著者: 瀬谷薫子
ここにも人が住んでいたんだ。おかしな感想かもしれないけれど、暮らし始めてそう思った。
私は鎌倉に住んでいる。ここで小さなマフィンの店を開いている。
場所は小町(こまち)。というと土産物屋や飲食店が並ぶ小町通りのイメージがあるからか、ずいぶん観光地にあるんだねと言われるけれど、小町のすべてが観光地なわけじゃない。
駅前の賑やかな大通りも、脇道に入って5分歩けばあたりはぐんと静かになる。鳥の声や小川の流れる音だけが聞こえ、夜になれば街灯もほぼない真っ暗闇になり、夏には蛍が光る。そんな自然豊かな小町のはずれで、私は店をやっている。
観光地に住むなんて、思わなかった
鎌倉といえば、幼い頃両親と大仏を見に行った思い出の場所。大人になってからは、友人と予定を合わせて遊びに行く場所だった。
あの店でお昼を食べて、ここで焼き菓子を買って、江ノ電に乗って……と、やりたいことリストをしっかりつくって出かけるところ。東京で生まれ育った私にとって、鎌倉は日帰りでいける特別な観光地だった。
そこにまさか自分が住むなんて、そして店を開くなんて、もちろん想像していなかった。
以前暮らしていたのは、中央線の西荻窪。私はこの街が大好きだった。
街の大きすぎずちょうどいいサイズ感と、そこにある実直な個人店。そしてこの街に住んでいる人たちから、言葉にせずともじんわりと滲み出ている「自分の街が好き」な気持ち。私もご多分に漏れず、そんなオーラを発している西荻民のひとりだったと思う。
ずっとここに住んでいるだろうと思っていたし、はじめてマフィンの店を開いたのもこの街だ。けれど家族が増えて、暮らしが変わりはじめたとき、別の場所に住んでみようと思った。これまでの人生をずっとこの辺りで生きてきたから、残りの時間を別の場所で暮らしてみるのも悪くない。なんなら東京を少し離れてみてもいいかも、と。
そんな時にふと浮かんだのが、東京から少し離れた、けれど気持ち的にはほどよく身近な町、鎌倉だったのだ。
けれど、鎌倉は観光地。実際に住める場所があるのか、そして住むイメージが湧くのか、半信半疑で家探しを始めた。週末になるたび鎌倉へ通い詰めたひと夏を過ごし、そして私は、本当にここに住むことになった。
暮らしてはじめて出会った「鎌倉の人」
そんなわけで、ここで店を開いて1年になる。
はじめは東京からのお客さんが多かったけれど、そこからぽつりぽつりと、地元の人が顔を見せてくれるようになった。そして私は、この町にも人が住んでいることを知った。
もちろんそれは当たり前のことなのだけど、そのことを新鮮に感じたのは、観光地として見ていた鎌倉に「人が住んでいる」イメージがなかったから。
ここへ遊びに来ていた時は、常に行きたいところや買いたい物を見ていて、人を見ていなかったのだと思う。あるいは地元の人は、鎌倉の観光地らしいスポットにまるで出没していなかったのだ、とも。今の私と同様に、たぶんそっと外から見える「鎌倉らしい場所」を迂回して、いわば裏鎌倉で別の暮らしを送っていたのだろう。
そんなわけで、ようやくはじめて出会った「鎌倉の人」たちは、なんというか、とても魅力的だった。
のんびりしていて、佇まいがゆるやかで、いつも適度に機嫌がいい。少なくとも私が出会ってきた人たちは、一様に皆がそうなので、これが鎌倉という町の人柄なのだろうと思っている。
私が住むよりずっと前から、この地で暮らしていた人。彼らと出会ったら、鎌倉がもっと好きになり、身近になった。そんな「鎌倉の人」には、あくまで私個人の印象だけれど、ゆるやかな共通点があるように思う。
野菜が好きだ
鎌倉では、農家さんから気軽に野菜を買えるしくみがある。それが、鎌倉駅前にある「レンバイ」。「鎌倉市農協連即売所」の略で、野菜市場のことだ。
ここには毎朝、鎌倉や大船など近くの農家さんたちが、自らつくった野菜を売りに来る。ほぼ年中無休で、営業時間は朝8時〜12時頃まで。広い倉庫のようなスペースに、複数の農家さんが採れたての野菜をずらりと並べる。
東京育ちの私にとって、野菜といえばスーパーで買うのが当たり前。だからレンバイの光景はカルチャーショックだった。そしてすごく魅力的に見えた。この野菜でマフィンをつくりたい。そう思ったのが、ここに暮らしたいと思ったきっかけでもある。
そして実際に暮らしていると、やはり「野菜を買うならレンバイ」のイメージが、鎌倉の人には根づいていた。飲食店の人だけじゃなく、地元の人、皆に。これってすごく豊かなことだと思う。
もちろん近くにはスーパーや八百屋もある。「鎌万(かままん)水産」という新鮮な魚介と野菜が売られている地元スーパーや、チェーン店もいくつかある。
けれどやっぱり、野菜を買うならレンバイ。なにせ毎朝やっていて、スーパーと変わらない便利さで、つくり手から直接、新鮮な野菜が買えるのだから、選ばない手はないのだ(しかも値段もお手頃)。
こんなちょっと不思議な場所は、日本全国いろんな場所を訪ねても、なかなか見かけない。そしてレンバイがあるから、鎌倉の人は野菜に詳しい。
ささげやスイスチャード、ビーツにケール。東京では見慣れなかった野菜も、こちらでは皆自然に知っているし、日常的に口にしている。それはやはりレンバイで売っているから。そんな町の空気に影響されて、私もすっかり野菜好きになった。
店で作るマフィンの素材が、ここに暮らすようになって野菜中心になったのも、そんな理由だ。自分が好きだからというのはもちろん、それを楽しんで買ってくれる、鎌倉の人のおかげも大きい。
やたらとお裾分けしてくれる
引越してまもない頃、ご近所のおばあちゃんに道端で会ったら「ぬか漬け好き?」と唐突に言われた。
好きですと答えると、翌日には店のドアがノックされ、開けるとおばあちゃんの姿。
ビニール袋に入ったぬか床を差し出して「今の時期はレンバイにも大根しか売ってないけど、これに漬けてみなさい。紅大根なんかも、おいしくなるから」と。
早速漬けてみた大根は、古漬けのように酸っぱくなって、それがあと引くおいしさだった。
そんな風に、ここではご近所からのお裾分けが、わりと頻繁にある。畑でとれた野菜、お酒、子ども用のおもちゃ、おやつ。私はお礼にマフィンを渡したり、ケーキを持っていったりすることも。この町に住み始めてから、そうやって物々交換をすることが当たり前になった。
それに、店ではお客さんから「包みをふたつに分けて」とよく言われる。1日に3〜4組は必ずいて、みんなどうやら、ご近所にマフィンをお裾分けしているようなのだ。後日、新しく店に来てくれた人が「この間お裾分けしてもらって」と伝えてくれる。
ぬか漬けおばあちゃんのエピソードもそうだが、ご近所さんと何かをシェアするという感覚は、東京育ちの私にはなかなか新鮮。なるほど、ここはそういえば神奈川県で、そんなやりとりが日常的にあるくらいには「田舎」なのだと感じたものだ。
おいしいものは、人にもあげたい。そんなシンプルな気前の良さも、この町の人柄だと思う。店で「ふたつに分けて」と言われるたび、実はちょっとうれしくなっている。
しっかり休む
平日に店を開けていても、いつものお客さん(おそらく会社員)が当たり前のように顔を見せる。「今日、お休みですか?」と聞くと、ちょっと休憩、とイタズラっぽく笑う。
そんな「ちょっと休憩」が、鎌倉の人はとても上手だ。
リモート勤務になって、鎌倉に越してきた人も多いのだろう。だからというのもあるけれど、平日日中は仕事の時間、という概念が町全体に薄い気がする。仕事と暮らしが明確に時間分けされていないのだ。
そもそも鎌倉には海がある。駅から15分ほど南へ歩けば、材木座と由比ガ浜にある海岸に行ける。ここには平日休日問わず、ランニングをする人や、サーフィンをする人が多数いる。私のように、何をするでもなく砂浜に座りぼうっとしている人もいる。
海は、人を休ませてくれる絶対的な存在だ。広い海を見ていると、自動的に心がオフになる。だから鎌倉に住む人は、休むことが自然と上手くなっていくのかもしれない。
私はよく、仕事を詰め込む。するとお客さんや町の友人に「もっと鎌倉時間でね」と言われる。そう、ここには鎌倉時間が流れているのだ。それは、ここに暮らす人たちの独特のタイムスケジュールであり、生き方のバランス。
決して仕事をしていないわけではないけれど、それと同じかそれ以上に、休むことも大事にし、自分を大切にしている。それはここに暮らしているから身に付くものなのか。まだ上手くできていない私には、そのスタンスがうらやましい。
鎌倉で経済を回している
そうやって休むことを大事にしつつ、家でばかり過ごしているわけではない。この町の中で、しっかり経済を回している人がとても多い。
店のお客さんである男性は、平日は東京へ出社しているが、休日は朝からサーフィンへ。その後、お気に入りの店で朝昼晩と3度の食事をとりながら、ゆっくり町を巡るのがお決まりのコースだという。つかずはなれずの距離で、私の店にも時々顔を出してくれる。
そんな彼のスタイルは、私の思う「鎌倉の人」そのものだ。たくさんではないけれど、好きな店があり、そこに繰り返し通うことで、その店を支えている。
暮らし始めて1年。私にも、そんな店が少しずつ増えてきた。
「ベルグフェルド」はドイツパンの店。ランチが絶品で、パテやにしんの酢漬けにブリーチーズなど、いろんなおいしいものが載ったオープンサンドが楽しめる。どれもワインが飲みたくなる味つけで、私はここに来ると大抵アルコールを欲してしまうのだが、コーヒーもワインも、瓶ビール(ハートランドなのがまた嬉しい)も揃っていて、気分に合わせて楽しめる。
そして、ベルグフェルドで特筆すべきはクッキー。私はこれがとても好きだ。甘さ控えめで、素朴で噛みごたえがあって、昔ながらの見た目なのに、おいしさが全く古びていない。
店でランチを頼むと、セットのコーヒーのソーサーの脇に、クッキーがひとつ、ふたつ添えてあって、それがいつもちょっと嬉しい。
ここはケーキも絶品で、チェリーを使ったショートケーキ(「シュワルツワルダーキルシュトルテ」という難しい名前だ)、モカエクレアも日常のおやつにぴったり。日々通っても食べるものに飽きない。
ベルグフェルドのはす向かいにあるパン屋「モンペシェミニョン」は、まさに地元の人向けのパン屋。鎌倉駅から歩くと20分ほど。休日は朝7時からやっていて、朝ごはんを買いにくる家族連れでにぎわう。
1歳の息子は、ここのポテトサラダが入ったフォカッチャが好きだし、私はパン・オ・ショコラが好き。あと、ぎゅっと目の詰まったおいしいコッペパンでつくられたホットドッグが絶品。
クロワッサンやデニッシュから、おかずの入った調理パン、ハードなバゲットまで充実していて、ここに朝ごはんを買いに行ける日曜日はいつも楽しみだ。
うちの朝食はたいていトーストなので、この間は角食パンを買ってみたら、むっちりしていておいしかった。合わせたのは御成通りにある「新倉さんちの手づくりジャム」。定番の果実ものから、にんじんやかぼちゃ、とうもろこし、なす(!)など野菜を使ったジャムまで充実していて、好奇心をくすぐられる。
この3店もそうだけど、ガイドブックや雑誌によく載る華やかな店では決してない。そもそもそんな店は鎌倉のほんの一部で、当たり前だけれど町にはそれ以上にたくさんの店がある。
そんな店たちが鎌倉の町をつくっているし、それらが続いているわけは、ほかならぬ地元の人が繰り返し通っているから。鎌倉の人は、町をちゃんと愛していて、支える律儀さがあると思う。
幸せなことに私の店も、毎週のように通ってくださる方が多く、そんな真摯なお客さんに支えられている。だから私も、いち客としても、鎌倉にせっせと還元していきたい。
今日もしずかに人が暮らす、ふつうの町
ここまで挙げたのが、私の思う鎌倉のイメージ。つまり特に派手なところはない。鎌倉は、そんな人たちが住んでいる、適度に田舎で、いたってふつうの町なのだ。街というよりは「町」という漢字が似合う、そんな町。
21時以降はやっている店が極端に少なくて、遅くまで飲める店は多くない。なんでもそろう便利なショッピングモールもないし、大手ネットスーパーが配達圏外だったりもする。
けれど、おいしい野菜と魚や肉、パンの仕入れには困らなくて、買い物がてら目線を遠くにやれば、いつも山が見え、思い立てばすぐ海に行ける。
東京都心に比べたら不便も少なくないのだろうけれど、そもそも不便が悪いことなのかわからない。だって今、私はここで暮らしていて、すごく心地いいのだから。不便はあっても不満はない。
一見、観光地然とした町。でもその裏には「鎌倉の人」がいて、彼らが大切にしている、しずかな日常が流れている。そのことは別に知られなくてもいいのだけれど、私はここにそっと記しておきたい。
今日も鎌倉の日常はのんびりしている。私は、その一部になれてよかった。
著者:瀬谷薫子
編集者・ライター。雑誌やwebで記事を書きながら「doyoubi」の屋号で野菜を使ったマフィンを焼いている。鎌倉に工房を構え、土曜日を中心にオープンしつつ、日本全国の農家さんを訪ね、その地の野菜でマフィンを焼く「出張マフィン」イベントや、ワークショップも開催中。
Instagram:@doyoubi_muffin
編集:友光だんご(Huuuu)