滋賀県で、本づくりを通してまちの魅力を伝えていく|文・能美舎 堀江昌史

著: 能美舎 堀江昌史(ほりえまさみ)

海に憧れていたはずの埼玉県民、琵琶湖の美しさに感服


森岡賢哉撮影

2013年、前職の全国紙記者として滋賀県に赴任することが決まった時、「滋賀? 琵琶湖……?」となったのを覚えている。正直、琵琶湖以外何も浮かばなかった。私は埼玉県出身で海へのあこがれが強く、「海無し県」への異動に少しがっかりしていた。

ところがどっこい。初めて琵琶湖岸に立ったとき、海と見まがうほど広大な水平線に驚いた。寄せては返す波。風が強い日には、白波だって立つ。雨あがりには、遮るものがない湖上に、大きな虹の橋がかかる。あっという間に、琵琶湖が大好きになった。仕事で落ち込むことがあっても、琵琶湖を眺めれば、明日も頑張ろうという気持ちが湧いた。

特に気に入ったのは「奥琵琶湖」と呼ばれる、滋賀県湖北地域の湖岸の風景だった。水鳥が戯れる早朝の湖岸散歩も楽しいが、夕暮れ時も最高だ。夜の帳が茜色の空と溶け合う寸刻、空の色を映す湖面と一足先に影を落とした湖岸のグラデーションに「まるで水墨画の様だ……」と感嘆した。これまで水墨画になんて1mmも関心を持ったこともなかったのに。

近畿1450万人の水がめを支える源泉の森

水墨画のような夕暮れをはじめ、湖北地域の美しい景観に魅了された私は、取材とかこつけて県北によく出かけた。福井県と滋賀県の県境、長浜市余呉町の山中には、西日本最大級のトチノキの巨木林がある。

県の調査に同行し、道なき道を藪漕ぎで進めば、樹齢500年をゆうに超える巨木たちが幾本も、山の中で大きく幹を広げているのに出会う。大人5人で腕を回しても足りないくらい、大きなものもある。

その根元に溜まる水は正に「琵琶湖・淀川水系最初の一滴」。ここが近畿1450万人の水がめを支える源泉の森だと思うと、神聖な土地としての畏怖のようなものも感じられるようになった。


長浜市余呉町の山中で撮影したトチノキの巨木林

私を滋賀に引き留めた私設図書館「江北図書館」

退職後は、実家のある東京へは戻らず、滋賀で暮らしてみることにした。

気に入った湖北地域で物件を探す中で心惹かれたのは、JR木ノ本駅前にある「江北図書館」だった。江北図書館は、伊香郡余呉村(現長浜市余呉町)出身の弁護士・杉野文彌が「郷里の若者たちに学びの機会を」と本が高価だった時代に一冊ずつ買い集めた蔵書が並ぶ。明治35年に余呉町に設立した『杉野文庫』を前身として、以来120年間にわたり市民が守ってきた私設の図書館。日本では3番目、滋賀県内では現存する中で最古の私設図書館だ。

アーチ形の四連窓が特徴的で、一歩中に入ればタイムスリップしてしまうようなレトロな建物も素敵。明治、大正、昭和、平成、令和の5世代の図書が同居する書架は、地域の人々の暮らしの息吹を感じられるような気がした。
また、この木之本地域には、とっても小さい町なのに本屋さんが3軒もある。当時、既にひとり出版社「能美舎(のうびしゃ)」を立ち上げていた私にとって、「こんなに本が生活の中にある地域なら、きっと楽しく本づくりができるだろう」と期待せずにはいられないような環境だった。

そんな不思議なご縁もあって、「能美舎」として2022年には『江北図書館』を発刊することになった。図書館の魅力をわかりやすく写真をたくさん使って紹介した本だ。そしてなんと私は、今この図書館の理事を務めている。


図書館正面で理事会メンバーと。昭和建築の4連窓が象徴的。館内の本棚や照明などの調度品も明治時代から使っているものが多く、レトロで可愛い。=木之本町木之本、山内美和子撮影

移住したのは小説の舞台になった「糸取りの里」

住まいは、そこから車で5分ほどの「大音(おおと)」という、賤ケ岳(しずがたけ)の麓に拓かれた村の中にある築350年以上とも言われる古民家にご縁をいただいた。

ここは古くから続く「糸取りの村」。水上勉の小説『湖の琴』の舞台となったことで知られている。上質な糸をつくるためにはきれいな水が肝心という。村のあちこちには「清水(しょうず)」と呼ばれる山の湧水を受ける石の升があり、いつも清らかな水が湧いている。糸取りは、今も村の女性たちによって続けられている。初夏には桑の葉で蚕を育て、育てた繭から糸を引く女性たちの姿を見ることができる。


私は水がきれいなこの村がとても気に入って、2017年に「丘峰喫茶店」というお店を開店した。自分で育てたお米や、地域の人たちがつくるお野菜を中心に、季節の手料理を提供している(都合により現在は休業中)

あけみさんから学んだ郷土料理と、本当の豊かさ

「新聞記者をしていて、どこで料理を覚えたの?」と聞かれることがある。料理の基本は、退職後に彦根の料理学校に2年ほど通って習ったのだが、私には「滋賀の味」を教えてくれた母のような人がいる。それは、栗東市(りっとうし)の「もんぺおばさん」こと、郷土料理研究家の中井あけみさんだ。新聞記者時代に取材で出会った。


あけみさんと牧造さん。私の「滋賀の両親」のような存在=栗東市東坂の「もんぺおばさん田舎工房」前

あけみさんの工房がある地域も金勝山(こんぜやま)の麓、とても水がきれいで米も野菜も大豆も豊富にとれる農村地帯。あけみさんは夫の牧造さんと一緒に、春には田植え、夏にはふなずし作り、秋には稲刈り体験に収穫祭、冬はみんなで味噌づくり、と季節ごとに農業体験を企画し、地域内外の人たちに「農ある暮らし」の豊かさを伝えていた。

そして、とにかくいつも美味しいものばかりつくっていた。苺のシロップや柚子ピールの砂糖漬け、トマトケチャップ、栗の渋皮煮、溜まり醤油が溜まった手前味噌……。あけみさんが作り出す季節の手仕事の何もかもが宝石のように輝いていた。埼玉の新興住宅地で育ち、多忙なサラリーマン生活をしていた私にとって「豊かさ」の物差しがぐんぐん変わってしまうほど、美味しい田舎料理だった。

2021年の冬、あけみさんから「ガンになった」と打ち明けられた。心をぎゅっとつかまれたような気持ちだったが、私に出来ることを精一杯しようと思い、あけみさんのレシピ本をつくることにした。

あけみさんは本当に包容力の大きな人だったので、私のように普段から彼女を慕ってイベントなどをお手伝いする「もんぺおばさん応援隊」がいた。応援隊のみなさんに声をかけ、1年かけて手書きのレシピノートから文字を起こしたり、実際に調理をして写真に残す作業を繰り返した。

コロナ禍に、がん患者のあけみさんを囲んで、編集会議とかこつけた料理パーティーを何度も開くこととなった。あけみさんも、私も仲間たちも、リスクは承知していたけれど、誰も口には出さなかった。もし本づくりがなければ、あのご時世にみんなが何度も楽しく食卓を囲むことなんて、出来なかっただろう。私たちにとって、とても幸せでかけがえのない時間を過ごした。

2022年3月、無事に中井あけみ著『もんぺおばさんの田舎料理帖』を発刊することができた。あけみさんは、発売記念マルシェなど予定していたイベントをすべてやり切って、翌月、天国へと旅立った。

あけみさんも応援した琵琶湖のお魚博士の少年

あけみさんが応援していた少年がいる。大津市の黒川琉伊くんだ。琉伊くんは2歳のとき、お母さんが見せてくれた魚のアニメがきっかけで魚にハマり、以来、毎日欠かさず琵琶湖に通い続け、琵琶湖博物館にも毎日のように通う立派なさかな少年に成長した。博物館や図鑑で眺める魚の名前を読みたくて、ひらがなよりカタカナを先に覚えたという。

そんな琉伊くんが描く琵琶湖の魚たちは、私が持っていた地味な印象の淡水魚の姿とはまるで違う。躍動的で、鮮やか。こんなにも美しい魚が琵琶湖に本当にいるのだろうか、と信じられなかった。でも、琉伊くんは「僕は太陽光の中で泳いでいる魚たちの一番きれいな瞬間を絵に描いている」と言う。


捕まえた魚と一緒に写る黒川琉伊くん=近江舞子の琵琶湖岸、浅井千穂撮影

琉伊くんの絵に出会ってから、我が家の5歳の息子と魚とりに出かける時も意識して魚の様子を観察するようになり、水の中の魚たちは本当に琉伊くんの描いたように美しく躍動的にきらめいていることを知った。

毎日琵琶湖に通う琉伊くんは、フィールドに散らばるファストフードの残骸や、水鳥の首に絡まる釣り糸など、動物や自然を気にかけない人間の素行に心を痛めていた。琉伊くんは、なんとかみんなに琵琶湖に関心を持ってもらおうと、地域でゴミ拾いをしてから琵琶湖の生き物を観察するイベントを開いたり、幼稚園などに出かけてお魚教室を開いたり、「こんなにたくさんの生き物が身近にいるんだよって知ってほしい」と中学生としてできる限りの活動をして頑張っていた。

私はそんな琉伊くんの思いに心を打たれ、もっとたくさんの人に知ってもらいたいと思い、一緒に絵本をつくることにした。制作中に驚いたのは、琉伊くんの魚の知識がとんでもなく広く深いことだ。彼が愛読しているという専門家向けの図鑑はヘロヘロ。時折破れてなくなったページもあり、「ここには何が書いてあったの?」と聞くと、ものすごく詳しい答えが返ってくるので、「食べて覚えてるの⁈」と思ったくらいだ。

編集過程で頼りにしたのはやっぱり琵琶湖博物館だ。高橋啓一館長にご相談に伺うと、「幼少から博物館に通い続けてきた琉伊くんの志を応援したい」と快諾していただき、琉伊くんが長くお世話になってきた学芸員の金尾滋史さんが本当に熱心に何度も原稿の指導をしてくれた。おかげさまで、2022年7月1日の「びわ湖の日」に『はじめてのびわこの魚』を発刊。14歳の著者として話題になった。


琉伊くんが200色以上の色鉛筆で描いた図鑑のような絵本『はじめてのびわこの魚』。圧倒的な情報量と筆圧に、魚が好きな思いがこれでもかと伝わってくる

移住者と地域の人をつなぐ雑誌作り 移住者のリアルを発信

話題になった本と言えば、2022年に創刊した『サバイブユートピア』という雑誌がある。長浜市木之本町(旧伊香郡)を拠点に活動する移住者の女性8人で作る「イカハッチンプロダクション」が企画・編集する雑誌で、私もそのメンバーのひとりだ。「ユートピア(田舎)に移住したオンナたちのサバイブ(日常)」というテーマで、田舎での日々の幸せや葛藤をありのままにぶつけた暮らしの読み物だ。

イカハッチンプロダクションのメンバーは、みんな都会から長浜市に縁があって移住してきた。長浜市の中でも、北国街道「木之本宿」という古くからの暮らしの風景が残る街道沿いが私たちの活動の拠点だ。

北国街道は、地蔵院の門前町として栄えた宿場町で、昔から旅人と木之本のお地蔵さんの参拝客で賑わっていたそうだ。400年以上続く酒蔵、醤油蔵、老舗のパン屋、郷土料理店など、昔ながらの商家の町並みが残っている。お客さんを歓迎することに慣れている町の人たちは、移住者の私たちにも優しく親切で、価値観の違いにも寛容さがあり、居心地がよくて気に入っている。

だが、伝統的なまちだからこそ、移住者にとって驚くような文化の違いや、初めて触れる習慣に戸惑うことがある。近くに親戚も友人もいない移住者はそんなカルチャーショックを共有できず、独りで抱え込みがちだ。移住者の中には、せっかく移住してきたけれど、地域になじめずに出ていくことを選ぶ人もいる。

私たちは、そんな移住当事者としての悩みや葛藤、地方に感じている魅力を雑誌の編集を通して共有し、地域の人たちにも私たちの立場や考えを知ってもらおうと前向きに発信している。

振り返ってみると、20代~40代へと移っていく編集部員たちの暮らしの変化や思想がありありと反映された「交換日記」のようでもあるなあと気づく。10年後振り返れば、夜中に書いたラブレターのようなものかもしれない。

でも、30代、40代と歳を重ねても、いつだってどこでだって、自分たちで日々を楽しくすることができるという私たちのたくましさが、誰かを励ましたり、勇気づけたりすることにつながったら嬉しい。そして、地方に移住を考えている人たちの最初の一歩を応援できたら、嬉しい。


『サバイブユートピア』では、メンバー全員でグラビア写真を撮影するのも楽しみの一つ。今号は木之本町の老舗美容室「ヘヤーサロン ヤマニ」をお借りして撮影に挑んだ=木之本町木之本、浅井千穂撮影

私は兼業「ひとり出版社」なので、1年間にそんなにたくさんの本は出せない。だから、ありがたいことにたくさんの相談をいただいても、せいぜい出せるのは3〜4冊。事業的には苦しいが、私のライフワークと思って取り組んでいる。だからこそ、これからも思い入れの深いものを、この土地で、大切に作っていきたいと思っている。

著者:能美舎 堀江昌史(ほりえまさみ)

能美舎 堀江昌史(ほりえまさみ)

1986年東京生まれ、埼玉育ち。朝日新聞記者として神戸、佐賀、滋賀に赴任し、婦人病を患ったことを機に2016年退職。同年8月、がんを患い寝たきりとなった友人から聞き書きした旅行記『「がん」と旅する飛び出し坊や』を発刊、ひとり出版社「能美舎」を設立。2017年、長浜市の賤ヶ岳という山の麓の古民家で「丘峰喫茶店」を開店。春夏秋は喫茶店の営業や農作業、冬は本作りに没頭する5歳児の母。現在、喫茶店は少しばかりお休み中。

編集:小沢あや(ピース)