散歩で見つける自分だけのひかり。 ニッチニッチよ、こんにちは。【名古屋市瑞穂区】

著: 五十嵐光一 

「マジで……」。最初に浮かんだ言葉はこうだ。

仕事柄全国の都市部を渡り歩き、先人が開発した数多くのテクノロジーデザイン・アーキテクツデザインに触れてきた私は利便性追求しまくりの“都市部こそ正義”だと考えていた。「欲しい」と思ったらすぐに買え、「行こう」と思ったらすぐに行ける。そんな瞬間的判断ができる街のスケールを当時の私は心地よく思っていた。

しかし転機が訪れたのは32歳、建築会社の運営するカフェをプロデュースすることになったときだ。指示された場所は〈名古屋市瑞穂区〉、名古屋の中心部 からおよそ10km離れたベッドタウン。まだリノベーションという言葉がそんなに世間に浸透していなかった2012年の春、ここにカフェが併設されたモデルルームをつくり、認知を拡大させていこうという作戦であった。

カフェのオープンのために1年、そして運営を安定させるためにもう1年と、合わせて2年間を瑞穂に滞在しながら進めていくという案件が舞い込んできた。

そして、ここで冒頭の「マジで……」に戻るわけだ。というのも、お恥ずかしながら名古屋の中心部〈栄〉から半径2km圏外に住んだ経験がなく、この範囲から出かけた経験もあまりない。理由としては冒頭でもお伝えしたとおり、都市部で十分に満たされた生活を送ってきたからだ。車も持ってない私が果たして無事にやっていけるのか?(※名古屋はインフラが整っている割には比較的“車社会”な街である)一抹の不安を抱えながら新しい街〈瑞穂区〉に足を踏み入れるのであった。

瑞穂区は名古屋市を構成する16区のうちの一つである。名古屋市の中東部に位置し、総人口は約 10万人とほかに比べると小さな区だ。名古屋市立大学をはじめさまざまな教育施設を多く有する文教地区としての顔をもち、「公園の数よりも学校の方が多い」なんて言われることも。「瑞穂」という区名は“みずみずしい稲穂”という意味を持ち、その由来は日本の美称である「豊葦原千五百秋瑞穂国」からだとされているけれど、実はもともとそこにあった村の名前なのだとか。 区内を南北に流れる〈山崎川〉は桜の名所として有名で、日本さくら名所100選にも認定されていることなんかも。

「ふむふむ……」と、そんな予備知識たちを頭に入れて瑞穂区に移り住んだ私がまずしたことは“散歩”であった。旅行や仕事でさまざまな街に行くことが多いけれど、どこに行ってもリサーチと称して自分の足でその街を歩くようにしている。歩くことでGoogleマップや食べログに載っていない“何か”、例えばあまり知られていないすてきな場所や、思わず心が動く感情、そして新しい気付きなんかを発見することに喜びを感じるのである。

そうして私が最初に向かったのは市内屈指の桜の名所、山崎川。近隣の〈名古屋市瑞穂公園〉と併せて歩けば、景色も距離的にも絶好の散歩コースだと知ることとなる。早朝から夕方までウオーキングはもちろんのこと、ランニングを楽しむ人や川遊びを楽しむ人でにぎわいを見せていた。

移住時当時に撮影した春の山崎川。そしてすっかり緑が茂る2022年夏の姿

なんと不思議なことに、楽しそうな光景に触れていると「お弁当をつくってここで食べてみたい!」という欲求が湧いてきたのである。それまでの都市部での生活では“〇〇店の定食”や“〇〇カフェのランチ”など、評価が高く人気があるようなお店に行くことに重点を置いていた。今思うとなんとも愚かしいことに、味というよりはお店を攻略したというタスクに近い感覚で満足感を得ていたのである(もちろん美味しいところも多数あったけれど)。ところがどうだろう、この山崎川の風光明媚な様子を見てそんな気が全く起きなくなってしまった。この場所に通いたいと思ってしまったのである。「これが土地の恵みを味わうということか?」と移住早々に発見した新しい感情に一人悦に入っていたことは言うまでも無い(私がよくお弁当を食べていた場所はもちろん食べログにもGoogleマップにも登録されていないので、どこかでお会いした際にこっそり教えます)。

山崎川に通うようになってしばらくたったある日のこと。悠然と流れる川を横目に至福のお弁当タイムを楽しもうとしていたとき、どこからともなく「オゥーオゥー♪!♩!」と怒号にも似た歓声?歌声?が響き渡った。当時、ローマ時代の歴史物ドラマにハマっていた私はその声に「近くにコロッセオでもあるのか!? いやいやいや」と一人ツッコミを入れるほど驚いた記憶がある。しかし、このツッコミはあながち間違いではなかった。そう、ここ瑞穂区には山崎川と並ぶ名所がもう一つ、あの歓声ないし歌声の発信源〈パロマ瑞穂スタジアム(当時は瑞穂公園陸上競技場)〉がある。名古屋を本拠地とするサッカーチーム〈名古屋グランパスエイト〉のホームスタジアムとして知られるこちら、開場は1941年と驚くことに戦前だという。そう聞くと古い歴史を感じるような気もしてきた。

では現在はというと、老朽化が著しいことや2026年に控えたアジア競技大会にてメインスタジアムとして使われることが想定されているため2021年から休場し、大規模な改築・改修工事が進められている。

Jリーグのオンシーズンになると毎度うるさく感じるほど響き渡ったあの大歓声もしばらく聞くことができないと思うとなんだか寂しく感じるように……。「これが哀愁センチメンタルかぁ〜」とここでもまた新しい感傷を発見することとなった。(見晴らしの良いベストな観覧席を知っています。こちらもどこかでお会いした際にこっそり教えます)

改修工事が進む「パロマ瑞穂スポーツパーク」

さて、ここで一つ読者の皆さんに謝らなければならないことがある……これまでさんざんに紹介してきた瑞穂散歩コース、今の私はもう歩いていませんっ!!!!

「ええ〜!!!」「ふざけるな、今までの話はなんだったんだ!!」とお思いの方もいるかもしれない。すみません……。ここまでのエピソードは住んでいた当時を振り返って書いたものだ。

しかしここからは、本来2年で終わるはずだった“瑞穂生活”が、なぜ10年も続いたか、ということをお話していきたい。

率直にいうと観光名所や有名な建築物とは全く無縁のとある河川敷に惹かれてしまったのだ。それは最初に出合ったあのにぎやかな山崎川……ではなく。〈東八幡社〉という小さな神社から南に徒歩5分ほどのところに位置する〈天白川〉、そのなんの変哲もない河川敷であった。昼夜を問わず少数の人だけに愛されているたいへんニッチな緑道である。

この河川敷もまた、散歩で見つけた大切な場所。静かで穏やかに時間が流れる環境は考え事をするのにはなにより最適だった。

「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて」と先代の有識者が唱えた言葉はまさにそのとおりで、季節に応じてさまざまな感性を与えてくれる〈天白川河川敷〉はいつしか私のアイデア源となる。瑞穂区に移住してからは、散歩をすることがこれまで以上に重要な意味をもつようになっていたが、天白川に出会ってからは行き詰まったときにすがる行為にもなった。アイデアに困ったときは、

①まず天白川に向かう
②河川敷をひたすら歩き続ける
③そして閃く

というこのルーティンに何度助けられたことか。そうして気付けばなんと10年もの月日がたってしまっていたのである。それほどまでに心地がよかった。

季節によって全く違う姿を見せる天白川

瑞穂区で暮らすようになってから、街は多面的であることを知った。名所や有名な建築物だけが全てではない。自分だけの自分にしかわからない特別な場所を発見することも“その街に住む楽しみ方の一つ”だ。そして発見への近道は、何度も伝えてきたとおり“散歩”である。まずは近くの観光名所、有名な建物から、街をできる限り一周する。そうすると自分が住んでいる街の“解像度”が高くなっていく。いつしか不思議と誰も注目していなかった自分だけの“ニッチな場所”が浮かんでくる。瑞穂区がもたらしてくれたものは私にとってとてつもなく大きな発見であった。また新しい案件が舞い込んできて、次はどんな街に移り住むのか予想もつかない。しかし、この“何か”、新しいひかりに出合う感覚を覚えてしまった私はまた、自分だけのニッチを求めて“散歩”を繰り返すのだろう。

ニッチニッチよ、こんにちは。

著者:五十嵐光一

五十嵐光一

1980年生まれ。福井県出身。
アパレルブランド「BEAMS」やデザイン事務所での勤務を経て、アパレルブランド「FLASH LIGHT」・総合デザイン事務所「UTOPIA」を始動。その他、さまざまな業種や場所で総合演出・ディレクションを務める。都市を選ばずローカルにおけるヒトやモノをリアルな現場に展開し、クリエイティブをよりユニークな形で見出す活動を行っている。近日YouTubeチャンネル「イガチャンクラス(仮)」を公開予定。Instagram @koichi_igarashi_

 

編集:ツドイ