都会でもなく、田舎でもなく――ちょうどいい端境の街・橋本|文・中沢明子

著: 中沢明子


多摩美術大学出身クリエーターたちによる「リニアのある明るい未来創造プロジェクト」作品

 ゴオオオオオオオオオ。
 書斎でこの文章を書き始めた今この瞬間も、家の近くの空の上で米軍機が飛んでいる。特に音が大きい時は航空機の位置情報がリアルタイムでわかるFlightradar24のアプリを立ち上げ、機種を確認。民間機ではないからレーダーに現れたり現れなかったりするが、それでも、横田基地からどこかへ向かう途中とわかるケースも多々ある。機種が判明したらフリーランスのライター/エディターの気楽さで、玄関から出て、独特の形状のオスプレイを眺めることも――。

 神奈川県は厚木や座間、相模総合補給廠など、沖縄県に次ぎ在日米軍が多いうえ、私が暮らす橋本駅は車を少し走らせれば横田基地まで、そう遠くない。沖縄ほどではないにせよ、日常生活の中で、かすかに米軍の存在を感じる土地柄だ。それまで私にとって米軍は沖縄や横田基地がある東京都福生市に行った際に目にする非日常だったが、横田基地からほど近い飛行ルートに入る街では非日常と日常が同居していた。考えてみれば当たり前だが、住んでみなければわからないリアルがある。

 橋本に居を構えたのは、言ってみれば偶然だ。家族が東京都の郊外に本社がある企業に転職することになり、それまで住んでいた埼玉県の浦和から、2018年秋に慌ただしく引越した。フリーランスの私は仕事が多い都心に行ければ、どこでも良い。いくつか候補となる駅の物件を急いで周り、最終的に「知らない街で新宿まで50分くらいかかるけれど、始発/終点で必ず座れるから車中で取材前の復習ができる」という理由で橋本を選んだ。かつて東京の神田神保町に勤めていた頃、京王新線の行き先として見ていた地名。知識はそれだけ。橋本に特段の思い入れも期待もなかった。それが良かったのかもしれない。今ではこの街の「ちょうどよさ」をとても気に入っている。その「ちょうどよさ」とは「端境を楽しめる」と言い換えても良い。

東京と神奈川と山梨。県境を行ったり来たり


橋本駅北口を出た先に見える山々

 京王相模原線の終点でJR横浜線・相模線も停まる橋本駅。北口駅前にはミウィ橋本やイオンといった商業施設の他、タワーマンションが立ち並び、それなりに栄えた地方の主要駅の風情だが、少し目を凝らせば駅前から山々が見える。自然が物理的に近い。なにせ、橋本の住所は「神奈川県相模原市緑区」だ。雄大な自然を有する区なのである。南口駅前には夢の乗り物・リニアモーターカーの「神奈川県駅(仮称)」の広大な工事現場とショッピングモールのアリオ橋本が鎮座している。リニアの「神奈川県駅(仮称)」予定地だったのは、住んでから知った。神奈川県には、横浜、鎌倉、湘南、葉山、江の島、小田原と有名どころの街が多くあるが、観光地ではない橋本もリニアが実現したら、知名度が上がるのだろうか。


南口はずっと工事中。仮称とはいえ「神奈川県駅(仮称)」というざっくりした駅名に違和感がある

 引越し直後、夜中にゴミを出しに外に出て、ふと空を見上げると、肉眼でオリオン座がくっきりと見えた。橋本は工業団地エリアで、我が家は駅から徒歩数分。ちょっと意外で得した気分だった。晴れた日の空気が澄んだ夜は、いつも星がきれいに見える。子どもの頃からさまざまな街で暮らしたが、煌めくオリオン座が肉眼で見える街に住んだ経験はない。「ああ、思いがけず、良い街に引越してきたかもしれないな」と思った。

 橋本が神奈川県であって神奈川県ではない(?)街だったことも、暮らし始めてから知った。普通に生活していると、すぐに東京都に入ってしまう。ハンバーガーが美味しいお気に入りのカフェ「三ツ目珈琲」にトコトコ歩いて行く。店の住所は町田市である。車で数分のスーパービバホーム八王子多摩美前店に行けば、店名の通り、そこは八王子市。橋本駅前から通学バスが出ている多摩美術大学も当然、八王子市だし、バスに乗らずに通う多摩美大生は、我が家近くを歩いている。美大生らしい、思い思いの個性的な装いで闊歩する彼らとすれ違うのは楽しい。コンビニなどでは(おそらく)多摩美生と思われるアルバイトの若者たちもいて、ブルーやピンクの鮮やかなヘアでテキパキと対応してくれる。地元に長く暮らす高齢者と美大生が日常的に通りを行き交うバランスが、なんとも言えず良い。


町田市だけど最寄りはきっと橋本駅。大好きなカフェ「三ツ目珈琲」のハンバーガー

 この街に馴染み始めた頃に世界はコロナ禍に見舞われた。フリーランスの私の仕事もほとんどストップ。電車に乗る機会もなくなり、当初はリモートワークですらストップしていた。だから私は時間をたっぷり使って散歩した。近所の隅々を歩き、時にはJRの隣駅、相模原駅まで歩いた。広い空、ところどころにある畑、街の向こうに見える山々、東京都との間に流れる境川――。パンデミックであろうとなかろうと変わらぬ風景が新鮮で身に染みた。考えてみるとそれまで時間に追われていた私は、自分が住む街をこんなにも丹念に、無目的に歩いた経験がなかった。もとより先の見えづらいフリーランスの行き先がさらに全く見えない中で、自然が感じられる街をただ歩く時間は心休まる時間だった。

 相模原市緑区は山梨県との県境でもある。車を15分ほど走らせれば緑豊かな地域になり、ドライブを少し楽しんでいるうちに津久井湖を通り過ぎて山梨県に入る。峠の車道で鹿や猿に出会ったこともある。駅前は買い物に便利だが、人込みを避けた自然を満喫するドライブを気軽に楽しめるのも、この街の良いところだろう。

 この街について書くことになって、改めて地域振興課による「すもうよ 緑区」というPRを確認したら、キャッチコピーが「都会じゃないよ! 田舎じゃないよ!」だった。思わず、クスっと笑ってしまう。本当にそうだ。都心での仕事も、ライブも、舞台も、展覧会も気軽に行ける地の利だから田舎とは言えないが、どう見ても都会ともいえない。なんと絶妙で適切なキャッチコピーだろう。

夢のリニアモーターカーは橋本に何をもたらすのか


相模原市と町田市の境目にある橋。自宅から徒歩で3分くらい

 この街に出会った時期も、私にとってちょうどよかったのかもしれない。50代に突入し、中年から老年にさしかかるタイミングでのパンデミック。大げさに言えば、一度立ち止まり、人生を見つめ直す時間をこの街で過ごせたのは不幸中の幸いだった。華やかな都会でないぶん、お店が多少閉まっていても、パンデミック前とそこまで変わらぬ環境で、意外に落ち着いていられた。マスクとアルコール消毒液は欲しかったけれど、それ以外の物欲は急激にしぼみ、風景を楽しんだり、美味しいものを食べたり、ゆったりと時間を過ごしたり。お金をそんなにかけずとも、ささやかな幸せを楽しめるコツと余裕を手に入れられて、少し生きやすくなった気がする。

 人は故郷に愛着と哀愁が入り交じる感情を抱くと想像するが、子どもの頃から引越しを重ねてきたからか、私には故郷と感じる街がない。どこに住んでも、そこで生きているにも関わらず、俯瞰的に街を眺めてしまう癖もある。そんな私が初めて街への愛着を、なんとなく住み始めた橋本に対して感じているから、不思議なものだ。

 そこで先日、「駅近の新築マンションを検討しようかな?」と価格を見て、度肝を抜かれた。坪単価がとんでもなく上がっていた。もはや東京並み。当然、家賃も上がっている。今や相場から考えると、新築で入居した我が家の家賃はお買い得である。そういえば、クロワッサンが激ウマのカフェ「ZEBRA Coffee & Croissant 橋本店」が昨年末、閉店した。「3年ごとに50パーセント家賃が上がる現状があり、次回の契約も50パーセントの家賃の値上げが通知されたことより、これ以上は続けられないと決心をするに至りました」という理由。さもありなん。みなとみらいや渋谷にも支店があるこのカフェの本店は津久井湖近くで、同じ緑区内最大の「都会」である橋本店は2店舗目だった。


愛用していた「ZEBRA Coffee & Croissant橋本店」を懐かしみ、みなとみらい店や渋谷店をちょくちょく訪れている。カレー風味のチキンサラダクロワッサンサンドイッチが絶品です

 建築資材や人件費の高騰を反映して物件価格が上がっているのはどこも同じだが、それにしたって急上昇しすぎだ。要因は確実にリニアの「神奈川県駅(仮称)」への期待である。街の知名度が上がる前に地価が急騰してしまっている。人気のカフェがやっていけないほどの家賃高騰は、全然ちょうどよくないし、駅近に全国的チェーンしかない未来はあまり面白くない。橋本がリニアの「神奈川県駅(仮称)」として本当に「生まれ変わる」時、この街はどうなっていくのだろう。そもそもリニアでそんなに急いで何がしたいのだろう。愛着を持ち始めた街だからこそ、少しばかり気がかりだ。当面、新築マンション購入はやめておくが、「都会じゃないよ! 田舎じゃないよ!」の橋本の愛すべき魅力が失われないように、と願いながら、もうしばらく今の家で暮らすつもりである。


橋本駅南口駅前。リニアモーターカー「神奈川県駅(仮称)」大規模工事中

著者:中沢明子

中沢明子

東京都出身。ライター/エディター。カルチャーからビジネスまで、幅広い分野を手掛ける。著書に『埼玉化する日本』(イースト新書、2014年)『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(朝日新書、2011年/古市憲寿との共著)など。2023年5月発行『ガールズ・アーバン・スタディーズ』(法律文化社)にて「わたしに“ちょうどいい”エキチカ消費―ルミネ的消費空間は、なぜ支持されるのか」を執筆。
Twitter:@luke_cat

編集:岡本尚之