池袋と目白の中間地点で、ブックギャラリーを19年前に始めて現在に至る話【いろんな街で捕まえて食べる】

著: 玉置 標本

池袋と目白の中間あたり、人通りもまばらな住宅街に店を構えるブックギャラリーポポタム。国内外のアートブックやリトルプレス(少量生産の本)、アーティストによる絵画やグッズを扱っている。

ポポタムのオープンは2005年。この店がこの場所に誕生した理由、19年間にわたって作家やお客様に支持され続けてきた訳、個性的な品揃えの基準などを、店主の大林えり子さんから伺った。

本とサブカルに親しんだ学生時代

大林さんの出身は香川県の西側、お雑煮が白味噌の汁に丸い餡子餅をいれる地域とのこと。

高校卒業後、大学進学のため上京をして、なんやかんやあって店をオープンさせて現在に至る。

多くの人が「本当にこっちでいいのかな?」と迷いながら辿り着く店、それがポポタム

――昔から本は好きだったのですか。

大林えりこさん(以下、大林):「特別好きとは意識していなかったけど、今思うと、よく読んでいたと思います。

平成になった年に、東京にある大学の文学部に入学しました。ちょうどサブカルブームの頃だったんですよね」

――平成元年といえば「三宅裕司のいかすバンド天国」が始まった年だ。

大林:「私は田舎出身だったのでなにも知らなかったけど、同級生の都会っ子はやっぱりすごくて。一緒にミニコミを作ったり、小劇場の芝居を観にいったり、ライブハウスに通ったりとか、そういうカルチャーの中で過ごしました。

友達がおもしろい本もたくさん教えてくれて、随筆は武田百合子がいいよとか、SFならカート・ヴォネガットだよとか。最初に住んだ街が西荻窪で、当時は古本屋さんもたくさんあったから、むさぼり読んでいましたね。古本屋や貸本屋でバイトもしていました」

――まだ貸本屋があったんですね。

大林:「戻ってきた本をきれいに拭いて、天花粉(ベビーパウダー)をつけるんですよ。その店は三鷹でスナックも経営していて、そっちの手伝いもたまにしていました。

そんな感じで、本とサブカルに親しんだ学生時代でしたね」

店内の様子。店の奥はギャラリースペース

大林さんがセレクトした本が、独自の文脈の上で並べられている

――大学を卒業して、すぐにこういう仕事を始めたのですか。

大林:「それが早くに子どもができたから、就職ではなく子育てになって。

でも文学部を卒業した友達が出版社の編集部に入っていたので、そういうことならと仕事を回してくれて、料理本のレシピの書き起こしとかをしていましたね。

出版社の用語に合わせて『シーチキン』を『ツナ油漬け缶』に統一したりとか。その流れで雑誌のコラムみたいなものも任されるようになりました」

――育児をしながらフリーライターをしていたと。

一点物のイラストなども展示販売している

大林:「仕事の合間にベビーカーを押して図書館にいって、子どもと絵本を読むようになったら、絵本ってめちゃくちゃおもしろいなって気がついて。もっとないかと本屋さんでも探して、どんどん買っていました」

――本好きの血が騒ぎましたか。

大林:「それで絵本を紹介するミニコミを作って、タコシェや吉祥寺時代のトムズボックス、模索舎などにおいてもらって。絵本のファンジン(ファンが作る非公式出版物)ですね。そんな20代を過ごしました」

――その頃は本を作る側だったんだ。

大林:「そっち側です。本を作って置いてもらう側。いいかげんにコピー機で作るような本だったけど、それを目に留めてくれた編集者から絵本の雑誌にページをもらって、作家さんにインタビューをしたり、いろんな企画や編集をやらせてもらうようにもなりました」

お店を始めてからも友人の作家と同人誌を作ったりしている。今でもたまにこっそりとコピー本を作ることもあるとか

海外のブックフェアにも積極的に参加して、その体験記を本にまとめたり、英語版や韓国語版の本を作ったりもしている。バイタリティがすごい

「場」を作ることの魅力に目覚めて

――そこからライターや編集者の道を進むのではなく、自分でお店を持とうとなったきっかけは、なにかあったのですか。

大林:「その頃は練馬区に住んでいたんですけど、子どもが入った保育園が共同保育所と呼ばれるもので、親も保育に参加したり、一緒にご飯を作るようなところだったんです。

そこは普通の保育園に入れなかった自営業の人とかフリーの人が多かった。私も若くして子どもを産んだサブカル人間だったから、いわゆる公園ママの輪には絶対入れない訳ですよ。でもここなら私みたいな人間でも受け入れてくれる。

誰かに場所を与えられなくても、自分達で居場所を作ってなんとかやることができるんだっていう『場づくり』みたいなのを学んだ。社会規模のDIYができるんだなって感銘を受けましたね」

大林さんにおすすめの本を教えてもらった

自費出版の本だけではなく、出版社から出している本も紹介したいと思ったら積極的に並べているそうで、これは谷川俊太郎の文章にタイガー立石が絵を付けた本。普段は手に取る機会のないジャンルだが、開いてみると欲しくなる

若い人にこそ紹介したい名著の復刻版も扱っている。買いたい本がないときにこそ寄るべき店なのかもしれない

大林:「もう一つ影響を受けた体験があって。実家に帰ったついでに高知県高知市にある沢田マンションっていうところに足を延ばしたら、めちゃくちゃおもしろくて。高知の田んぼの真ん中に手作りの大きなマンションが建っていて、住人が自治をして、事情があってアパートを借りられないような人を受け入れていた。

そこは足を踏み入れた瞬間にワクワクする空間で、なにかしたいっていうやる気が出る。そういう場所なんですよ。場が持っている力を感じる。これはすごいなと思って、私もなにか場所を作ろうっていう気持ちが生まれたんですかね」

大林さんが考える文脈(連続性)によって本が並べられているので、棚を眺めているだけでどんどんと時間が過ぎてゆく

大林:「それで絵本を置いて、ちょっとお茶を出すようなブックカフェをやりたいなと、なんとなく物件を探しだしたけど、二人目を妊娠して保留になって。

上の子どもが小学校に入ると、また場所がなくなるんですね。みんなでワーっと遊べるような。大人と子どもが一緒に集まれる寄合所が欲しいねと話していたら、90歳くらいのおばあさんがやっていた練馬区内の病院が閉まると聞いて、そこを保育園仲間と借りることにしたんですよ。

そこで各々がワークショップをやったり、餃子や発酵食品を作ったり。私は本をたくさん持っていって文庫活動をやっていました」

――自分たちの力で「場」を作ったんですね。

大林:「三年くらい続けたのですが、ネズミが出るようになってしまって、これはちょっとまずいなと閉じることになった頃。目白にある『切手の博物館』に遊びに行った帰りに西武線を目指してブラブラしていたら、ここの物件が貸しに出ているのをたまたま見つけたんです。それが2004年の12月かな」

今もあるステンドグラスの窓が印象的だったそうだ

すぐ近くに移転したステンドグラスの工房跡地だと後に知ることとなる

そして物件を借りた

大林:「この辺りは『赤い鳥』という児童雑誌を出していた鈴木三重吉や、童話雑誌『びわの実学校』の坪田譲治にゆかりのある場所。それに羽仁吉一・もと子夫妻が創立した自由学園明日館という女学校の校舎もある。その向かいには『子供之友』を出していた婦人之友社。周りにお店はなんにもないですけど、ここならやれるかなって思って」

――ここはカルチャーの香りがするぞと。

大林:「建築関係の仕事をしていた友人に図面を見てもらって、一緒に内覧をして、ちょっと古いけどどうにかなりそうなので年明けに契約をしました。私よりも年上の建物で、今で築56年なのかな。

なるべく自分達の手でオープンさせたかったから、解体現場からもらってきた板で本棚を作ったりしました」

フランク・ロイド・ライトの設計により建設された自由学園明日館は、窓枠も壁も柱も椅子もすべてがかわいい。春になれば見事な桜が咲くそうだ

のんびりとお茶をすることもできる

『婦人之友』を出版している婦人之友社

大林:「でもここだと普通の店はできないなとも思いました。最初にイメージしていたようなブックカフェは無理かなって。

昔、村上春樹がジャズ喫茶をはじめようとしたときに、出店を考えている場所に一日立ってみて、どんな人が通るかを観察して、ここでやるかどうかを決めたみたいなことをなにかで読んだんですけど、その基準でいったら絶対アウト」

――地元の人がたまに通りがかるくらいの場所です。よくここに決めましたね。

大林:「内覧をしたら店の奥が意外と広かったので、ここでイベントをやったら人が来てくれるかなと思ったんです。

ライター時代に絵本作家さんと知り合いになっていたから、ここで原画展をやれば、きっと人が来てくれるだろうという見込みで見切り発車しました。人に来てもらえる店にならなかったらやめるしかない」

――人がたくさん来るであろう場所に店を出すのではなく、わざわざ人が来てくれる場にしてやろうと。

昨年行われた18周年記念のグループ展の様子。前期・後期を合わせて80名もの作家が参加した

大林さんと繋がりのある作家のサイン本があるのもポポタムの魅力

ポポタムにおける本棚の変遷

――開店当初はどんな商品を置いていたのですか。

大林:「今はだいぶ変わってきたけれど、当時は本を仕入れるためには取次と契約しないといけなくて、それがちょっと難しかった。だから、まずは古本をメインでやっていました。家に何千冊もあったから、とりあえず自分が持っている本を売ろうと。

でもそれは良くなかったですね。本が売れるたびに『売らなきゃよかった!』って思っちゃって」

――自分が気に入って集めた本だから売りたくない。

大林:「それでまた新品を買い直したり。バカらしいですよね。

友達に譲ってもらったり、買取をしたりして、なんとか棚を埋めていったんだけど、古本が売れても作家さんに直接プラスにならない。だから持ち込んでもらった自費出版の本、売れ筋とはちょっと違う新刊本、展示してくれた作家さんに関連する作品や雑貨などをできるだけ並べるようにして、今の形に落ち着きました」

同人誌と商業誌の区別がない。私が作った「趣味の製麺」という本の横に、別冊太陽の小泉今日子特集が!

「これはちょっと文脈がおかしいですね」と、玉子に関するエッセイ集「玉子ふわふわ」などが間に挟まれた

大林:「これからは本にこだわってはいられないだろうなっていう考えもあって、それは店を始めたときから悩み続けている。時代がどんどん変わっていって、私はできることをやっているだけ。だから、なにをやるぞっていう芯がずっとないのかもしれない。すみませんね、そんな場所で」

――なんていいつつも、来年は20周年です。

大林:「すごいですよね。でも建物が古すぎて、契約更新できるか大家さんと相談をしています。一回屋根とかを直してもらったんですけど、大きい修繕はもうできないという話なので。だいぶ柱とか壁を補強したけれど、最近は地震も多いしね。

だから引越しも考えないといけないんだけど、やっぱりこのエリアがいいなとは思っています。でも最近はソウルに空き物件が多いと聞いて、ちょっと気になっているんですよね」

――まさかの韓国移転!

ヨン様の時代にはピンとこなかったそうだが、ここ10年韓国にはまって年に何度も行き来している。語学留学をするほど熱心で、ソウルのブックフェアで買い付けてきた本が結構なスペースを占めていた。これは現在30~50代くらいの人の、子どもの頃の誕生日の写真を集めた本

韓国には映画カードという裏面がカレンダーや時間割になった販促グッズがあるそうで、これはコレクターによる極厚のアーカイブ本

映画看板を集めた大型本も魅力的だ。このように言葉がわからなくても楽しめるヴィジュアルブックが最近の人気商品

汽水域のような場所だから続けられた

――この場所でよかったですか。

大林:「よかったですね。まわりになにもないのがよかったのかも。

ときどき西荻の友達の店とか行くと賑やかで羨ましいなと思ったりするんですけど、その分だけ仕事も人付き合いも増えるだろうなとも思ってしまう。私はポツンとここでやるのが向いていたのかなって。

目白はやっぱり高級住宅街のイメージで、オシャレなケーキ屋さんとかチョコレート屋さんがある。それに対して池袋はすごく雑多じゃないですか。

まったく雰囲気の違う町が隣り合っていて、ここがちょうど混ざり合う汽水域のような場所なんですよ。そこがすごい気に入っていますね」

――淡水魚も海水魚も生きられて、汽水だからこそ暮らせる魚もいる場所であると。

大林:「だから展示の告知も、ちょっとおしゃれにまとめた方がいいのかなという時は「目白駅から歩いて7分」と書いて、玉置さんのイベントだったら「池袋駅から徒歩9分」みたいに使い分けたり。

ポポタムの近くのスポットを紹介するときも、おしゃれな雑誌の取材だったらおいしいベーグル屋さんとか。でも今日のような取材なら、私がぼんやりできるお気に入りのスペースとかを案内しようかな」

――ぜひお願いします。ベーグルも好きですけどね。

私の新刊「芸能一座と行くイタリア25泊29日の旅日記」も置いています。ポポタムの通販はこちら

ポポタム散歩

インタビューを終えて、大林さんにポポタムの近所を案内してもらった。

ポポタムの近くにある大きな公園。仕事で辛いことがあると、ここのケヤキを眺めながら「あの木があるうちは続けるんだ……」と考えたりするのだとか

ある作家さんがポポタムに向かう時に使うという極細の裏道。ポポタムは10人いたら10人が違うルートでたどり着くのだろう

たまに出前を取るというお気に入りの蕎麦屋さん

目白駅から来ると西武線のかわいい踏切を渡ることになる。急いでいない時なら踏切の音も心地よい

季節が感じられるという目白庭園。ここがすぐ近くにあるのも物件を決めた理由の一つ

冬でも鮮やかなムラサキシキブ(たぶん)

「あの高層ビルに素敵な場所があるんですよ~」と路地を池袋駅方面へ進む

ダイヤゲート池袋にあるダイヤデッキを教えてもらった

西側にJR、南側には西武線が見える。「最初は威圧感があるビルができちゃったなぁと思ったんですけど、ここを知って大好きになりました。ビルの上だけど池袋の原っぱみたいなイメージですよね」

ビル内にあるファミリーマート(平日のみ営業)で冷たい飲み物を買って、仕事帰りにここでぼんやりするのが夏のお気に入り

時刻表をチェックしながら通り過ぎる電車を延々と眺めていたい

線路と道路の立体交差

大林:「この場所でポポタムを続けて来られたのは、時代がよかったこともあると思います。今は展示をやる本屋さんがたくさんできたし、足を運んで探さなくてもSNSで人気の作家さんがすぐわかってパッと連絡がとれる。

最初は知られていなくても、二度三度と展示を重ねることで、少しずつ人気が出たり活動が広がったりする……そんな何年もかけるようなことができづらくなった。

私は当初の貴重な体験ができたのかなって思います」

――私の同人誌も、最初に出した本から置いてもらって、毎回新作を届けさせてもらっています。置いてもらえる場所があるのは、本を作る上ですごく励みになります。

大林:「やっぱり元々サブカル好きっていうのがあるんですよ。もう有名で、できあがっているものよりは、その前のものが好きなんですよね。

先物買いっていうつもりもないんですけど、まだほんの少しの人しか気づいていないものを、たくさんの人に知ってもらいたい。紹介好きなのかな。

韓国の本もそうですよね。最初は10冊仕入れたけど6冊とか7冊しか売れなかったような作家さんが、次は20冊仕入れられるようになったりする。それくらいの規模感が好きなのかも。

パっと人気が出てきた新しそうな本を仕入れても、気持ちが入らないとお客さんへの紹介の仕方が雑だってバレてしまうし、文脈を持って棚を作ることができないじゃないですか」

そして大林さんは自宅へと帰っていった

ポポタムという店名は、フランスの児童文学であるレオポルド・ショヴォーが書いた、「名医ポポタムの話」に出てくるカバのお医者さんの名前からとったそうだ。

大林さんからゴビ砂漠出身の店主が切り盛りする中華料理店を教えてもらったので、そこに寄ったりしつつ、また本を探しに行こうと思う。

このカバは医者だったのか

ブックギャラリーポポタム

【いろんな街で捕まえて食べる】 過去の記事 

suumo.jp

著者:玉置 標本

玉置標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。同人誌『芸能一座と行くイタリア(ナポリ&ペルージャ)25泊29日の旅日記』、『伊勢うどんってなんですか?』、『出張ビジホ料理録』、『作ろう!南インドの定食ミールス』頒布中。

Twitter:https://twitter.com/hyouhon ブログ:https://blog.hyouhon.com/