
離婚しても、私たちは相変わらず町田で遊んでいる

離婚してそろそろ一年になる。
私は2015年から町田の団地に住んでいる。町田といっても、町田駅から近いわけではない。どこの駅からも遠い、日当たりのいい部屋だ。
離婚後は夫がこの家を離れ、私は引き続き住み続けることになったため、部屋の名義を夫から私に変更した。ここ数年、家賃は私が払っていた。というか、夫は働いておらず、生活費はすべて私が払っていたので、名義が私でないことが不思議なくらいだった。
離婚しても町田に住み続けるのは、単純に、町田とこの家が好きだからだ。洗濯物を干すときに、ベランダから丹沢山地の稜線(りょうせん)が見えるのが好き。団地内を歩いていると、お散歩中の保育園児の列とすれ違うのが好き。団地はペット禁止のはずなのに、広場には犬の散歩をしている人がたくさんいるのが好き。
私はここが好きで、ここで過ごした日々が好きだから、離れるなんて考えもしなかった。ちなみに同じ理由で、姓も変えなかった。旧姓でいた頃の自分よりも、今の姓になってからの自分のほうが好きだから、離婚しても元夫の姓を名乗れるよう手続きをした。
元夫とは、離婚してからも月に一度の頻度で会っている。結婚していたときも離婚後も、私たちは変わらず町田駅周辺で遊ぶ。駅まではバスを利用するが、本数が多いので不便ではない。
町田駅の周辺はルミネ、東急ツインズ、モディ、マルイなどの大型商業ビルが建ち並び、ごみごみした通りが二本、平行に並ぶ。この街に初めてきた人はみんな「意外と栄えているんですね」と言うし、作家のカツセマサヒコさんはエッセイで「西の新宿」と書いていた。
だけど私にとっては、新宿よりずっと気楽な街だ。町田にはちょっと垢抜けない雰囲気があって、そこが私に似合っていると思う。人は多いけれど、不思議と疲れない。すっぴんでも平気で歩ける。

元夫とはいつも、仲見世商店街の角にある『マルヤ製菓』で大判焼を買って、ファミマでコーヒーを買って、芹ヶ谷公園のベンチで食べる。

ここの大判焼はいろいろな味があるから、あんこが苦手な私でも楽しめる。お気に入りは抹茶とチョコ。北海道出身の私は大判焼のことを「おやき」と呼ぶので、いつも元夫に笑われた。

その後はたいてい、少し遠くの町田天満宮まで散歩し、カラオケへ行く。彼と一緒のときは選曲に気を遣わなくていいのが嬉しい。なにわ男子の台詞パートも、元夫の前では平気でやりきることができる。
夜は『いくどん』というホルモン焼きのおいしいお店でお酒を飲む。

私たちは毎年、結婚記念日に『いくどん』の別の店舗に行っていた。しかしその店舗は閉店してしまったため、今は町田駅近くのこの店舗に行く。町田市役所に離婚届を提出したあとも、二人でこの店で飲んだ。煙の中、レモンサワーで頭をぼうっとさせるのが好き。
結婚していた頃も今も、私たちの遊び方は変わらない。なのになんで、ずっと一緒にいられなかったんだろう。つい、そんなことを思ってしまう。
寂しさに飲み込まれて泣く夜が増えた

元夫が家を出ていった日のことを思い出す。
あの日、彼の荷物を積んだレンタカーが去っていくのを見送ってから、私はインタビューの仕事で渋谷に行った。仕事を終えて町田駅に着いたとき、急に、家に帰るのが嫌になった。「一人の家に帰ってたまらなく寂しくなったらどうしよう」と思ったのだ。
私は時間を稼ぐように駅ビルをうろうろした。そして自分を奮い立たせるために、小田急百貨店で小田切ヒロが勧めるリップを、日比谷花壇で黄色いチューリップを買った。だけど、いざ元夫の荷物がない部屋に帰宅すると、思っていたほど寂しくなくて拍子抜けした。私は意外と大丈夫なのかもしれない、と思った。
しかし、寂しさは時間差でやってきた。離婚直後は妙に気力が充実していて、仕事やさまざまな手続きをバリバリとこなし、寂しさを感じる暇がなかった。それが一カ月もすると、緊張の糸がぷつりと切れたのか、急に寂しさが襲ってきた。
特に、夜になるとどうしようもなく寂しくなる。私は家で仕事をしており、だいたい夜の7時頃に仕事を終えて近所のスーパーに行く。必要な食材や缶チューハイを買った帰り、暗い夜道を一人で歩いていると、まるで背後から「寂しさ」につけ狙われているような心持ちになる。油断すると「寂しさ」が私の中にひゅっと入り込み、そうなるともう、自分ではどうしようもできない。
温かい家庭を築きたかったよー。夫と一緒に犬を育てたかったよー。離婚を切り出したのは私なのに、そんな未練がましい泣き言が心を埋め尽くす。
家に帰ったところで、寂しいことに変わりはない。YouTubeを見ながら夜ごはんをつくり、YouTubeを見ながら食べる。お風呂に入ってしまったらもうすることがない。郊外だからふらりと入れるようなお店は近所にないし、ほとんどの友達は育児中だから夜に電話なんてできない。本を読んでも、部屋が静かすぎて冷蔵庫の音が耳につき、嫌でも一人であることを意識してしまう。そして、気づけば涙がこぼれている。幽霊のように「寂しい、寂しい」と呻きながら泣く。
元夫がいなくなった日に「意外と大丈夫かもしれない」と思った私は、実はぜんぜん大丈夫ではなかった。「寂しい」以外の感情が消え失せ、お酒の量が増えた。最後に笑ったのがいつかも思い出せないような、無味乾燥した日々が続いた。
二人で暮らした町田を、一人で歩く

離婚後、当たり前だけれど近所を一人で歩くことが増えた。スーパーへ行き、ドラッグストアへ行き、レンタルコミックが充実しているTSUTAYAへ行き、カレーパンがおいしいパン屋さんへ行く。

この『PAIN PATI』というパン屋さんは私たちのお気に入りで、二人でもよく行ったし、一人になってからもよく行く。名物のカレーパンは、一人で食べてももちろんおいしい。よく「何を食べるかじゃなく誰と食べるかだ」という言葉を聞くけれど、どんなシチュエーションでもおいしいものはおいしいと思う。
一人で歩いているとき、思い出すのはもっぱら結婚していた頃のことだ。桜が咲いたと言ってはしゃぐのも、何色の紫陽花が好きか議論するのも、金木犀の香りに気づくのも、銀杏並木を歩くのも、元夫と一緒だった。この街では、何を見ても彼を思い出してしまう。
ただ、どれだけ彼を思い出しても、離婚を後悔することはなかった。あのまま夫婦でいたら、私は彼が働かないことで今も悩んでいただろうし、やがて彼を嫌いになっていただろう。そう思うと、やっぱり友達に戻ってよかったのだ。彼のことが嫌いじゃないから、嫌な思い出じゃないから、私は今もこの街で暮らせる。
そもそも、私が町田に住むきっかけとなったのは元夫だ。彼は幼稚園から中二までを町田で過ごしたので、縁のある町田に住みたがった。私は町田に縁はなかったけれど、はじめて団地を見に行ったとき、「ここで暮らせたら素敵だな」と心が躍った。町田駅の周辺は便利でにぎやかだし、団地のあたりは静かで緑も多い。商店街のスピーカーからは15年くらい前に流行ったJ-POPが流れている。ここでなら、平凡な日常の中に小さな喜びを見つけるような、地に足を着けた暮らしができる気がした。
その直感は当たっていて、町田は日常を営みやすい街だった。なんというか、町田での日常は愛おしい。大げさな言葉になるが、町田で暮らした8年間で、私は自分の人生を肯定できるようになった気がする。なぜなら、日常の連続が人生だからだ。日常が愛おしいものであれば、人生も愛おしい。そんな街と出会わせてくれた元夫には感謝している。
だから私は、一人でもこの街で生きていきたい。早く、一人でも大丈夫になりたい。そう思っていた。
いつの間にか、一人でも「大丈夫」になっていた

一人で大丈夫になったのがいつ頃からか、私は覚えていない。
少しずつ少しずつ、一人に慣れていき、寂しさに飲み込まれる夜が減っていった。「立ち直った」とか「寂しさを克服した」という実感はなくて、振り返れば、前より大丈夫になっていた。昔カウンセラーの先生が「ハードルを越えようと必死に練習しているうちはなかなか越えられないけど、振り返ればいつの間にか越えているもんだよ」と言っていたが、まさにその通りだ。
大丈夫になったのは、何か劇的なできごとがあったわけではない。そうではなくて、毎日の暮らしを積み重ねることで少しずつ、一人で生きていく心の土台ができていったように思う。
例えば、晴れれば布団を干して、洗剤がなくなったら詰め替えて、観葉植物のドラセナには土が乾いたら水をあげる(最近、花を咲かせてくれた)。散歩中によく会う飼い主さんから犬の名前を聞き、会えば必ずなでる。
radikoのタイムフリー放送で『安住紳一郎の日曜天国』を聴きながら八百屋さんへ行き、旬の野菜で冷蔵庫を満たし、一週間でそれらを食べきる。

八百屋のお姉さんとはいつの間にか顔見知りになり、ハロウィンの日には「ハッピーハロウィン!」とうまい棒をくれた。「SUUMOタウンのエッセイに写真を載せていいですか?」と尋ねたら、快く承諾してくれた上に、「お仕事、頑張ってね!」と言ってくれた。
そんななんてことない日々の積み重ねが、私を大丈夫にしてくれた。一時増えた飲酒量はぐんと減り、「寂しい」以外の感情が戻ってきた。もちろん今でも寂しくなることはあるけれど、コーヒーを飲んで深呼吸をすれば、なんとかやり過ごせるようになった。
離婚してすぐの頃はぐらぐらと不安定だった足元が、気づけば揺らぐことがなくなった。私はしっかりと、この街に、ここでの暮らしに足を着けて立っている。
今日も私は、どの駅からも遠い日当たりのいい部屋で原稿を書き、疲れたら気分転換にスーパーへ行く。商店街のスピーカーからは、今日も昔のJ-POPが流れているだろう。私はその歌を口ずさみながら買い物をするのだろう。大根が安ければいいな。顔見知りの犬にも、会えるかもしれない。
こうして、人生は続いていく。なんてことない日常の中に、小さな喜びを見つけながら。
著者:吉玉サキ
ライター。著作物に北アルプスの山小屋で10年働いた経験を綴るエッセイ『山小屋ガールの癒されない日々(平凡社)』 や『方向音痴って、なおるんですか?(交通新聞社)』がある。
