カルチャーとビジネスが循環する野原ーー混沌の街「中野」| 文・朱野帰子

著: 朱野帰子 

どこにでもありそうで、ここにしかない街「中野」

中野はどこにでもある街だと思っていた。そうではなかったと気づいたのは小説家になってからだ。

中央線快速「東京行き」に乗れば五分で巨大商業地・新宿に着く。逆の方向、「豊田行き」に乗れば、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺と「住みたい街」として雑誌に特集される街が次々に現れる。でも、その境界に位置する中野には、ぶっちゃけ、みなさん、興味ないでしょ? Hanakoが「中野」特集を組んだことなんか、たぶんないですもんね。

中野で生まれ育った私は、小学三年生の社会科の時間に「私たちの中野」という冊子を配られた。覚えていることはわずかだ。徳川綱吉が出した生類憐れみの令に伴ってつくられた「お犬囲い」がかつて中野駅前にあったこと。その跡に中野陸軍学校が、さらにその跡に警察大学校がつくられたこと。そのくらいだ。

その名の通り「野」だった中野には関東大震災までは畑や工場しかなく、震災後に多くの人たちを受け入れて発展したそうだ。だからか、中野という土地には、他の土地よりも、新しいものを受け入れる寛容さというか、いい意味で節操がないところがある。

中野駅前には中野サンモール商店街がある。日用品を売る店や飲食店が立ち並ぶ活気のあるアーケード街だ。そこを抜けると、別の謎のアーケード街に迷い込む。

その名は、中野ブロードウェイ。

高度経済成長期につくられた商業住宅複合施設だ。地下1階から4階までの低層階は商業施設で、飲食店や物販店が並ぶ。高層階はマンションになっている。かつては沢田研二をはじめとする著名人が多く住んでいたらしく、六本木ヒルズ的なショッピングコンプレックスを目指していたようだ。

しかし、建造には困難と制約が伴ったようだ。当初の計画より通路は狭く、エスカレーターは1階から3階に上がるもののみになり、結果的に、買い物客の方向感覚を奪う複雑な構造の施設ができあがった。さらに1980年代から1990年代にかけてチェーン店が台頭すると個人商店の客足は伸び悩んだ。中野ブロードウェイにもシャッターが降ろされた店が増えていったという。

そのシャッターをこじ開けて、入ってきたのが、新しくてちょっと怪しいビジネスたちだ。

生活とちょっと怪しいものが入り乱れる中野の象徴

小学生だったころ、中野ブロードウェイは親に連れられて行く場所だった。

地下1階で「デイリーチコ」のソフトクリームを食べながら、親が八百屋で買い物をするのを待った。減っていくソフトクリームのむこうには肉屋のショーケース。横を見れば「プチパリ」という服飾品を集めたエリアがあった。そこで激安の服を買ってもらった。

同じ階の別のエリアには回転寿司があり、よく連れて行ってもらった。靴やカメラのフィルムが欲しければ1階に、児童書や参考書が欲しければ3階の明屋書店に行く。明屋書店の向かいは布団屋で、その並びにはポニーというおもちゃ屋もあった。

そして、ポニーの向かいには「まんだらけ」が存在した。漫画雑誌「ガロ」で活躍した漫画家が1982年に開店した古書店で、前身は調布市にあった貸本屋だったらしい。

「まんだらけ」のショーケースには希少価値のある漫画が並び、とんでもない高値がついていた。そのすぐ隣には百円で買える漫画の棚があった。薄暗い店内にはあらゆる時代の漫画たちが並べられていた。

奥には買い取りカウンターがあり、『風の谷のナウシカ』の映像が流れるモニターもあった。客が漫画を紙袋に入れて持ち込むと、コスプレをした店員たちが査定を始める。ブックオフがまだない時代、それは見たこともないビジネスで、新しい市場だった。

私たち小学生はすぐにこのビジネスになじんだ。月300円の小遣いで古書漫画をあさり、読まなくなると売った。当時は小学生でも本を売り買いできたのだ。店内には「この漫画ならいくらで買います」という張り紙があり、相場感が養われていった。売りに行った先で「これはまんだらけで売れなかった本でしょ?」と断られることもあった。

小学6年生になるまでに、私の背は160cmまで伸びた。「まんだらけ」も、一緒に急成長し、爆発的に店舗数を増やしていった。アニメのセル画、コスプレ衣装、同人誌、パソコンゲームソフト、ファミコンソフト、オカルト、占い、ドール、昭和のアイドル、食玩。ほかの土地では「これはちょっと」と言われそうなビジネスたちが、「中野ならいいかも」という気楽さでどんどん入ってきた。

分譲に分譲を重ねて極限まで狭くなった店内に、チープな什器を並べ、あっという間に店舗数を増やすビジネスもあれば、数年足らずで消えていくビジネスもあった。

歴史のある街なら、消えていく文化は惜しまれる。でも中野は「野」だったから、「あの店がなくなって寂しい」と思った次の瞬間にはもう「新しい店に行ってみたい」となる人たちが多かった。ノスタルジーに浸りきれない区民性があるように思う。新しいビジネスたちに「野」を貸している感覚があるのかもしれない。

中学生になり、手持ちの資本金が増えると、中野ブロードウェイは最高の遊び場になった。3階にあったゲームコーナーでテトリスをし、「まんだらけ」の多様なジャンルの棚を見て回った。

「まんだらけ」本店や明屋書店がある3階には、比較的成功したビジネスが占拠していった。新しいビジネスは2階か4階に芽吹くことが多かった。成功すると人通りの良い階に進出した。さながらスタートアップの孵卵器のようだった。中野シリコンバレーという名前にすればよかったのに。

高校生になると資本金はバイト代でさらに増えた。できたばかりの「タコシェ」に出入りするようになったのはそのころだ。

「タコシェ」は自主制作の本やZINE、一般流通にのらない書籍、インディーズ系CDや映像、絵画、雑貨を扱う店だった。私はここで『ガロ』に出会った。店内には島田雅彦の『ミイラになるまで』を佐野史郎が朗読する声が響いていた。同級生がバイト代をはたいて『ぬるぴょん』というタイトルの音楽カセットを買った。再生してみると、騒音と誰かが叫ぶ声が録音されていた。さんざん笑った後、私たちは同じ階にある印刷所に部活動のパンフレットを発注しにいった。

中野ブロードウェイでは古いビジネスもしぶとい。アイドルのポスターが売られている店のすぐ隣にはおばあちゃんたちが並んで髪を切ってもらっている美容室がある。美少女のパソコンソフト店の向かいは、私が子どものころから営業しているクリニックで待合室にはおじいちゃんが座っている。

4階の病院街の奥にはかつて講談社BOXが運営する「KOBO CAFE」が存在していて、作家が読者にコーヒーを入れてくれる空間になっていたそうだ。新しいものも古いものも、成功しているものもそうでないものも、メジャーなものもマイナーなものも、あらゆるビジネスが、めちゃくちゃに混ざって、狭い廊下を挟んで、隣り合って、存在していた。

社会の荒波に揉まれ、心に浮かぶのは中野ブロードウェイ

会社に就職して、出版業界に入って、企業ブランドとか、新人賞の偏差値とか、「ザ・序列」を突きつけられるたび、私の脳裏には中野ブロードウェイが浮かぶ。あなたの言うその序列はあなたの世界ではすごいのかもしれないけれど、中野ブロードウェイだったらどうなの? 1階の「現金屋」にビットコインのATMがあったのを知ってる? ネットで話題になる間もなく消えてしまったそうだけど、中野ブロードウェイだけじゃなく、数年後には誰が笑っているかなんてわからないのが今の世の中じゃないですか。だったら古い序列なんか捨てちゃって新しいビジネスを始めちゃった方が面白くない?

帰るたび、中野は新しくなっている。警察学校の跡地は再開発されて、中野四季の森公園になった。整備された野原で子どもを遊ばせるのは気持ちがいいし、おしゃれなキッチンカーでビールを買って飲み干すのは爽快だ。でも、この再開発地区にできたオフィスビルでは、すでに「まんだらけ」の主宰するイベント「資料性博覧会」が開かれている。

中野ブロードウェイにも変化が起きている。4階に現代美術家・村上隆率いる「カイカイキキ」の企業オフィス「中野ジンガロ横丁」ができた。けれど、その向かいには相変わらず「まんだらけ」の本社オフィスがあり、宇宙船のようなオフィスの外側には宇宙人が立っている。

中野ブロードウェイ内の「まんだらけ」は、さまざまな物議を醸しながらも、今や27店舗にまで増えた。そして、同じく確実に店舗数を伸ばしている新興勢力、高級時計の店「ジャックロード」も忘れてはいけない。猫杓子もApple Watchを着ける昨今、機械式の高級時計は投資対象としても注目されているそうだ。そんな市場あるんですね。

「野」から何度でも立ち上がる、中野イズム

中野で育った「野」のビジネスはどんな場所にもたくましく生えてくる。小説家になった私が、仕事・労働小説というニッチなジャンルを選んだのにも、確実に中野の「野」の力がはたらいていると思う。スモールなビジネスであっても「われはここにあり」と拳をつきあげなければ何も始まらない。カッコ悪いのは失敗を恐れて何もしないくせに、挑戦して失敗した奴らを笑う人たちだ。中野という土地は私にそう教えてくれた。

もうすぐ中野サンプラザが解体される。中野駅前の風景をつくってきた建造物の跡地にできる建造物の名称は「中野サンプラザシティ」だそうだ。2028年完成予定で、高層階はオフィス街で、中層階はマンション、低層階は商業施設になり、飲食店や物販店ができるらしい。

あれ? デジャブを感じるのは私だけ? かつて高度経済成長期に、同じ中野で、同じような計画がたちあがった気がするのですけど?

「中野サンプラザシティ」もきっと「野」の力から逃れられない。2050年には4階に宇宙人が立っていることだろう。それでいいやってなってしまう気がする。中野はこれからも新しくて怪しいビジネスを受け入れ、育てて、うっかり世界にむけて発信とかもしちゃってるだろう。

就職してこの街を出て、小説家になって、中野のような街はほかのどこにもないのだと知った。

著者:朱野帰子(あけのかえるこ)

朱野帰子(あけのかえるこ)

労働小説家。「マタタビ潔子の猫魂」で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞してデビュー。代表作に「駅物語」「わたし、定時で帰ります。」「対岸の家事」などがある。
https://note.com/kaerukoakeno

 


編集:小沢あや(ピース)