家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。
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23区で鉄道駅が最も少ない区。それが目黒区だという。
京王井の頭線の駒場東大前、東京メトロ日比谷線と東急東横線の中目黒、東急東横線の祐天寺、学芸大学、都立大学、東急東横線と東急大井町線の自由が丘、東急大井町線の緑が丘、東急目黒線の洗足。 8駅。こうして簡単に書きだせてしまう。
意外にも、JRの駅はない。港区編でも触れたが、JRの目黒駅は品川区にあるのだ。東京メトロ日比谷線と東急東横線の中目黒駅は、幸い、目黒区。
その少ない駅のなかでどこにするか。ここにした。
都立大学駅。
と言いながら、そこには都立大学がない。駅名だけが残った形。それはそれで何らかの歴史を感じさせる。悪くない。
調べたら。駅名が都立大学になったのは昭和27年。その前の9年ほどは都立高校だったこともあるそうだ。
平成3年に東京都立大学が南大沢に移転したあとも駅名は変更されなかった。
その後、東京都立大学はほか3つの都立大学と統合されて首都大学東京となった。荒川区編で東尾久三丁目を訪ねたとき、近くに健康福祉学部があったあの大学だ。
さらに、首都大学東京は令和2年4月に東京都立大学に改称。
と、なかなかに複雑。
でも地名とは案外そういうものだろう。葛飾区編のお花茶屋のような例もある。茶屋の娘お花の名前が地名になることもあるのだ。そこに意味を求める必要は、もしかしたらないのかもしれない。意味があればあったでもちろんいい、というだけ。
そんなわけで、SUUMOで検索。
惜しい。条件の家賃5万円を、ちょっと超えてしまいました。駅から徒歩7分。築34年。6畳。家賃5万2千円。でも目黒区でそれなら上出来ではなかろうか。
これまで数度しか乗ったことがない東急東横線。初めて都立大学駅で降りる。
改札は一つ。出てから北口と南口とに分かれる。まずは北口。
目黒区には、小さな地図でもはっきり青色で示されるような川が目黒川ぐらいしかない。川自体はそれ含め5つあるらしいのだが、多くが今は地下を流れている。
その一つの呑川本流緑道を行く。
大田区編の蒲田でもそのわきを歩いた呑川だが、この辺りは昭和47年に暗渠化され、上は緑道となったという。だから、埋め立てられたわけではないのだ。見えなくても存在はするのなら、といくらか安心する。川は見えてこそだけどなぁ、とも思いつつ。
呑川本流緑道から呑川駒沢支流緑道へ。
そこをずっと進むと、大公園に行き当たる。
言わずと知れた、東京都立駒沢オリンピック公園。ここは大部分が世田谷区だが、東側が少しだけ目黒区。りす公園という名の愛らしい公園もそうだ。
そこにいた黄色と水色と緑色、3匹のりすにごあいさつ。
次いで、はい、ごめんなさいよ、と世田谷区ゾーンにお邪魔。中央広場にはオリンピック記念塔が立っている。
ここに来るのは初めて。広い。草地でも芝地でもないのにこの広さ。
何とも不思議な場所だ。今っぽくはない。昭和39年の東京オリンピックを記念しているのだから、まあ、当然。実際、ジャック・タチの映画『ぼくの伯父さん』(1958年)に出てきそうな風景ではある。タチ演じるユロ伯父さんが歩いてきても違和感はなさそうだ。
それにしても。ガキのころから話に聞くだけだった東京オリンピック。まさか2回めがあるとは。しかも1年遅れで開催されることになるとは。で、まだ何年も先だと思っていたそれさえ終わってしまうとは。
50年以上も生きていればいろいろなことが起こる。ほかにも、日本がサッカーのワールドカップの出場常連国になったり、日本人が野球の神様ベーブ・ルースとくらべられるようになったり。一寸先は闇だったり、光だったり。わからないもんです。
オリンピック、だけでなく、駒沢、のほうでも思うことはある。こちらの表記は駒澤。高三のとき、僕は駒澤大学も受験したのだ。
千葉県の高校生だから、東京の地理などわかるわけもなく、電車の乗り継ぎや駅からの行き方などを調べ、遅刻しないように行った。徹夜明けに。
そう。受験期のそのころ、僕は昼と夜を完全にひっくり返した生活をしていた。そのほうが効率よく勉強できたからだ。
高校へも、その形で行っていた。帰ったらすぐに寝て、午後10時ごろに起きて勉強。朝までやり、そのまま学校。と、そんな具合。昼なら苦行でしかない勉強が、夜なら何故かそうでもなかった。
その名残で、20代のころは深夜にアルバイトをしていたこともあるし、深夜に小説を書いていたこともある。今はもうそれはしないが。というか、おっさん過ぎて、できないが。
受験一校めがその駒澤大学。試験前にポカリスエットを飲んだことを覚えている。それもやはり、今なら飲まないでしょうね。いや、ダメダメ、試験中にトイレに行きたくなっちゃいますよ、と思って。
もし駒澤大学に入っていたら、もっと早くにこの公園に来ていただろう。23区西部にもう少し詳しくなってもいただろう。
結果、西部を気に入った僕が今は世田谷区の住人になっていたかもしれない。この連載のタイトルも、渋谷に住むのはまだ早い、になっていたかもしれない。だから何? のたらればではありますけれども。
公園を出て、自由通りを南下する。自由通り。自由が丘の自由からきているのだろうが、そうと知らなければたじろがされる名前だ。自由。どこにもないなぁ、と思っていたら、こんなとこにあったのか。
左折して目黒通りに入り、駅のほうへ。で、高架をくぐり、駅の南口側へ。
そこでランチ。大菊総本店さんに入る。今日はおそば屋さんだ。
忘れていた。我々にはそばがあった。我々はうまくスルスルッといけるのだ。粋にすすれるのだ。うん。そばはいい。と、空腹のせいか、食べる前からやけに高揚。
けんちんそばとミニ野菜天丼のセットを頂く。
豊島区編で触れたが、僕は山菜そばが好き。もう一つ、けんちんそばも好き。山菜そばにくらべ、けんちんそばはメニューにある確率も低いので、巡り合えれば頼んでしまう。
よく考えてみたら。けんちん汁として小学校の給食で出されていたころから好き。
当時はけんちんの名前も知らないまま食べていた。好きと意識することさえなかった。
好きな給食のメニューは? と訊かれると、ついつい派手めでスター感漂う揚げパンなどを挙げてしまうが、本当に好きなのは地味めな汁ものだったりちょっとしたおかずの一品だったりする。あとは、具としてうどんに入っていたうずらの卵とか。
皆さんにも、その手のものは結構あるのではないかと思う。例えば、サバの竜田揚げなんかどうでしょう。
僕はそれも好きだった。意味もわからないままタツタタツタ言っていた。何なら、サバのタツターゲ、という洋風料理くらいに思っていた。
そんなことはともかく。けんちんそば。おいしかった。満足。
後半は、北口側からつながる緑道を7分歩いて、物件をチェック。
閑静な、と言われそうな住宅地。申し分なし。
閑静な、という言葉のあとに、住宅地、以外の言葉が続くのを聞いたことがないな、と思いつつ、環七通りを渡り、目黒区立すずめのお宿緑地公園へ。
これはもう、名前からして行かざるを得ない。惹かれざるを得ない。お花茶屋、と似た匂いを感じる。
園内には竹林や古民家がある。目黒区のホームページによればこう。
今からおよそ200年前、江戸時代安永年間に始まったという目黒の筍栽培は、大正中頃に最盛期となり、有数な竹林だったこの地では良質な筍が収穫されたと言われています。また昭和のはじめ頃、この竹林は付近一帯のスズメのねぐらになっていました。数千羽というスズメが朝どこへともなく飛び立ち、夕方には数百羽が一団となって帰り、空が薄暗くなるほどだったそうです。そのためこの場所は「スズメのお宿」と呼ばれるようになりました。
なるほど。
目黒の筍栽培。言葉だけで惹かれる。江戸時代のそれを見てみたい。
本能寺の変、と言われても遠い感じがするが、目黒の筍栽培、と言われると、歴史がグッと近くなる感じがする。過去と現在がちゃんとつながっている感じもする。
何にせよ、駒沢オリンピック公園との見事なギャップ。あの大きな公園にこのそう大きくもない公園はいったい何個入るだろう。でも、どちらもいい。公園には、もっともっと多様なものがあっていい。
駅のほうへ戻り、コーヒータイム。ダンアロマさんに入る。例によってストレートコーヒー。バリアラビカというものを、ストロングで頂く。
カウンターのみの、一瞬、バーかと思わせる造り。でも純粋にコーヒーを楽しませてくれるとてもいいお店だ。
北口側の大きな公園まで歩き、そこから南口側のそう大きくもない公園まで歩いて一時間。そして最後はおいしいコーヒーで締める。きれいにまとまった、ナイスコース。何というか、町自体のサイズ感が絶妙。
この都立大学にも自作の登場人物は住んでいないが、目黒区は『今夜』で区役所が出てくる。タクシードライバーの立野優菜がそのわきに車を駐めるのだ。休憩もする。深夜にあれこれ考えもする。
目黒区はおもしろい区だ。新宿区や渋谷区ほど圧倒的な町があるわけではないが、人気は高い。23区西部に疎い僕には、新宿区に対しての中野区が、渋谷区に対しての目黒区、という印象もある。見当ちがいならごめんなさい。
駅の数は少ない。でも8駅すべてに魅力は詰まっていそうな気配がある。もし都立大学に住んだら、その一つ一つに当たりたい。
八十日間世界一周ならぬ、8日間目黒区一周。
マジでやっちゃいそうだな。やるために住みそうだな。
『銀座に住むのはまだ早い』第15回は「足立区」へ。1月末更新予定です!
著者:小野寺史宜(おのでら・ふみのり)
千葉県生まれ。2006年、『裏へ走り蹴り込め』でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。『ひと』で2019年本屋大賞2位を受賞。著書は『ひりつく夜の音』、『縁』、『食っちゃ寝て書いて』など多数。エッセイ集『わたしの好きな街』(監修:SUUMOタウン編集部)では銀座について執筆した。
写真提供:著者
編集:天野 潤平