末にはこの長い商店街にずらりと大漁旗が吊るされ、さらににぎやかになる。お正月用の鯛、おせち料理のかまぼこ、穴子、色とりどりの食料品。清潔に手入れされた活気と、濡れた空気が満ちている。

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 魚の棚を東へ出ると「銀座通り商店街」、南へ出ると「ほんまち商店街」に繋がっている。この3つの商店街と、さらにその隙間の路地に、小さなレストランや居酒屋、喫茶店、菓子店、玉子焼きの店が点在する。玉子焼きとはいわゆる卵焼きではなく、ぽってりと丸くやわらかい生地を出汁に浸す明石焼きを指す。かつての私にとって玉子焼きは「友達が遊びに来たときのお昼ごはん(またはおやつ)」、商店街は「クラスメイトたちの店がある場所」だったが、自分で好きなように外食し、好きなようにお惣菜を買う年齢になってみると、こんなに楽しいところはない。毎晩片っ端から食べ歩いても終わりがなく、また朝になればシャッターが上がり、昼になれば再び新しい魚が運ばれてくる。

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 ほんまち商店街の方へ足を進めると、港を背景に大衆演劇場「明石ほんまち三白館」が見えてくる。かつては魚の棚の買い物客のための寄席だった場所が、戦後に映画館となり、閉館を経て今では商店街の運営する劇場として再利用されている(私が子どものころはまだ映画館で、ときどき開かれる寄席で《目黒の秋刀魚》を聴いた)。月替わりで巡業に訪れる劇団の公演が終わると、送り出しの役者さんや、花をかけようとするお客さんたちが莞爾(かんじ)として出てくる。

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 私の実家はこのほんまち商店街の西の端の方で、せんべい屋を営んでいる。1856年、当時お茶屋さんだった初代・利右衛門が富士山に登山し、その雄大さに興奮した勢いでつい焼き型を注文してしまったのが始まりだ。行き当たりばったりである。先代や先々代の写真には、昭和の商店街が写り込んでいる。走っていく子どもたち。商店街で育った子どもがアーケードの端から端までを自分の家のように感じるのは、このころから変わらないのではないかと私は勝手に思っている。

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 ほんまち商店街をさらに南下すると、待ちかねた海が見える。リゾートの海ではなく、生活のための海、漁の海だ。昼網のせりが開かれる卸売市場分場も昼どきを過ぎると鎮まり、漁船が静かに揺れている。水面が見えないほど寄せられた船体が、波のテンポで擦れ合う。地面が静かに呼吸しているような、あるいは空中にゆらゆらと浮いているような、永久に続く揺らぎ。波に任せて散歩していると15分ほどで砂浜に出る。東へ歩いても、西へ歩いても、いつも海がゆらゆらと横たわっている。

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 今、私は海の見えない町で暮らしている。テレビで明石市の子育て支援制度に関するニュースを見るたび、自分の子ども時代を振り返る。ときどき、商店街が恋しくなる。しかし不思議とさびしくはない。

ほのほのと あかしのうらの あさきりに しまかくれゆく ふねをしそおもふ
(ほんのりと明けつつある海の朝霧の中、島かげを進む舟の行く末を思う)


 この歌は『古今和歌集』に詠み人知らず、あるいは柿本人麿の作として収められ、「あかし」は「明石」として広く解釈されている。島かげの舟に人生を重ねる詠み人のさっぱりと寂しく、ひんやりと明るい感傷を眺めるとき、私は町を出て生活する自分を思う。そして漁に出ては港に戻る漁船を思う。それから今日も所狭しと並べられているであろう昼網の魚を思い、逃げ出したかもしれないタコを思う。ぽてぽてと焼き上げられる玉子焼きを思い、プラネタリウム投影機がドイツから運び込まれた日を思い、400年前の城にあったはずの屋敷を思う。何年経っても穏やかな波音を思う。そして波のそばを慌ただしく通り抜けていく、商店街の人々を思うのだ。


著者:はらだ有彩

福富優樹

テキスト、テキスタイル、イラストを作るテキストレーター。著書に『日本のヤバい女の子』(柏書房/角川文庫)、『百女百様』(内外出版社)、『女ともだち』(大和書房)、『ダメじゃないんじゃないんじゃない』(角川書店)。Twitter Instagram Web

 

編集:ツドイ