田舎が嫌いだったんじゃなくて、自分が嫌いだったんじゃないか【群馬県前橋市】

著: 朽木誠一郎 

2浪1留で6年制の大学を卒業したら27歳になっていた。不覚である。

大学は群馬県の前橋市というところにあった。人生の4分の1相当の時間をそこで生活したことになる。当時、僕は前橋が嫌いだった。

前橋市内の風景(画像:PIXTA)

前橋にも、そもそも群馬にも、縁もゆかりもなかった。受かった大学に入ったというのが正直なところだ。

赤城山と榛名山と妙義山に囲まれた市内には、大学と県庁くらいしかめぼしいものはない。遊び場は自遊空間かラウンドワンで、車社会だから飲み屋に行くにも運転代行が必要だった。

隣の高崎市は新幹線の停車駅で、セレクトショップやクラブがあり、郊外にはイオンモールもあった。週末はそこいらで過ごしたりしたけれど、そういうのもだんだん面倒になって、仲間内でもっぱら宅飲みをしていた。

内向的な性格というわけではないものの、次第に田舎らしいムラのようなコミュニティーが生まれ、コミュニティーの中でカーストが生まれ、次第に息苦しくなっていった。

少しずつ狭く閉じていくような世界が嫌いだった。

当時の僕

体を鍛えていたのは、今思うと逃避だったのかもしれない。陸上競技をしていた僕はトレーニングに明け暮れ、最終的にとある大会で東日本3位になってしまった。

群馬といえば、夏は猛暑日が続きニュースになるほどで、冬は「赤城おろし」と呼ばれる山からの強風が吹きすさんで体感温度が下がる。そんな過酷な環境で体を鍛えれば鍛えるほど、何もない前橋から逃げ出したい思いが募った。

一方で、大学ではろくに勉強をしなかった。身に付けるべきものも身に付かないまま、アルバイトで始めたライター業はまあまあ順調で、とにかく閉じた狭い世界に取り込まれたくない一心で、夜逃げのように上京したのを覚えている。

同級生たちが卒業旅行で海外などを満喫する中、僕は東京でライターを始めた。住む家が決まるまでの数週間は、山谷の宿に泊まっていた。

卒業式には行かなかった。全部、なかったことにしたかった。

分かりやすい成長や成功があれば「錦を飾る」という発想もあったかもしれないが、東京での生活は人にだまされたり金に困ったりで大変だった。今自分の周囲にいる、尊敬できる人たちと出会えなかったら、どうなっていたかわからない。

上京以来、一度も前橋には戻っていなかった。

僕は今年30歳になった。

先日、取材のために、3年ぶりに前橋に帰った。逃げ出して、勝手になかったことにした手前、再び足を踏み入れるのは抵抗があった。しかし、仕事は仕事だ。

前橋は何も変わっていなかった。

平日の夕方、県庁所在地だというのに、駅に人影はまばらだった。それはまだ暑い夏の時期だったので、バスターミナルのアーケードからミストシャワーが降り注いでいた。前橋らしい光景だな、と思った。

取材を終えた夜のまだ浅い時間、何をしようかと考えて、温泉に行くことにした。市街地からレンタカーを20〜30分も走らせれば、気軽に入浴できる施設はいくつもある。

「ばんどうの湯」は、厳密には隣の渋川市の温泉だけれど、それでも前橋市からほど近い。ちょっとした山の上にあり、前橋を囲む山々と、ふもとの市街地をパノラマで望む、最高のロケーションの天然温泉で、地元民の御用達だ。

熱い湯でさっぱりと汗を流し、泊めてもらうことになった前橋の後輩宅へ向かう途中で、行きつけだったラーメン屋に立ち寄る。「たんさゐぼう」は担々麺の専門店で、僕は東京に住み始めてからも、この店以上の担々麺に出会ったことがない。

人生イチうまいと思う担々麺

日中は行列が絶えず、夜もスープが切れたら店じまい。そんな店だが、運良く客の切れ目に入ることができた。細麺と濃厚な胡麻のスープがよく絡む。やっぱり、担々麺はたんさゐぼうだ、と思いながら、店を後にする。

後輩の家に着き、数年ぶりの再会を祝い、当然のように缶ビールを開けた。そういえば、僕はこの後輩の家で盛大に缶ビールをひっくり返したことがあった。「そんなこともあった」と二人で笑う。

「先輩は逃げ出したつもりみたいですけど、それは先輩の中の話ですよ。俺にとって先輩は先輩で、前橋は今も前橋で、良くも悪くも、何も変わっていないですから」

後輩がそんなことを言うのを、飲みすぎて途切れかけた意識の片隅で聞く。

広瀬川のほとり(画像:PIXTA)

翌朝、二日酔いで重い体をなんとか動かし、僕は前橋市内を歩いていた。前橋には“水と緑と詩のまち”という、言い得ているんだか得ていないんだか、よく分からないキャッチコピーがある。街中には、たしかに川と木が多い。

川沿いの所々にある東屋で少し休むことにした。風にそよぐ木の葉と、陽の光をキラキラ反射する川面を眺めて、ため息をつく。何だよ、綺麗じゃないか。

そしてふと、「嫌いだったのは前橋じゃなくて、自分だったんじゃないか」と思った。

たしかに、前橋は田舎だ。都会のように目を引くものはない。何もない場所では、人はどうしたって、自分と向き合わなければいけなくなる。自分のことが嫌いでそれができない僕は、自分ではなく、環境を嫌うことにしたんだと思う。

僕の中には、自分がなかった。「こうしたい」がないのに、「これじゃない」ばかりを繰り返していた。

そんな分からず屋も、社会に出ればそれなりの苦労をすることになる。僕はライターという自由業だったから、さまざまなことを自分で選ばなければいけなくなった。上手く行くこともあれば、失敗もした。失敗の方が多かった気がする。

でも、自分が何が好きなのかは、ようやく、少しずつ分かるようになった。

田舎には選択肢がない、とずっと思っていたけれど、そうじゃない。自分なりの価値基準を持って何かを選んだことがなかったから、何を選んでもその価値を判断できなかったのだ。都会的という分かりやすい価値でしか物事を測れなかったのだ。

世界を狭く、閉ざしたのは、本当は他ならぬ、自分だ。

そこにあるものを、もっとそのままに、楽しめばよかった。

人生の4分の1の時間を、僕は前橋を嫌いながら生活してしまった。どうしていつも、取り返しがつかなくなってからしか、それが大事だと気づけないのだろうと思う。でも、社会人になった僕は、どんなに悔やもうと、人生は続いていくことを知っている。

前橋には、東京に比べれば、やはり派手なものは何もない。

しかし、飯はうまい。特に、中華料理屋の「天福」、うどんとそばの「栄久庵」、パスタの「シャンゴ」、もつ煮の「永井食堂」などなど、B級グルメの店が充実している。ただし、焼きまんじゅう。あれだけは正直分からない。これは個人的感想だ。

夜景もいい。大パノラマ夜景展望台や、富士見峠なんかは、カップルで行くにもぴったりな雰囲気のいいスポットだ。ちょっと遠くなるけど、車で1時間くらいの安中市にある亜鉛製錬所は、全国から工場夜景愛好家が訪れるほどなので、ぜひ。

近くにいい温泉がある。「ばんどうの湯」はもちろん、草津や水上もいいところだから、足を延ばしてほしい。万座や伊香保も温泉好きには人気が高い。少し遠いところもあるが、1日あれば前橋から車で行ってゆっくりできる。僕のおすすめは伊香保だ。いい感じにひなびている。

自然が豊かだ。温泉地はそのままスキー場でもある。何なら学校や仕事帰りにもウィンタースポーツができる。あとは国立公園の尾瀬。高速道路を使うことになるけれど、“はるかな尾瀬”も車で1時間半ほどだ。

前橋市街の夜景

都会の選択肢を一通り経験した今、僕はこのような田舎の選択肢が、むしろ貴重であることを知っている。「住む場所」としてはきっと、いいところだったのだ。

かつての自分がし損ねた体験を、今度こそ味わいたい。

次の休みには、前橋に帰ろうと思う。

 

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著者:朽木誠一郎 (id:seiichirokuchiki)

朽木誠一郎

ライター・編集者。地方の国立大学医学部を卒業後、新卒でメディア運営企業に入社。その後、編集プロダクション・有限会社ノオトで基礎からライティング・編集を学び直す。現在はMac Fan「医療とApple」連載中。紙媒体はプレジデント/WIRED/書籍の編集協力 、ウェブ媒体はForbes/現代ビジネスなどで執筆。ブログ「あまのじゃく日記」では書きたいことを自由に書きます。
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編集:はてな編集部