なにもないと思っていた下赤塚に住んで3年以上が経った

著: megaya 

僕が今住んでいる下赤塚という駅には、特徴的ななにかがあるわけではないと自分は思う。一人暮らしを始めてから3年以上もここに住んでいるが、特に思い入れがある土地というわけでもない。「特徴は?」と聞かれても何も答えられないかもしれない。

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そもそも、僕はこの街に住みたくて引越してきたわけではない。なるべく、自分の地元から遠い都内のどこかに住みたかっただけだ。

今年の4月で僕は27歳になるのだが、22歳くらいのときは地元が嫌いでしかたがなかった。大学を卒業した友人らが仕事に文句を言うばかりで、地元から出ようとせずに思考停止しているように見えたからだ。

「就職口がない」「仕事が辛いから転職がしたい」と口々に言っていた。そういったことを言うなら、なぜどこかに引越しをしたり自分から動いたりしないのだろうかとずっと思っていた。

僕の地元は神奈川県の三浦市の「三崎口」という京急電鉄の終電だ。海がキレイなのだが夏以外は特にこれと言った目立ったものがない土地だ。僕はそんな地元を「死んだ土地」だと思っていた。田舎であるし、観光客も年々減っているし、若者もどんどんと離れていく。そんな土地に残っている友人が多いことが歯がゆかった。

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下赤塚という駅は僕の地元にどこか似ている雰囲気があった。おっとりとした空気感が街全体にあるというか、ある状態から時が止まってしまっているような印象を感じる。有名な飲食店があるわけではないし、名所があるというわけでもない。だけれど、そんな場所に気づいたら僕は3年以上も住んでいる。

大学生のときに僕は学校になじむことができなかった。恥ずかしい話、居場所がなくてトイレでご飯を食べて泣いたこともあったほどだ。そして、親に黙って大学を勝手に辞めて、家に居づらくなり家出をして、ママチャリで日本一周をした。

突飛な行動と思うかもしれないが、「すべてを一度リセットしたい」という思いがあったので、計画的に家からでていった。それをやり遂げたあとはフリーターを少しやり、都内の会社に就職した。

就職した当時の僕はとにかく「誰にも負けたくない」という気持ちで溢れていた。初めの会社にSEとして入社したが、僕はパソコンの知識なんてまったくなかった。「ブラウザ」が何か分からないくらいだった。インターネットはIEじゃないと開けないと思っていた。だから入社してから誰よりも早く出社して、誰よりも勉強をした。

働いてから1年ほどは実家から都内まで通勤していたが、都内に引越す決意をした。理由は1つだった。「地元の友達とこれ以上付き合っていても意味がない」と思った。学生時代から変わらない会話、ケンカや言い合いを避けた馴れ合いの関係、努力をせずにダラダラと過ごす日常……そんなものに僕はだんだんとイライラするようになってきた。

僕は引越しを決めたと同時に「友人たちと馴れ合わないように、地元からなるべく遠い場所に行こう」と決意した。ただし東京以外に住むのは嫌だった。あのときの僕には「地元の人と自分は違う」という意地のようなものがあった。だからなんとしても「東京に住んでいる」という肩書が欲しかった。

色々調べているうちに、金銭面や立地などを考慮して、成増という駅が良さそうだと分かった。埼玉のすぐ手前だが東京23区には入っている。地元からも2時間以上かかるので、誰も遊びにこないはずだ。

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物件を探しに成増の不動産屋に行くと、なぜか隣の駅の下赤塚をものすごく勧められた。僕は自分の中で「成増に住む」と決めていたのでものすごく悩んだが、結局は不動産屋に押し切られる形で下赤塚に住むことになった。

下赤塚に住み始めて驚いたのが、都内に住んでいるという感じがまったくしないということだ。僕は東京と言ったら、ビル群が立ち並び、人が多くうるさいイメージがあったので、都内に田舎のような雰囲気の場所があるなんて想像していなかった。

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特徴があるわけではないこの街だけれど、ここには生活に必要なものはそろっていた。スーパーやコンビニは駅から近い場所に何軒もあるし、飲食店のチェーン店も数多く存在する。

副都心線が通っているので、勤務地である渋谷まで30分程度で着くので移動も不便はしていない。電車もさほど混まないのも良かった。

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商店会に行けば個人経営のお店が多いので、スーパーなどで買うよりも美味しいものも見つけることができる。お惣菜を買っているとたまにオマケをもらえたりするのも、個人経営のお店ならではの温かさを感じる。

僕はこの街に住んでいて特に不便と感じたことはなかった。

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駅の近くには池袋から埼玉の川越をつなぐ川越街道という道路があり、昼間は車通りも多い。しかし、大通りから一本外れた道に行けば、車通りが少ないマンションやアパートが立ち並ぶ閑静な住宅街にでる。本当に世界が変わったように静かになるので驚く。大げさではなくほとんど物音がしない。

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15分ほど離れた場所に、光が丘公園という大きな公園がある。僕はこの場所が好きでたまに散歩をしにくる。かなり広く一周するだけでも15分以上はかかる。

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光が丘公園には家族連れが多くきており、この付近に住んでいる人々の憩いの場になっていると思う。野球場、サッカーグラウンド、テニスの壁打ちができるコート、バスケットゴール、さらには図書館も併設されている。

この場所では誰もがゆったりと過ごしている。冬なのにベーベキューをやって昼から飲んでいる人や、家族で自転車の練習をしている人など過ごし方はさまざまだ。歩いていると、この公園だけは都会の喧騒から切り離されているかのように錯覚するほど平穏を感じる。

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この街に住んで3年以上が経ったが、僕にも色々なことが起こった。ステップアップのためにさらに転職を繰り返し、今の会社では人生で初めて心から尊敬する人と出会うことができた。ブログで賞をもらって、デイリーポータルZというサイトで記事を書くようになり、ライターとしての仕事ももらえるようになった。ゆっくりと時間が流れているように感じるこの街で、確実に時間は進んでいるんだなと振り返ってみると実感する。

引越してから地元の友人には1年に数回程度だが会うことがある。久しぶりに会話をすると、あるものは結婚をしていて子どもがいたり、あるものは僕が「死んだ土地」だと思っていた三浦市を盛り上げようと奔走していたり、あるものは僕よりはるかに稼いでいたりする。
当たり前のことなのだけれど、地元の友人たちもそれぞれに確実に進んでいるし、それぞれに事情があってその場所で生きている。

僕は自分の選択はすべて間違っていないと思っていた。しかし働き始めて数年が経ち、友人たちと話していると自分がすべて正しいなんてことはありえないことに気がついた。むしろどの選択が正解かどうかなんて誰も分からない。

そういったことは頭では理解しているつもりなのだけれど、「地元の人とは違う」と心のどこかでまだ思っている自分がいるのも事実だ。そういった気持ちも、このゆったりとした土地で過ごしているうちにいつかはなくなるのだろうか。

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この街からまたべつの土地に引越したとしたら、僕は二度とここには遊びに来たりはしない思う。思い入れがものすごくある土地ではない。なんとなく居心地がよくて数年住んでいるだけである。

ただ「将来家族が出来たときに引越したい街は?」と聞かれたら、僕は下赤塚を思い出すかもしれない。安心できる場所、ゆったりとした街、自分の地元のような雰囲気のこの土地にいずれは帰ってくるかもしれない。

 

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著者:megaya (id:megaya0403

megaya

大学中退→ニート→ママチャリ日本一周→webエンジニア。「おもしろ記事大賞」で賞をいただき、ライター業もやっています。デイリーポータルZ、それどこ、価格.comマガジンなど。

ブログ:http://www.megaya.net/ Twitter:https://twitter.com/megaya0403