
柔道家の阿部一二三さん。神戸に生まれ、6歳で柔道を始めた。体が小さく、同級生に勝てなかった悔しさから本気になり、世界のトップを極めるまでひたすら心身を鍛えてきた。
練習だけでなく、生活も含めた全ての行動の積み重ねが成長につながると考える阿部さん。常に向上するために、柔道と生活をバランスよく両立させる街として選んだのが世田谷だ。ふるさとの神戸にも少し似ているという世田谷の魅力、そこで過ごす日々について聞いた。
神戸時代の思い出は、ほぼ柔道だけ
―― 阿部さんは18歳まで神戸市の港町で暮らしていたそうですね。子どものころの思い出の風景を教えてください。
阿部一二三さん(以下、阿部):一番はヴィッセル神戸のスタジアム(ノエビアスタジアム神戸・神戸市御崎公園球技場)ですね。柔道を始めた6歳のころからトレーニングのためによく来ていました。
―― 当時から柔道一直線という感じだったのでしょうか?
阿部:普通に遊んでもいたと思うんですけど、当時のことで頭に浮かぶのはトレーニングの風景ばかりです。始めたばかりのころは体も小さくて、なかなか勝てませんでした。特に、小学3年生のころに同級生の女子選手に負けてからは、より強くなりたいと思うようになり練習に打ち込みましたね。
―― 当時、お父さんと近所の公園でチューブトレーニングをしたり、重いメディシンボールを投げたりと、猛特訓をしていたそうですね。
阿部:めっちゃ辛かったし、本当はもっと同級生とも遊びたかったです。でも、その日々のおかげで今の自分があるのだと、すごく思いますね。

―― その後、中学2年生で初めて全国制覇を果たします。結果がついてくるようになったのは、何かが変わったからでしょうか?
阿部:もちろん体が成長したこともありますし、中学から体重別の階級制になったことも大きいです。ただ、何かが劇的に変わったというよりは努力が結びついてきたのだと思います。結果が出ると楽しいし、強くなっている実感が得られた。それからは、より練習に打ち込むようになりましたね。
―― 高校は神戸の神港学園へ進学します。全国の強豪校から誘いもあったと思いますが、地元の学校を選んだ理由は何だったのでしょうか?
阿部:強くなるために、それがベストだと思いました。神港学園には小学生のころから毎日のように練習に行かせてもらっていて、僕の柔道を一番知っているのが信川厚監督でした。ずっと近くで見てくれていて、僕に何が足りないか、どうしたら強くなれるか分かってくれている監督のもとでやるのが最良なのではないかと。
―― 当時はどんな生活でしたか?
阿部:早朝に起きて練習、学校で授業を受けた後にまた練習。高校の柔道部は練習時間が長く、同級生と居残りもしていたので帰宅は21時から22時ごろでした。ほぼ毎日その繰り返しでしたが、柔道を中心とした生活はとても充実していたなと感じます。
――ほとんど遊ぶヒマはなかったかもしれませんが、友達とよく行った場所などはありますか?
阿部:鉄板焼きの「大栄」というお店はよく行っていました。ローストビーフが美味しくて、今も地元に帰った時は立ち寄ります。

街選びも日々の生活も、全ては柔道のために
―― 高校卒業後は日本体育大学へ進学。初めて地元を離れ、上京したそうですね。
阿部:大学に近い桜新町の寮に入りました。桜新町は静かな街で、そこまで東京すぎないというか。自分にとっては住みやすかったですね。世田谷の綺麗な街並みや雰囲気も心地良くて。2020年に社会人になって一人暮らしをする時、別の街も見てみたんですけど、やっぱり世田谷がいいなと思って区内の近場に落ち着きました。
―― 他にどんな街を検討したんでしょうか?
阿部:目黒とかですね。都会的な、いわゆる東京っぽい場所にも若干の憧れはあったので。でも、やっぱり柔道に集中できる場所ということで考えると、世田谷が一番かなと。練習以外の時は心が安らぐ環境で過ごしたい。その点、桜新町、駒沢、深沢あたりの落ち着いた雰囲気は最高だと感じます。地元の神戸に少し似ているところもあるのかなと思いますね。
大きい公園があるのもいいですね。普段はジムや道場でトレーニングしていますが、気分を変えたい時に公園を走ったり、オフの日の午後にちょっと散歩してみたり。そういう時間も柔道にプラスになっている気がします。

―― ちなみに、これから世田谷以外に住んでみたい場所はありますか?
阿部:いや、特にないですね。現役を続けているうちは、ずっと世田谷にいる気がします。練習場所が変われば引越すかもしれませんが、その時も道場に近い、似たような環境の街に住むんじゃないかな。どの街に住みたいかというよりは、柔道でトップをとり、それを維持していくための場所はどこなのかという観点で選ぶと思います。
―― 本当に生活の全てを柔道に紐づけて考えているんですね。
阿部:練習はもちろんですが、普段の暮らしの全てが柔道に影響を与えると考えています。自分で食事の管理をすること、部屋の掃除をすること、いい睡眠をしっかりとること、練習後に柔道着を洗濯し、キチンと畳んで清潔に保つこと。それら一つひとつが柔道を強くなる上で、また、人として成長する上で必要なことだと思うんです。柔道家だから柔道だけして、他は誰かにやってもらえばいいという考え方ではないですね。
―― 食事もご自身でつくっているんですか?
阿部:そうですね。食事が体をつくるので、自分が口にするものは自分で管理したいです。スーパーに行くと、パッケージに書かれている成分表示をチェックして、より体にいい食材を探すのが習慣になっています。献立を考えたり、料理をつくるのは苦ではないですね。減量中なんかは、むしろ唯一の楽しみかもしれません。
―― では、苦手な家事は?
阿部:洗濯は少し苦手というか、面倒かな。練習のあと、コインランドリーまで行って柔道着を洗うのってしんどいんですよ。でも、「俺は練習で疲れているのにやるべきことをちゃんとやっている。だからこそ強くなれているんだ」とプラスに考えるようにしています。当たり前のことを当たり前にやるって、意外と簡単なことではないですから。

積み重ねた先の未来にワクワクしている
―― お話を伺っていて、全てのことを何一つおろそかにしない姿勢が、柔道家・阿部一二三を育ててきたのだと感じました。
阿部:暮らしの部分も含めて、やると決めたことはしっかりとやり切る。何か一つがおろそかになると、きっと柔道もおろそかになります。
それに、繰り返しになりますが、僕は柔道が強くなるだけじゃなく、人間としても成長していきたい。そう強く思うようになったのは、全日本男子前監督の井上康生さんの姿をずっと見てきたことが大きいです。井上監督は柔道家としてはもちろん人間性も素晴らしく、いつもカッコいいな、こんなふうになりたいなと思わせてくれます。
そのためにも一日一日を丁寧に過ごしていきたいです。柔道にいきなり強くなる裏技がないように、何事もコツコツと積み重ねていかないと結果は出ませんから。
―― それこそ、小学生からの練習の積み重ねが花開いた阿部さんが言うからこそ、説得力があります。
阿部:積み重ねによる変化って、ほとんど分からないくらい微妙なものです。だからこそ、続けるのが難しい。でも、今日は昨日よりも動きがいいとか、昨日できなかったことが今日はできるとか、そういう少しの変化を感じながらやっていくしかないですよね。
積み重ねを大切にしていけば、確実に未来はいいものになると思います。そう考えると、いくら日々の練習や生活がしんどかったとしても、すごくワクワクするんです。
お話を伺った人:阿部一二三
柔道家。1997年8月9日生まれ、兵庫県出身。パーク24株式会社所属。6歳で柔道を始め、中学2年、3年の時に全国中学校柔道大会で優勝し、注目を集める。高校ではインターハイで優勝したほか、講道館杯において史上初となる2年生での優勝を成し遂げた。これ以降も、数々の大会で優勝を果たしている。
インタビューと文章:榎並紀行(やじろべえ)

編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。
