成熟と喪失の学生街「早稲田」

著: 小池潤 

大学のある街には、まだ何者でもない若人たちが集まる。将来への焦燥感や理想と現実の乖離に苦しみながらも、それを差し引いても余るほどの活力をもって。

私の出身である新潟県では、受験を機に上京する人が多い。私もそのひとりである。

大学受験の勉強中に理系から文系へと志望を変えた私は「文系に進学するのであれば、さまざまな人間の集まる場所に行くのが良い」という先生のことばを聞いて、東京へ進学することを選んだ。

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上京して初めて住んだのは、江戸川区の葛西という場所だった。新潟の片田舎から東京という異国の地に進学した私は、友達ができそうという理由で葛西にある大学寮を選んだのだ。しかしほどなくして、東西線の通勤・通学ラッシュが嫌になって、大学から徒歩3分のマンションに引越した。住まいを検討するときには「アクセス」が重要であることを知った。

早稲田に引越してきてからというもの、ほぼ毎日、どこかへ飲み歩いていた。決まって行き着くのは、自宅の近所にある「大王ラーメン」。夜中3:00まで開いているラーメン屋だ。クロレラ麺を使った「ヒスイ焼きそば」と「レモンサワー」で一日を締めくくるのが私の定番だった。このレモンサワー、特別に美味しいわけではないのだが、それが好きだった。

そんな生活をしていれば、もちろん午前中の授業になど行けるはずもなく。

私は結局、4年間で大学を卒業することができなかった。モラトリアムってやつだ。

早稲田は「本」と「油」の街

まじめに大学へ通うタイプではなかったが、本は好きでよく読んでいた。読書家というと、小説をよく読むイメージがくっついてくるが、ほとんど読まなかった。実用書ばかり読んでいた。大学生活5年間で読んだ1000冊以上の本は、私の血肉になっている。

あまり知られていないが、早稲田は本の街である。神保町に次ぐ古本街で、早稲田大学の近辺には十数軒の古本屋が立ち並んでいる。

南門通りのブックスルネッサンスをスタートとして、虫封じのご利益で知られる穴八幡宮を左手に見ながら、松の湯という銭湯まで続くゆるやかな坂を上っていく。そして銭湯を過ぎたあたりから、古本街としての早稲田が見えてくる。虹書店、渥美書房、さとし書房……少しずつ重たくなっていく鞄が心地良い。数カ月に一度の楽しみだった。

早稲田は本の街でもあり、油の街でもある。

なにを言っているか分からないと思うが、早稲田にはいくつもの「油田」がある。

油そばやラーメン、揚げ物など、男子学生しか喜ばないようなハイカロリーを提供している人気店を、その油量から早稲田生は「油田」と呼んでいる。

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「ギョーカラマシマシ」の呪文が行き交う「わせだの弁当屋」、牛めし・とんかつ・カレーの3メニューのみで勝負するその名も「三品」、「いらっしゃいませ!」がガラパゴス的進化を遂げて「せ〜〜〜い!」になった家系ラーメンの「武道家」、その他、正統派の老舗洋食店「キッチン南海」やアフロの看板が目印の油そば屋「武蔵野アブラ学会」など、とにかく腹を満たしたい学生にうれしい店が並んでいる。

大学生活のふとした瞬間に表出する「無事に大学を卒業して、ちゃんとした仕事に就けるのか」みたいなザラザラした不安も、腹を満たせば忘れることができた。

大学に入りたてのころ、サークルの先輩に「武道家」へ連れて行ってもらったときに「いいか。武道家はおしゃべりをするところじゃない。1杯のラーメンを通して自分と向き合う場所なんだ」と教えてもらった。早稲田には、こういうよく分からないが高尚そうなことを述べる先輩がたくさんいた。たぶん、私もそうだった。

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数ある油田のなかでも、安くて盛りの良い洋食屋「キッチンオトボケ」にはよく行った。好んで食べていたのはチキンカツ定食。大盛りの白米に雑に漬物をのせて、かきこむ。かきこみすぎて喉が一瞬きゅっと苦しくなる感じがたまらなかった。

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血糖値の急上昇を確認しながら店を出て、近くにある喫茶店「シャノアール(閉店)」でたばこを吸う。「油田の後にたばこを吸う」は、私のルーティーンだった。

成熟は喪失である

2018年12月、渋谷にある職場へのアクセスを考えて、6年間住んだ早稲田を離れて三軒茶屋へ引越した。大好きな街だったので、それなりに大きな決断だった。だからこそたまに、早稲田をふらっと訪ねたくなることがある。

少し前、地元の友人に「早稲田生みたいな頭の悪い飲み方がしたい」と言われて(なんと失礼で光栄なオファーだろうか!)、西早稲田の居酒屋「わっしょい」を数年ぶりに訪れた。高田馬場で飲んでいて終電を逃した早稲田生が最後に不時着する店だ。

ポテトフライをつまみに、ピッチャーから注がれるぬるいビールを飲んだ思い出しかない。もちろん、朝までだ。当時の自分にとっては、それが最高に気持ちの良い時間だった。

しかし、久々に訪れた「わっしょい」には、刺身やおひたしを肴に日本酒を傾けている私がいた。当時の“コール”なんて、恥ずかしくてもうできない。

大学生活のなかで得たものは多いが、それ以上に失ったものも多い。

サボり続けた必修授業の単位、サークルを辞めていなければできたであろう先輩後輩、在学中に抱いていた「研究者になりたい」という夢。

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月曜3限の社会学で当時の先生が「成熟と喪失―“母”の崩壊」という江藤淳の本を紹介してくれた。当時の自分はよく理解できなかったが、いまの自分なら少し理解できる。

「現在」はあらゆる選択の上に成り立っていて、その背後には選ばなかった(いや、選ばれなかった)選択がうず高く積み上げられている。江藤は、何かを捨てることこそ成熟なのだと説いた。

地元ではなく東京の大学に進んだこと。葛西から早稲田へ引越したこと。留年を受け入れたこと、いまの会社に就職したこと……それらすべてが成熟であり喪失で、喪失であり成熟なんだ。

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大学時代に好んで読んでいた藤子・F・不二雄の短編に『未来ドロボウ』という作品がある。父親の工場が潰れて高校進学をあきらめることになってしまった少年が、あるお金持ちの老人と出会い、お金と引き換えにお互いの身体を交換する話である。

老人はいくばくもない余命を宣告されていた。少年の身体を獲得した老人は、若く青い日々を謳歌する。しかし、その日々があまりに鮮やかすぎて、老人は次第に罪の意識を抱く。最終的にはお互いの身体をもとに戻してしまう。

作中で、その老人がこう語るシーンがある。

「学問一筋の人生だったよ。わき目もふらず……、春も夏も秋も冬も、気づかぬうちに通りすぎていった。地位と名誉と財産を手に入れた。

しかし……、それと引きかえに……、なにかだいじなものを……非常に貴重ななにかを落としてきたような……。」

ひとはしばしば、選択を後悔する。喪失したもののなかに、実は大事なものがあったのではないかと不安になる。しかし、それを選んだのは、それを選ばなかったのは、まぎれもない自分だ。

私は、人生の岐路ともいわれる大学時代を過ごしたこの早稲田という場所に、たくさんの夢や可能性を置いてきた。たくさんの“選ばなかった未来”が、“選んだ未来”を支えてくれている。学生時代という濃密で、それでいて儚い時間をこの早稲田で過ごせたことは、本当に良かった。早稲田に住んで、本当に良かった。

成熟は喪失であり、喪失は成熟である。
早稲田という場所は、私にとって「成熟」と「喪失」の街だ。


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著者:小池 潤 

小池 潤 

日本酒専門WEBメディア「SAKETIMES」編集長。日本酒オンラインサロン「SAKETIMESサロン」主宰。世界に約400人しかいないテイスティングの専門資格「酒匠」保持者。日本酒セミナーの能力を評価する「日本酒学講師」に当時史上最年少の24歳3ヶ月で合格。チャーハンと漫才と柄シャツが好き。1993年生まれ。Twitter

 

編集:ツドイ