「住む場所を間違えたのかもしれない……」そんな札幌が帰りたい街になった|文・野村良太

著者:野村良太(のむら りょうた)

野村良太 

1994年10月生まれの30歳。大阪府豊中市出身札幌市在住。大阪府立北野高校卒業。北海道大学水産学部卒業。同大ワンダーフォーゲル部62代主将。2022年2~4月に「積雪期単独北海道分水嶺縦断」を63日間で達成。史上初の功績を評価され「第27回植村直己冒険賞」「日本山岳スポーツクライミング協会山岳奨励賞」受賞。2024年秋には自身初の著書『「幸せ」を背負って 積雪期単独北海道分水嶺縦断記』(山と渓谷社)を出版。

 2014年春、北海道大学への進学が決まった僕は、意気揚々と札幌へ向かった。大学の合格発表のあとに札幌へ来て直接内見をして家を決めたが、新しい家に泊まるのはもちろん今日が初めて。いよいよ念願の一人暮らしが始まるのだ。期待と不安の入り交じった気持ちで札幌駅から出る。駅の外には季節はずれの雪が舞っていた。
「あれ、もう4月だよな。おれは住む場所を間違えたのかもしれないな……」
風に舞う湿った雪を全身に受けて歩きながらそう思った。大学生協でカギを受け取りやっとのことで新居へたどり着くと、どうやら僕と一緒に届くはずの家具や家電は、この悪天候で遅れていて今日中には届かないらしい。布団も毛布もこたつもない。電気すら、明日から使えることになっているはずなのでまだ使えなかった。仕方ないので来る途中に見つけた銭湯に入り、ありったけの衣類を着込んで、バスタオルを敷いただけの冷たいフローリングで朝を迎えた。北海道の洗礼を浴びた、はじまりの日のことは今でも鮮明に覚えている。

 そう思うのも無理はない。大阪府豊中市で生まれ育ち、高校までは野球少年、大学受験で浪人した19歳までを大阪で過ごした僕は、積もった雪を見たことがほとんどなかった。大阪では雪は降っても真冬の朝にうっすら積もる程度。それも陽が昇ればあっという間に解けてしまう。そんな僕が初めての一人暮らしに選んだのは、あろうことか4月になっても雪が降る場所だったのだ。

 北海道に初めて訪れたのは高校の修学旅行のとき。夏の盛りにトマムや富良野、旭川、札幌と小樽などを3泊で楽しんだ。記憶に残っているのは、だだっ広い北海道の風景と、街と街をつなぐバス移動の長さだ。移動時間が長くなるのは仕方ないが、いま思えばせわしない行程で北海道を満喫したとは言い難い。それでも当時の僕は、大阪では感じられない、ゆったりとした空気感を気に入った覚えがある。
修学旅行で訪れた北海道の印象に比べると、札幌はかなり都会だ。駅構内には様々な商業施設が立ち並び、駅から少し足を延ばせば有名な飲食店やショッピングモールが一通りそろっている。駅から南へ徒歩十数分の距離には日本有数の歓楽街すすきのがある。北海道の雄大な自然のイメージとは正反対の眠らない街だ。札幌駅とすすきのの中間にある大通公園では、YOSAKOIソーラン祭りやさっぽろ雪まつりをはじめ、さっぽろライラックまつりにさっぽろオータムフェスト、ミュンヘン・クリスマス市にさっぽろホワイトイルミネーションと、季節ごとに様々なイベントが開催されている。
 一方駅の北側には北大を中心とした学生街が広がっている。僕はこちらの雰囲気の方が好きだ。地下鉄3駅分にまたがる広大な敷地に12の学部と2万人の学生・教職員が出入りしている。それどころか、大学構内は地域の憩いの場としての役割も果たしていて、緑豊かなメインストリートは、朝夕は地元ランナーのランニングコースに、日中は保育園のお散歩コースになる。秋、銀杏の季節のイチョウ並木には、学生よりもビニール袋片手にかがんでいる人の方が目につく。周辺には学生向けの飲食店も多く、500円あれば満腹になれるお店がいくつもあった。最近は少し値上がりしてしまったけれど。


北大札幌キャンパス内の広大な牧場と農場

 北海道の大自然に憧れて、というほど明確な目的をもって北大に入ったわけではなかった。ただ親元を離れて生活してみたかった。海を渡れば両親からの干渉もなくなるのではないかと期待していた。だが、せっかくだから北海道らしいことができる部活に入りたいと思っていた僕はワンダーフォーゲル部に入部した。道内各地の山や沢をテントや食料を背負って歩く、いわば登山部だ。
11月から4月まで半年間雪が降る北海道で活動していれば、雪山登山をしない手はない。これぞ“北海道らしいこと”だ。こっちに住みはじめたころは「住む場所を間違えたかもしれない」なんて思っていたことなどすっかり忘れて道具を買い揃え、一年も経たないうちに登山にのめりこんでいた。
 三年生からは、登山道具代と山へ行く交通費を捻出するために、部員で借りているシェアハウスに移り住んだ。男五人で一軒家を借りての共同生活。先輩が卒業して空いた部屋に後輩が入るシステムになっていて、そのときも先に住んでいた先輩の四畳半の部屋が空いたので我先にと転がり込んだ。家賃に光熱費インターネット代を含めて1万9000円で住み、同じ時期に先輩からもらったボロボロのマニュアル車は庭に無造作に停めることができた。それでいて大学まで徒歩5分なのだから、家のボロさを除けば札幌の街中とは思えない好条件だった。
 雪山シーズン初めには札幌国際スキー場に通い、最低限のスキーや雪山技術を身につけた。札幌市内には他にも5つのスキー場があり、どれも車で一時間以内の恵まれた環境だ。
 大学を休学していた2年間も含めて6年間の学生生活で、季節を問わず北海道の山にたくさん登った。毎週末と夏冬春の長期休みは山へ通い、北大ワンゲル式の登山技術を学び実践した。年間の山行日数はおそらくゆうに100日を超えていただろう。


大学から委託されて北大ワンゲル部で管理している奥手稲山の家。避難小屋として通年で開放されている

 2022年には、北大ワンゲルで培った雪山登山の技術と経験を生かして、北海道最北端の宗谷岬から南端の襟裳岬までの分水嶺670㎞を2月~4月の63日間かけて単独で踏破した。翌年には史上初の功績が評価されて第27回植村直己冒険賞を史上二番目の若さで受賞するに至った。その様子はNHKで「白銀の大縦走~北海道分水嶺ルート670キロ」というタイトルで地上波全国放送され、先日はこの挑戦を一冊の本にまとめ出版する機会までいただいた。
 そんなふうに登山の魅力にどっぷりとハマってしまった僕は、大学卒業後も就職はせず登山のガイドとなる道を選んだ。札幌を拠点に道内各地を案内する。ときに道外や海外遠征を計画し、山はもちろん、現地の様々な食事や文化を楽しむのも面白い。

 大学を卒業してはや5年が経とうとしている。こういった生活をしていると、気づけば一年の半分以上は家を空けるようになってしまった。とはいえ、旅先で登山に夢中になっているそのときに、ホームシックのように家のことを思い浮かべることはほとんどない。安全圏まで戻ってきてホッと一息ついたとき、ご当地の美味しいものを食べているとき、はたまた悪天候に見舞われて「どうしてこんなに辛いことをしているのだろう」と思うとき、そうした“ふとしたとき”に家のことが脳裏に浮かぶのだ。
 それには、自分が最近結婚したばかりであることも関係しているかもしれない。妻の優子とは北大ワンゲル時代の同級生だ。二十歳のころから交際をしていて、学生時代の苦しかったことも楽しかったことも一通り共有しているので、僕の活動のことを人一倍理解してくれていて、信頼できるパートナーだ。だから僕がどれだけ家を空けたとしても、それに対して賛成することも反対することもない。それでも長期遠征に出掛ける前には
「また二カ月もいないんだね」
「一緒に住んでる感じがしないね」
と小言を言われる。そして、最後はいつも通りの一言だ。
「気を付けて楽しんできてね」
そのたびに少しの後ろめたさと、無事に帰ってこなければという気持ちを新たにする。

 挑戦的な登山をするときは決まって思うことがある。
「帰りたいと思う場所があるから、そうではない場所でも頑張れる」
どうしようもなく苦しいときに、これをなんとか乗り越えてあそこに帰ろう。そう思える場所が僕にはある。

自然の豊かさと街の近さの距離感が、絶妙にバランスが取れていて心地よい。どこかへ長期間出かけていても、いつも大切な人が僕の帰りを待ってくれている。僕にとっての札幌はそんな街だ。


2018年3月。日高山脈の主峰1967峰にて
著: 野村良太


野村良太さんの著書『「幸せ」を背負って 積雪期単独北海道分水嶺縦断記』発売中

「幸せ」を背負って 積雪期単独北海道分水嶺縦断記書評

野村良太(著) / 山と渓谷社


野村良太さんが分水嶺縦走中に地形図の裏面に書き記した日記を柱として、これまでの登山を振り返るルポルタージュ。
北海道大学WV部での登山との出合い、山仲間との登山と単独行の目覚め、知床・日高の単独冬季縦走、そして北海道登山の総仕上げとしての北海道分水嶺縦走を達成するまでをつづる。

編集:ツドイ