鎌倉で生まれ育った僕が、鎌倉に「住みやすさ」を感じるワケ|文・フミコフミオ


由比ヶ浜

こんにちは。僕は、フミコフミオ。1974年、鎌倉生まれの48歳、中間管理職だ。由比ヶ浜の産院で生まれ、鎌倉の街で育ち、今はもう鎌倉を離れているものの、ずっと湘南エリアで暮らし続けている。

鎌倉と僕(の家族)との縁が生まれた時期は今から100年前にさかのぼる。

というのも、母方の祖父が市内の鎌倉ヒロ病院で100歳で亡くなるまで、ずっと鎌倉で暮らしていたのだ。

つまり、祖父以前の家族史は不明だが、鎌倉と僕の(家族との)縁は少なくとも100年を超えていることになる。今でも僕の母は、由比ヶ浜にある祖父の家で暮らしている。ちなみに僕が生まれた矢内原医院は、由比ヶ浜にはもうない(2013年に大船に移転した)。

そんな鎌倉生まれ、鎌倉育ち、現在も湘南在住かつ湘南勤務の僕が「暮らす街」という視点でリアルな鎌倉の魅力(主に、僕が育った鎌倉駅周辺について)を語り尽くしてみるというのが、今回の企画の趣旨である。

僕が育った鎌倉は、観光地ではなく「生活の街」だった

鎌倉駅
鎌倉駅

鎌倉駅周辺でメジャーな通りといえば、東口の「小町通り」が挙げられるだろう。飲食店や土産物店が立ち並び、平日も多くの観光客でにぎわう。

そんな小町通りに比べると、駅西口にある「御成(おなり)通り」は地味な印象がある。だが由比ヶ浜生まれの者として、御成通りにこそ、生活の街としての鎌倉の魅力が凝縮されていると主張したい。

御成通り
御成通り

なぜなら、御成通りから由比ヶ浜にかけてのエリアには、鎌倉で長く暮らした僕自身の思い出のスポットが多いからだ。

祖父が内緒で連れて行ってくれた「滝乃湯」

例えば、子どものころ、祖父によく連れて行ってもらっていた銭湯「滝乃湯」。観光地にあるスパ的な要素はゼロ、東京の下町にあるような商店街の銭湯だ。

自宅にはお風呂があったが、祖父が僕の両親には秘密にして、よく連れて行ってくれた。昭和の趣のある建物で、今振り返ってみればごくごく普通の街の銭湯だったけれど、自分にとっては人生初の銭湯だったので新鮮で楽しかった。

少年時代に通った昔ながらの映画館「テアトル鎌倉」

それと、西口ロータリーにあった映画館「テアトル鎌倉」。僕はテアトル鎌倉しか知らないが、鎌倉駅周辺にはかつて小さな映画館が点在していたらしい。母もことあるごとに「昔は映画を見るのに苦労しなかったのよ」と振り返っている。

母が「駅周辺に7劇場あった」と証言してくれたのでネットで調べてみたところ、テアトル鎌倉以外に鎌倉松竹劇場、鎌倉市民座、鎌倉名画座、鎌倉劇場、大船オデオン座、鎌倉サテライトシアターがあったらしい。これだけ多くの映画館がある街は、なかなか文化的だといえるのではないか。

僕が唯一知っている「テアトル鎌倉」は、窓口で切符を買うオールドスタイルの映画館だ。そこで小学生のときに『実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン』を鑑賞した。ひたすら暗いウルトラマンだったことは覚えているが、記憶があいまいなのは、たぶん途中で寝てしまったからだ。

それと『サイボーグ009 超銀河伝説』。死んだはずの004がラストに意味不明の理屈で復活したところでジュースを吹いた。椅子が硬くて、お尻の痛みとの戦いでもあった。

閉店セールにも足を運んだ思い出の玩具店「からこや」

そして僕が最も郷愁を感じるのは、六地蔵の近くにあった玩具店「からこや」。大正時代から2007年まで85年続いた老舗だ。一時は駅前に支店を出していた記憶があるが、定かではない。

僕にとって「からこや」は玩具店ではない。プラモデル屋だ。街の玩具店にしてはプラモデルの品ぞろえが抜群だった。親や祖父に頼み込んで田宮模型(現・タミヤ)のⅡ号戦車やハセガワのウォーターラインシリーズの日本海軍の巡洋艦や駆逐艦(戦艦より小さく安価だった)といった、現在も現役の名作プラモデルを買ってもらった。

子ども向けの玩具やぬいぐるみ、将棋や花札といった昔からある遊戯ゲームもたくさん置いてあった。棚の上の方まで無造作に積み上げられているプラモデルの箱を見上げるだけで楽しかった。

2007年にからこやが閉店するという話を聞いて、30代になっていた僕は、外回り営業の途中に閉店セールへ足を運んだ。残念ながら、お目当てのプラモデルはほぼ完売していた。おそらく僕と同じような人生を送ってきた人たちが買っていったのだろう。

滝乃湯も16年ほど前に廃業してしまった。テアトル鎌倉は1988年になくなって、跡地にはマンションが建っている。ちなみにその隣にある銀行の跡地がしゃれおつなレストランになったときは驚いた。おしゃれ過ぎて一度も利用していない。

あとは、六地蔵に備えてあったおはぎ(お菓子だったかもしれない)を食べてしまって腹を壊して死ぬ思いをしたのも、今となっては良い思い出である。

六地蔵
六地蔵

思い返せば、子どものころ、近所で映画を見たり、多くのプラモデルの中から自分の直感で選んだものをつくったりした経験が、僕を「サブカル好き」にさせたのは間違いない。

それに、身近なところで憧れの映画を上映していたりプラモデルを売っていたりすること自体が、僕にとっては大きかった。身近な場所でさまざまなカルチャーに触れられるのも、「文化的な街」としての鎌倉ならではだろう。

ほかにもいろいろと懐かしいスポットはあるが、僕の人生において大きなウエイトを占める要素を形づくってくれたのは御成通り/由比ヶ浜である。そして生活に密着していたスポットのいくつかは、もう過去のものだ。

観光地化で「一時的に」暮らしにくくなった鎌倉

突然ですが質問。皆さんは「鎌倉」と聞いてどんなイメージを頭に思い浮かべるだろうか? 観光地。観光客。神社仏閣。海水浴場。古い街並み。海鮮料理。しゃれたカフェ。海と山に囲まれた景観。『海街diary』。そんなところだろうか。まとめると「爽やかな街」「おしゃれな街」になるのではないか。

では、もう一つ質問。「暮らす/生活する街としての鎌倉」にどんなイメージをもっているだろうか? 鎌倉野菜と新鮮な魚介類。古い街なので不便そう。観光客と海水浴客の大混雑。まとめると「暮らすには不便な街」になるのかもしれない。

実際に住んだ人間からしても、これらのイメージは概ね正しいと感じる。実際、暮らしてみると鎌倉は不便なこともある。祖父が若かったころから、すでに観光地化は進んでいたが、当時はまだ生活に密着した商店が結構あったらしい。けれども、昭和の終わりくらいから平成にかけての鎌倉は、暮らしにくい、生活しにくい街だったという実感がある。

鎌倉は昔から観光地ではあったが、外国人観光客や若者客の増加で、観光地化が一気に加速した気がする。いろいろな要因があるけれども、ネットやSNSが普及した影響は大きいだろう。

映えるスポットを求めて、外国人や若者が集まってきた。例えば紫陽花で有名な長谷寺は、一昔前はシルバー層と修学旅行で訪れた小学生の団体ばかりだったのに、今は外国人や若い女性客の姿を見かけるようになった。

こうして観光地化が進む一方で、先に挙げた「滝乃湯」や「からこや」といった、住民の生活に密着している古くからの店が閉店してしまった。その上、近隣の藤沢や茅ヶ崎よりも土地が狭く大型店舗が少ないこともあって、食料品や日用品をまとめて安く買いづらく、「生活するにはちょっと……」という印象の街になってしまったのだ。


鎌倉の景色

残念ながら、交通の便も良いとはいえない。源頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由とされる「山と海に囲まれている」という防衛上のメリットが、現代の交通アクセスの面ではデメリットになっている。

鎌倉には市街中心部から簡単にアクセスできる有料自動車道がない。そのため、市外に出るだけでも一苦労だ。神奈川県内を東西に横断する有料自動車道として東名高速道路があるけれども、鎌倉から東名に入るまでが1時間の小旅行である。

夏の行楽シーズンになれば市内の道路は渋滞に悩まされ、抜け道も少ないので渋滞がなかなか解消されない。江ノ電も満員で乗り降りするだけで消耗してしまう。車の少ないシーズンでも、幅の狭い道が多いため、車で擦れ違うのも気を使う。なぜか鎌倉は高級車を運転する住民が多く「もし擦ってしまったら……」という緊張感はほかの街よりも高まる。

ネガティブな話ばかりになってしまった。しかし、最近では、徐々に生活と観光を両立させる取り組みもなされていると感じる。

例えば、かつては新宿・渋谷方面に出るためには横浜駅で東横線に乗り換えるか、品川まで出る必要があり不便だったが、湘南新宿ラインが開通してからは新宿・渋谷方面へのアクセスは劇的に改善されている。2017年ごろからは鎌倉市主導で地域住民が江ノ電を優先して利用できるようにするための社会実験も始まった(2020年以後コロナ禍で休止中)。

少しずつではあるが、暮らしやすい街に変わってきている。大型店舗はないけれど、新鮮なものを安く買える魚屋さんや八百屋さんはある。

そうした変化も表れてきた今の鎌倉は、「​少しの工夫​」さえできれば、イメージほど暮らしにくい街ではなくなってきている。

鎌倉は「スロー」だから「離れられない」

僕は鎌倉で15年暮らし、その後も30年以上湘南エリアに住んでいる。先に述べたような不便な点を差し引いても、離れられない街なのだ。同じように長年暮らしている親戚や、近所の人たちの話を総合すると、皆「少し不便なくらいがちょうどいい」と考えているように聞こえる。

街の話からは少し外れるが、僕の家族は、古い祖父の家の離れを借りて暮らしていた。トイレはあったけれどキッチンや風呂はなくて、祖父が暮らす母屋に借りるという生活だった。

風呂は外から薪をくべて沸かすタイプの古いもの。沸いたと思っても、熱過ぎたり冷た過ぎたりして湯加減が難しかったし、入浴する時間も限られていて不便だった。

それでも子どもの僕には、両親や祖父たちがのんびりと平和に暮らしているように見えた。自分たちの都合で動くのではなくその土地の生活に自分たちを合わせることが自然に感じたのだ。ちなみに、僕が暮らした離れは古くなって取り壊されたので、今はもうない。

確かに効率的に暮らすという意味では、まだほかの街に比べると劣るかもしれない。だが、少しの工夫で、暮らしやすい街になる。最近はコロナ禍で関東圏に住む人のライフスタイルも大きく変わりつつある中、今はやりのスローライフや、丁寧な暮らしを求めるなら鎌倉は最高の街だと思う。

丁寧な暮らしとは、効率を追求しない生き方であると僕は考えている。ここまで挙げたような不便さも、工夫次第では生活の充実につながる。例えば市街中心部の酷い交通渋滞も、朝早くから活動すれば回避できる。渋滞が酷くなるのはだいたい午前10時以降だ。

朝早くから動いて時間の余裕ができれば、予定を一つ二つ追加で入れることだってできる。僕は休日、平日より早い時間に起床して買い物や用事を片付けている。この原稿を書くようなライター業ができているのも、始動の時間を早めたからだ。話は脱線するけれど、物を書く仕事をするのに鎌倉は最高の街だ。夜は静かで、平日午後のカフェは空いているからね。

鎌倉は大通りを除けば、車が擦れ違うのに苦労するほど狭い道が多い。擦れ違いの際は電柱の陰で一旦停止して対向車に譲ることになるが、譲ることで“プチいいことをした気分”になれる。

そんな感じで街全体のリズムが少しスローなのだ。ここ数年、ネットやSNSでその点に気付いた若い世代が移住してきている。彼らは鎌倉を「観光地」ではなく、「のんびりと暮らせる生活の街」と捉えているように見える。

鎌倉名物の神社仏閣も、観光地として訪れるのと、生活の中に組み込むのとでは、体感的な距離感がまったく違う。朝、夜に散歩をしてみるとわかる。観光客の消えた鎌倉は、神社仏閣とそれを取り囲む木々がもたらす静寂な街だ。その中にいると心が落ち着くのだ。

もし鎌倉で暮らしてみたいと思ったら、まずは人のいない時間帯に訪れてみることをオススメしたい。しんと静まり返った雰囲気が気に入ったら移住を考えて、寂しいと感じたなら、もう少し時が来るのを待とう。

元住民が選ぶ、住むのにオススメしたい鎌倉のエリア

実際に暮らすのなら、東海道本線、横須賀線、京浜東北線、湘南モノレールが通っている大船駅周辺は利便性も高く、ハードルが低いのではないか。都心や横浜、近隣の藤沢へのアクセスの良さが抜群で、かつ、鎌倉駅周辺から海岸エリアにかけての渋滞とも無縁だ。それでいて北鎌倉へ徒歩で散策することも可能な距離感なので、鎌倉初心者向けのエリアだと思う。大船駅前には立派な商店街(大船仲通商店街)があるのもマル。


大船仲通商店街

大船仲通商店街
大船仲通商店街の様子

もっと鎌倉の中心部に住みたい! ということであれば鎌倉駅から徒歩圏内にあり落ち着いた雰囲気の材木座エリアがオススメだ。メインの観光地をつなぐ道路から少し奥のエリアなので、週末や休日の昼間でも比較的人が少なく、由比ヶ浜海岸までも近い。海と山を間近に感じながら、落ち着いて暮らせるのではないか。難をいえば、脇道に入ると狭い小路なので、車の運転に自信のない人は慣れが必要かもしれない。

和田塚駅
材木座エリアにも近い江ノ電の和田塚駅

そしてやはり僕がオススメするのは、御成町から由比ヶ浜にかけてのエリアだ。駅前から続く御成通りを抜けて六地蔵で海側に曲がり、江ノ電の和田塚駅を越えると由比ヶ浜だ。駅まで徒歩十数分。賃貸の物件がそれほど多くなく、古い家が多いので移住するハードルが高い、といった要素もあるが、古民家をゲットして移住している人もいるようなので、ザ・鎌倉を満喫するにはうってつけだろう。

鎌倉は「どうぶつの森」のような暮らしができる街

鎌倉は古い街だが、これからアツくなるのは間違いない。定年を迎えたシルバー世代から若い世代までいろいろな人たちが、鎌倉をはじめとした湘南エリアに移住してきているからだ。

新型コロナによる社会の変化という要素もあるけれど、時代の流れによって、鎌倉は暮らし/生活の街として見直されている。海と山があり、神社仏閣の多い静かな街というイメージに加えて、働きながらのんびりと暮らせる街という評価を得たのだろう。「どうぶつの森」のような暮らしだ。

ウチの家系のように古くから鎌倉で暮らしている人間は多い。一昔前までは、鎌倉に引越してきて暮らそうという人は少なかった。閉鎖的な印象があったのかもしれない。今はそんなことはなくなった。

今回この記事を書くに当たって、久しぶりに鎌倉駅から御成町、由比ヶ浜、材木座を平日の昼間に散策してみた。古い店や建物だけでなく、僕の知らないうちにできた新しい建物も見かけた。

新旧の建物が入り混じる鎌倉の街
新旧の建物が入り混じる鎌倉の街

興味深いのは、新しい建物や店舗から「鎌倉という街に溶け込もう」という“気”が伝わってきたこと。古民家カフェのように、鎌倉の雰囲気を活かした店も多い。ただ、心なしか少し遠慮しているようにも見えた。今後は遠慮せずに、自分を出していただけたらいい。

鎌倉は今後さらに面白くなると思う。移住してきた人たちと鎌倉で暮らしてきた人たちとの化学反応が起きるのはこれからだ。

あなたがもし、鎌倉で暮らすことになったら、少しクセのある土地柄とのんびりした空気感を味わって、良いところも悪いところも、見て、感じてほしい。暮らしていると、ちょっとイヤな部分も味わいに感じてくるもの。鎌倉は本当にクセになる街なのだ。

冒頭に紹介した祖父の家族は元々茨城県に住んでいて、何らかのきっかけで鎌倉に移住して100年以上暮らし続けた。移住者だったけれど、“鎌倉のクセ”にハマってしまったのだ。

ここでいうクセとは、鎌倉でしか体感できない独自の「生活のリズム(スピード感)」や「人との距離感」のことだ。生活のリズムについては、繰り返し述べてきた通り。鎌倉における人との距離感は、近いようで遠くて、絶妙だ。経験上、あまり他人の暮らしには干渉しない土地柄だと僕は思っている。

もしかしたらそういった要素が、現在の移住先としての需要増につながっているのかもしれない。確かに古くからの住民には鎌倉で暮らす上でのこだわりがあるが、それを邪魔しなければ、これほど暮らすのに楽な街はないと思う。

これから鎌倉で暮らそうと考えている人も、鎌倉のクセにハマって100年暮らしてもらえたらうれしい。効率的な暮らしができるとはいわないが、本当に暮らすのが楽しい、いい街なんですよ。

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筆者:フミコフミオ

フミコフミオさん

海辺の街でロックンロールを叫ぶ不惑の会社員。ブラック企業勤務〜フリーター〜再就職を経て本稿の話題にいたる。90年代末より現在まで、日々の恥をブログに綴り続ける。昨年、『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる(KADOKAWA)』『神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する(KADOKAWA)』出版。
ブログ: Everything you've ever Dreamed
Twitter: @Delete_All

編集:はてな編集部