自慢の生まれ故郷「広島」が、私を編集者にしてくれた

著: ガーリエンヌ 

相生橋と原爆ドーム

出版社の就職最終面接で、「あなたの地元のことをアピールしてください」という質問をされたことがある。

少し考えて、私は「『東京には空がない』という有名な言葉がありますが、私が広島から上京して思ったのは、『東京には川がない』ということです」と話し始めた。

いや、正確には、東京にももちろん川はある。隅田川に荒川、多摩川。しかしこれらの大きな河川は、西武新宿線沿線の下宿と新宿区の大学を行き来するだけの学生生活では、あまり馴染みがない存在だった。都心部を流れる神田川や目黒川は、水量が少なく、川幅も狭い。18歳まで広島市で過ごした自分にとっては、川としてはものたりなかった。

というか、ほとんどの街には川がないのだ、広島市に比べれば。

広島市のウェブサイトによると、

 広島市域には、一級河川太田川、二級河川瀬野川及び八幡川という三大河川(水系)を中心に、718の河川があります。
 市街地は、これら河川沿いの平地に形成されており、周辺部には中国山地の山々が連なり、南に風光明媚な瀬戸内海がひらけ、「水の都」と呼ばれる広島独特の都市景観を形成しています。

となっている。要約するとまあ、とにかく川が多いということ。どこに行っても川がある、街と川が並走している、という感じなのだ。

太田川放水路、天満川、本川、元安川、京橋川、猿猴川の6つが特に大きな川で、私の実家は京橋川沿いにあった。

相生橋と路面電車(友人提供写真)

広島市に住んでいると、どこかに行くというのは、川を越えることと同義である。例えば私は中学・高校へは路面電車で通っていたのだが、最寄りの停留所から学校のある西広島駅まで、4本もの川を越えていた。路面電車は停留所も多く、自転車以下の速度でのんびりと走る。片道1時間以上かかり、何度も遅刻ギリギリで校門へ坂をダッシュする羽目になったが(大根足になるので「大根坂」と呼ばれていた。今考えるとひどい名称だ)、通学時間それ自体は嫌いではなかった。眠くてうとうとしていても、電車が橋にさしかかると、きらきらとした光を感じる。目を開くと、そこには朝の光を浴びた川面が輝いている。

個性あふれるミニシアターに誘われて

広島市にあるのは川だけではない。カルチャーも、グルメも、観光名所も、なかなかどうして充実している。

有名な歓楽街「流川」の地名の由来も、この地に小川が流れていたことから(現在は埋め立てられている)

カルチャー面でいちばんお世話になったのは、サロンシネマというミニシアターの映画館。現在は繁華街・八丁堀にあるが、2014年までは鷹野橋という中心地から少し外れたエリアにあった。商店街の奥、古めかしいビルの2階にあり、いかにも場末感満載。高校1年生で初めて訪れたとき、「こんな場所でひとりで映画を見る自分」にスリルと興奮を感じたものだ。

そのとき見た映画はサド侯爵が主人公の『クイルズ』。弾圧されながらも書くことをやめない壮絶な生きざまを描いたドラマで、サド侯爵をジェフリー・ラッシュが演じ、ケイト・ウィンスレット、ホアキン・フェニックス、マイケル・ケインなど、そうそうたる役者陣が共演していた。それまでは普通にメジャー大作やアニメ映画しか見ていなかったのに、図書室で読んだ雑誌『ステラ』の映画評でこの作品が紹介されており、「あ、見に行きたい」と思い立ってしまったのだ。

当時購入した映画のパンフレット

見終わったあと、あまりの衝撃に心臓がバクバクして、「とんでもない世界を知ってしまった」と思ったことを覚えている。明るい大通りに出て電車に乗る気になれず、川沿いをずっと歩いて家に帰った。帰宅すると、不順だった生理が急に来ていた。そのくらいのインパクトだった。

以来、サロンシネマと姉妹館であるシネツインには足繫く通うことになる。『ゴーストワールド』『チアーズ!』『アメリ』『青い春』『猟奇的な彼女』『ピアニスト』『マルホランド・ドライブ』などなど、今も忘れられない作品にたくさん出会わせてもらった。サロンシネマが発行する無料の情報誌『エンドマーク』(2018年で発行終了)も毎月隅から隅まで読んでいた。間違いなく人生でもっとも集中的に映画を摂取した3年間だ。

横川シネマ(2020年撮影)

同じミニシアターでは、横川駅裏にある横川シネマもがんばっている。よりディープなラインナップで、映画館自体も昭和の趣を残しており、「ミニシアターに来た!」と実感できる。
駅周辺は再開発が進んでおり、おしゃれな飲食店やカフェも増えた。2020年に横川シネマで『スパイの妻』を見た帰り道には、ネルドリップ専門のイリガン珈琲店で一服した。簡素ながら落ち着ける空間で、厚切りトーストやチェリーパイなどがメニューに並ぶ。横川シネマの隣には、カレー専門の姉妹店・イリガン咖哩店もある。

広島県民の誇り「ベーカリー・アンデルセン」

10代のころ、映画館と同じくらい胸がときめいた場所が、カフェだ。学校帰りの飲み食いが校則で禁止されていたため、教師のパトロールに見つからないように繁華街から少し外れた、隠れ家的なお店を発掘するのに夢中だった。

並木通りの出口、平和大通りに面するcafé citronは、リノベーションカフェの先駆け的な存在で、武骨なビルの外観に反して、ミッドセンチュリー風のゆったりした内装が落ち着く。当時、ランチの豚の角煮丼が確か750円。土曜日の学校終わりに立ち寄っては、親から昼食代としてもらった500円におこづかいをたして、ちょっと背伸びしたランチを楽しんでいた。

八丁堀エリアでは、YMCAの近くにあった紅茶屋ピンカートンズスークも好きだった。広島では珍しいチャイの専門店で、エスニックな布や雑貨で飾られた店内では、スパイスカレーや紅茶に合う焼き菓子が楽しめた。2016年に店舗移転して食事メニューはなくなったようだが、青春時代を過ごした店が今もしっかりと続いていることがうれしくなる。

2020年に店舗リニューアルした広島アンデルセン(友人提供写真)

グルメといえば、忘れてはいけないのが広島アンデルセンだ。デパートなどでもおなじみのベーカリー・アンデルセン発祥の地が広島であることは、広島人が声高に叫びたいことのひとつである。パンの販売だけでなく、レストラン、花屋、カルチャースクール、ウェディングなどさまざまな用途で利用でき、建物全体に異国の洗練されたエッセンスと夢がつまっていて、家族でちょっとおめかしして出かける先といえばここだった。

あのショコラティエ、ジャン=ポール・エヴァンのショップもあり、2002年のオープン時に来店した本人と直接話せたのは、ちょっと自慢したくなる思い出だ。

広島カープが強固な絆を生む

映画にカフェと文化系の趣味を書き連ねたが、当然のように私は広島東洋カープファンでもある。幼いころは市民球場の外野席に家族5人ぎゅうぎゅう詰めで座り、前田智徳、江藤智、金本知憲らの活躍を見ていた。

そして、この10年ほどのカープの活躍はご存じのとおりで、帰省するたびにMazda Zoom-Zoom スタジアムに行くのが楽しみとなっている。なかでも母親は年間指定席を押さえているほどの鯉党で、私の夫(西武ライオンズファン)は結婚前、「一度Mazda Zoom-Zoom スタジアムを体験してみたら?」という釣り文句に乗せられ、まんまと実家に呼び寄せられたことがある。
その日、試合後にカープのユニフォームを着て街中を歩いていたら、見ず知らずの人に「今日のカープ、どうじゃったー?」と声をかけられた。東京ではなかなかない体験だが、広島ではよくあることで、それだけカープという球団が身近にあるということだと思う。

私と夫。ちなみに、この年の秋に入籍しました

その旅行が夫にとって初めての広島だったので、野球観戦以外も定番の観光を楽しんでもらった。広島県には原爆ドームと宮島という世界遺産があるが、この2つを効率的に見ようということで、利用したのが高速船。その名も「ひろしま世界遺産航路」!

原爆ドーム横の高速船乗り場(友人提供写真)

原爆ドームのすぐそばの川に乗り場があり、宮島まで約45分で連れて行ってくれる。川と海から街並みを眺められるうえ、風を切って水上を走るのが気持ちいいし、路面電車よりも移動時間が短い。まさに川の街の面目躍如である。

高速船から見る原爆ドーム(友人提供写真)

故郷への愛が、今の自分の心を満たす

ここまで書いてきて、改めて、広島市は本当にいい街だなと思う。適度に都会で、美術館や博物館も複数ある。気候は穏やかで、過ごしやすく、人の気質がほがらか。自然に恵まれていて、瀬戸内海の海産物、中国山地で育まれる畜産物がおいしい。どの家にも行きつけのお好み焼き店があって、店主や常連客と会話しながらおなかいっぱい食べられる。

実家近所のお好み焼き。ランチ価格500円

広島を「つまらない街」と思ったことは一度もない。誰にでもおすすめしたい、自慢の生まれ故郷だ。

その一方で、18歳で上京して以来、帰って定住しようと考えたことはない。広島で育った18年間のあいだに、「編集者になる」という夢ができた。それをかなえることができるのは、広島ではなく東京だったからだ。

広島を誇りに思う気持ちと、「ここを出て東京で暮らす」という気持ちは、一見相反するかもしれないが、私にとっては同じくらい自然なものだ。

就職活動の際、両親からは「出版社に受からなかったら、広島に帰ってこい」と言われていた。何社も連戦連敗するなかで、唯一受け入れてくれたのが、冒頭の面接を受けた出版社だった。おかげでなんとか編集者になることができ、14年経った今も、東京で楽しくやれている。

京橋川と夕日

「あなたの地元のことをアピールしてください」という質問に対する回答の最後に、こんなふうに言ったと記憶している。

「広島にいるころ、いつも近所の川べりを散歩しながら、見た映画や読んだ本のこと、政治のこと、人生のことなど、いろんなことを考えていました。編集者になりたいという最初の思いはそこで培われたと思っています。いま東京の暮らしを気に入っていますが、そういう故郷があることが、自分にとってよかったと思います」

その原風景は、これからも消えることはないだろう。東京に広島の川はない。だけど自分の中にずっと流れ続けていて、私を私たらしめてくれる。

著者:ガーリエンヌ

ガーリエンヌ

1986年、広島市生まれ。出版社勤務。週刊誌、書籍の編集を経て、現在は月刊誌ウェブ媒体の編集長。個人でエッセイ執筆や、カルチャーにときめく女子のWEBマガジン『花園magazine』を主宰
https://hanazonomagazine.wordpress.com/

編集:小沢あや(ピース)