著: 玉置 標本
今年の3月、長野県飯綱町にある築約150年の古民家を利用した「のらのら」というカフェ兼宿泊施設をやっている、高野恒寛(たけひろ)さん、珠美(たまみ)さん夫婦と知り合った。
この家は都内の企業に勤める恒寛さんの実家だそうで、高野夫婦の娘が住む東京の家と行ったり来たりしながら、珠美さんが中心になって周囲のリンゴ畑や里山も含めて活用しているそうだ。
古民家カフェや二拠点生活、楽しそうだけど大変そうでもあるが、実際のところはどうなのか。古い家や田舎という環境が秘めるポテンシャル、移住者を受け入れることで双方の希望をかなえるマッチング、地元コミュニティのローカルルールを踏まえながら新しいことに繋げる方法論など、たくさんの話を伺うことができた。
築150年の古民家が放つ圧倒的な魅力
飯綱町は県庁所在地である長野市の北側に隣接しており、のらのらまでは東京駅から電車と車で最短3時間くらいの場所にある。
長野駅まで新幹線で二時間弱(高速バスなら新宿から四時間弱)、長野駅からは車移動で30分で到着。最寄駅のしなの鉄道北しなの線の牟礼(むれ)駅からは車で10分ちょっと、徒歩だと約一時間だ。
さすがに車がないと不便な場所だが、車さえあれば東京との二拠点生活も可能という距離だろうか。
のらのらの全景。知らなければカフェだと気づかないだろう
母屋がカフェと宿泊施設になっている
私は古民家に対して特別な感情は持っていなかったのだが、のらのらを訪れて「古い家ってすごい魅力的じゃん!」と素直に思った。維持管理は大変なのかもしれないが。
これらの写真で、その魅力が少しは伝わるだろうか。
堂々たる玄関
なんと築約150年!明治の初期くらいということか
カフェスペース。そして家主である恒寛さん
部屋がいくつかあり、奥にある和室などが宿泊スペースとなっている
敷地内のどこかにある隠し部屋。すごく探検し甲斐のある古民家だった
マスコット的存在のヤギ、リンちゃん。おいしいミルクを提供してくれる
リンちゃんの写真だけで100枚以上撮っていたので、せっかくなのでもう一枚
いやもうちょっと載せさせて。リンちゃんが来てから、のらのらは良いことばかりだとか
近所を散歩するだけでも楽しい。この田んぼや裏にある山も高野家の敷地
農業未経験で引き継いだ夫の実家のリンゴ畑
恒寛さんは現在56歳で、珠美さんは54歳。学年でいうと一つ違いの二人は、恒寛さんが27歳のときに結婚。そして仕事の都合で1993~98年にパナマへ赴任。千葉、東京の暮らしを経て、2012~17年にはメキシコ駐在となり(珠美さんは2014年に帰国)、現在は東京と長野飯綱町の二拠点生活をしている。なかなかの移動距離である。
恒寛さんの家は代々リンゴや米を育てる農家。男四人兄弟の次男として生まれ、すでに兄弟全員が実家を出て暮らしている中で、将来的には百姓をしたいという考えがあった恒寛さんがこの家を継ぐこととなった。
珠美さんは東京出身の一人っ子。農作業の経験はまったくなかったが、恒寛さんの両親が高齢となり、手が回らなくなっていたリンゴ畑を一人で継いで(恒寛さんはメキシコで単身赴任中)、そこからいろいろな人の力を借りながら、「のらのら」と名付けたこの場所を拠点にさまざまなチャレンジをしている。
2021年8月現在はコロナの関係でカフェも宿も不定期にて営業中。もし行かれる場合は要確認
高野恒寛さん(以下、恒寛):「地元の高校を卒業してからは、盆と正月に帰ってくるくらいでした。そもそも築百年以上の家だし、両親二人だけで何十年も住んでいたから、半分以上は使えない状態になっていた。こんなに大きな家なのに、兄弟が集まると寝られる場所がないから、炬燵を中心に放射状に寝ないといけない。長年の不用品だらけだし畳はブカブカ。掃除をしようとするとすべての穴が真っ黒になる。
そんな家を兄弟の中で僕が継ぐことになり、将来ここに住むことを考えて、2012年に結構大規模なリフォームをしました。でもそのあとすぐメキシコ行きになっちゃったんですが」
――私はこの綺麗な状態しか知らないので、そのころが想像できないです。
恒寛:「改築は代々お世話になっていた地元の工務店にお願いしたけれど、建て替えを勧められました。古い家を壊して新しい家を建てるのが、この集落の流れ。僕が住んでいたころまでは古民家ばっかりだったのに、みんな建て替えちゃった。
この家はその流れに乗り切れなくて、古いまま残っていた。新築を建てるのと同じ額が掛かると言われても、この家を残したかった。なんだかんだで何千万も掛かりましたけど、やっぱり建て替えなくてよかったですよ」
――同じ金額が掛かるのであれば、どうせなら建て替えるという選択をする人が多いというのもわかりますが、こうして実際にしっかり改修された古民家を見ると、印象がだいぶ変わりそうです。
恒寛:「一度壊しちゃったら、もう二度と建てられないですからね」
この状態まで改修するのは費用的にも大変らしいが、この雰囲気は新築だと出せないのだろう
リフォームからしばらくして、恒寛さんの両親が高齢のため農作業をすることが難しくなったので、子どもの進学の関係もあり、2014年の春に恒寛さんをメキシコに残して珠美さんは帰国。週末ごとに一人で東京から飯綱町まで通って、義両親のリンゴ畑を世話するようになる。
その年に恒寛さんの父は他界。しばらくして母も介護が必要となり、グループホームに入居することとなった。
料理の腕前は海外生活中に鍛えられたという珠美さん
高野珠美さん(以下、珠美):「千葉市に住んでいたころ、市民農園を借りてレタスミックスみたいな種を蒔いて、その葉っぱを摘み取ったのが初めての収穫。そのころからアロマとか農業に興味はあったけど、リンゴの栽培なんて素人もいいとこ。
おばあちゃん(恒寛さんの母)に聞きながら、どうにか消毒、草刈、摘果を覚えて、あとは見よう見まね。恒寛さんが帰ってくる2017年まではずっと一人でした」
――東京との二拠点生活をしながら、未経験の農業を引き継ぐってすごい無茶だ!
珠美:「農作業には必須の軽トラックがマニュアルだった。免許はあっても運転ができなくて、当時は2速までしか入れられなかった。今は重機も乗ってますけど。
でも地元の人は、次男の嫁がやっていることをなかなか評価してくれない。ここが消毒できてないとか、この木は病気だから早く切れとかいわれて。今思うと、かなり追い詰められていました」
――病気が広がったら困るという話なんでしょうけど、ちょっと辛いですね。
珠美:「わかったのは、生食用のリンゴをつくるのが私には無理だということ。果物として高く売るためには、形が綺麗で傷がひとつもなく、真っ赤で大きくないといけない。収穫のときにヘタがとれちゃうと、それだけで値段が1/10とかになってしまう。
そういう神経を使う栽培は、時間も掛かるし負担も大きくて無理。農業で生計を立てている訳でもないので、こんなに苦しいことはやってられない!」
――辛い思いをしてまでやる義務はないと。
ちゃんと値段のつくリンゴをつくるのは相当な手間らしい
珠美:「だからつくったリンゴは、シードル(リンゴを醸造して作る発泡酒)やジュースにすることにしました。それなら材料としての品質さえよければ、色も形も関係ない。それにお酒が好きだから、おいしいシードルになるならがんばれる!
もともと日本酒が大好きで、日本酒ってお米からできているじゃないですか。お酒を学べば学ぶほど、醸造は農業とつながっているんだなと思っていたころだったし」
――ワイナリーがワインのためのブドウを育てるように、シードルのためのリンゴを育てる方向に切り替えたんですね。
珠美:「そこから委託先を決めて、のらのらファームのシードルをつくり始めました。それはそれで醸造所まで最低1トンのリンゴを運ばなきゃいけなかったりで大変だったんですけど。時間が足りないから夜も車のライトで照らしながら収穫していました」
自ら収穫したリンゴを使った「のらのらファーム」ブランドのシードル
懇意のワイナリーと共同作業で育てたブドウのワインのリリースもしている
珠美:「その委託していた醸造所がちょっと遠かったので、それなら飯綱町でつくっちゃおうと、廃校を利用してシードル醸造所の立ち上げもしました」
――すごい行動力だ。
珠美:「でもシードルづくりだけをやりたい訳ではないので、そこの運営からは引き上げました。もっと広く、農業とお酒と人をつなげたい。
リンゴ畑からシードル、ブドウ畑からワイン、田んぼから日本酒をつくる。その流れを一緒に体験できるツーリズムを企画して、みんなでつくったお酒と地元の食材が繋がるような仕組みにしたいんです」
のらのらファームではブルーベリーなども育てている。これくらい一気に食べるとうまいと教わった
このようにバイタリティー溢れる珠美さんは、いくつものやりたいことに挑みつつ、並行して古民家を利用したカフェや宿もやっているのだ。しかも二拠点生活を維持したまま。どれだけ元気なんだ。
さらに山奥のログハウスも購入して、一棟貸しの宿に改修中。写真提供:高野珠美
シェアハウスによる移住者・協力者の受け入れ
もちろん高野さん夫婦だけでは人手が全然足りないし、珠美さんのやりたいことは次々と増えていく。そして恒寛さんは今もフルタイムで働く会社員なので、実作業に加わることは難しい。
そこで敷地内にあった納屋をシェアハウスにリフォームし、昨年の春から移住者を受け入れることにした。
右の建物がシェアハウス。かなり格安だが入居には条件がいくつかある
珠美:「やっぱり私だけだと限界がある。農作業は人手が必要だし、一人だと寂しい。楽しく農業とお酒造りができる仲間づくりがしたかった。それでシェアハウスをつくったんです。
でもシェアハウスに住めるのは基本的に最長1年まで。ずっと家族みたいにいられる訳じゃないし、ここを通じてやりたいことを見つけて、近くに自分の場所をつくってもらいたい。そうじゃないと広がらないから」
――のらのらの専属メンバー用というよりは、飯綱町への仮移住用という感じですね。
珠美:「シェアハウスができてまだ一年ちょっとだけど、シードルづくりを志す樹木医や、東京で劇団をやっていた人とか、これまで10人くらいが暮らして、何人かは移住しています」
――個人運営の地域おこし協力隊募集みたいな話だ。
珠美:「シェアハウスの入居条件は、農作業を手伝ってくれるか、リンちゃんのお世話をしてくれること。我々と一緒に汗を流してくれる人ですか、ということなんです。
ここで自分の持ち味を生かしつつ、一緒に飯綱町やのらのらを盛り上げようとしてくれる方に来て欲しい。ただお金儲けがしたいとか、有名になりたいとか、そういう気配がある人は最初から受け入れたくない。不本意な形で利用されるのは困るから、そこはシビアに見ているかな。ここはそういう場所じゃないので」
――お金を払えば誰でも住めるという訳ではないし、お金を払うからのらのらを手伝ってくださいということでもない。
恒寛:「シェアハウスの住人を社員として雇う訳じゃないから給料は払えないけど、お手伝いをしてくれればこの場所で好きなことをしていいよと。その方がお互いのハードルが低くなるでしょ」
のらのらを通じて移住した方に話を伺った
シェアハウスの一期生である神藤裕太(かんとうゆうた)さんは、珠美さんが立ち上げに参加したシードル醸造所でバイトをしているときに高野家と知り合った樹木医だ。
樹木医とは、その名の通り木のお医者さんである。
樹木医の神藤さん
――樹木医がどうしてシードルの醸造所でバイトをしていたんですか。
神藤裕太さん(以下、神藤):「これまで造園業で関わった樹木医の仕事は、病気になった木を治療することが多かった。今度は木が病気になる前、木を生かす段階から関わりたい。そこで樹木医の知識や技術を生かして、病気に弱いリンゴの木を丈夫に育てる農家をやりたいと考えました。
その流れでシードルというお酒を知り、樹木を使った六次産業にも興味があったので、『シードルをつくるリンゴ農家の樹木医』を目指して醸造所でアルバイトをしているときに、今度シェアハウスをつくるからおいでよって珠美さんから声を掛けてもらって。
樹木の病気は微生物が原因である場合が多い。シードルは樹木からできるリンゴと酵母という微生物からできる。そういった化学的な知識が自分の中で繋がることも多く、おもしろくてどんどん入り込んでいきました」
神藤さんが醸造の勉強をした伊勢角屋麦酒に、降雪被害を受けたリンゴを橋渡しをすることで、リンゴ果汁にホップを加えてつくるホップドシードルの生産もおこなわれた
――樹木医が育てた健康な木に実るリンゴのシードル、すごくおいしそうです。
神藤:「今はのらのらファームを手伝いつつ、シードルの醸造所でも働いているので、自分で育てたリンゴを珠美さんが自分の働いている工場に委託する形で、畑や設備を持たずにシードルづくりの修業をさせてもらっているという、すごく恵まれた状態です」
リンちゃんの乳絞りで体がずいぶん絞られたとか
――飯綱町の住み心地はどうですか。
神藤:「最高ですね。これまで神奈川が一番長いんですけど、あまり都会が合っていなかったんだなとヒシヒシ感じています。長野最高!
シードルづくりの修業だけでなく、のらのらのカフェでバイトをしていた真田さんと去年12月に会社を立ち上げて、造園や樹木医の仕事を請け負いながら『こしかけカフェ』という店をオープンしました。ここをシードル販売の拠点として、応援してくれる方、一緒に楽しんでくれる方をつくっていきたい」
神藤さんの共同経営者であり、こしかけカフェ店長の真田大介さん。3月にのらのらへいったとき、薪割りを教えてくれた
――カフェをやりたいという真田さんの夢と、シードルを広げたいという神藤さんの夢が、うまく繋がったんですね。
神藤:「のらのらを通じて、いろんな人の想いが繋がりました。ゆくゆくは自分でリンゴ畑やシードル醸造所を持ちたいなと考えています」
8月末にオープンしたばかりのこしかけカフェ。写真提供:真田大介
そしてもう一人。神藤さんの友人である西希望(にしのぞむ)さんは、今年の3月に夫婦で移住してきた。のらのらのシェアハウスではなく、長野市内にある恒寛さんの親類が持つ家に住んでいる。
西さんとは移住直後に真田さんも交えて一度会っているのだが、そのときは失礼ながらちょっと空気の重い印象があった。私が薪割りで出てくるカミキリムシの幼虫を焼いて食べようと誘ったせいかもしれないが。それが今回改めて話したところ、こんなに笑う人だったのかと、キャラの変わりっぷりにびっくりした。
――西さんはなんで長野に移住したんですか。
西希望さん(以下、西):「前職は神奈川などで造園業をしていました。田舎でなにかしたかったというよりは、都会暮らしがしたくないからこっちにきたっていう、どちらかというとネガティブな側面が強いです。
長野に移住したのは、友人である神藤君とのらのらの関係があったのが大きくて、何度も遊びに来て、ここなら僕を受け入れてくれそうな土壌がある、ここだったら飛び込んでも暮らしていけるだろうなという確信を得られたから来ました。
知り合いが一人もいなかったら、移住のハードルは相当高いですよ。高野さん夫婦や神藤君を通じてコミュニティの中に入らせてもらえたから、移住を決められたという感じですね」
――まだ移住して数カ月ですが、すごく明るくなった感じがします。今のところは正解でしたか。
西:「長野に来てよかったです。とてもよかった。近くの湖で魚を捕ったり、山でキノコを探したり、自然と触れ合っている時間が楽しいです」
のらのらの前にある用水路での生き物探しが最近の日課
この日はアカハライモリの幼生を発見!
マツモムシを見つけて私もテンションが上がった
かっこいいトンボもときめく
西:「今はのらのらの社員でもないし、どこの企業にも属していないので、肩書でいうと無職です。夫婦で貯金を切り崩しているので、そろそろヤバいなと。今後はとりあえずバイトをしつつ、神藤君の会社が軌道に乗ってきたら、そっちで造園とかの仕事を増やしていければ。
最終的な目標はたくさんお金を稼ぐことではなく、できるだけ自分たちの食うものを自分でつくれる環境を整えて、光熱費とか保険料とか現代社会と関われる程度に働ければ幸せだなと。そのための経験やネットワークづくりも兼ねて、のらのらでリンゴやブルーベリーの栽培を手伝ったり、畑を借りて野菜を育てさせてもらったりしています。
のらのらは農作業などの人手が必要。僕は田舎暮らしがしたい。自分のやりたいことが、珠美さんのやって欲しいこととマッチングしたから、うまく繋がったんだと思います」
――双方にメリットがある形で、お金のやりとりとは違う繋がりがあるんですね。
畑の世話をする西さん。目指すは自給自足に近いのんびり生活だ
お金を介在させないギブアンドテイクの繋がりは、「見返りを求めない心」と「感謝してお礼をする心」という、相反する心をお互いが持っていてこそ成り立つ。理想の形ではあるが、サービスに値段が付かない分、負担の大きさが双方でズレることもありそうだ。
両者の距離が遠ければ意味がないし、近すぎると期待をし過ぎる。そこで適度な距離感を保つためのルールが、「入居は一年まで」や「農作業やヤギの世話をする」という約束事なのだろう。
二拠点生活のメリットと「のらのら」の意義
高野夫婦のような二拠点生活には、メリットとデメリットがあるはずだ。家賃やインフラなどの生活維持費がダブルで掛かるとか、移動が面倒くさいとか、不便なところは想像できるが、それでもこの暮らし方を選んでいる魅力を教えていただこう。
珠美:「やっぱり移動は面倒くさい。東京の家からは、道路が空いている夜中に車で走っても3時間半。自由に場所を選べるなら飯綱町を選んでいないですよ。でも、ここでよかったんだろうなと思っています」
――遠いといえば遠いけど、車さえあれば週一くらいで往復できないことはない、という距離ですかね。友人が遊びに来るにしても、長野駅か牟礼駅まで来てもらえれば迎えにいけるし。
恒寛:「これだけ流通もネットもしっかりしている時代なら、長野のデメリットは通販の配達が一日遅れるくらい。自分が東京でやっていることは、今や田舎でもだいたいできちゃう。
でもその逆は無理。東京でヤギを飼うとか絶対無理でしょ。今の時代は、東京よりも田舎の方がやれることの選択肢は広い。田舎でできることは今後も増えていくけど、東京だとできないっていうのは今後もずっと続くと思います」
確かに都会でヤギと暮らすのは難しそうだ
朝の散歩が恒寛さんの楽しみ
ヤギのミルクは食べた草によって味が微妙に変わる。私が飲んだ時はクズ由来の豆っぽい味がした
東京と金沢の学生が来てつくった裏庭のツリーハウス。これも都会だと無理な話
近くに(といってもここはちょっと遠いが)最高の温泉があるのも大きな魅力だ
――住む場所を選ばずに現金収入を得る手段がある人なら、田舎に住むことのメリットが大きいというのはわかります。やりたいことの個人差はもちろんありますが。
恒寛:「今や仕事もテレワークとかできますからね。僕たちにとって幸せの定義は、どれだけお金を貯められるかではない。東京では絶対できないことが、ここにはゴロゴロある。本人に好奇心があって、自分で魅力を見つける意識がないとダメですけど、その気になると楽しめるのが田舎ライフなんじゃないかな。
とはいっても、娘が東京の家に住んでいるし、仕事で東京に帰ることもまだ多いから、今はいったりきたりの形がベスト。二拠点はコストが掛かりますけど、精神的には豊かで贅沢な暮らしだと思いますよ」
コロナ禍ということもあり、飯綱町から会社のビデオ会議に参加することも多い。数年前までは認められなかった働き方だ
――二拠点生活をするだけであれば、リンゴ畑で農作業をしたり、家をカフェや宿にする必要はありませんよね。二人にとって「のらのら」はどういう場所ですか。
珠美:「私は別に何か特別なことができるという訳ではないので、ここでみんなが生き生きと楽しく、そして仲良くしてくれているのを見るとすごく嬉しくて。
のらのらを足掛かりとして、2つの会社が立ち上がった。もちろん会社じゃなくても、みんながそれぞれ夢を持ち寄って、のらのらという場を使って夢を実現しようとする流れができている。それが一番うれしい」
恒寛:「僕は珠美さんに実家を貸しているだけだけど、いろんなキャラが集まってくるのは楽しいですよ。養蜂をしてみたい人とか、ブドウ農家になりたい人とか、ヨガのインストラクターとか。
自分が大学時代に悶々としていたころ、幼馴染がバイトしていたペンションがすごく居心地良くて。別に何も聞かれない。ただ『飯を食え!』って食べさせてくれる。ひたすら肯定的に受け入れてくれる。自分が居ていい場所があった。
そこと同じように、何かをしたい人、でも一歩踏み出せない人、そういう人に『居場所はあるよ』といえる場所が、のらのらなのかもしれない。ただし、夢や希望を一方的に与えることはできないから、ここで時間と空間を共有して、自分の物語を見つけてください。ダメだったら戻ってきてくれてもいい。僕はこの場所を大事にします」
シェアハウスの住人以外にもさまざまな人が集まって、やりたいことを実現している。この日は東京からインド料理店の料理人が来て、飯綱町の野菜を使った南インド料理を振舞っていた
南インド料理と飯綱町のコラボプレート。地元の方にも喜ばれる催しだ
リンちゃんのミルクと地元の養蜂家が育てたハチミツのチャイというスペシャルドリンクも登場
翌朝はシェアハウスの卒業生でもあるヨガインストラクターによる体験教室が庭で行われた。写真提供:神藤裕太
恒寛:「でも正直、僕からすると18歳まで住んだ家に良い思い出はあまりなかった。不便だし冬は寒いし。大人になって外にでたことで、日本ってすごいよね、長野ってすごいよねって思えるようになりました。自然や四季の厚みとか」
――海外での生活も長かったから、なおさら今は魅力的ですか。
恒寛:「その魅力を生かせていないっていうのは、この土地で生まれ育った自分たちの責任なんだっていう悔しさがあって。新しい人が出入りすることで、こちらが新しい価値に気づかされたことも多いです。
これまで何も生んでこなかった裏山だって、違う視点が加わることで、森林セラピーや野草観察会、キノコや昆虫を探すステージになる。今までまったくゼロだった価値を1にしたり2にしたりするのって、すごくワクワクするじゃないですか。
でも実は身近な自然を利用するのって、僕たちの前の世代は当たり前にやっていたことだったりもする。昔の方が文化的だった面もある。それがここ何十年かで一気に途絶えてしまっていた。失われつつあるものを見直し、新しい価値として未来に繋げたい。半分は責任、半分は楽しみかな」
3月に訪れたときは、薪ストーブに火が灯されていた
冬にしっかりと寒い土地だからこそ、薪ストーブの温かみが魅力となる
冬場はカエデの木から樹液を集めるという楽しみも加わった
うっすらと甘いカエデの樹液。これを煮詰めたものがメープルシロップ
樹木医にとって里山は森林セラピーや野外学習のステージだ
野草愛好家による観察会も開催されている。外部の人が加わることで、どんどん高まっていく里山の利用価値
カフェでは野草や樹木を使ったお茶の提供もしている
敷地内で大好物である山椒の実を発見。特に使っていないそうなので収穫させてもらう
茹でて塩漬けにするとうまい。山椒の実の食べ方をお伝えしたことで、またちょっとだけ里山の価値が高まってくれたら嬉しい
山椒を試食して「これは日本酒だ……」と一升瓶を取り出した珠美さん
恒寛さんが子どものころには普通だった「家庭用製麺機による麺づくり」という食文化も復活させてもらった
のらのらが持つ価値に気づいてくれた人が、新しい人を連れて点ができる。点と点が繋がって、線になって、面になって、そして麺ができた
3月につくった、蕗味噌と野沢菜の蕾をトッピングした『野良のラーメン』
――田舎だからこその大変さみたいなのも、やっぱりありますか。
恒寛:「田舎特有の堅苦しさもあります。集落を維持するためにコミュニティを守らなければいけなかった経緯があるから。ローカルルールを知らないことで、地域にうまく入っていけないことって多いんですよ。
コミュニティは歴史や文化を含めてのコミニティであり、そこは尊重しています。地域との繋がりを切り離した形でカフェや宿をやることもできるだろうけど、ここはそうじゃない。だからメキシコから帰ってすぐ、僕は住民票をこっちに移しました。今は東京との二拠点だけど、こっちがメインだぞ、将来こっちに帰ってくるぞ、という姿勢をちゃんと見せる。そうするといろいろ気に掛けてくれます。
この家で生まれ育った僕がここにいることで、ガス抜きじゃないけど地元の方に意見をいただくことができる。そういう関係性がないとお互いにストレスが溜まっていくから。昔からの習わしだから草刈りをしろと言われれば、のらのらのみんなでやります。
宿だけでなくカフェもやっていることで、近所の人が覗きに来てくれるのは大きいですよ。のらのらが何をしている場所なのか、どんな人がいるのか、わからないと不安になるじゃないですか。それをきかっけに古民家とか土蔵が綺麗に使われているのをみて、負債だと思っていた古いものが資産になるっていうことに気づいてもらえるかもしれない」
珠美:「のらのらは『繋ぐ場所』にしたい。田舎と都会、あるいは田舎と田舎、田舎と世界。世代も繋げたいし、文化だって繋げたい。それを全部自分たちだけでできる訳ではないから、私たちはのらのらという場所の整備、維持をする。
ここはプラットフォームなんです。人が集まり、時間と体験を共有することで、未来に繋がる物語がたくさんできればいいな」
のらのらにある土蔵を利用したギャラリー
多目的スペースとして活用されている。まさに大人の秘密基地だ
これは土蔵じゃなくてドジョウ……
せっかくなので唐揚げにした。のらのらの新名物になるだろうか
ドジョウを試食して「これはワインだな……」とボトルを開けた珠美さん
のらのらをイメージしたセルフトッピングの冷やし中華をつくった。メインとなる麺は珠美ならぬ卵入りで、さまざまな個性を持った具が集まり、それぞれの持ち味が組み合わさることで一口ごとに新しい魅力が生まれる
もう一回つくれと言われても絶対につくれない、このとき限りの味だからこそつくって楽しい
夜になると古民家の前をホタルが飛んでいた。(私の技術だと)写真には写せない美しさがあるから訪れる意味がある
真夏でも日が暮れれば涼しく、久しぶりにエアコンなしでぐっすり眠ることができた。朝霧によって田んぼに現れた蜘蛛の巣の存在が美しかった
古い家を残すために建て替えと変わらないお金を使ってリフォームし、シードルをつくるためにリンゴを育てて、同じ方向性を持った仲間を探すためにシェアハウスを用意する。
高野夫婦がやっていることは、費用対効果や経済合理性を考えたら、やっていられないことが多いかもしれない。でもだからこその内面的な豊かさがあるのだろう。
野が良いと書いて野良。のらのらという古民家は私の目にも魅力的に映ったが、それがとても輝いて見えたのは、あくまで価値を磨く人の存在があってこそなのだ。
■のらのら
【いろんな街で捕まえて食べる】 過去の記事
著者:玉置 標本
趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。『育ちすぎたタケノコでメンマを作ってみた。 実はよく知らない植物を育てる・採る・食べる』(家の光協会)発売中。
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