便利さと自己肯定感が年々高まる街「浦和」|文・辛酸なめ子

著: 辛酸なめ子 

一番長く家族と暮らした思い出の地、浦和

自分の故郷はどこかと聞かれたら、幼少期と小5から20代半ばまで住んだ「浦和」と答えさせていただきます。

親の仕事の関係で入間市や飯能市など埼玉県内を転々として、幼稚園や小学校で複数回転校しましたが、一番長く家族と暮らした思い出の地は浦和。今は誰も住んでいない実家は時々夢に出てきます。気になってGoogleストリートビューでチェックして、まだ家屋が存在していることにホッとしました。

この機会に、久しぶりに思い出の浦和を訪れてみました。京浜東北線に揺られて、昔住んでいた北浦和へ。浦和は東西南北に中浦和、武蔵浦和と「浦和」と名のつく駅が多数あるのが特徴です。

以前、都内で「浦和って多すぎない? そんなにいらないよな」と若者が話すのが聞こえて、「そんなことない」と元住民として抗議したくなったことがありました。◯◯浦和の中では、浦和には敵わないとしても、北浦和は住みやすい方ではないかと自負しています。

商店街やスーパーもわりと充実していて、学校や図書館も近くにあります。埼玉県が進学指導重点推進校に指定する男子校、浦和高校もあり、街の教育意識を高めています。西口には広い公園もあって適度に自然も感じられます。

かつて実家は北浦和駅から徒歩10分くらいの場所にあり、中高時代は毎日北浦和から市ヶ谷の女子校に通っていました。秋葉原乗り換えにしたり、赤羽から新宿に出たり、定期券を更新するたびに経路を変えて気分転換していました。

埼京線はスピーディでしたが、ラッシュが厳しかった記憶があります。周りの人に押されて体が浮き上がることもありました。でも、放課後に新宿に寄り道できるのは魅力的でした。乗り換えが少なくて一見ラクなのは北浦和から秋葉原まで京浜東北線で出て、総武線に乗り換えるパターンですが、座れたらラッキーで、ずっと立ちっぱなしになってしまう日も……。

約40分の乗車時間、文庫本を読んで現実逃避していました。今回も当時と同じく文庫本を持って乗ったのですが、ページを開いて1分で眠りに落ちてしまいました……。10代のころの集中力はどこへ行ってしまったのでしょう。文庫本の細かい文字が読みにくい年齢になってしまったのも切ないです。

目が覚めたら、蕨駅でした。かつて京浜東北線の車窓からは、大人の男性向けの扇情的な看板が見えて、一緒に乗っていた母に「見ちゃダメよ!」と注意されたものですが、今はその手の看板は撤去されたのか、平和な住宅街や商業施設が並んでいました。

居心地が良く、暮らしにもちょうどいい北浦和

北浦和公園には彫刻作品も設置され、自然と文化を吸収できます

北浦和駅に降り立つと、「コメダ珈琲店」や寿司店、おしゃれな野菜直売所などが新しそうな感じでしたが、駅前の光景はほとんど変わっておらず、のどかな空気は昔のままでした。

「これから居酒屋行く?」「セブンで金おろしてくる」と男子大学生の楽しそうな会話が聞こえてきます。居酒屋と言いつつまだ午後早めですが、都内に出ず浦和で遊ぶ大学生の姿に地元愛を感じました。

私が浦和から引越す少し前にできた「クイーンズ伊勢丹」に立ち寄りました。ここがオープンしてから、住民の生活レベルは結構上がった気がします。店内に入ると、壮麗なクラシック音楽が鳴り響いていて、伊勢丹ブランドの高級感が。一方で、野菜コーナーにもやしが多種類そろっていたり、惣菜が手ごろな価格だったり、地元の生活に根ざしている品ぞろえです。

ここで野菜や惣菜を買ってレジ袋を提げて歩いていたら、浦和の実家にこのまま帰るような疑似感がありました。「今日はエビチリが安かったので買ってきたよ」と脳内の家族に語りかけたくなります。

今は家族が誰も住んでいない家をひと目見ようと、駅から少し歩いておなじみの路地に入りました。太い通り沿いも、家の近くの路地も、一軒家の表札を見ると昔から変わっていないことに驚きました。

家の外観は多少リフォームされていたりしましたが、基本は変わらず、A沼さん、Y山さん、K山さん、と当時祖母や母の話題にものぼった近所の方々が脳裏をよぎります。「ここの家の娘さんは東大に入って、こちらの家の娘さんは青学に入った」と、学歴好きの祖母が話していたことが懐かしく思い出されます。

祖母は美大に行った私のことはスルーして、名門大に入った近所のお嬢さんを褒め称えいたのが当時は淋しかったです。今、隣に誰が住んでいるかわからない隣のマンション暮らしに比べると、人情を感じられる街でした。

それからもずっと、近所の人が何十年も住み続けているということは、この街は相当暮らしやすいのでしょう。駅から10分くらいで交通の便も良いので、浦和人気とともに、きっと資産価値も高まっていると思われます。もと実家の建物が、今も誰かに大切にさまれていることを確認し、安心しました。私にとって、実家の建物は生き物のような存在。手を振ってその場をあとにしました。

祖母を守ってくれた八雲神社と、よく通った埼玉県立近代美術館

小学校時代から通っていた埼玉県立近代美術館。アンディ・ウォーホルの展示が思い出深いです

この近くで訪れたかったのは、北浦和駅にほど近い小さな神社です。図書館の帰りによく立ち寄っていた八雲神社。面積でいうと2畳くらいのコンパクトな土地に社が鎮座しています。

当時はこの神社にお参りする人も少なく、なぜか人目を気にしてコソコソお参りしていました。実家を離れてからは、参拝する度、独り住まいの祖母の健康を祈願していて、神社のご利益か、祖母は90代まで長生きしました。

当時のお礼を伝えたいと思い、お参りしたら、ちょうどお正月の時期で神社の関係者が参拝者にお餅を配っていて、お礼参りのつもりが恩恵をいただいてしまったようです。そのあと、昔通っていた北浦和小学校の近くまで行き、当時とほとんど変わっていない校舎を見て懐かしさにかられました。もしかしたら、当時の同窓生のお子さんたちが今通っているのかもしれません。

東口から西口に出て、思い出の北浦和公園へ。美術が好きだったので、この公園の敷地内にある埼玉県立近代美術館によく通ったものです。噴水の周りのベンチには人々が座り、憩いの場になっていました。公園内ではサッカーやバドミントン、縄跳びなどに興じる子どもたちが。美術の見識と運動能力の両方養えるスポットです。

アップグレードした部分と、変わらない部分が混在しているのが浦和の良さ

浦和駅東口で燦然と輝くPARCO。すごい勢いで老若男女が吸い込まれていきました

北浦和欲をだいたい満たせたので、一段階都会の浦和へ移動。この駅で降りる人がかなり多くて、都心並みのにぎわいです。そういえば、浦和は「住みたい街ランキング2022」でも5位に入っていました。ライバルの大宮が3位なのが複雑ですが、文教の要素と商業地区の両方の要素があってバランス良いのが浦和の魅力だと思っています。

もちろん、浦和といえば浦和レッズなので、駅周辺には「SOCCER TOWN」のモニュメントや、浦和レッズのショップもありました。当時から小学校ではサッカーがうまい男子がモテまくっていました。住んでいたときは、浦和の小学校の「体育ができる人が最強」という風潮になじめなかったのですが……。体育が極度にできなかった私は、浦和の中学校ではやっていけないと思い、逃げるように東京の女子校に進学してしまいました。

それにしても浦和駅の便利さは年々高まっている印象で、昔は「伊勢丹」と「コルソ」があるだけでも特別感があったのですが、「PARCO」ができて、「アトレ」までできて、駅を降りた途端テンション上がりまくりです。

駅舎も外から見るとガラス張りでアーバンな雰囲気に。でも、おしゃれにアップグレードした部分と、昔と変わらない部分が混在しているのが浦和の良さ。駅前の通りを少し進むと私が小学生だったころから変わらない年季の入ったランジェリーショップが健在だったり、「コルソ」の中のテナントがおしゃれすぎなかったりして、どこかホッとさせられました。

中学生時代、お小遣いが少ない中、私服の学校で少しでもおしゃれをしたいと、「コルソ」内を延々と安い服を探して歩き回ったのを思い出します。当時はまだファストファッションがなくて、おしゃれで安い服を探すのが至難の技でした。

お正月ということもあり、激混みで入れなかった調神社。狛ウサギは拝見できました

「コルソ」を抜けて少し歩くと、「調神社(つきじんじゃ)」があります。名前の「つき」に由来して、月の神様のお使いのウサギを大切にしている神社。狛犬ならぬ狛ウサギがいるので「卯年にお参りしたら縁起が良いかも」と思ったら、神社に入るまでにすごい行列だったので断念。狛ウサギだけ拝んで帰りました。卯年の今年、浦和がますますブレイクする予感です。

駅に戻り、「アトレ」に立ち寄ると、「成城石井」や「ザ・ガーデン 自由が丘」、魅力的な惣菜屋、カフェなどが入っていて高揚しました。「コルソ」には「明治屋」も入っていたし、浦和の住民の意識や経済力の高さを感じます。

「PARCO」に入ると、「ユナイテッドアローズ」、「AKOMEYA TOKYO」、「コスメキッチン」、「ZARA」、「無印良品」、「ユザワヤ」……となんでもあって、「もうわざわざ都内に出なくてもよいのでは?」と思わされます。浦和でショッピングを楽しむ人々が皆さん楽しそうで幸せそうに見えます。マダム同士の会話で「最高にいいね」というセリフが聞こえてきて、ポジティブシンキング感が漂っていました。

自己肯定感にあふれる浦和の人々

浦和駅前から少し入った通りには、昔ながらのお店も並んでいます

四半世紀前は、まだ「ダサいたま」という言葉の呪縛に囚われていて、私も東京の人に対して自虐気味でした。でも、今の浦和の住民には自虐オーラはほとんど感じられず、むしろ自己肯定感にあふれています。髪の毛の半分がピンクとブルーのおしゃれな若者も見かけました。

おしゃれ偏差値も確実に上がっていて、東京とのファッションの時差もなくなったようです。衣食住が充実しているからこそ、住民は余裕をもって『翔んで埼玉』ブームを楽しめたのかもしれません。

今や泣く子も黙る住みたい街ランキング上位の浦和。帰りの京浜東北線からは、夕陽が沈む景色が美しく見えて、目頭が熱くなりました。夕日も沈む街、浦和……。もはや浦和を中心に世界が回っているような気さえしてきます。浦和よりも発展していない都内の街に帰宅し、さらに美化された浦和の思い出に浸りました。

著者:辛酸なめ子

辛酸なめ子

1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。漫画家、コラムニスト。最近の著書に『女子校礼賛』『無心セラピー』『電車のおじさん』『新・人間関係のルール』『辛酸なめ子の独断!流行大全』『辛酸なめ子、スピ旅に出る』、など。


※記事公開時、「PARCO」の位置の説明に誤りがありました。1月24日(火)16:20ごろ修正しました。ご指摘ありがとうございました。

編集:小沢あや(ピース)