
東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。
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吉祥寺駅にほど近い喫茶店でお話を伺ったのは、漫画家にしてミュージシャン、エッセイストや漫画原作者としても活躍されている久住昌之さん。街歩きの達人で、散歩をテーマにした著作も多く、生まれも育ちも、そして現在のお住まいも東京都三鷹市です。
そんな街と東京に詳しい久住さんこそ、まさに本連載にふさわしいと取材をお願いし、参考にしようと著書『東京都三多摩原人』(朝日新聞出版、2016年)を開いたところ「三多摩の子供はやっぱりどう考えても『東京っ子』とは違う。急増する都民と新興住宅に追い立てられた、野原の子供だった」との記述を見つけてしまいました……。
とはいえ、三多摩も東京都の一部には違いなく、むしろ「東京っ子」ではない久住さんが地元をどのような視点で捉えているのか気になりました。今回、三鷹・吉祥寺エリアの移り変わりや街歩きで大切にされている目線、そして街飲みの話題まで、幅広くお聞きしました。

- 三多摩(さんたま)
- 現在の東京都で、23区と島嶼(しょ)部を除いた西側の市町村部。旧武蔵野国多摩郡のうち西多摩・北多摩・南多摩の総称による。地理的には西多摩は関東山地、多摩川の南の丘陵が南多摩、多摩川の北に広がる武蔵野台地上に北多摩がある。廃藩置県後は神奈川県に属したが、1893(明治26)年に東京府(当時)に移管さた。理由としては多摩川や玉川上水といった東京の水源確保があるとされる。なお東多摩は現在の中野区と杉並区にあたり、早くから東京府の管轄となった。
三鷹は東京の「ベッドタウン」?
── 東京都の西半分にあたる三多摩地区でも、久住さんは都心に比較的近い三鷹市のご出身で、今も市内にお住まいなんですよね。
久住 はい。でも、うちはオヤジが新潟、おふくろは山梨の出身で、三鷹にはあまり地縁がないんです。
── 著書に書かれていた「“東京っ子”とは違う」という感覚はいつごろからでしょうか?
久住 小学校の授業で、先生が「三鷹は東京のベッドタウンです」と言っていたのが強く心に残っていて、まるで「三鷹は東京じゃない」みたいに聞こえたんです。オヤジも都心に通勤してたから、昔から「三鷹っていうのは、東京で働く人が寝に帰ってくる街」と思っていた。
でも、「ベッドタウン」という言葉にも、別の意味で違和感があったな、ボクは二段ベッドに憧れながら布団敷いて寝てたし(笑)。
── 自分も都心からは少し離れた練馬区、しかも、23区のいちばん西端の「大泉学園」という街で生まれ育ったので、なんとなく近い感覚をもっています。
久住 10年ぐらい前に、三多摩地区が明治時代までは神奈川県だったという話を聞いたときに、ずっと心にあった「東京」との違和感のわけが、ストンと腑(ふ)に落ちたんです。
だけど同い年のみうらじゅんなんかと話してると、やっぱりボクは東京の人間なんだって。「こっちは失敗したら故郷に帰らなきゃいけないんだよ!」って(編集注:SUUMOタウンの記事にもあるが、みうらさんは18歳で京都から上京)。「あ、そうか。そう言われればそうだよな」って思いました。彼からすると、東京人は心に余裕があるように見えるらしい。
── 都心のオフィス街からは「東京のベッドタウン」だけど、外から見るとやはり東京なんでしょうね。
久住 でも、東京の中にもまたそういう話はあって、例えば高校時代には国立に住んでるやつが、昭島から通学してるやつを「あそこはもはや東京とは言えない」とか、からかったりね。ボクからすると、そんなに変わらないだろうって気もするんだけど。
大学生くらいになると、三鷹のことを「半端な場所だな〜」と思うようになりましたよ。
── そんな「半端さ」にネガティブな感情を抱くことはなかったんですか?
久住 うん。住み心地は悪くないから、「嫌だな」とか「都会へ出たいな」って考えたことは一度もなかったんだよね。
── 住みよさの文脈でいうと、三鷹は中央線沿線ですから、中野・高円寺あたりからつながる中央線文化圏の雰囲気もあったのではないでしょうか?
久住 その「中央線文化」って言葉こそ、たぶん東京出身じゃない人がつくったんじゃないかなあ。昔から「中央線文化」って聞くと、ボクは「なんで四谷や御茶ノ水を(その文化圏に)入れないんだろう?」って思ってた。きっと、“くくりたい人”がいるんだよね。くくると見えなくなるものも多いから、ボクはあまり好きじゃないかな。

三鷹の「古層」を探して歩く
── 「ベッドタウン」以外の三鷹の特色を探っていきたいのですが、久住さんが生まれ育った昔の三鷹はどんな街だったのでしょう?
久住 ボクが小学生のころはちょうど高度経済成長期だったから、ずーっとどこかしらで工事をしてた印象が強いね。「ドラえもん」に土管のある空き地が出てくるでしょ? 原っぱや「空き地」が本当にいっぱいあった。今では全部なくなってしまったけどね。
子どものころ住んでたあたりは、地番が確か「曙住宅〇〇〇」とかそんな感じだったかな。そういう住宅団地が高度経済成長期にはあって、今でも「曙住宅」ってバス停だけが残ってるね。
かくれんぼや缶蹴りをしてる途中に、たまに「三鷹村〇〇〇」みたいな昔の住所が書かれた表札が目についたりして。「何、三鷹村って?」と不思議な気持ちになりました*2。
── 子どものころから今につながるような「観察眼」を発揮されていますね。
久住 あと、古い看板とか、顔みたいに見える廃屋とか、ブリキ版の町内地図とか、好きでした。一緒に面白がる友達は一人くらいしかいなかったけど(笑)。
── 単に「古いもの」としか映らなかったのかもしれませんね。
久住 ところが高校を卒業して神田の美学校に通うようになると、ボクの先生である赤瀬川(原平)さんは「路上観察」をすでに楽しんでたし、のちに「トマソン」っていわれることになる「建物に付属している無用の長物」なんかを面白がってた。「こういうものを総称して、何て呼んだらいいかな?」なんて言いながら。
それを見て「20歳も年上の大人なのに自分と同じようなことを面白がってる」って、何だかうれしかった。
── 街を歩いて面白いものを発見する精神は『東京三多摩原人』までつながっています。
久住 そういうことになりますね。普段は見えていないけど、見ようとすると見えてくる面白いものって身の周りにいくらでもあるんです。
『野武士、西へ』(2013年、集英社)という本の企画で、東京から大阪まで毎月少しずつニ年かけて散歩したことがあるんですね。その途中で、どの駅からも遠い東海道の旧街道に、もう映画のセットみたいな古い古い床屋があったりする。倒れかかったような店だけど、現役なんだ。回ってるんです、サインポールが。
おじいさんの理容師さんが中にいてね、暇そうに外を見てる。そんな床屋がたくさん目につくから、写真に撮って「東海道の床屋」ってフォルダに溜めてたんです。でも、その後の『東京三多摩原人』で自分の生まれ育った三多摩を歩いたら、実はそんな床屋って近所にいっぱいあったんだよ(笑)。用がないから見えてないだけだった。
それで気づいたんだけど、「床屋って街とともに歳をとってゆくんだな」と。床屋って、行きつけになったらみんなそうそう店を変えないし、その地に根付いたら、新規のお客さんを取らなくても常連だけで食べていける。だから見てくれに気を使わなくなって、ポスターも内装も古いまま。それが見えてくると、この味わいがね、たまらないんですよ。
── さっきおっしゃっていた昔の建物の名前が入ったバス停や昔の住所のような「街の古層」ですね。いわれてみれば、自分の家の近所にもそういう床屋があります。
久住 でしょ? ボクは、昔のものが好きなんではなくて、昔が昔のまま今に生きている状態が好きなんですね。こうしようとしてるんじゃなくて、「なっちゃってる」感が(笑)。
そんなわけで、最近は床屋に注目してます。以前は地方の銭湯に行くと、その土地の懐に入れたような気がしてた、みんな裸になってるから。だけど床屋のほうが、もっと街の歴史に飛びこむ感覚があるね。
これはもう連載の企画にしようと、今は全国の床屋で髪を切ってもらってる。たいてい常連しか来ない店だから、店に入るとオヤジにギョッとされたりする。「え、誰?」みたいに(笑)。そんな初めて会った人と一定の時間を二人きりで、手も足も出せない状態でいいようにされる。しかも相手は刃物を持ってる。道具もすっごい古かったりして、時間が完全に止まってる。こんな状況はね、なかなかないですよ。
しかもボクは坊主頭なので、「1mmで」って言っとけば、どこで切ってもあまり変にはならない(笑)。

「昔ながらの店」も変化を続けている
── 床屋のように変わらないものもあれば、一方で時代とともに変わっていくものもあるように思います。現在の三鷹は駅前の再開発も進み、以前と比べてかなり都会になったイメージです。
久住 特にここ30年の変化はすごい。南口は商業ビル(三鷹コラル)がドーンとできて(編集注:三鷹駅は南口が三鷹市で北口は武蔵野市)、その辺りにあった昔ながらの店は、みんななくなっちゃった。最初は寂しかったけど、人間って慣れちゃうからねぇ。昔はどんな風景だったか、もう思い出せないですよ。
── 久住さんの作品からは、そういった「古き良きにあまりこだわらないドライさ」も感じられて、自分はとても好きです。そのスタンスでいられるのは、三鷹で生まれ育った影響もあるのでしょうか?
久住 あると思いますよ。だって駄菓子屋とかラーメン屋とか、自分の一番好きなお店がどんどんなくなっていくのをずっと見てたわけだから。もちろんお店だけじゃなくて、さっき話した原っぱも、雑木林も、みんななくなっちゃった。そういうもんなんだな、しょうがないなって。そういう無常観みたいなものは、街の移り変わりを見る中で、自分の根底に生まれたよね。
それにさ、いつまでも「あのラーメン屋がうまかったんだよ!」って言い続けてても、もう誰も食べに行けないわけじゃない(笑)。そもそもジジくさいし。
── 『孤独のグルメ』や『食の軍師』といった作品がいわゆるグルメガイド的なお店紹介より、お店を探したりメニューを選んだりする過程を中心に描かれているのは、いつかお店がなくなったとしても無常観とともにお店やお店のある街の空気感を味わってほしいからなんですね。
久住 まぁ、そうだね。全然違うけど、小津安二郎なんかも、同時代の自分の好きな光景を捉えたかったんじゃないかな。あの映画に出てくるもの、今ほとんど残ってないでしょ。
そういえば、三鷹の昔ながらの店は2代目が新しくしたり、新しい人が入ってきたり、消えるだけでなくいろんな変化が起こってるよね。
── それはずっと三鷹のお店に通っているからこそわかることですね。
久住 例えば「江ぐち」っていうラーメン屋が大好きだったんだけど、息子さんの代で店を閉めちゃった。でも江ぐちで働いてた人が味を継承して、同じ場所で「みたか」っていう店をやってるから(江ぐちの)味は残ってる。すごくいいですよ*3。
それから駅前に、立ち飲みの「大島酒場」ってあるでしょう。
── はい。三鷹を代表する名酒場の一つですね。
久住 そうそう。もともとは酒屋のいわゆる「角打ち」だったんだよね。大学の先輩に連れられて、初めて行ったのが20歳くらいだったんだけど、当時は看板ものれんもなくて、だけど曇りガラスの向こうでオヤジたちがどうやら飲んでる(笑)。ボクもそこが酒場だとは思いもしなかった。
当時の店のシステムも面白くて。隣の客が、お勘定もしないで、店をふっと出て行く。店の人も何も言わない。少しすると、出てった客が、小さなトレイを持って戻ってくる。すると店員が小皿と醤油をその客に無言で出す。見たら、少量のイカ刺しなの。なんと、店のお向かいの魚屋で買ってきてる。通りを、刺身を袋にも入れずパックもせず持って(笑)。
魚屋に行って「前(大島酒場)から」って言うと、すでにショーケースの端に、角打ち用に小分けした刺身を各種用意してあるんだ。なんの血縁もない、向かい合った魚屋と酒場が共存してる。笑っちゃって、もちろんまねしましたが、夕方の通りは人通りが多くてね。その中を赤い顔して、マグロブツのトレイをハダカで持ってさ。おっかしかったなぁ。
── (笑)。今ならそういう情報もネットでいくらでも見つかるんでしょうが。
久住 当時は誰かに連れてってもらったり、自分で見つけるしかなかったからね。

ボクの顔には「三鷹」って書いてある
── 自分で見つけるというのは、先ほどの床屋にも共通することですね。
久住 そうだね。床屋も、どこの土地でも分け隔てなく注目してると、地域ごとの差、土地の気質・風土みたいなものが見えてくる。それを自分で発見することが、その土地をわかったことだと思うんだよ。さっきも話したけど「あそこって◯◯の街だよね」って、受け売りのくくりで見るんじゃなくてね。「くくり」をとっぱらうと、見えてくるものがあるんだよね。
── 「くくり」を取っ払って街を虚心坦懐(たんかい)に見る視点は、久住さんの作品に共通して感じます。
久住 そこに人々の生活がある限り、どんな街に行ったってたいてい面白いものは見つかるんですよ。そうやってあちこちを歩いていると、福島の街なかで「ここ、昔の大島酒場とおんなじじゃん!」って店を見つけたりする。その街にあったものを「全部なし」にしてつくり変えてしまうような再開発をされない限り、必ず何か発見がある。それにしても、三鷹の大島酒場は、再開発されても、移動してよく生き残った。すごくいい形で。
── 自分の住む街も、そういう視点で見つめ直してみたいと感じました。最後にあらためて、久住さんにとって出身地の三鷹はどういう場所でしょう?
久住 生まれた場所です。人はどこに越そうと、生まれた場所と時代を変えることができない。だから間違いなく、三鷹は自分の要素の一つです。自分が絵を描いたり、文章を書いたり、ものをつくったりして、それで面白いって言ってもらえる部分があるなら、少なからず三鷹で生まれた影響はあるのかもしれない。
ボクの顔には「三鷹」って書いてあるんだよ。そこは肯定的に、もしくは「しかたないねぇ」と笑って捉えていくしかないよね(笑)。

お話を伺った人:久住 昌之(くすみ・まさゆき)

1958年、東京都三鷹市生まれ。法政大学社会学部卒。美學校・絵文字工房で、赤瀬川原平に師事。1981年に泉晴紀と組んで「泉昌之」名義でマンガ家デビュー、代表作に『かっこいいスキヤキ』など。谷口ジローとの「孤独のグルメ」、水沢悦子との「花のズボラ飯」、土山しげるとの「荒野のグルメ」などマンガ原作者として活躍する一方、エッセイストとしても『昼のセント酒』『食い意地クン』『野武士のグルメ』『東京都三多摩原人』ほか著書多数。切り絵作家、音楽家でもある。
Twitter: @qusumi
web: 久住昌之 オフィシャルウェブサイト
聞き手:パリッコ

1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー。
酒好きが高じて、2000年代後半よりお酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、スズキナオ氏との共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』など。
Twitter: @paricco
公式サイト: 羅刹レコーズ/パリッコ オフィシャル
取材場所:ALTBAU with MARY BURGER
編集・風景写真:はてな編集部
*1:第8回人口移動調査(国立社会保障・人口問題研究所)を参照
*2:編集注:三鷹村は1940年に三鷹町、1950年には三鷹市になった。
*3:編集注:久住さんと「江ぐち」の25年におよぶ関係は『孤独の中華そば「江ぐち」』(牧野出版、2010年)にまとめられている。
