混沌の街・高田馬場で“誰かにとってのいい子”をやめた

著者: ミキオサナイ

「恋人の、近くに住みたい」

それが今から3年前、大学進学と同時に住み始めた高田馬場を去った理由だった。

 

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当時の私は、そのころ付き合っていた恋人に相当熱を上げていた。

 

今となっては、会えない時間が育んだ「1秒でも長く一緒にいたい」は、どんなに幸せなことだったろうと思ったりする部分もある。

けれども当時は、お互いの家が離れていたのと元恋人が勤勉な学生だったために、頻繁にデートができなかったもどかしさに耐えられなかった。

 

「そんな日々に、引越しすることで終止符を打つ!」

 

……と思い立ってはみたものの、実際に引越すまでには随分と時間がかかった。

なぜなら高田馬場のマンションを契約してくれた両親、とくに母親に反対されることが目に見えていたから。

 

物心ついたころから、母とぶつかったことなんてほとんどなかった――というか、ぶつかることを避けていた私は、「引越したいなぁ」「でも反対されるのも、いやだな」のふたつの気持ちで揺れ動きながら、約2年半の期間を高田馬場で過ごす。

 

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「なにも犠牲にせず、欲しいものを手に入れたい」

 

こんな自分に、もういい加減ウンザリしていた。「このまま大人になっていいの?」と焦っていた。

 

そんな私が最終的には、恋人の近くへの引越しを選んだ。怖がりで煮え切らない大学生だった私が、はじめて誰かにとっての「いい子」よりも自分の気持ちを選べた。

 

それは高田馬場に住んでなければ、あり得なかったことだと思う。

 

生活にも遊びにも困らなかった馬場ライフ

高田馬場にやってきたのは18のころのこと。

高校卒業とともに地元である秋田県能代市を離れた私は、進学のために上京した。

それまでずっと人口6万人弱の小さな街で育った自分としては、「東京はどこも都会なんだろう」と誤認していたので、「住む場所はどこでもいい」と両親に丸投げしていた。

 

そんな中で高田馬場が“候補のひとつ”に挙がったのは、学生街であることと、私が通う予定の大学まで電車で3駅と交通の便が良いことが理由だった。それを“決定事項”に後押ししたのが「ラーメン」である。

高田馬場はラーメン激戦区だ。あっさり系からこってり系まで、さまざまな味の店がしのぎを削っている。

上京前、それを教えてくれたのは東京に出張の多い父だった。そして私の家は、家族みんな大のラーメン好きだったりする。

「高田の馬場に住めばいつでも美味しいラーメンが食べられるよ」という父の情報で、母も私も数ある他の候補地から、すんなりと高田馬場に傾いた。

 

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住んでからしばらくして分かったのは、高田馬場は家賃相場の割にとても便利な街だということだった。

2018年の世界乗降客数ランキングでは、高田馬場は9位の品川に次ぐ10位だったりする(ちなみに1位〜23位が全て日本の駅らしい)。山手線の他に東西線と西武新宿線が通っているため、通勤・通学で不便をすることはない。ちょっと歩けば西早稲田駅があるので副都心線も利用することができる。

 

チェーン店というチェーン店がそろっているこの街で、生活に困ることもまずなかった。

駅前には24時間営業のドン・キホーテがあるし、食事処もファミレス・ラーメン店・寿司屋・焼肉屋と、なんでもそろってる。

私が住んでいたマンションは駅から徒歩7分の場所にあったのだけど、その途中には「SEIYU」「オオゼキ」「マルエツ」と3つもスーパーがあって、買いたい食材が手に入らないことはなかった。

 

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上京してはじめて一人暮らしする私にとって、生活のインフラが十分すぎるほど整っていたことは、今思えば何よりも心強かった。

 

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学生街だからか、高田馬場には本屋が多い。というのも、この街に住んでみて分かったことのひとつ。

駅前の大型書店「芳林堂書店」は3フロアあって、欲しい新刊は本でも漫画でもたいていここで手に入った。

駅から5分ほど歩けばヴィレッジヴァンガード(2016年に閉店)があり、早稲田通りを早稲田方面に歩けば古本屋が立ち並ぶ。

 

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もう潰れちゃったけど、早稲田通りを中野方面に歩く途中にあった「あおい書店」は24時間営業していて、よく深夜にフラッと寄り道した。

時間は有り余るのにお金がない大学生の身分としては、この街を歩いているだけで退屈しないのはとてもありがたかった。

 

 

それぞれのカラーを持った若者たち

学生街として知られる高田馬場。

 

だけど「学生街」のひとことで括られていいのか疑問なほどに、この街にはいろんなカラーの若者が生息している。

早稲田大学、東京富士大学、学習院女子大学とまず大学がいくつかあり、音楽専門学校や美容専門学校、外国人専門の日本語学校なんかもある。

 

ロータリー周辺はアッパー系の若者とダウナー系の若者が入り混じっているので、全体的に「ウェーイ」な雰囲気かといえばそうでもない。

とにかくいつも、若者の姿で溢れてはいるのだけど。

 

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西早稲田の方向に早稲田通りを歩けば、2階建てのスターバックスが見えてくる。

高田馬場に住んでいたころ、そこの2階席で声をかけてきたフランス人が、映画『スタンド・バイ・ミー』のリヴァー・フェニックスに似ていた(タイプだった)という理由だけで、一回だけデートしたことがある。

 

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元々フランスで製薬会社に勤めていたリヴァー似の彼は、留学生として高田馬場の専門学校に日本語の勉強をしに来ていた。

見目麗しく、役職もあった人が、母国を離れ日本で一から学生をやっている。彼が嬉々として見せてくれたiPhoneの写真フォルダの中には、彼が暮らしている高田馬場の部屋の中が写っていて、畳に盆栽が置かれていたのが印象的だった。

 

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高田馬場にはライブハウスや音楽スタジオもあるので、バンドマンの姿もよく見かけるし、国内屈指のミャンマー人コミュニティがある(ゆえに高田馬場は「リトルヤンゴン」とも呼ばれている)せいか、アジア系の若者も数多く生活している。

 

思い出すのは、住んでいたマンション近くのライブハウス「AREA」付近での出来事。

ライブハウスの横には坂道があるのだけど、ある日買い物袋を持ってその坂道を下っている途中に袋が破け、中の食材が転げ落ちてしまった。

 

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そこにライブハウスの裏口でタバコをふかしていたビジュアル系のバンドマンたちが駆け寄って来て、家まで一緒に買った食材を運んでくれたことがある。

 

そのときバンドメンバーのひとりが、自分も高田馬場に住んでいると教えてくれた。「大学を中退し、バイトをしながらバンドをやっている」と話していた彼は、今もどこかのライブハウスで音を鳴らしているのかな。

 

 

この街にスタイルはない、けれど懐の広さがある

肌の色、髪の色、言語、バックボーン、将来の夢、集団として見たときあまりにも雑多な若者たちを抱える高田馬場。

この街に生きる若者の混沌ぷりは、そのまま街の雰囲気ともリンクしている。

 

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活気はある。

けれどもこの街に住んでいたときから、高田馬場は、お洒落や都会的とはずいぶん程遠いところにいる気がしていた。

 

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そういえば英語で「お洒落」は「stylish」と表現される。

お洒落がスタイルを持つことならば、高田馬場が垢抜けないのも納得かもしれない。

なぜなら、高田馬場には、定まったスタイル──つまり「型」や「様式」がない。渋谷や下北沢のようなカルチャー色はないし、中目黒や代官山のようなハイセンスさも感じられない。

高田馬場はいつまでもスタイルがなく混沌としている状態だから、垢抜けないのかもしれない。

 

でも混沌としているのはひっくり返せば、高田馬場ではいろんなカラーを持った若者たちが共存できるということでもある。

高田馬場という枠の中に決まったスタイルがないことで、どんな個性も排除されず、目立ったカラーに誰も気後れすることも、「合わせないと」と焦ることもなく、ただ自分の内側を大切にできるのかもしれない。

 

スタイルがないことは、言い換えれば「懐が広い」ということかもしれない。

そんなことを、あの街で出会って関わった若者たちとの記憶をふり返り思うのだ。

 

 

高田馬場からいい子を辞めた

引越しの件は、いざ口に出してみるとやはり反対された。

 

「マンション契約、安くなかったのよ」

「どうしてわざわざ大学から遠いところに行くの」

「恋人の近くに住むって言うけど、近すぎるとうまくいかないものよ」

 

母の言葉は理にかなっていて、何度か思い直そうともしてみた。けれどやっぱり引越しを諦められなくて、最終的には「一円も頼らないんで許してください」とお願いすることで、しぶしぶ了解を得ることができた。

 

あのときの自分は、我ながら頑固だったと思う。引越しの許しをもらってからのバイトへの精の出し方もすさまじかった。

プライベートをほぼ削ってバイトを3つ掛け持ちし、家と大学とバイト先を往復する日々。

 

あのころの自分には、なにか執念めいたものがあったようにふり返る。

 

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私はたしかに引越しをして、恋人のそばに居たかった。

 

けれど、私を焚きつけたのはきっと“引越し”や“恋人”だけじゃない。引越しは、在りたい自分になるための切り札だったんだと思う。

 

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結果的には、引越した先で恋人とは半年も経たないうちにお別れすることになった。

母には「ほら言ったでしょ」と呆れられる始末。

 

けれど、よくよく考えてみると、母の反対を押し切って自分の気持ちを優先して行動したのは、初めてだった。

行動できないゆえに失敗すらできなかった私が、大学3年生になってやっと失敗できたのは、ある意味の成功だった気がする。

 

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思えば高田馬場から「いい子」を辞めてから、水を得た魚のように随分とやりたい放題生きられるようになった。

就活をしないという選択も、新卒から完全リモート・完全フレックスの環境で働くことを選んだことも、周りから最初は「大丈夫なの?」って心配されたりした。それを毎度ふりきってきた自分のルーツは、あの引越しと高田馬場にあると思う。

やりたい放題やるにあたっての一切の責任は、自分が持たないといけない苦しさも知った。


そんな私をいつもなんだかんだ最後まで温かく見守ってくれたのも、母だった。

引越しのためにバイトに明け暮れる娘を、突き放すでも途中で手を差し伸べるでもなく、ただ何も言わずに最後まで見守ってくれた。

どんな私も受け入れてくれる母もまた、どんな若者も受け入れる高田馬場のような、懐の広い人だった。

 

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混沌の街・高田馬場の懐の広さとは、住む人を選ばない優しさだ。

住む人を選ばないということはつまり、学生だったりフリーターだったりという肩書きだけでなく、その人のどんな内面や現状も、肯定してくれるということでもある。

 

大学生だった私のような、怖がりで煮え切らない態度を惰性で続けている若者も、あのバンドマンやフランス人のように欲しいもののためにふりきって行動している若者も、オールオッケーな街が高田馬場だ。

 

混沌が成り立つこの街にあるのは、若者の個人の想いに間違いなんてない、という力強い肯定じゃないかと思う。

そんな高田馬場に住んで私はやっと、「たとえ失敗しても、応援されなくても、自分の人生を生きている自分」を踏み出してみたくなった。

 

引越し計画は散々な結果に収束したけど、私は今、あのころの失敗をこんなふうに愛おしく、懐かしく思うことができる。

それは、怖がりで煮え切らない大学生だった私が何より欲しかったものが、「誰かに認められる自分」よりも「自分の人生を生きている自分」だったからかもしれない。

 

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著者:ミキオサナイ

ミキオサナイ

1995年生まれの編集者・ライター。「灯台もと暮らし」というウェブメディアを運営しています。
灯台もと暮らし:http://motokurashi.com/
Twitter:@mk__1008

 

※記事公開時、ヴィレッジヴァンガード高田馬場店(2016年に閉店)の位置に関する説明に誤りがありました。7月9日(火)16:50ごろ修正しました。お詫びして訂正いたします。ご指摘ありがとうございました。

 

編集:Huuuu inc.くいしん