日曜の退屈【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

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 今のこの状態は天国か地獄かと考えてみた。レジから店の外を眺めていたこの10分間、西日の中で目にしたのは乗用車が2台、軽トラック1台。人は誰も通らなかった。時計が5時を回ったのを確認して、自動ドア近くに置かれたラックから大量に余った競馬新聞を抜き出してひとつにまとめたのが、今日の仕事の最後で、それ以降の数十分、客の相手をしていない。

 このコンビニでバイトし始めて半年。僕は「日勤」と呼ばれる朝9時〜夕方6時の間でシフトを組むのを死守している。月曜朝からの労働はきついし、連日の勤務もきつい。だから基本は火曜と木曜だ。

 で、今日は日曜。日曜にもシフトを入れ始めたのは2カ月前だ。

 御厩谷坂(おんまやだにざか)界隈、三番町というこの町には縁もゆかりもない。アパートは神楽坂の外れ、専門学校時代の友人とルームシェアをしている。実際は僕が狭い一部屋を間借りしているだけなので家賃の配分は僕が三分の一、友人が三分の二。

 イラストレーターという肩書きだけではギリギリ食べていけない。正確にはギリギリ僕一人は食いつなげるが、アクシデントには対応できない。目立った実績はなく、かといってイラストレーターの卵というほどキャリアがないわけでもない。大きく発展していかない瑣末な仕事が、それこそギリギリ途切れないという中途半端な状態が数年続いている。不思議と貧乏であることはあまりストレスにならないが、それが問題なのかもしれない。

 半年前、生活スタイルを変えてみようとふと思い立った。最近は漫画家も小説家も、酒と煙草と夜の真ん中で仕事をするわけではなく、朝から夕方までを執筆にあてるという、非常に社会人的なスタイルが増えたとどこかで読んだか誰かから聞いたかした気がする。

昼過ぎまで眠り、夕方までをなんとなく過ごし、仕事があれば夜中から朝方にかけて仕上げるという習慣をガラリと変えてみようというその決断に、自分を奮い立たせる何かが伴っていたか、成功のために自分を律する強い気持ちがあったかといわれると自信がない。というより、そんなものはほとんどなかった。僕はただ、それまでの生活に飽きていた。

 とはいえ毎日部屋に籠もらなくてはならないほど仕事があるわけではなく、朝型の生活にしたところで全部が仕事で埋まるはずがない。だから平日の2日間、その日中を、いつでもやめられるアルバイトにあてた。場所もあえてこだわらなかった。散歩がてら自転車で通うくらいがよいと思っていたから、平日の日中歓迎という少し離れたこの店に、簡単な面接を受けただけであっさりと決めた。イラストレーターとして煮詰まっていた、もっと言えば煮詰まっていることにも飽きていた僕の、格好の気分転換がこのアルバイトだった。

 土日にバイトを入れなかった理由はきわめて簡単で、当時付き合っていた彼女が土日が休みだったから。僕が時々イラストを頼まれたカタログ屋の事務の子で、土日のほとんどは彼女の家で過ごしていた。それを犠牲にしてまで本業以外の仕事をしようなんて微塵も思わないのは当然だ。そしてここ最近は日曜にもバイトを入れるようになったのも理由は簡単で、その彼女に振られたからだ。これもまた当然だろう。なにせ暇になったんだから。

 このバイトを始めて、思惑と違ったことがひとつあって、それはこのあたりが実はビジネスタウンで、近くに女子大もあったりして、平日の日中、特にランチ時、異常に忙しいということだ。コンビニのレジにだって行列は出来るのだ。労働時間が気づかぬうちにつぶれるのはありがたかったが、疲労度は想定をはるかに超えた。

 そしてもうひとつ、最近新たに驚いたのは反動のように、日曜の日中は客が訪れないことだ。日曜日、ビジネスマンも女子大生もここにはいない。なまじ平日の忙しさに慣れてきた僕にとって、これは天国なのか地獄なのか、判断がしにくい。レジ横にまとめた競馬新聞をペラペラといじる。ここにいないビジネスマン相手に土日の競馬新聞が売れるはずはなく、仕入れなくてもいいんじゃないかとすら思う。

 馬名が記され、どう読み取ればいいのか皆目分からない複雑な表をぼんやり眺めていたら面白い単語を見つけた。

 「サンデーサイレンス」

 まさに今、僕が置かれている状況じゃないか。その単語が記された馬だけを選んで買ってたら、ひょっとしてこの退屈を打破する何かが起きたりしただろうか。そんなことを、居場所のない静けさのなかで少しだけ考えた。

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御厩谷坂(おんまやだにざか)
住所:千代田区三番町の大妻通り、大妻女子大学周辺から九段南3丁目付近まで
アクセス:半蔵門線半蔵門駅から徒歩約5分

蔵門駅から靖国神社方面へ向かって歩くと坂にぶつかる。坂の名は坂下付近をかつて「御厩谷」と呼んだことにちなむ。『新撰東京名所図会』によると、江戸時代、この一体には徳川将軍家の厩舎があり、それが地名の由来となった。厩舎自体はその後、移転したが馬の足を洗ったとされる池が、後の時代まで紅梅勘左衛門という名の者の屋敷に残っていたという。坂の周辺は教育機関と住宅が中心のエリア。江戸時代は武家屋敷が多かったエリアでもあり、坂下には老中・田沼意次の子、意知を斬ったことで知られる旗本・佐野善左衛門(佐野政言)の屋敷があったことを示す標識もある。

 

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著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている

 

写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2013年7月号から転載

 

※特別書き下ろしが2編収録された単行本もSPACE SHOWER BOOKsより発売中。

books.spaceshower.jp