銀座のはしっこ暮らし、中銀カプセルタワービルから愛をこめて

著: 千絵ノムラ 

何がどうして、おしゃれな銀座の大通りを、すっぴんジャージ姿に、首には濡れたバスタオルを巻きつけて、毎晩闊歩することになったのだろうか。

ここは洗練された大人の街であればこそ、生活の、しかも日常的な、そんなお風呂帰りにそぐわない。

私が常宿、ならぬ常湯にしていたのは、博品館と資生堂の裏通りにある金春湯。

青い看板と金色の温泉マークが、「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」という言葉を彷彿とさせることから、ナウシカ好きの私を違う意味でも虜にしていた。

2021年オリンピック開催時の金春湯

金春湯の閉店時間は22時(土曜は20時)。従来の私からしたら、22時までにお風呂に入るのはかなりレア。相当な理由がないかぎり、それ以降に入ることの方が圧倒的に多い。

しかも仕事帰りに家に寄ってからの銭湯は、いささかめんどい。だって帰宅したら洋服脱ぎ散らかして、「ふわ〜」って羽を伸ばして、「うい〜」って一杯したいじゃない。そして気付くと22時を過ぎてた、なんてことが日常茶飯事。

だからこの銀座暮らしの期間はかなり健全な生活を送っていたと言えよう。というのも、仕事帰りに銭湯に直行し、ひとっ風呂浴びて帰宅。そして晩飯とビールにありつくのだ。

そうすると実に爽快。だってもう、「あ゛ーーお風呂入らなきゃーーー」なんて思わなくていいんだもの。最悪、そのまま寝てしまってもかまわない。

夜がちょっぴり自由で開放的になったと同時に、生活リズムもできて建設的でもあったのだ。まあ、ほぼ飲んだくれてもいたのだが。

月が綺麗な夜の、金春湯の帰り道

さて、話の順番が前後してしまったが、私が何故、夜な夜な銀座の銭湯に通うことになったのか。

それは中銀カプセルタワービルに住むことになったからだ。

中銀カプセルタワービルとは、建築家・黒川紀章が設計したカプセルをつみあげたような形をした不思議なビル。1972年に建てられ、残念ながら2022年8月現在、目下解体中である。

私は2021年4月から10月までの7カ月間、ひょんなご縁でここを住まいにしていた。

もともと建築が好きで、中銀カプセルタワービルのファンでもあった。

仕事で伺う機会があり、中に入れただけでもうれしいのに、まさかの入居! 最初は1カ月だけの予定が、あれよあれよと延長になり、気付いたら1年の半分以上をここで過ごすことになったのである。

居住時の中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービルでの暮らしはサバイバルだった。

トレードマークである大きな丸窓は開けられない。故に換気はエアコンのみ。もしくは防犯をいとわずほんのりドアを開けとくか。

カプセル内にユニットバスがついてはいるがお湯は出ない、キッチンがない、コインランドリーもない。

湿気もすごく、除湿器に水がたまるたまる。水道から出る薄茶色の水に比べ、除湿器の水はすっきり透明で、私は欲望に負けて、その水をためて水風呂に入る始末。

カプセルによっては雨漏りもある。私のカプセルは途中から水まわりが使えなくなった。

しかし人間というのは実にたくましい。そんな環境にでも、あれよあれよと順応していくのである。

まして憧れの中銀カプセルタワービル。あばたもえくぼとはよく言ったもの、欠点さえ凌駕してしまう建物の魅力がそこにある。

私が住まいとしていたカプセル

「お湯が出ないならお風呂に行けばいいじゃない」ということで銭湯通いが始まった。

金春湯は、当時は土日祝日がお休みだったので、週末になると銀座1丁目にある銀座湯か、ちょっと足をのばして別の銭湯に行っていた。

銭湯の営業時間に間に合わなかったり、面倒くさいときは、中銀カプセルタワービルの共同シャワールームを使うこともある。さながら海の家のようで、こちらもなかなかサバイバルだった。

渋い暖簾がかっこいい銀座湯

ちなみに中央区の銭湯は熱い。「これ、湯船に漬からせる気ないだろ! 何の苦行だよ!!」と真っ赤っかになった足を水で冷やしながら、ついつい怒ってしまうほどレベルが高いところもある。

おかげでぬるめの銭湯に行くと、長く漬かっていられる反面、熱さが足りないとそわそわしてしまう。慣れというのは怖いものである。

金春湯に毎晩のように通っていると、番台のマダムとも仲良くなり、「今日は髪の短いお姉さんもう来たわよー」とか、「赤毛のアンちゃんが今、入ってるわよー」なんて中銀カプセル仲間の入浴事情を教えてくれたりする。

今では「個人情報が!」「プライバシーが!」なんて目くじらを立てそうな案件でもあるが、「銭湯が当たり前だった時代はこんなかんじだったのかな〜」なんてほっこり昭和の時代に思いを馳せた。

無料観覧開放日に撮影させていただいた浴室のペンキ絵

さて、キッチンもないということは、食事は基本外食かテイクアウト。銀座のグルメを楽しむ絶好のチャンス!

『銀座梅林』のカツ丼、『とんかつ檍(あおき)』のトンカツ、『銀之塔』のシチュー、『銀笹』のラーメン、『太常うどん』のアボカドうどん、など食べ歩いた。

おかげで舌が肥えてしまうのではと危惧する日々。特に『筑紫樓』の杏仁豆腐は、「甘味といえば水羊羹か杏仁豆腐」という私も唸ってしまうほどの絶品。

昭和30年創業のシチュー専門店、銀之塔のシチューとグラタン

太常うどんの、アボカドがまるまる載ったアボカドうどん

滞在期間が延びるにつれ、銀座住まいも当たり前になる一方、経済問題も重くのしかかり、だんだんとグルメは縮小されていく。

そんな中、私が一番お世話になったのは、中銀カプセルタワービルのほぼ目の前、汐留駐車場に秘密のダンジョンのように存在する中華料理屋『帝里加(でりか)』。

地下のだだっ広い駐車場にぽつんとあるその異様な佇まいと、米津玄師のMVのロケ地になったことで一躍話題になった、知る人ぞ知る穴場スポットなのだ。

赤い提灯が目印の帝里加

『帝里加(でりか)』の何が売りかというと、その安さ。基本、定食は600円。持ち帰りになれば500円。提供時間が早く、ボリュームたっぷり、味も美味しいと言ったら通うしかない。

しかも私の住まいから徒歩1分。自宅作業日のランチは必ずといっていいほど『帝里加(でりか)』だった。

帝里加の木くらげ肉玉子炒め定食弁当

ただ土日祝日になると、近くの飲食店はほぼ休みで、ごはん難民に。コンビニやスーパーでももちろんいいのだが、毎週のこととなると飽きてしまう。

そのかわりスイーツには恵まれていて、こちらも徒歩1分の『YATSUDOKI銀座7丁目』はカプセル住人の御用達。旬のフルーツを使った餅菓子は欠かさずチェック。

また樽出し生ワインの量り売りというのもやっていて、カプセル住人がワインボトルを1、2本ストックしているのも珍しくない。そして暑い日にはアイスを求めに足を運んだ。

YATSUDOKIのマスカットのスイーツたち

「銀座といったら夜の街にも繰り出したい!」とメラメラしていたが、残念ながらコロナ禍のため、なかなか飲み歩くことはできなかった。しかし、どうしても行きたい場所があった。

それは文学好きには名の知れた老舗バー『ルパン』。

太宰治がその店で撮った写真はあまりにも有名で、純文学好きな私にとっても憧れの店。

10月のある日、念願叶ってルパンに行くことになった。はやる気持ちを抑えながら、現代の文明の利器、Googleマップを駆使して向かう。しかしなかなか辿りつかない。

ようやく見つけたルパンは路地裏にひっそりと佇んでいた。ネットで何度も拝んだ看板にテンションはだだ上がる。

心も奪われるルパンの看板

扉を開けて地下に下りていくと、そこは木目調の趣のあるクラシックなバー。伝説のお店に感動しながらカウンターの奥に通されると、太宰治の写真はもちろん、坂口安吾と織田作之助の写真も飾られており、鼻血が出そうだった。

名物であるきゅうりの漬物のお通しに、カクテルもそれは上品かつ繊細で、落ち着いた大人の時間を堪能した。

ルパンに飾ってある織田、安吾、太宰の写真

かくして私の銀座7カ月生活は幕を閉じることになったのだが、それは実に貴重な、そして濃密かつ快適な時間だった。

はしっこの8丁目といえども、なんとなく生活するには不便なのではと覚悟していた銀座。

だが、日用品はドンキに行けばいいし、食料品は肉のハナマサで事足りる。ちょっと足をのばせばユニクロもあるし、それこそ銀座の中心部にはなんでもある。

便もすこぶる良く、銀座、東銀座、新橋、汐留、築地など、目的地によって駅を使い分けることができた。

その上、コミュニティサイクルもそれなりにあったので、銀座のサイクリングも楽しめた。

なかなかホームにできない東京の一等地・銀座を、我が物顔で歩き回り、しかも風呂上がりのすっぴんジャージ姿もいとわないなんて、きっとこれから先そうそうないだろう。

稀有な経験に感謝した、2021年春から秋であった。

中銀カプセルタワービルの丸窓からの夜景

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著者:千絵ノムラ

千絵ノムラ

2月生まれ。横浜生まれ横浜育ち。劇団唐組、ドイツ留学を経て、演劇ユニット「ビニヰルテアタア」を設立。現在、演劇業はちょっとおやすみ。文筆業の他、書店員と渋谷にある水曜日限定の「スナック雨」のママでもある。中銀カプセルタワービルに2021年、7カ月住んでいた。
Web:http://vinyltheater.com/chie.html
Twitter:https://twitter.com/chievampire

 

編集:ツドイ