
お笑いトリオ「ハナコ」の秋山寛貴さん。18歳で岡山から上京し、約10年後にコント日本一決定戦「キングオブコント2018」を制するまで、東京のさまざまな街で過ごしました。初めて一人暮らしをした中野では劇場の近くに住んで舞台の場数を踏み、売れない時代にアルバイトをしていた築地市場では周囲のあたたかい応援に背中を押され、相方とネタ合わせに明け暮れた武蔵小山で最高のコントをつくり上げ、ついに日本一の栄冠を手にします。
そんな半生や芸人としての日常を綴るエッセイ『人前に立つのは苦手だけど』(KADOKAWA)を上梓した秋山さんに、岡山での幼少期や東京に来てからのことを伺いました。
帰りたいけど帰りたくない。地元・岡山「最上稲荷」への思い

―― 秋山さんは岡山県ご出身。18歳で上京するまで過ごした、ふるさとの思い出を教えてください。
秋山寛貴さん(以下、秋山):父の実家があった「高松最上稲荷(岡山県岡山市)」の参道は思い出深い場所です。1200年以上の歴史がある寺院の参道で、父はそこでお店もやっていました。煎餅やだるまなどの縁起物、正月用の干支のお土産なんかを売るお店です。両親は共働きで、小学生の頃はよく最上稲荷の祖父母の家に預けられていたので、僕にとって参道は遊び場でしたね。
同じ小学校の同級生や年齢の近い子どももいて、みんな「どこどこのお店の○○くん」と呼ばれていました。僕は「長栄堂のひろくん」と呼ばれて、近所のお店の大人たちがかわいがってくれたのを覚えています。
―― 特に、お隣のたい焼き屋のおばちゃんが面倒を見てくれたそうですね。
秋山:「ふくちゃん」っていうたい焼き屋です。そこの「たいばあ(たい焼き屋のおばちゃん)」は親戚ということもあるんですけど、お店をやりつつ僕のことを見守るようにかわいがってくれました。たい焼きも永久に食べ放題で。ちなみに、たいばあは今も現役で行列ができる繁盛店を切り盛りしています。父も変わらず商売しているし、ずっと長く愛されるお店を続けている姿は、すごくかっこいいですね。
―― 秋山さんのエッセイにも、最上稲荷で過ごしたお正月のことが書かれていました。
秋山:最上稲荷で一番好きだったのは、お正月の雰囲気です。正月って普通は、家族でゆっくり過ごすじゃないですか。でも、参道で商売しているお店にとって、60万人の初詣客が来る三が日は一番の書き入れ時。そこで「一年分の生活費を稼ぐぞ」みたいな感じなので、子どもたちも含め家族総出でお店を手伝うんです。
31日の夜からお店に待機して、カウントダウン後に初詣を終えて参道に降りてくる人たちを朝までひたすら接客。朝は朝でたくさんのお客さんが来るので、交代で店番をしないと回りません。当時の僕は「いらっしゃいませ」が恥ずかしくて言えないくらい内気な性格だったんですけど、お店に立つのは楽しかった。ずっとお祭りが続いているみたいな感覚でしたね。
お店の上で休憩している時も参拝客は絶えず、いろんなお店から飛び交うダミ声を聞きながら寝ていたのを覚えています。

―― その忙しくも賑やかな正月が好きだったと。
秋山:はい。東京に住み始めてからも正月はやっぱり稲荷で過ごしたくて、上京後しばらくは毎年のように帰省してお店を手伝っていました。当時は芸人としての稼ぎもほとんどなかったので、父ちゃんが「バイト代」ということで少し色をつけた金額を渡してくれて。たい焼き屋にもあいさつに行くと、僕より体が小さくなった「たいばあ」が、いまだにお年玉をくれようとするんです。
ただ、お笑い番組が多い正月は芸人にとっても稼ぎ時なので、手伝いに岡山へ帰れているようではダメなんです。まだ全然売れていない駆け出しの頃とはいえ、焦りもありましたね。店番の合間、奥にある小さいテレビで元日の生放送のネタ番組を見ながら「いつかここに出なきゃ」と思っていました。
―― 今は新年の生放送への出演で、何年も帰省できない正月が続いていますよね。
秋山:ありがたいです。逆に大晦日から帰れるようになったらまずいというか、ゾッとしますよ。今も正月になると稲荷のことが頭に浮かびますが、帰れない状態をできるだけ長く続けたいです。変わらずお店を繁盛させているたいばあみたいに、ずっとお笑い芸人をやっていたいですね。

高校卒業後、お笑いの道へ。芸人の街「中野」で一人暮らしをスタートさせ、コントへの憧れが強まる
―― 秋山さんは高校卒業と同時に上京し、芸人養成所「ワタナベコメディスクール」に入ります。子どもの頃から芸人を目指していたのでしょうか?秋山:子どもの頃は芸人になろうとまでは思っていませんでしたが、お笑い番組は大好きでした。欠かさず見ていたのは『笑う犬』シリーズ。それから深夜に放送していた『Mr.ビーン』ですね。父親が録画したVHSを何度も繰り返し見て、家に遊びに来た友達にも見せて布教活動するほど、どハマりしました。
当時は漫才とかコントとか意識せず「お笑い」として好きなだけでしたが、ハナコを組んでコントだけをやるようになってから気づきましたね。僕の「コントオタク」としての出発点は、小学生の頃に夢中になったMr.ビーンや小須田部長(『笑う犬』で内村光良さんが演じたコントキャラ)だったんだなって。
Mr.ビーンってわかりやすく「へんな人」の演技をするじゃないですか。まわりのエキストラの方々はその奇妙な行動を見て、怪訝な顔をしたり、少し席を遠ざけたりというリアクションをする。「なんでだよ!」みたいなツッコミじゃないんですよね。
あれが面白かったし、ハナコのコントでも、僕はあのエキストラの役割をやっているんだなって思うんです。岡部や菊田が演じる「へんな人」に対して正面からツッコむというより、迷惑そうにしたり心配したりして、その世界に付き合うというか。その感じは、もともと好きで見ていたコントに通じるものがある気がします。

―― ちなみに、ご両親からは芸人になることを反対されませんでしたか?
秋山:反対はなかったですね。両親ともお笑い好きだったこともあって「援助するお金はあまりないけど、好きなことをやったほうがいいんじゃない」と、すんなりOKしてくれました。
一番驚いていたのは、高校の美術部の先生です。高校は美術系のコースで、美大の受験もしていました。いくつか合格通知もいただいていたなかで、ギリギリまで地元の美大に進むか、東京のワタナベコメディスクールに行ってお笑い芸人を目指すか迷っていたんです。結局、高校卒業間近の3月になって芸人のほうを選ぶんですけど、先生は「あんなに(美術を)頑張っていたじゃないか……」と。ずっと応援してくれていただけに申し訳なかったんですけど、東京へ行くことにしました。
―― 東京での初めての一人暮らしは「中野」だったと。
秋山:スクールから紹介された学生寮を出た後に、お笑いのライブで訪れることの多かった中野で一人暮らしを始めました。中野ブロードウェイを抜けてすぐの場所にある六畳一間の物件で、家賃は4万8000円。超安いけど、へんな家でしたね。土足スペースと床との段差がウエハース1枚ぶんくらいしかなく、コンロは初めて見る「蚊取り線香型」。収納は一つもなくて、夏は灼熱になるロフトに物を置いていました。でも、春になると窓から桜が見えて、憎めない部分もある部屋でした。
それに、なんといっても立地が最高でした。すぐ近くに安いお店があって、そこで買った1kg数百円のパスタで腹を満たして、その向かいにあるカフェでネタを考えていました。
中野サンモール商店街は「ポクポクポク」っていう木魚みたいなBGMが流れていた時期があって、やけに印象に残っています。
バイト帰りの深夜、中野ブロードウェイの出口付近にあるゲームセンターでメダルゲームをやっていたら、店員に年齢確認されたこともありました。もともと幼く見られがちな顔とシルエットなうえ、夏場で半袖短パンだったので「家に帰りたくない非行少年」と間違えられたみたいです。中野には4年住みましたけど、いろんな思い出がありますね。

―― 中野には劇場もたくさんありますよね。舞台に出るには最高の環境だったんじゃないですか。
秋山:そうですね。「中野Vスタジオ」「中野Studio twl」など、いろんな劇場に出演させてもらいました。家のすぐ近くには「なかの芸能小劇場」があって、コントの道具や衣装を取りに帰るのも楽だったし、他の芸人さんのライブを見に行くときも開演10分前に思い立って間に合うのは最高でした。
確か僕が21歳か22歳の時だったと思うんですけど、なかの芸能小劇場に大好きな先輩芸人が出演すると知って見に行ったことがありました。そこで見た、ひとつのコントに衝撃を受けたんです。とある夫婦の新婚時代から晩年までを描いたコントで、めちゃくちゃウケていただけじゃなく、最後のほうは会場全体の涙を誘うような構成でした。演技のうまさも相まって、僕も初めてコントで泣きそうになって。でも、最後はまたドカンと笑わせてから、ちょっと感慨にひたるような一言で終わる。
その先輩にとっては、なんてことのないひとネタなのかもしれませんが、「コントって、こんな気持ちにもさせられるんだ」と感動して、コントへの憧れがさらに加速しましたね。

売れない頃から全力で応援してくれた築地の人たち
―― 中野以外で愛着のある東京の街はどこですか?秋山:築地市場ですね。ほとんどテレビに出ていなかった2016年から「キングオブコント」で優勝するまでの2年くらい、築地の場内市場にある塩屋さんでアルバイトをしていました。当時の築地市場では相方の岡部もバイトしていましたし、他にも若手芸人が数人働いていて、芸人を応援してくれるような雰囲気があったんです。
朝の6時くらいに出勤するんですけど、地下鉄の築地駅から市場の入口まで歩いていると、通りの向こうからバイト先のお得意さんが「秋山くーん、昨日のアレ見たよー。今日も頑張ってねー」って、でっかい声で応援してくれて。朝からパワフルすぎる築地の人たちに、いつも背中を押してもらっていました。前日のライブで滑って落ち込んでいるときはそのテンションがしんどくて、裏道を通って会わないようにしていましたけど(笑)。
―― そのお得意さんも、今の秋山さんの活躍をうれしく思っているでしょうね。
秋山:そこは「田所食品」っていう今も築地場外市場にある魚卵の専門店で、僕が何の結果も残していない時から「サイン書いてよ」と言ってくれて、たぶん人生で初めてくらいのぎこちないサインをもらってくれました。その後、2018年にキングオブコントで優勝したときに改めてサインを書かせてもらって、すごく喜んでくれたのがうれしかったですね。
じつは去年、番組のロケでお店を訪れたんですけど、その2枚のサインを今もとっておいてくれていたんです。最初に書いた下手なサインと、ちょっとだけ書き慣れたサイン。それを見せてもらったときに、改めて築地の人のあたたかさを感じました。
―― ドラマみたいなエピソードですね。
秋山:キングオブコントで優勝してアルバイトを卒業するときのことも忘れられません。僕は配達の仕事が多かったので、最後の出勤日にお世話になったお得意さんのお店にごあいさつして回ったんですけど、行く先々で「テレビ見てたぞ。おめでとう!」と言ってくれて、餞別に海苔とかお茶とか、いろんな物をくれるんです。大きめの段ボールがあふれるくらいの差し入れを、原付に縛って帰りました。最後の最後まで、なんてやさしいんだろうと。たくさんの人情に触れた2年間でしたね。

秋山さんのエッセイ本には築地市場でのアルバイト時代のエピソードも
街は「ネタ」の宝庫。住む場所が変わればコントも変わる
―― 中野のアパートを出た後は、どんな街で暮らしましたか?秋山:中野の次が祐天寺で、その次が武蔵小山です。その時はもうハナコを結成していて、当時西小山に住んでいた岡部といつでもネタ合わせができるよう、自転車で行き来しやすい武蔵小山を選びました。キングオブコントのネタも武蔵小山でつくりましたし、ちょうどハナコが上り調子だった時に暮らしていたので良い思い出が多い街ですね。中野の頃に比べると、前向きな気持ちでつくったネタが多い気がします。
―― 暮らす街が変わることで気持ちだけでなく、ネタのテーマや内容が変わるなどの影響もあるのでしょうか?
秋山:あまり考えたことはなかったけど、あると思います。例えば、中野時代にやたら縦長の狭いコインランドリーを使っていたんです。そこから「コインランドリーが狭すぎておじいちゃんが通れない」みたいなコントをつくったんですけど、別のコインランドリーだったらあのネタは生まれていないかもしれません。
武蔵小山商店街(パルム)を歩いているときに見つけた靴屋さんも、ネタのヒントになりました。チェーンではない商店街ならではの個人店で、その時は棚に10足ほどの靴があるだけですっからかん。たまたま在庫の入れ替えかなんかだったと思うんですけど、その情景が妙に切なくて頭に残ったんですよね。そこから単独ライブ用の「終わる靴屋」というコントをつくりました。
―― 街にはネタのヒントがある。だから街が変わればネタも変わると。
秋山:そうかもしれません。情景だけでなく、カフェや飲食店のお客さんたちが話していることもネタのヒントになるんですけど、その会話だってそこの街だからこそ生まれてくる内容だったりすると思います。中野と武蔵小山では、そこに暮らす人たちの人生観や考え方も違うだろうし、話の内容も微妙に変わってくるんじゃないかと。
例えば、武蔵小山の商店街にある「おかしのまちおか」の近くを通った時に、来店した少年が「まちおか、小さいけどスゲー!」って言ったんですよ。めちゃくちゃいいセリフなので、思わずメモしました。「まちおかに来れてうれしいけど、小さいとは思っている」。そんな彼の心情だったり、「確かにまちおかの店舗って全部小さいよな」っていう僕の気づきだったり。いろんな面白さが詰まった一言で、いつかコントに使うかもしれません。それも、武蔵小山に「おかしのまちおか」があったからこそ聞けたわけですから。
これからどんな街に住むかわからないけど、そこでどんなコントの種に出会えるかと思うと、すごく楽しみですね。

お話を伺った人:秋山寛貴(あきやまひろき)

1991年岡山県生まれ。ワタナベエンターテインメント所属。2014年、同じくワタナベコメディスクールの12期生だった岡部大、菊田竜大とともにお笑いトリオ・ハナコを結成。「キングオブコント2018」で優勝。「ワタナベお笑いNo.1決定戦2018/2019」2年連続優勝。NHKドラマ「ラフな生活のススメ」脚本執筆など文筆業に幅を広げるほか、文化放送「ハナコ秋山寛貴のレコメン!」パーソナリティを務める。2024年7月3日、自身初のエッセイ本『人前に立つのは苦手だけど』(KADOKAWA)を上梓。
編集:SUUMO編集部
