周りが売れていったのが自分の成功につながった。東京で過ごした20年間の下積み生活――じゅんいちダビッドソンさん【上京物語】

インタビューと文章: 髙橋かんな 写真:持田薫

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進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。

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今回「上京物語」に登場いただくのは、じゅんいちダビッドソンさんです。

「カバンを1つだけ持って上京する」のが憧れだったじゅんいちさんは、芸人を目指して上京したものの、アルバイトをしながら安いアパートを転々とする生活が続きます。一時期は、バイト先のビリヤード場の倉庫に住みこんで半年間を過ごすこともありました。

そんな生活も楽しんでいたじゅんいちさんでしたが、あるとき思い切って背伸びした家に引越してから少しずつ状況が好転し、現在のブレイクにつながったといいます。住む場所が変わったことで、周囲の環境や付き合う人が変わり良い刺激をもらったと語ってくれました。

R‐1ぐらんぷりで優勝するまでの長い下積み生活を、東京のさまざまな街でどう過ごしたのかをじゅんいちさんに伺います。

勘違い青年、ズタぶくろ1つで東京へ

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――  名古屋の大学を卒業して、そのまま上京されたそうですね。

じゅんいちダビッドソンさん(以下、じゅんいち):そうです。在学中に、学際の実行委員の友達から「ステージで1時間なにかやって」と言われたので、4人くらいでお笑いライブをやったんですよ。もちろん、見ているのは友達ばかりなんでものすごくウケるんです。それで「俺、おもろいのかな」と勘違いして(笑)。残りの3人は就職したんですが、僕だけ芸人を目指して上京しました。

――  なるほど。じゅんいちさんは兵庫県の尼崎出身とのことですが、芸人を目指すに当たって、大阪ではなく東京を選んだのにはなにか理由があるんでしょうか。

じゅんいち:どうせ一人暮らしするんなら、住んだことのない東京に住んでみたかったんです。芸人になりたいのも理由の一つでしたが、それは口実で。東京に住んでみたい気持ちのほうが強かったですね。

カバン1つだけ持って上京するのに憧れがあったので、あえてカバン1つで新幹線に乗りました。それも、わざわざズタぶくろみたいなのを買って準備して(笑)。

――  東京に憧れがあったわけですね。上京して最初はどこに住まれたんですか?

じゅんいち:一番はじめは西荻窪です。先に上京していた同級生一緒に、友達の家に転がり込みました。でもその家がすぐに契約切れになると分かり、お金もないので3人でルームシェアすることにしたんです。

見つけたのが池袋の物件で、6畳一間にキッチン・風呂・トイレがついて6万円。あれはひどかったですね。6畳に3人の布団を隙間なく並べて引きっぱなしでした。そこからは3人でずっとアルバイト生活です。でも、その家もすぐ引き払わなければいけなくって。

――  引越しの連続だったんですね。

じゅんいち:僕はそろそろ1人になろうと決めていたので、単身阿佐ヶ谷に引越しました。ただ、家賃を払うのが遅れがちになって、大家さんともめてしまって。そこも出て行くことにしたんですが、やっぱり家を探すのも大変なので、仮住まいを探そうと考えました。

当時バイトしていたビリヤード場のチーフに「家がなくなったからしばらくここに住ませてくれませんか」と頼んで、ビリヤード場の倉庫に半年くらい住むことになったんですよ。住民票も移して。

――  倉庫にですか!

じゅんいち:外階段の下にある、掃除機や交換用のおしぼりが置いてあるような倉庫でした。空調なんてもちろんないので、夏場はめちゃくちゃ暑いんですよ。だから、お客さんが帰ったあと、ビリヤード台の上に布団引いて寝たりしていました。

――  壮絶な暮らしぶりですね。

じゅんいち:当時の相方も、倉庫で暮らす俺を見て「お前、人間のなかで一番下やな」って言ってました(笑)。そのあと半年くらいビリヤード場に住んでいたら、チーフが「お前、そろそろ家を探せよ」って言ってきて。「大丈夫ですよ!」って返したら「こっちが大丈夫じゃねえんだよ!」って。

――  (笑)。

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じゅんいち:それでようやく次の家を探しました。中野の物件で、2万8000円。そこもすごかったですねえ。まず、下の階が教会だったので、日曜日の昼間に讃美歌が聞こえてくるんですよ。さらに隣の家が三味線教室。極め付けに、3つ左のおじいちゃんの部屋から能を練習する声が聞こえてくる……そんな物件でした。

――  壮絶なのは変わらなかったと。

じゅんいち:しばらくして、住民トラブルに巻き込まれてそこも出ていくことになりました。それでもう一度阿佐ヶ谷に引越して3年住んだあと、三軒茶屋に住むことにしたんです。1カ月アルバイトに集中してお金をためて、それまでの家賃と比べると2倍近くする物件に思い切って引越しました。

三軒茶屋に引越して「売れていく」人たちと出会えた

――  2倍の家賃となると、かなりの挑戦だったんじゃないですか。

じゅんいち:そうですね、当時は芸人の収入もほとんどなかったですし。それまでと比べるとかなりの勝負でしたが、今思えばあそこで踏み切ってよかったなと思います。

――  それはなぜですか?

じゅんいち:芸人の世界で、よく「そんなボロアパートに住んでたら売れへん」って後輩に言う人が多いんですよ。僕は、「住む場所自体は売れる売れないに関係ないけど、いいところに住んでテンションを上げるような行動をしようとしないから売れないんだ」とよく言っています。要は動こうと思うことが大事だから。思い切って引越したのも、今思えばそういうことだったんだなあと。

――  住む場所によって付き合う人も変わりますし。

じゅんいち:そうですね。三軒茶屋の家のときに、近くに住んでたバイきんぐの小峠と頻繁に連絡を取り合うようになりました。

――  小峠さんとも交流があったんですね。

じゅんいち:前に相方の西村と同じバイトをしてたことがあったので、3人で仲良くなりました。バイきんぐが優勝したときのキングオブコントは泣きましたよ。1本目のネタがドカンとウケて、2人とも勢いよく飛ばすのにうるっときて。まあ、そこで泣いちゃった分、優勝したときは真顔だったんですけど(笑)。

環境って本当に大事だと思います。三軒茶屋に住んで、売れていった人たちと仲良くなって、自分も刺激をもらえましたしね。前の家ではそんな人たちと会えてなかったので、その変化は良かったなと。

周りの芸人から学んだのは「自分の見せ方を確立できるかどうか」

――  ほかに付き合っていた人で、影響を受けた芸人さんはいらっしゃいますか?

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じゅんいち:サンドウィッチマンさんは仲良くさせてもらってましたね。芸人をはじめて最初に組んだコンビの相方が、サンドさんと仲が良かったんです。

深夜、僕らのアルバイト先のスーパーにサンドさんが遊びに来て、夜通しだべって、朝になったら社員が来る前に品出しだけ手伝ってもらって帰っていく、みたいなこともしてました。

――  サンドウィッチマンさんがM‐1グランプリで優勝されたときはどんな気持ちでしたか。

じゅんいち:その当時は僕もコンビを組んでいたので、素直に羨ましかったですね。しょっちゅうスーパーに遊びに来ていたサンドウィッチマンが、急にメディアの向こう側に行っちゃったのは寂しかったですが、嫉妬とかはなかったです。

―― 先ほどおっしゃっていた西村さんのほかに、アルバイト先で知り合った芸人さんはいますか?

じゅんいち:僕と西村が働いていたアルバイト先に、ナイツの塙もいたんですよ。最初に塙が小さい大会で優勝して、「アルバイト辞めます」って出ていって。その1週間後に、「やっぱり仕事が来ないのでもう少しいます」って戻ってきました。

―― (笑)。

じゅんいち:そのあと「やっぱりいけそうなんで辞めます」って完全に辞めて。M‐1で活躍しはじめたころですね。

―― 周りの売れていった人たちに共通点はありますか?

じゅんいち:なんだろう、「ほかの芸人と比べてここが違う!」って具体的なものがあるわけではなくて。

売れてく人って、だんだんネタとかコントが形になって面白くなるわけですけど、それはつまり、もともと持っているものの見せ方が確立されたってことなんですよね。別に昔と変わったわけじゃないんですよ。僕も1年目からずっとこんな感じだし。

―― なるほど。

じゅんいち:あとは、売れてく人たちはやっぱりお笑いへの意識が高いですね。売れてないのを会社のせいにして愚痴しか言わない若手は、いつまでたっても無名のまま。

僕は幸い、意識が高い人たちが周りにたくさんいました。そういう人たちは高度なお笑い論なんかの話をするので、愚痴ばかりの人とは話のレベルが違う。そっち側の環境で過ごせたのは良かったです。

つらいことに何も感じなくなってしまうのが、一番つらかった

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―― R‐1ぐらんぷりで優勝するまでの上京生活を振り返って、いかがですか。

じゅんいち:やっぱりつらかったですよね。ピンになって、お笑いの年収も4万円とかその程度。2014年のR‐1で決勝に出たあとも、給料は全然変わらなくて。稼げるようになったのは優勝してからです。

―― それまではずっとバイト生活だったわけですね。

じゅんいち:そうです。それもつらかったけど、でも、一番良くないのはつらいのが普通になることだと思ってて。

バイトすればギリギリご飯も食べられるし、たまにオーディションに受かってライブに出ていればお笑い芸人やっている気分になれる。それが当たり前のサイクルになっていた時期があって、もうやめようかなと思ったこともありましたね。

ただ、ピンになってから結果が出始めました。新しいネタでレッドカーペットに出たり、R‐1にも出られるようになったんです。それまでのダメな毎日に慣れきっていたので、芸人としての楽しさを感じられるようになりましたね。

―― 環境の変化がきっかけをつくった。

じゅんいち:そうそう、変化は大事です。例えば、僕、新しい家に住むのが好きなんですよ。それこそ引越しなんて絶対環境が変わりますからね。気分も変わるし、家が近いって理由で周りの人とも仲良くなれる。

今は持ち家だからずっと住んでますけど、そんな感じで気軽に引越すのもアリだなと思っています。

―― 変化を大切にされているとのことですが、じゅんいちさんは以前の事務所を離れ今年の1月に独立しましたよね。

じゅんいち:そうです、20年くらいいた前の事務所を辞めて、「合同会社潤一」を設立しました。

―― 個人事務所を始めようと思ったきっかけはありますか。

じゅんいち:だいぶ長いこと在籍していたので、そろそろ事務所を離れる時期かなと思い始めて。ただ、ほかの事務所に行って若手の子に気を使わせるのも嫌でしたし、一度会社を立ち上げる経験をしてみたかったのもあって、個人事務所をつくることにしました。

―― 上京したときと同じく、「やってみたい」が原動力になっているんですね。最後に、じゅんいちさんの代表ネタである本田選手のものまねはいつまでやると決めているんでしょうか。

じゅんいち:いや、ずっとやりますよ。本田さんが引退しようが僕の十八番のネタなので。本田選手のネタを始めてからR-1で勝ち進めるようにもなりましたしね。

よくその質問をされるんですが、本田選手のネタを捨てることは絶対にないです。ずっとやるって決めています。

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お話を伺った人:じゅんいちダビッドソン

じゅんいちダビッドソン

1975年2月4日兵庫県生まれ。サッカー選手・本田圭佑のものまねで大ブレイク。2014年に「ひとり芸日本一」を決めるR‐1ぐらんぷりで決勝進出、2015年の同大会にて優勝を果たす。2019年より開始したYouTubeでのキャンプ動画が人気を博しチャンネル登録者が7万人を突破するなどその活躍は多岐にわたる。2019年に長年在籍したアミ―・パークを離れ、2020年に個人事務所「合同会社潤一」を設立。

Twitter  じゅんいちダビッドソンのYouTubeチャンネル「ちゃんねるダビッドソン


聞き手:髙橋かんな

髙橋かんな

2000年生まれの大学生。東急沿線だけで生きています。
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編集:ツドイ