モナコより、アムステルダムよりやっぱり落ち着く街「豊中」|文・大久保沙耶

著: 大久保沙耶

11年間住んだアムステルダムは「第二の故郷」だったのか

 「ホーム」って一体なんなんだろうか。家族がいる場所? 落ち着く場所? そんなことをよく考えたりした14年間の海外生活だった。

 私は関西でも人気のエリアと言われている大阪府豊中市で育った(生まれは吹田市にある江坂)。関西人のほとんどは、豊中出身と聞くと「ええとこの子やん!」と手放しに称賛するくらいにはイメージがいい。

 ただ私は至って普通の家に生まれた、ごく普通の子で、いわゆる「ええとこの子」などではないことを声を大にして言いたい(笑) 

 確かに北摂地域(大阪府北部に位置する、7市3町をまとめた呼び方)では、南部に比べて穏やかな大阪弁を話すと言われ、人もゆったりしているように思う。今は東京に拠点を移しているけれど、大阪を離れ、自分が経験してきたそれまでの道のりを考えると、こうした人生を経験するとは思いもよらなかったと、振り返ってそう思う。

 バレエを始めるきっかけになったのは、実は幼少期から習い始めたミュージカルで、近所の友達が習っていたので私も始めることになった。そのミュージカルの先生がバレエ好きで、よくバレエ風の動きや柔軟体操をしていたので、同じレッスンをしていた私も、自ずと身体がとても柔らかくなっていった。

 それを見た曽祖母に「バレエを習ったらどうか」と言われたことが契機となり、7歳からバレエを習い始めた。いろいろな習いごとをさせてもらっていたが、幼少期の私は特にバレエに夢中になり、楽しみつつも日々努力を重ね、16歳の時には驚くことに、全国コンクールで2位を受賞するほどに上達した。


モナコの街並み

 コンクールでモナコ公国のバレエ学校の先生からスカウトを受け、17歳から21歳までモナコに留学(大きな怪我も多く、手術などを理由に一時帰国を2回挟んだが)。学校を卒業した後は「オランダ国立バレエ(オランダ最大の国立バレエ団)」に就職し、人生で住むことになるとは思いもしなかったオランダ・アムステルダムに11年も住んだ。

 オランダに住み始めて2年ほど経った時、オランダ人の彼氏ができた。本当に良い人で、彼の家族も素敵で、私を本当の家族のように接してくれた。その時である。「オランダは私のセカンドホーム(第二の故郷)なのかも」と感じたのは。

「生まれ育った国」という特権

 他国から、オランダに帰った時に「今帰ったよ」と伝えられる家族のような存在の人がいて、休暇には顔を見せに行く場所があって……残念ながらその彼とは別れたのだが、別れた後、独り身になったためか、オランダがセカンドホームであるとはあまり感じなくなっていた。「今帰った」と伝える友達はいたが、少なくともその時は、ホームだと感じるまでのものはなかった。

 けれど休暇で日本に帰ると、もちろん「ああ、帰ってきたなあ。いつもと変わらない街だなあ」と思い、5週間の夏休みの間、一日一日、日本を肌で感じながら懐かしみ、楽しんだ。「これこそ、ホームなんだ!」とも思った。

 当たり前だが、道行く人が何を言っているかわかる。外で遊ぶ子供たちが何を言っているのかわかる。アムステルダムは大抵の人が英語を話すので、オランダ語を話せずとも悠々と生きていける。生きていけるけれど、私も含め外国人が多いので、みんなが同じ言語を話さない。

 英語でさまざまな人と話していても、「外国人感」は拭えず、「外国人」という扱いを、職場で受けることもあった(オランダ国立バレエというくらいだからオランダ人を優遇する部分が出てきてもおかしくはないと理解はできるが)。

 やはり、祖国にいるということは、そのこと自体がすでに特権なのだ。みんな同じような教育を受けて、同じようなマインドセットで、物事を判断する。それが良いか悪いかは断言できないが、私にとって、日本ではみんな私を日本人として扱ってくれている、ということが新鮮で嬉しかったし、落ち着いた。そして、きっとそれが「ホーム」なのだ、と感じた。

府下最大級の規模を誇る「服部緑地公園」


 私の「ホーム」は紛れもなく豊中市だと断言できる。豊中について、まず真っ先に思い浮かんだのは「落ち着く街」というイメージだった。ここにどのような思い出があるのか少し綴(つづ)ってみたいと思う。まず、幼い頃からよく行っていたところに「服部緑地公園」という場所がある。

「服部緑地公園」。通称、緑地公園(服部が取れただけなのだが)。広さは126ha (甲子園球場の約33倍)という府下最大級の規模を誇り、「日本の都市公園100選」にも選ばれた公園なのだそう。ちゃんと調べてみて初めて、そのすごさがわかる。

 子ども用の遊具はもちろんのこと、乗馬センター、陸上競技場、テニスコートから歴史博物館まである。こんな便利な公園が、実家から徒歩10分圏内にあるだなんて、なんて恵まれていたんだ、と今になってそう思う。

緑地公園で遊ぶ子供の頃の私

 私の父は、ほぼ毎日緑地公園に行く。朝のラジオ体操の集まりに参加し、その後、そこの友人たちと公園をぐるっと周って、たまにモーニングを食べてから帰宅すると、テレビの前で横になって「ああ、今日の用事終わったわ!」と悠々自適なリタイアライフを送る。もはや、父の健康は緑地公園が保っていると言っても過言ではない。

 そんな、“緑地公園の主”的存在の父と、コロナ禍で日本に帰った時、公園を散歩した。

 公園には緑がいっぱいで、花々も綺麗に管理されている。歩いていて、赤いポストを見つけた父は、「この中に、花の説明が書いてある冊子があるんや」と、言われないと絶対わからないような情報を挟んできた。プライベートガイド付き散歩、なかなか贅沢だった。


日本民家集落博物館

 昔からある野外博物館「日本民家集落博物館」。ここもコロナ禍に初めて父と行った。偶然、桜が咲いている時期だったので、控えめに言って最高の景色だった。
 
 「小豆島の農村歌舞伎舞台」が常設で展示されているのだが、その展示の前で、コロナで延期となってしまったバレエ公演で踊るはずだった作品を、遊びで踊ったことは今となっては良い思い出だ(幸い、周りに人はほぼいなかった)。

 いろいろな昔の民家が大規模に展示されていて、民家に興味がなくとも、自然も楽しめるし、私はここがとても落ち着く。

リセットできる場所。ロマチカにあるヒロコーヒー

 読者のみなさまは「ロマンチック街道」をご存知だろうか。もちろん、ドイツにある観光街道のことではない。豊中のロマンチック街道だ。
 
 単なる府道ではあるのだが、道路沿いにあった豊中緑ヶ丘病院(現在の豊中敬仁会病院)の院長たちが「ロマンチック街道」(通称:ロマチカ)と名付けたことに由来する。本家とスケールは違うが、豊中のロマチカにはおしゃれなカフェや、ベーカリー、レストランが並ぶ。ハワイで人気のイタリアンレストラン「アランチーノ」の日本一号店もここにある。一号店なら東京に出店しそうな気もするが、北摂に住む「ええとこの人」はグルメな人も多いのか。

 さて、このロマチカ沿いに、私のお気に入りのカフェがある。

 大阪、兵庫で展開されている自家焙煎珈琲店、ヒロコーヒー。ノスタルジックで落ち着いた雰囲気のカフェだが、若者が集まる “映えるカフェ”より、こういう昔ながらの場所のほうが、正直気が休まる。海外暮らしだった時も帰国のたびに、ここでブラックコーヒーを飲んだ。

 私が7歳の頃からずっと通ってきたバレエ教室「オデットバレエスタジオ」もこの近くにあることから、ヒロではたくさんのバレエ友達と笑いあり涙ありの濃い時間を過ごさせてもらっている。特に、長年勤めているいつもの店員さんが、にっこりと対応してくれると、ああ、日本に帰ってきたんだ、とほっこりし、これからも頑張ろうと気持ちをリセットすることが出来る。

父はここでいつもメロウブレンドというコーヒー豆を買う。店員さんには、「いつもの」で通じるらしい(物価の高騰で最近は頻度は減っているそう)


季節のサンドイッチと言うものはあるが、ほぼほぼメニューは変わらないので食べるものを選びやすいのもお気に入りの理由の一つ

 ただこのロマチカ沿いのヒロは、私にとって一つ難点がある。実家に帰った時にしか運転しないゴールド免許保持者の私。めちゃくちゃ運転に自信があるわけではない。そう、ここの駐車場はかなりの難所なのだ。

 ものすごい傾斜で入ったと思えば、狭めのスペースに大きな柱が数本立っている。これまでも数々の人がその柱に車を当ててきたのではないかと思わせるような、黄色と黒のコーナークッション材。さらに、停まっているのは、なぜか大体いつも大きい車で、これまた “ええとこの車” が多い。  

 当ててしまっては大変なので、私はイライラ棒のゲーム(バラエティ番組「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!」内のゲームの一つ)をしているかのように緊張をしながらそろそろと車を進め、難関のコースを抜けた先にある、屋外の柱なしの駐車場に停める。

 出る時も、急斜面で車が後ろにひっくり返るんじゃないかといつも思ってしまうが、一度もそんなことが起こったことはないので、ぜひ安心して、このスリル体験と美味しいコーヒーを味わって欲しい。

桜塚商店街との思い出をたどる

 豊中駅の隣駅、「岡町」のすぐそばにある桜塚商店街。ここも昔からお世話になっている。昔と比べると活気はやや失われているようには思うが、まだまだいろいろな馴染みのお店が営業している。その中の一つが、ダイソーである。

 いつ100円均一ショップというものが世に出てきたかは覚えてないが、この店舗は昔からあって、おそらく25年くらいは続いているであろう老舗である。

 小学校高学年の時に、お小遣いでいろいろなものをたくさん買えるのが嬉しくて、他所(よそ)行きの服を着る練習として、私はちょっとおしゃれをしてダイソーへ一人で出向いていた。メイク用品も売っていたが、当時はまだ早いと思い、眺めているだけだった。

 この店舗には少し思い入れがある。私は小学校を卒業した後、これまた豊中にある、中高一貫の私立梅花中学校に入学した。中学受験で頑張れば、エスカレーター式で受験なしに高校へ上がれて、ずっとバレエができる! と思ったことが一番の理由だった。

 私の母も通った梅花学園は女子校。今でこそ海外仕込みのオープンな性格だが、小学校では実は恥ずかしがり屋で、人前で発言することが苦手だった(バレエの舞台ではあまりそうではなかった。おそらくバレエは話さなくていいから)。その問題を梅花が解決した。

 男子がいないから恥ずかしがらずに授業中も発言することができる。担任の先生との面談では、「よく喋る。落ち着きがない」と言われるほどだった。さまざまな影響を受ける思春期。同級生には、大阪市内から通う大人っぽいおしゃれさんもたくさんいて、その子たちに感化されて中一でメイクをし始めた。そのメイク用品を買っていた場所こそ、この冒頭で書いた百均、ダイソーなのだ。


 桜塚商店街から岡町駅の方へ歩いて行くと急に鳥居が現れる。原田神社だ。本社の創建は7世紀頃と言われており、非常に古い歴史を持つ神社で、本殿は国の重要文化財に指定されているなど、歴史的にも貴重な施設なのだそう。
 
 実は、鮮明に覚えているこの神社での思い出はない。なぜかと言うと、この神社は私のお宮参りや七五三で訪れたらしく、つまりは当時の年齢からいって、よく覚えていないのである。

 母が生前、オランダまで送ってくれたお誕生日祝いの手紙の封筒の中に、この写真が入っていた。

 私と兄の七五三で、この原田神社で撮ったものである。母の紅葉の着物が素敵だし、兄の絵に描いたような完璧なピースポーズに坊ちゃん刈り、そしてカメラなんて気にせず、なんとも言えない顔をしている私。

「へえ、こんな写真を撮ったんだ」と、ほぼ初見の気持ちで見てすぐに気に入って、今では自宅の冷蔵庫に貼っている。

 その手紙には、「犬のおばちゃん(犬を飼っている私の叔母)に、カッコ(母の呼び名)は子供たちをあんなに良い子たちに育てたねと言われたけど、私なんて何もしないうちにどんどん自分自身の道を決めて進んでいってくれたね。そんなあなたたちを母はとても誇りに思っていますよ」と書かれていた。

 病気だったので筆圧は弱く、でも優しい丸字だった。今でも大阪に帰った時は、たまにこの神社を訪れてこの写真の場所をしばらく眺めている。

拠点を変えて見えてきたこと


水の都と呼ばれるアムステルダム。運河沿いは本当にロマンティックで綺麗

 拠点を日本に戻してから、去年一度オランダを訪れた。オランダ国立バレエを離れたためオランダの職員でもないし、住民でもないが、もちろんいろんな勝手が分かって、あそこのお店が潰れたなあ、とかあの花屋のおじちゃんまだいるなあ、と不思議と私が豊中で感じた「ホーム」を感じたのだ。仕事ではなく、休暇で訪れたことで、アムステルダムに対しての印象が変わったのかもしれないし、それ以外の要因もあったのだろう。

 あれほどホームじゃないと思っていて、夏休みで日本に帰るたびに、まだオランダに戻りたくないなどと思っていたのに、アムステルダムは私の「セカンドホーム」だとその時やっと気づいた。「ホーム」とは必ずしも生まれ育った場所ではなく、その地にいるとあたたかい気持ちになり落ち着く場所で、いくつもあって良いものなのだ。

 その気持ちで日本に帰り、到着してすぐ暑くてモワッとした空気を感じた時、「うわ! やっぱ湿気すごいなぁ。まぁ日本やしな」と嫌なことも受け入れることができちゃう点はやはり故郷愛があるからなのだと思った。

 世界中いろんな所に住んだり、旅をしたりして来たが、やはりホームである日本、そして「豊中」に勝るものはない。オランダのキューケンホフ公園より緑地公園、メキシコで飲んだテキーラよりヒロのコーヒー、モナコのカルフールより岡町のダイソー、マドリードで見たサグラダ・ファミリアよりも原田神社なのである。

 愛すべき人がたくさんいて、これからも大好きな街。頻繁に帰ることは難しいけれど、豊中に帰った際は、また頑張るためのエネルギーをもらえるし、居心地良い故郷でリラックスをして、再び次のステップに行くための勇気をもらえるのだ。

著者:大久保沙耶

大久保沙耶

1989年、大阪府生まれ。バレエダンサー。2006年に全国バレエコンクールにて第2位、審査委員特別賞、スカラーシップ賞を受賞し、モナコ王立プリンセスグレースアカデミーに3年間留学。卒業後、オランダ国立バレエに入団。11年間、群舞からソリストまで数々の役を務める。2021年に帰国し、2023年より上京。現在は東京を拠点に踊っている。ピラティスインストラクターとしても活動中。好きなものは、コーヒー、シナモン、バレエ。最近ハマっているものは、キャロットラペ。インスタフォロワー募集中!
Instagram :@sayas27

編集:岡本尚之