“生きる“ことが見える限界集落、広島県・北広島町に移住してわかったこと

著: shuo(束元理恵) 

広島県と島根県の県境をまたいでいる雲月山からの眺望

「過疎」「限界集落」そう言われる地域に5年間住んでいた。山の猟師に、憧れていたからだ。

21歳のとき、同じ広島県内の熊野町から北広島町に移住した。北広島町は広い。平成の大合併の時にもともと四つに分かれていた町を集めて、一つの町になった。私はその中でも広島県と島根県の県境、1番の豪雪地帯の「旧芸北町」に住んでいた。

最寄りのコンビニエンスストアまでは、片道車で30分。近くにあるのはホームセンター、個人商店、農協のスーパーばかり。車がないと生活ができない、他人の言葉を借りるといわゆる「不便」な場所らしい。私の家は携帯がよく圏外になったが、どれをとっても不便だと思ったことがなかった。

そんな私が北広島町に越してきてすぐに不思議に思ったのは、今でも住んでいる人たちは合併前の旧町の呼び名で呼ぶことだ。私の周りの人たちは、北広島のことを誇りを込めて愛おしそうに「芸北」と呼ぶ。それは他の3つの旧町でも同じようなのだ。

空き家バンクで、移住を決めた

移住してから、私は望み通り北広島で農業の仕事をしながら、猟師をしていた。全国的に空き家の増加が問題になっているが、北広島町では空き家問題が深刻だった。そのため、町のホームページに空き家バンクというページがあり、町を通して空き家が売買されたり、賃貸として契約されたりするシステムがつくられている。 私の場合は、移住前に「ぞうさんカフェ」というカフェで知り合った猟師の人から家や仕事を紹介してもらい、移住に漕ぎ着けた。

5月田植えの様子

人々の営み、よりどころとなる伝統の祭り

私の住んでいた地域では、たくさんの行事がある。地域の草刈り、夏まつり、秋まつり、9月の「乙九日(おとくんち)」と呼ばれるまつり、11月の夜神楽……と、地域の味噌づくりなどの行事をあげるとキリがなくなってくる。この地域行事の多さこそが、この町が好きな理由のひとつなのだ。人があたたかい。20代の私がひとりで移住してきても、周りの人から「祭り、行こうやぁ」と声をかけてもらい、参加させてもらった。見ず知らずの「外の人」にも声をかけてくれるのだ。

北広島町では神楽が盛んだ。町内で働いている男性は大体神楽団に所属している。それぞれの地域に一団体ずつ神楽団があり、それぞれの管轄の神社に舞をおさめるのだ。今では人口が減ってしまったため、神楽団のない地域があり、10月、11月の秋祭りのシーズンになると、地元から離れた神社に出張することもある。

地域の神社での神楽の奉納は、夜の23時から始まり、朝の4時まで行われる。

近くの人たちは神楽の時間が始まるまで、親戚の家に集まってお酒を飲み、食事をする。私は一度だけ参加したことがあるのだが、神楽団の人たちも、それぞれの家にお呼ばれして、飲んだり食べたりして、最終的に神社に集合するようだった。

11月のもう寒い時期だ。地域の人たちは時間になると、毛布を持って集まる。小さな子どもから、おじいちゃんおばあちゃんまでがワイワイと、いつもとは違って明るい神社に集まってくる。この日のために帰省する人たちもいて、何もかもがいつもと違ったにぎやかさだ。

神社の境内で、舞台を囲むようにみんなで身を寄せ合って座る。毛布にくるまりながら、時々熱燗が回ってきて、体を温めつつ神楽の舞を見守る。私は夜中に起きていることが苦手なので、失礼だと思いつつも、こっくりこっくり船をこぎながら舞を見ていた。眠りそうになりながら見ていた「天照大御神」の演目では、天岩戸の前で舞う巫女の人の舞がこの世のものとは思えないほど美しかった。

神楽を舞うのはたいてい集落に住んでいる40〜50代のおじちゃんだが、彼らはひと舞いした途端に可憐な巫女さんになる。広島弁を話しながら地域清掃をしている普段の彼らからは、まったく想像もつかない。

神楽を舞う時は、お面を被る役とそうでない役がある。どの役をする人も、普段の男性陣からは想像できないまさに神がかった凛々しさがにじみ出ている。神役、鬼役も、自由に決まるものではなく、家によって神、鬼の役が決まっているそうで、その土地に先祖の代から根付いた祭りの息遣いを感じるようだった。

地元の神楽団による演舞

“生きる”ことがはっきりと見える街

私が北広島町のディープなところにどっぷりと浸かったのは、地域に根差した農業法人に就職していたこともあるのだが、もう一つの理由としては、地元の猟友会に所属して、猟をしていたからだった。

私は鉄砲を撃つ猟師をしていた。猟友会のメンバーで山へ分け入って、「巻き狩り」と呼ばれる狩猟法でイノシシを追いかけ、仕留める。犬や人が獲物の跡を追いかける「勢子(せこ)」という役割と、追いかけられてくる獲物を迎え撃つ「待ち」と呼ばれる役割がある。私は最初「女だから」と体力的なことを考慮し、待ちの役割が多かったのだが、山に慣れてきたころ「勢子」にも加えてもらえるようになった。猟期は11月15日から2月15日。北広島町では、2月いっぱいまで猟期が延ばされていた。

100kg超のイノシシ

農業法人に勤めていたこともあり、農家が山に住む生き物から受ける農業被害の深刻さを身に沁みて感じていた。イノシシ除けの電気柵を張っていてもそれを越えて入ってくるイノシシがいる。職場で管理していた田んぼが沼地のようになり、悔しい思いをしたこともあった。イノシシを憎んでいる住民たちだが、肉となると態度は一変する。特に猟友会の猟師が捌いたイノシシ肉は臭みがなくおいしいと評判だった。

「今度家で焼肉するけぇ、おいしい猪肉持ってきてくれぇや」

そうやってバーベキューに誘われることもある。

不思議なことに私が肉を持っていくと、毎回といっていいほど「どこのイノシシ?」「どうやって獲ったん?」と尋ねられる。今食べているイノシシのことを詳しく聞きながら肉を食べるなんて、私は北広島町に越して来るまで経験したことがなかった。命を身近に感じる暮らし。畑の野菜、田んぼの米も、その年の気候に大きく左右される。そこにも自然と農作物の命のやり取りが色濃く見える。

豪雪地帯の里山から、瀬戸内の島へ。広島県は日本の縮図だ

朝3時からの除雪の途中、ようやく夜が明けた風景

私が住んでいた地域には、当時5km圏内に3つのスキー場があった。季節がそれぞれにくっきりしていて緩急もある。夏でもクーラーのいらない冷涼な気候も、農業をする私にとっては嬉しいポイントだった。

標高が700mを超える場所にある町では、見たことのない植物や動物との出会いもあった。家の近くに香りのいいクロモジの木が生え、その近くには翼を広げると170cmもあるというクマタカが住んでいた。家の窓を開けると、三匹のクマの親子が悠々と歩いていたこともある。夏には、渡り鳥のアカショウビンの「ヒョロロロロ……」という声が聞こえてくる。

私は2022年の初め、一身上の都合から北広島町を離れた。今は瀬戸内の江田島市に移住していて、半年以上になる。私は亡くなった曽祖父の家に住んでいる。古い家はところどころ傷んでいるのだが、北広島町でたくさんの人に教えてもらった生活を手づくりしていく術を思い出しながら手入れしながら先祖の家を継いでいる。

早朝の海

歩いて行けるところに海があって、夏になってからは毎週のように海に泳ぎに出かけている。山では嗅ぐことのなかった潮の香りとべたつく皮膚が新鮮だ。まだ半年ほどの島暮らしだが、広島県内でもこんなにも山の方、海の方では家のつくり、人々の仕事、生活のサイクルに違いが大きく出るものなのかと環境によって変わる私たちの生活に毎日発見をしながら暮らしている。北広島町のような豪雪地帯、南へゆけば瀬戸内海の冬でも雪のほとんど降らない温暖な地域、それぞれの四季の違いの幅は、まるで日本の縮図のようだ。

北広島のことを思い出すと、風に揺れる葉の緑の鮮やかな美しさと、汗だくで嗅いだ田んぼの泥くさい香り、吹雪の中で息をするあの痛さ…たくさんの自分の感じた感覚が一斉に集まってくる。

「芸北……北広島町に住んでいました」

私も「芸北」とついつい言ってしまう。

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著者:shuo(束元理恵 つかもとりえ)

shuo(束元理恵 つかもとりえ)

1994年広島県生まれ。幼稚園教諭、ゲストハウススタッフなどを経て、22歳の春、猟師にあこがれて北広島町に移り住む。農業法人で勤務。2020年4月~2021年12月、中国新聞コラム「あこがれ山暮らし」全80回の連載にて、どっぷり里山に浸かった日々を毎週1回つづる。「昆虫食ガール」「狩猟女子」「食いしん坊」
現在10月上旬に発売される「いただきますの山」(ぞうさん出版)を執筆中
HP:山の灯台 https://shuo.theshop.jp/

編集:ツドイ