室町中立売の季節

著: 福富優樹 

 大学を卒業して、それまで4年間暮らした岩倉の町から地下鉄今出川駅と丸太町駅の間、京都御所のすぐそばにあるアパートに引越した。そのころすでにバンド「Homecomings」を組んでいた僕は、CD屋さんでアルバイトとして働くことが決まっていて、新しい季節のなかで不安と期待で胸がざわざわとずっとせわしなかった。新しい部屋は、とにかく安くてユニットバスじゃなくて、なおかつ職場のある四条や三条にすぐに自転車で行ける場所という条件で探して、よく考えもせずに適当に決めた。室町中立売にある小さなアパートで暮らした5年間は僕にとってとても大事な季節だった。

 平日はCD屋さんで仕事をして週末は東京やどこか遠くでライブをして帰ってくる、という生活がはじまり、大学の時とは比べ物にならないくらい忙しい毎日を送ることになる。少しずつだけど演奏するステージは大きくなっていき、憧れの人に会えることやCD屋さんで自分のCDを売ることも多くなっていった(僕がその本人だと気づかれることはあまりなかった)けど、大きな部屋に引越したり、アルバイトを辞めて音楽の仕事だけで生活ができるようになるにはなかなかならなかった。毎日へとへとに疲れていて、毎晩少し先の未来のことが心配で仕方がなかった。そんなときによく聴いていたシャムキャッツというバンドの『AFTER HOURS』というアルバムにはそのころの気持ちが張り付きすぎていて、なんとなく気軽に聴き返すことができなくなってしまった。不安が足元にそっと近づいてくるけど、今はとりあえず前に進まなくちゃいけない、というような日々。なかでも「Hurts」という曲の歌詞にはそのころの気持ちがよく現れている気がする。とにかく忙しさだけは日に日に増していったけれど、ふと足を止めて考えることができないくらいのほうがありがたかった。

 そんな生活が何年も続くうちに部屋が狭いことなんてあまり気にならなくなった。よく言う、寝に帰っているだけ、という状態だったからだ。気づけば、ベッドとレコードと本棚で四方が囲まれた部屋の真ん中に歌詞や原稿を書くようにとテーブルを置いて、もはや、横になっているか座っているかのふたつしか選択肢がない不思議な部屋ができあがっていた。そんな狭い部屋では作業をすることもだんだんと億劫になっていき、外で作業をして夜遅くに帰ってくるような暮らしになった。それでも自分が住んでいる町のことは好きだった。あのころを僕が俯かなくてもよかったのはそんな町に助けられていたからかもしれない。町を好きなことでなにかに守られているような気持ちになれた。

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室町中立売道

 なにもなくて静かな岩倉の町で感じていた寂しさとは違って、この町では何時になっても灯りがついているスーパーやランドリー、ファミレスや居酒屋がいくつもあり、少し歩けば学生たちの声が聞こえてくる。そんなざわめきのなかで感じるぽつんとした寂しさがあった。石川県の、海と山とどこまでも広がる田んぼに囲まれた町で育った僕にとって、しーんとした寂しさは慣れ親しんだものだったけれど、明るくてがやがやしたなかで感じるその寂しさは心と体にとても新しく響いた。僕は夜中になんともなしに24時間営業のスーパーに散歩していっては杏仁豆腐とお菓子を買い、意味もなくぶらぶらとさまよった。音楽やラジオを聴きながら何周も何周も通りをいったりきたりした。ミスタードーナツに通うようになるまで、ほとんどの歌詞はこの町を歩きながらつくったようなものだ。

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銭湯

 住んでいた部屋があった中立売通りの好きなところはなんと言ってもレンガ造りになっている歩道だ。烏丸通から千本通りまで700mほど続くレンガ舗装の道を僕は毎晩のように歩いた。お気に入りの白山湯という銭湯があったのもこの道の上だ。白山湯という名前の銭湯は京都にふたつある。どちらもとても好きなのだけど、家の近所ということもあって中立売黒門にある方の白山湯には特に思い入れがある。京都市は学生の町ということもあるからか銭湯が多い。昔ながらの雰囲気をそのまま残す銭湯には町の暮らしの歴史のようなものがあって、鏡の下の古ぼけた広告には今はもうないお店の名前が書かれていたりする。追加の料金を払わなくてもサウナに入れる、ということが当たり前じゃないことには東京にくるまで気がつけなかった。せっかくセパレートになっている部屋を選んだのに自宅で湯船に浸かることはほとんどなくて、週の半分くらいは銭湯に通っていた。大きなお湯に飽きるまで浸かって、サウナと水風呂でクラゲのようになった。湯上がりの帰り道はどんな季節でもそれぞれ格別な気持ちよさがある。冬には体から湯気が出ているのを感じながら家まで音楽を聴きながら歩いたし、夏にはそのまま自転車でどこまでも進んでいけそうなくらい風に当たるのが心地よくてたまらなかった。思い出のなかにあるレンガの帰り道はどこか石鹸の匂いがする。

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ミスタードーナツと誠光社 

 京都御所を挟んで向かい側のエリアには誠光社という大好きな本屋さんと、これまた大好きなミスタードーナツがあった。御所のなかをまっすぐつっきっていくのが一番の近道なのだけど、自転車で砂利の上を走るのが苦手なので、ぐるん、と御所の下(京都では南のことを下、北のことを上と呼ぶことが多い)をなぞって行く。休みの日や、仕事終わりの夕方からの時間には誠光社で本を買って、出町柳のミスタードーナツで読むのがひとつの決まりごとのようになっていた。深夜12時まで営業していたミスタードーナツ。そのオレンジ色のライトは、最終バスが出てしまったあとの静かで暗い町に浮かぶランプのよう。店内はどこか古ぼけていて、そこがとても好きだった。僕はお店の窓際の席に決まって座り、何杯もコーヒーをおかわりしては夜遅くまで歌詞を書いたり原稿を書いたりしていた。人もまばらな店内と海外のFM番組風のBGMのせいか、まるでイギリスやアメリカのコーヒーショップにいるような気分にすらなれた。

 ちょうどそのころはイラストレーターのサヌキナオヤさんと共同で漫画を連載しているさなかで、原作のプロットから脚本まで、ほとんどが出町柳のミスタードーナツで生まれたものだ。

 『愛がなんだ』という映画のために書き下ろした「Cakes」という曲の歌詞もここで書いている。「Cakes」を書いたのは2018年の年末年始の時期。描きたいイメージがはっきりとしているのにそれをことばでもって捕まえることができず、毎晩閉店ぎりぎりまで窓際の席に座ってああでもないこうでもないと試行錯誤していた。結局、年末に仕上げきれなかった歌詞を帰省した実家の学習机で(それはまるで高校生のころのテスト前のようで懐かしくて新鮮だった)練り直し、また京都に戻ってきて、いつものミスタードーナツで書き上げることになった。そのころの僕がいつも食べていたのはエンゼルフレンチとココナツチョコレートで(ちなみにいまはチョコレートとエンゼルクリームをよく食べている)、何杯目かのおかわりをするために冷めたコーヒーを飲み干したあとで口にした食べかけのドーナツの甘いクリームの感触から「Cakes」というタイトルがふと浮かんだ。そこからイメージとことばが繋がって一気に歌詞を書き上げた。この場所じゃなかったら生まれることがなかった曲だと思う。もともと苦手だったコーヒーが好きになったのも、この場所で過ごした数え切れない夜のおかげだ。

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 いまは京都を離れて、東京の町で暮らしている。ささやかながら、音楽や文章の仕事だけで生活ができるようにもなった。僕のなかの季節はいつのまにかゆっくりとかわっていた。それでも僕は手のひらに収まるようなコンパクトな町に愛すべきものがたくさん詰まっているあの暮らしのことをいつも恋しく思う。好きな本屋さんにレコード屋さんと映画館、いつまでもいられるドーナツショップがあって、好きな食べ物を毎日選ぶことができる。一日の締めに大きなお風呂に浸かって、帰り道にスーパーで寝間着姿の大学生カップルの会話を小耳にはさみながら杏仁豆腐を買う。それが全部自転車で10分もかからない距離のなかにあるのだ。秋になると、家から歩いて2分もかからない場所でボロフェスタという大きなイベントがあって、東京の知り合いや憧れのアーティストと家の近所で一緒に演奏するのが新鮮でたのしかった。あの町で過ごした5年間は不安と期待がちょうど同じくらいの大きさで手の中にあるような年月だった。

 ちょっとしたことでどちらかに振れてしまうような不安定な日々。だからこそ、それを振り払うように僕は町を歩き続けた。町と暮らしに肩を寄りかけるようにして。あの景色や思い出は僕らが町について歌い続ける限り、多分いつまでも、僕のなかにずっと居座る気がする。

 久しぶりに京都で演奏した次の日、この文章を書くために2年ぶりに出町柳のミスタードーナツに来た。あのころの面影を残しながら綺麗に改装された店内。窓際に席に座り、久しぶりに『AFTER HOURS』を再生してみると、鼻の先のほうからあのころの匂いがして胸がじりっとする。思えばこのアルバムもどこかの町について歌っていて、誰かにとって僕たちがつくった音楽もこんなふうに知らない町と繋がっていたりするのだろうか、とふと考えてしまうのだった。

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著者:福富優樹

福富優樹

1991年5月生まれ石川県出身。Homecomingsのギター担当。好きな映画は「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」。映画の上映とバンドのライブ、zineの発売が一体となったイベント「NEW NEIGHBORS」をイラストレーターのサヌキナオヤとバンドの共催で定期的に行っている。これまでの上映作品は「アメリカン・スリープオーバー」「ヴィンセントが教えてくれたこと」「スモーク」「ゴーストワールド」。自身がストーリーを、イラストレーター・サヌキナオヤが作画を手がけた漫画作品『CONFUSED!』の単行本が発売中。5月に、メジャーデビューアルバム『Moving Days』をリリース。

 

編集:ツドイ