誰かにとっての始まりの街「日吉」

著: いのっち 

日吉で一人暮らしを始めたのは19の時だった。

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大学進学に合わせて一人地元を抜け出してきた僕の胸には一つ熱い想いがあった。

テクノロジーの力で世間を良くしたい!そのための勉強をしたい、というぼんやりとした夢みたいなものがそれだ。チャラくて楽しいキャンパスライフの対極にあるような理工学部を選んだのも、それが理由だったりする。

そんな夢みたいなものへの大きな期待と新しい生活への少しの不安を抱えたまま改札を飛び出し、駅前のモニュメントの銀球を見てなぜかテンションが上がったのを覚えている。きっとここから新生活が始まる、という実感が湧いたんだろう。「自分の人生の第二ステージが始まるんだ」と、そんなどこにでもいるティーンエイジャーのなんだかよく分からないやる気を受け止めてくれたのが日吉という街だった。

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そもそも一人暮らしをするに当たって日吉を狙って部屋探しをしたわけじゃなかった。なんとなく学校から近ければいい、なんとなく便利そうだったらいい、なんとなく家賃が高すぎなければいい、そんな3つのなんとなくが満足できそうな場所を探していたら日吉にある6畳一間の格安アパートにたどり着いたのだ。そうなったのは、東急東横線沿線が交通の便も良く閑静な住宅街やおしゃれタウンが多い一方で、日吉はその沿線にあって「学生街」と「住宅街」という2つの側面をもっていたということが大きかったのかもしれない。

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思えば学生時代の大半の時間をこの日吉の街で過ごしたんじゃないだろうか。

日吉駅の西側には学生に「ひようら」と呼ばれる商店街が放射線状に広がる。そこにはカラオケもTSUTAYAもあるし本屋や、ちょっと雰囲気のいい文房具屋もあった。3限目が空いちゃったからちょっと時間を潰そうかな、なんて思ったらひようらをぶらついたりするのだ。「貧乏学生だし、自炊をしなければ」と思えば 駅の東急ビルに行って無印なりダイソーなりで調理器具をそろえられるし、「あぁ、もう自炊面倒だわ」ってなっても日吉の街の商店街をぶらつけば食べたいものは大抵なんでもある。

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今日はとんかつを食べたいな、肉厚とんかつの「とん三田」のランチにしようか、それとも「とらひげ」のタレカツ丼にしようかな、いやいや、寿司が食べたい、じゃあ「ぎょしん」で大盛りのネギトロ丼を頬張ろう、違うね今日はラーメンの気分だ、そしたら「らすた」か「ハマトラ」か「あびすけ」か「どん」か、いやいや「あびすけ」はラーメンじゃなくてつけ麺だろ……なんて会話をお昼休みに友人としながらその日の気分でいろんなものを食べた。駅を挟んで東側には慶應義塾大学の日吉キャンパスが陣取っているおかげで、商店街のお店のほとんどが大盛り無料やご飯おかわり無料だったりしたのも、貧乏学生にはとても居心地が良かったのである。

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そんななかで、なぜか気がつくと足を運んでしまうお店に「武蔵家」というラーメン屋がある。いわゆる家系ラーメンというやつだ。中太麺の強い歯ごたえと、パンチのあるスープがとても食欲をそそる。地元から出てきたばかりの「薄味大好き教」だった僕を一瞬で改宗させるその中毒性は凄まじくて、気がついたら「麺かため・味こいめ・脂ふつう・中ライスおねがいします」が自然に口から出るようになっていた。

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飲み会の後、深夜の1時にサークルの先輩と2人駅から反対方向へ向かって「ちょっとだけ」って食べに来たり、土日何もやることがないから「とりあえず武蔵家いくか」って近所の後輩とラーメンを食べるためだけに外出したり、とにかく誰かと行くイメージがあった。だからといって別にそこで大した話をするわけではない。ただ、楽しいこと・やりたいこと・しんどいこと・授業のこと・研究のこと・バイト先のこと……とにかくそのとき共有したかったいろいろな感情をそこでラーメンを前にしながら交換した。話の内容が何であれ「そう思うこともあるんだな」なんて気分にさせられて、自分のなかにない経験や感情に触れる。それがすごく楽しかった。

これだけ書くと商店街の食べ物のことばかりになってしまうけど、そんなことはない。駅から少し離れると雰囲気はまたがらっと変わり、静かな住宅街が現れる。

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僕は今までに日吉駅周辺で計3回ほど引越したけど、どのアパートも駅から徒歩15分以上かかるところにあったため、帰り道は自然と途中で住みやすい住宅街の雰囲気に変わる。

そういえば2回目に引越した日吉キャンパスの裏手の家は公園が近かった。大して広くないその公園だけど、家族連れが遊びにあつまったり、おじいちゃんおばあちゃんが散歩の途中で休んだりもしている。勉強や研究に疲れたら、日曜一日中なんとなくずーっと滑り台で寝ながら「将来何しようか……」なんて考えたりした。

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夜に近所の友人宅で宅飲みをしたとき、「買い出しに行ってくるわ」って当時気になっていた女の子を連れ出してゆっくり話したのも同じ公園だった。何を話していいのか途中で分からなくなってブランコに乗ってサンダルを遠くに飛ばしたりしていた。

少し足を延ばして矢上川沿いを歩いてみるのもいい。一気に時間の流れがゆっくりになってなんとなく肩の荷が下りた気分になる。

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夏から秋にかけて夕方の風景がすごく綺麗で、夕焼けを撮ろうとよく橋の途中で足を止めてケータイのカメラを空に向けたりもした。僕の土日の鉄板コースは、矢上川を散歩した後に矢上湯で汗を流して牛乳を飲んで帰って来るというものだ。

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手狭な銭湯でポカポカになった体を、ゆっくり冷ましていくように河原で風に当たっていくのはとても気持ち良くて、生活費を切り詰めてまでよく一人で通っていた。身体から熱がすーっと引いていくのに合わせて頭の中が整理されていくようで、そのときのもやもやが解きほぐされていく。進路に迷ったときはよくこうやって頭の中を整理したのだった。

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初めて日吉にやってきたときから9年経った。全て思い出のなかの街として日吉のことを書いているが、実は社会人になった今も日吉に住んでいる。あの小さなアパートから始まって、ラーメン屋の中で熱をもって話した「やりたいこと」や「夢みたいなこと」はまだまだ達成できていないけど、日吉のなかで抱いたゴールに向かって、今でもずっと走っている。駅や街で大学生を目にするとたまに彼らもそうなのかな、と思う。あのときの僕にとってそうであったように、きっと日吉は誰かにとっての「始まりの街」なのだろう。

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著者:いのっち (id:ino_null

いのっち

1988年生。ゆとり世代。千葉県出身、神奈川県横浜市在住。日本のメーカーでサラリーマンをやりながら大学院生として奮闘中。原付一人旅や音楽が趣味。原付日本縦断の途中でカメラの楽しさに触れて以来、カメラバカへまっしぐら。フィルムカメラを片手に365日毎日スナップしながら、なんとなく思ったことをブログ「銀塩日和」に書きなぐってます。

ブログ:銀塩日和 Twitter:@ino_null