僕は島民か、観光客か。ジレンマの東京八丈島

著: 玉置周啓 

八丈島が活気に満ちるのは、いつも夏であった。

盆祭りに行けば、島民と観光客の判別がつかないほど多くの見知らぬ顔があった。近所の温泉にホクホク顔の来島者がいれば満面の笑みで着替えをロッカーに放り込み、露天風呂で覚えたてのクロールを披露して父親に拳骨をもらった。

「南国下」と呼ばれる入江に行けば、くじら岩やサメのヒレなどと勝手に名付けた岩群の向こうから、大波小波が押し寄せた。観光客が来るような場所ではないので悠々と泳ぐことができたが、そこで何度も溺れかけ、そのせいで泳ぎが苦手になった。3年生になったら「湾」と呼ばれる水深5mの漁港内で小遠泳をしなければならないと知り、それから毎晩母に抱かれて咽び泣いた。

家に帰れば、玄関口にバランスボールかと見紛うほどの大玉スイカがいくつも積まれ、友達が遊びに来るたびそれを見て驚くのが密かな喜びであった。遠くから来客があれば祖母お手製の島寿司が振る舞われ、からしを食べられる段階にない僕には「シュウはこれが好きだろお〜」とカッパ巻きが与えられた。

カッパ巻きが大好物だった僕は貪るように食べ、ついでにスイカも貪るように食べる。スイカの皮を持って玄関に向かうと、赤いバケツが置いてあって、覗き込むと中には祖父が捕ってきたヤドカリたちがいる。スイカの皮をやりながら、それを爪で掻くヤドカリを満足げに眺めた。祖父は毎年ヤドカリを捕ってきた。妹、弟が生まれるたび、バケツを覗き込む人数は増えて行った。

島民との交流と観光客との遭遇が複雑に絡み合い、僕の幼少期と思春期を彩った。素晴らしい人々、飯、風土。あふれんばかりの記憶のアラカルトが郷愁を誘う。

しかし島を離れた今、ふるさとに疎外感を感じることもある。

夏になると毎年、島に帰っていた。生まれ育った故郷の素晴らしい風景を目に焼き付けてほしい一心で、恋人や友人などを連れて回った。そうして道を歩きながら、旧知の顔を見かければかつてのように気軽に声をかけ、音楽頑張ってるんだねなどと言われ顔を赤らめた。しかしどこか、それ以上の会話が望めないような感覚に襲われるようになった。

思えば、これはごく当然のことである。僕にとっては昨日まで過ごしていたように感じる故郷だが、それでも帰るのは年に多くて2度であり、その間に故郷の人々は何年もの月日を島で過ごしているのだ。僕が故郷で生活していた時間の延長線上で振る舞っても、現在東京で生活している以上、その間に大きなブランクが生まれざるを得ない。

逃げるようにして、かつて何度も溺れた「南国下」を訪れてみても、記憶の中ではどこよりも深いはずだった海に入ってみれば、現実はあまりに浅く、腰丈ほどしか水位がない。それは期待していた郷愁から、とんっと突き放されるような感覚であった。

盆祭りに行ってもほとんどの島民の顔に馴染みがなく、クロールしても父は僕を殴らない。スイカはつくらなくなったし、もう僕はカッパ巻きがそんなに好きじゃないし、祖母も勧めてこない。ヤドカリは捕ってくる祖父がもういない。

僕の故郷としての八丈島は、18歳までに見ていた景色でしかない。そして、もうあのころには戻れない。そのことに、やっと気づいたのである。

ただし、初めて海にもまれたときのような、祭りに感激したときのような心の弾力は、大人になっても維持し続けることが可能である。それが僕にとっては東京での生活だったから、かつてと同じように心を弾ませる現象を探し出すことが生きる糧となっていた。それは、音楽を通して人と出会うことだったり、恋人と過ごす時間だったりした。

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そうして「東京」という曲ができた。歌詞の「ふるさとは帰る場所ではないんだよ」とは、当時の故郷への疎外感が反映されている。愛してはいるがそれは過去の記憶のことであって、今立ち戻って感傷に浸ってみたところで、現在の東京での生活で得られる刺激以上のものではないだろう。それならば、今いる地を存分に味わい尽くそう、尽くそうぞ、という貴い(とうとい)決意であった。

東京で生活するうちに縁があって移り住むことになったシェアハウスで、カンちゃんとユージくんという大切な友人に出会った。カンちゃんは、ゲーム、漫画、アートブック蒐集からスキー、登山、将棋までやる趣味人で、モスバーガーで「てりやきマックバーガー1つ」と注文してしまう天然素材でもあった。ユージくんは、日ごろからカセットテープや古着をディグりながら週末はクラブイベントに消える都会人で、ずっと寝不足なのかみんなでリビングで話していても必ず涎を垂らして寝落ちした。

まさに東京生活。

この2人のおかげで精神的に助かったことも多々あり、正月には島にいる家族にビデオ通話を繋いで3人そろって画角に収まり新年のあいさつを果たしたし、弟が東京に遊びに来た際はわざわざシェアハウスに呼んでみんなでゲームをして遊んだほどである。かつては一緒にヤドカリを覗き込んだ弟が東京で出会った友人とゲームをしている後ろ姿は不思議そのものであった。ユージくんはすぐ寝た。

今度は島で弟に会いたいと言う同居人の2人と、八丈島に帰ることにした。それを計画していたバーにて、僕が酔った勢いで『奇奇怪怪明解事典』を編集してくれた石原さんという人を呼んでしまい、これまた酔ったユージくんが「一緒に行きましょうよ」などと囃し立てると、なんと石原さんはその場で航空券を買ってしまった。

2022年夏、謎のメンツで数年ぶりに八丈島に帰った。

空港で出迎えてくれた弟を見て、カンちゃんもユージくんもうれしそうに「元気か」と声をかけ、弟も照れながら頷いた。石原さんは少し気まずそうにしていたが、弟は一方的に彼の活躍を知っていたらしく、決して変な空気にはならなかった。

雨予報に反して晴れるという嬉しいサプライズに、一同の心は昂ぶっていた。窓から見えるいちいちにカンちゃんが「スゲー」と目を輝かせている。それを聞きながら僕は、自分が故郷に帰ってきたのか、八丈という島に観光しに来たのか一瞬わからなくなった。

知っている道、知っている景色だが、この町に僕が知っている人は今どれだけ残っているだろう。

空港から直接海へと向かう道すがら、ずっと石原さんが「本当に私なんかが来てよかったんでしょうか……」と呪文のように呟くので、僕は石原さんに楽しいって言って欲しくて車をすっ飛ばした。

底土海岸というビーチに着くと、みな思いおもいに海に駆けて行った。すっかり金槌ではなくなった僕も平気で海に飛び込み、一同そろって久々の夏を堪能する。カンちゃんとユージくんはやはり弟と一緒にいてくれて、弟も信じられないくらいゲラゲラ笑いながら泳いでいて溺れないか心配になった。

途中から堤防の上で石原さんと文学談義めいた有意義な会話が始まり、肌が乾くほど話し込んでしまったので海に申し訳ない気がしてきた。飛び込まないんですかと聞くと「自分、中耳炎になりやすいんで……」と言われたので、僕は石原さんに楽しいって言ってほしくて家まで車をすっ飛ばした。

夜はバーベキューだった。小さいころに一度だけ庭でやった夜のことを忘れられず、家族もこういうときでなければ腰が重かろうと、必要な器具は全て東京から送ってあった。妹と弟が社会人になって以降、家族そろって夕食をとること自体が久々で、みんな夜だけはこのために空けてくれていた。

ユージくんが料理上手なので率先して肉を焼いてくれ、酔っ払って寝そうになってからは母と妹が代わりに焼いてくれた。弟も久々の来客を喜んでいるし、石原さんも楽しそうに肉を食べていて、それで僕もやっと満足した。家族とは幼少期の追体験ができる。観光ではなく、帰郷だということを噛み締めた。

翌日は、伯父のバナナボートに乗せてもらえることになっていた。午後から雨だから急げとのことで、みんなを叩き起こして弟の運転で底土海岸に向かった。

昨晩を楽しみすぎたせいか、みな一様に目を擦りながら、互いに寝起きの悪さを悟られまいとしている。助手席に座った僕は車内を盛り上げるためにカーステレオをいじり続けた。10分ほどいじり続けてようやく、バスタオルを家に丸ごと忘れたことに気づいた。

まずい状況だ。これが寝不足のみんなに知れたら楽しい旅が台無しである。僕は唯一の味方である弟にボソッと「タオル忘れちゃった……」と照れながら打ち明けた。すると、弟は飲酒検問かと思われるほど深く太い溜息をつき、「マジかよ」とだけ呟いた。

え、お前も寝不足? と嫌味が口を衝いて出るのを堪え、兄として冷静沈着を装って咳払いをし、何ならシートベルトを締め直してから「八丈ストアにバスタオル買いに行こう」と提案したところ、「いいよ俺が買ってくるよ。先バナナボート乗ってなよ」と怒りが漏洩しまくっているトーンで返事があった。「いいの? ありがとう」と兄として最大限の礼節を尽くすと、弟は僕らを港に下ろして八丈ストアに向かい、僕らはバナナボートに乗った。

伯父との久々の会話を楽しみながら沖合バナナボートの旅を満喫した僕らだったが、弟がいつまで経っても港に降りて来ないので不安になってきた。電話をかけてみると、一言「帰る」と言う。バスタオルは買ってきたが、もはや全てが面倒になってしまったというのだ。まさか、そんな。心配するみんなとともに駐車場に上がると、弟は泣いていた。

僕はどうしても弟を手放したくなかった。自分が犯したミスによって弟が帰ってしまうことで、旅の雰囲気が悪化することを避けたいのは勿論のこと。何より、弟が旅のお供をしてくれることによって、今回の帰郷は帰郷足り得たのであり、彼が抜けたら僕と島をつなぐ存在が消えてしまうような気がしたからである。

ここは一つ、神妙に。カンちゃん、ユージくん、石原さんに背中を押され、運転席で顔を伏せる弟に話しかけた。

「お前何で泣いてんだよ!」

交渉決裂。喧嘩上等。身体は思い通りに動いてくれない。母親が運転する車がすぐに到着し、「こういうのは時間かかるから」という名言を残して弟を連れ去っていった。せっかくバイトを休んで付き合ってくれてるのに、と至極真っ当な論拠で非難された。

カンちゃんが釣り好きでもあったので、この日は午後から釣りをすることになっていた。僕も妹も弟も可愛がってくれた伯父に釣竿を借りて、かつて僕を泣かせた「湾」へと向かう。

憂鬱だった。久々の里帰りで、せっかく故郷に疎外感を感じることもなく過ごせたのは弟のおかげであるのに、なぜ喧嘩なんか売ってしまったんだろう。しかし、あの程度のことで頭に血が上るのはいくら何でも理不尽である。それにしても、素直に謝れなかった自分には非がある。

弟に悪いことをしたという後悔で、石原さんに楽しいって言ってほしかったのも忘れて車をのろのろと走らせる。着くころには小雨が降り出していた。

防波堤の先端はたいてい地元の釣り人が占拠しているものだが、生憎の天気のせいか誰もおらず、ひとまずそこを陣取った。防波堤の先までなかなかのスピードで向かうことで盛り上げようとしたが、先程弟に喧嘩を売った奴の奇行が笑えるはずもなく、「運転気をつけて!」と言われた。

まず魚をおびき寄せるためにオキアミという小エビを撒かなければならないが、さっき買ったばかりなのでキンキンに凍っていた。一塁ベースほどのごつい塊である。全員無言になり、僕は全身の力が抜けてひとまずタバコに火をつけた。石原さんとユージくんが大きなスプーンを使って、海水で溶かしながら地道にほぐし始めた。

そうしている間にカンちゃんは海に入りたくなってしまったようで、言い出しっぺのくせに釣りそっちのけで湾に飛び込み、ぷかぷか浮いていた。ユージくんもオキアミを10%程ほぐせたところで疲れたのか、僕にバトンタッチして海に飛び込んだ。それからは、僕と石原さんでオキアミを崩しては撒き、釣り糸を垂らしてみては溜息をつき、どう考えても成果が出ないであろうこのイベントを、オキアミが無くなるまでは続けようという暗黙の一体感が生まれていた。

あまりの沈黙にふと後ろを振り返ると、ユージくんが半裸で寝ていた。その横でカンちゃんも寝ている。朝も早かったし、釣れる気もしない。仕方がないかと自虐気味に微笑もうとしたそのとき、寝ている二人の向こうにいつの間にか銀色の軽トラが停まっているのが見えた。運転席から、強面のおじさんがタバコを吹かしながらこちらを睨みつけている。

もしかしてここで釣るつもりだったのだろうか。恐る恐る近づいて話しかけると、遮るように「あんなんじゃ釣れないよ」と言われた。ムッとして「そうですか、初心者で」とだけ答えたが、「絶対釣れない」と言われさらにムッとした。

あの疎外感がまた僕を襲う。弟なき今、僕は島の人間ではない。卑屈な考えに脳が支配されていくのを感じた。「あのオキアミ無くなったら帰るんで」と言い残して、寝ている二人をまたぎ石原さんのところへ戻り、黙々とオキアミのブロックを削った。

オキアミに誘われて鮮やかな模様の魚たちが水面下に姿を見せるたび、石原さんが「おおっ」と興奮の声を上げた。魚が見れると楽しいのか。それを知ることができてうれしかったが、僕は先程から絶え間なく疎外感に悩まされていて、それどころではなかった。まだおじさんはこちらを見ている。

石原さんが魚を見たくて尋常ではない量のオキアミを投下し始めた。そんなに魚が観たいのか。もしくは、実は帰りたいのではないか。釣りというより、オキアミを海に還すイベントになっていた。

やっと全てのオキアミを返し終え、カンちゃんとユージくんを起こした。身体の塩を流してもらうべく、歩いてすぐの温泉まで先に向かってもらい、石原さんも手のオキアミ臭さを取りたいと言うので、先に行ってもらう。まだおじさんはこちらを見ていた。

僕は釣竿を車に乗せ、運転席に乗り込んだ。フロントガラス越しに、タバコを吹かすおじさんが見える。いったい何本吸っているんだ。車のキーを回し、少し考えてから、やっぱりちゃんと話しかけて帰ろうと決めた。あれも一応アドバイスだったと考えよう。

ゆっくり車を走らせて、銀色の軽トラを追い越すところで車を止める。ウィンドウを開け、自虐気味に「やっぱ初心者にはダメでした」と一声かけた。お辞儀をして車を出そうとすると、「また釣りにおいで」とおじさんが呟いた。

僕は、弟にちゃんと謝らなければ、と思った。どこの誰ともわからない僕に、「また釣りにおいで」と言った、そのおじさんの一言で。

みんなを温泉で拾って、家に帰った。今晩は島寿司だった。遠くから来客があるたび振舞われた島寿司。もう祖母ではなく母が握るようになった島寿司。弟が部屋から出てきて、僕はひとまず謝った。弟も謝ったが、やはりそのあとの会話は少しぎこちない。しかし僕は、数年ぶりの島寿司を頬張りながら、今回の旅は確かに帰郷であったことを噛み締めたのである。

著者:玉置周啓(MONO NO AWARE / MIZ)

玉置周啓

4人組バンドMONO NO AWARE、アコースティックユニットMIZのギターボーカル。作詞作曲をつとめながら、エッセイ等の執筆活動や漫画やイラスト等も手がける。Spotify独占配信中のPodcast『奇奇怪怪明事典』やTBSラジオの『脳盗』のパーソナリティもつとめる。

編集:ツドイ