書評家の私が魅せられた、喫茶店でゆっくりと本が読める街「京都」

著: 三宅香帆 

ゆっくりと本が読める街。それが私にとっての京都だった。

本はネット書店があればどこでも手に入るし、映画や観劇みたいにアクセス方法の限られたエンタメじゃない。本なんてどこでも読める。そう思っていた。昔の自分は。

でも違った。気づいたのは、大人になって――東京に3年住んでからだった。

上京後も、学生時代を過ごした京都が恋しくて…

地方出身の文学少女にとって、京都は憧れの街だった。多くの小説の舞台となり、たくさん文化の詰まった街。実際居心地が良すぎて、大学と大学院あわせて7年間も京都にいた。

「京都で学生時代過ごしたやつ、まじ一生京都の話してる」

そうTwitterで呟いたら、ものすごくバズった。みんなそうなんだな、と笑ってしまった。京都の磁場は強い。一度住んだらやみつきになる。でもどこかで「京都が好きなのは、学生生活が楽しかったからだろうな」とも思っている自分がいた。

大学時代、友達みんな近所に住んでいた。お金がなくてもマクドナルドで夜を明かすことができた。学生にとって京都はまるでひとつの寮みたいだった。京都は、友達がいたから好きなのであって、社会人になって住むところじゃない。ぼんやりとそう思っていた。だから就職して東京に出た。既に大学時代の友達も半分以上が東京にいた。ネットで知り合った友人にもすぐ会えた。服や化粧品を買いに行くにも、書店も美術館も、おいしいランチもディナーも、大量の選択肢があった。東京でたくさん働いて、たくさん遊んだ。

でも、自分がいちばん「いま東京にいるんだな」と実感するのは――喫茶店の列に並ぶときだった。書店で買った本を、帰り道すぐに喫茶店で読むのが好きだった。だっていま読みたい本を買ったのだ。一冊くらい読んでから帰りたい。洒落た喫茶店に行きたいわけじゃない。スタバでもコメダでもドトールでもいい。ただアイスコーヒーを飲みながら文庫本を読みたかった。贅沢な夢じゃない。

でもそれは東京にいると贅沢な夢だった。なぜなら人が多いから。とにかく普通のチェーン店に入るだけでも、列に並ぶ必要があるのだ。せっかく店に入れても、本を落ち着いて読むには、待っている他人が私は気になりすぎた。誰かが待っていたら、はやめに店内を出たほうがいい。そんな習慣が体にしみこんでいる。休日に文庫本一冊読むだけでも、並んで待たなくてはいけない。その事実にくらくらした。

もちろん私が休日に行くところなんて、池袋とか銀座とか日比谷とか新宿とか――ちょっと大都会すぎたんだろう。もうちょっと駅を探せば、待たなくてもいい喫茶店はたぶんあった。でもそれを探すために移動する時間はなかった。ただただ、私は大きい書店で買った本を、さらっと読んで帰りたかったのだ。だけどそれは難しい夢だった。

そのうち、本を読んで外でぼんやりする時間すら、持とうと思わなくなった。そのことに疲れている自分に気づいたのは、上京して2年目の夏だった。

久々の京都、「名曲喫茶 柳月堂」での読書体験に感動

京都の夏は信じられないほどに暑い。じんわりとした湿気が体にまとわりつくから、外にいるとすぐにどこか冷房の効いたところに入りたくなる。夜に友達と約束していたが、夕方に少し時間ができた。向かったのは、三条から少し下がったところにある、京都BALの地下に入っている丸善京都本店。天井が高くて棚の大きい、広い書店だ。冷房がよく効いていた。そこで本を一冊買った。『ビギナーズラック』という歌集だった。

私はその本をどこかで読みたくて、友達と待ち合わせしている出町柳に向かった。京阪の出町柳駅にあるロッテリアで本を読もうかと思いつつ駅のエスカレーターを上り地上に出ると、「あ」と思った。柳月堂の喫茶店が、目に飛び込んできた。

出町柳駅から歩いてすぐ。1分もかからない、信号を渡ったところにあるその喫茶店は、パン屋の二階にある。名前は「名曲喫茶 柳月堂」。学生時代以来、久しぶりに扉を開けた。店内には変わらず、クラッシック楽曲のレコードがずらりと並んでいた。

お盆休みだったけど、お客さんは少しだけだった。ソファですやすや眠っている人、じっと音楽に耳を傾けている人、本を読んでいる人。みんな絶対に私と目が合わない。ただただ店内に鳴り響くオーケストラの音。そして信じられないくらい座り心地の良いソファ。大好きなロイヤルミルクティー。ケーキはどれも絶品だから、どれを頼んでも正解。

これ以上本を読むのに適した喫茶店、世界中どこを探したって見つからない。それくらい、本をゆっくり読みたくなる店なのだ。

――京都を離れていたのは、たった1年ちょっとのくせに。こんなに好きな喫茶店のことを忘れていた自分に驚いた。

ただただ、東京での仕事ばかりの生活と、当時流行りたてだった疫病の存在が、私を疲れさせていた。京都でゆっくり本を読んでいたころの自分なんて、だいぶ昔の、遠い記憶になってしまっていた。東京にいると、時間に追われずに本を読むことすら難しくなっていた。私は買った歌集を読みながら、心底ほっとした。そしてゆっくりと、真夏なのに温かいロイヤルミルクティーを飲んだ。

喫茶店でゆっくり本の読める街。それが私にとっての京都だったことに、そのとき、はじめて気がついた。その夏以来、暇を見つけては、ちょくちょく京都に来た。

京都の喫茶店が放つ魅力と気楽さに引き寄せられて

大人になってわかった、京都の魅力。それはものすごく現実的な話だが、チェーンの喫茶店でなくともPCの充電ができる、いわゆる「電源のある」喫茶店がたくさんあることだ。海外のお客さんが多いからか、Wi-Fiの整備されているお店も多い。しかもどの喫茶店も、観光地ど真ん中でなければ、いつ行っても座れる。働いていた会社はずっとリモートワークだったから、京都に来ては喫茶店で仕事をした。

例えば京都府下を中心に39店舗を展開する「大垣書店」の多くには、電源のある喫茶店が併設されている。書店をぐるりと一周して、本を買って、そのまま喫茶店で本を読めて、PCも開ける。なんて理想的な流れだろう。

なかでもいちばん重宝するのは、学生時代からよく行った「大垣書店&cafe 高野店」。下鴨神社から歩いたところにあるこの書店は、電源ありのカフェが併設されている。しかも本を買うとカフェの割引レシートがつく。つい本を買ってしまう。ここのホットコーヒーには、修士論文も、自分のデビュー作の原稿も、会社の仕事も、とてもお世話になった。

京都の中心地こと河原町付近で電源があるカフェを探したいときは、「IKARIYA COFFEE KYOTO -イカリヤコーヒーキョウト-」。休日も朝から晩まで営業しているし、コーヒーもおいしい。ちゃんとWi-Fiもある。観光地の近くにあるけれど、四条通りからは少しだけ込み入った場所にあるので、意外といつもゆっくりできる。河原町OPAのブックオフで本を買った後、少し歩いてこのカフェによく向かった。

観光地近くで友達と待ち合わせするときは、祇園四条にある「ほそつじいへえ TEA HOUSE supported by MLESNA」で時間をつぶす。紅茶とパンケーキがやたらおいしい喫茶店。ここにも電源とWi-Fiがある。観光で京都に来た際にゆっくりしたいときにおすすめしたい。香りと味の良い紅茶も、ぜひ味わってほしい。

さらに、大人になってから京都に通うと、あることに気づいた。京都には、お酒を飲みながら女性ひとりでぼうっと本を読める場所が多いのだ。

例えば三条京阪駅近くにある「喫茶GABOR」は、16時から25時まで営業している喫茶店兼バー。地下にあるからわかりづらいのか、繁華街にもかかわらず空いており、いつでも入れる。お酒も豊富だが、おいしいおやつや紅茶もある……プリンアラモードを深夜に食べられる、罪なお店だ。学生時代は女子会の二次会によく使っていたが、大人になってからは、夜に女性ひとりでいても大丈夫なお店として重宝するようになった。

お酒じゃないけれど、午後の喫茶店で甘いものと一緒に本を読みたいときは、京都市役所前の「カヌレ」が最強だ。ここのカヌレは、ほんっとうにおいしい。カプチーノと一緒に楽しむのが絶対一番良い。夜だとカヌレが売り切れていることも多いから、午後や夕方に時間ができたときに行くのだけど、市役所前の地下にある「ふたば書房御池ゼスト店」で買った本を持っていくことが多い。

そう、気がついてみれば、京都は喫茶店天国なのだ。そして京都は、観光地とそうでない場所の住み分けが、意外とはっきりしている。買い物する場所と、観光する場所が、違っている。観光地でなければ、混まない。だから大きい書店のまわりに、ちゃんと待たずに入れる喫茶店がある。なんて素敵な街なんだろう。――そう気づいてからは早かった。

本好きの私が、最も自分らしく生きられる街

結局、東京に来て4度目の夏、私は京都へ戻ることを決めた。理由はいろいろある。けれど「本をゆっくり読める喫茶店が近くにほしい」というのは多大なる理由のひとつだ。
だって大人になった今、そのありがたみがわかる。今すぐ取り掛からなければいけない仕事も、ひとりでぼうっとする時間も、本をゆっくり読むタイミングも。すぐに入れる良い喫茶店がないと、なかなか実現できない。

書店や古本屋は京都のいたるところにある。そしてそこで買った本を読む喫茶店も、そこらじゅうにある。ただ、喫茶店でぼうっと本を読める、それだけの贅沢がこの街だったら手に入る。

実際、京都は住みやすい街だと思う。観光地と居住地がはっきりわかれているので、混むエリアに近づかなければストレスなく住むことができる。もう少し都会で買い物や観劇を楽しみたければ、阪急電車に乗ったら、大阪の梅田まで一本で行ける。神戸も近い。私は宝塚歌劇団のオタクなのだが、「電車で宝塚にすぐ行ける!」というメリットがかなり大きくて移住を決めた側面も強い。

ちなみに京都はよそ者に排他的なイメージもある。が、実際は県外から来た学生の多い街なので、移住者がとくに目立たない……というのが本音だ。

文化施設も多い。漫画読み放題の京都国際マンガミュージアムもあるし、美術館も大きいものから小さいものまであり、映画館も自転車で行ける範囲に複数ある。

京都といえば観光、という印象も強いかもしれないけれど。「住む」のにもいい街だと、私は大人になってからわかった。大阪も神戸も近くて、文化施設も多くて、街全体がコンパクト。住みやすいな、としみじみ思う。もちろん、書店もたくさんある。

京都の喫茶店で本を読んでいると、なんだか幸せで胸がいっぱいになる。それはたぶん、この街が無駄な時間を肯定しているからだ。喫茶店も、古本屋も、大学寮も。小さな美術館も、古めかしいお庭も、一年中どこかであるお祭りも、昭和の香りがする名曲喫茶も。京都はぜんぶあっていいよと頷いている。

だから私は戻ってきてしまった。こんなにゆっくり本が読める街、世界中探しても、ほかに見つからないんだもの。

著者:三宅香帆

三宅香帆

書評家、作家。1994年生まれ。京都在住。著書に『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『それを読むたび思い出す』等がある。この秋、最新作『妄想古文』を上梓した。

 


編集:小沢あや(ピース)