
日暮里にある「日本一ウザい店」と呼ばれるザクロをご存知だろうか。中東(イラン・トルコ・ウズベキスタン周辺)料理の店なのだが、一番のウリ(?)が店主のウザさ。
そんなザクロ店主の娘であるアリサさんとたまたま知り合ったので、あの店はどうしてああなったのかをご家族にじっくりと聞いてみた。そして日暮里育ちのアリサさんに、谷根千(谷中・根津・千駄木)周辺の魅力を教えてもらった。
これがザクロの名物店主、アリさんだ
ザクロでウザいのはイラン出身のアリさんによって畳みかけられる冗談であり、料理自体は安くておいしくて量が多い。
どんな冗談なのかというと、例えば母と娘のお客さんが来たとしたら、「ヤバ~イ、どっちが私と付き合いますか? ママが私を紹介すると彼氏になるけど、ママを私に紹介したらパパになるよ~」みたいなやつ。なかなか文法が難しい冗談である。
ジャンケン大会をしている店主のアリさん
この店では、女性客はすべてアリさんにとって恋愛対象の美人さん。そして男はライバルなので等しく邪険に扱われる。もちろん冗談として。
そういったウザい扱いを笑って受け止められる人は、ぜひ一度訪ねてほしい。でもそれを不快だと思いそうな人は、不幸な出会いになるだけなので、お互いのために絶対やめておいたほうがいい。
食事中に衣装を着せられるのはザクロあるある。ちゃんと似合う服をセレクトしてくれるので、たまに着たまま帰ってしまう人もいるとか
娘のアリサさん。コロナ禍だった2年前に家を出て、現在は田舎で猟師などをしている
アリさんが来日した意外な理由
火曜日の昼過ぎ、イラン出身のアリさん、妻で栃木出身の薫さん、そしてこの周辺で育った娘のアリサさんから、ザクロがウザくなった理由をじっくりと伺った。まさか冗談しか言わないイメージのアリさんから、真面目な話を聞く日が来るとは。
――アリさんは、今おいくつですか?
アリさん(以下、アリ):「お年頃~」
アリサさん(以下、アリサ):「はいはい、57歳です」
――いつ頃、なぜ日本に来たのですか。
アリ:「初来日は1994年、27歳の頃。もっと若い頃はイラン・イラク戦争にも出てましたよ。花瓶とかの焼き物をつくる会社を首都のテヘランでやっていて、日本へは自分の作品を展示するために来ました」
その頃の貴重な写真
――いきなり情報量が多いですね。戦争経験者でしたか。
アリサ:「私が小学生の頃、授業で『家族が戦争に行った人はいますか』って先生に聞かれて、『おじいちゃんが』じゃなく『父が行ってました』って答えて、びっくりされたよね」
薫さん(以下、薫):「私が小学生の頃、戦争に行ってたんだなと思うとすごいよ」
左からアリサさん、薫さん、アリさん。各国の人が集って好き勝手に話しまくる環境が当たり前で育ったアリサさんは「日本人と話すときは、相手の話は遮らずにキリがいいところまで聞いてから、内容がかぶらないことをしゃべらないといけないっていうのを高校生くらいまでわかっていなかった」そうだ
アリ:「いろんな世界の展覧会に出ていて、今までの経験上どんな展覧会でも絶対いっぱい注文を取って戻れるから、どこでもよかった。一番近い大きな展覧会がたまたま日本だっただけ。
今はエスニックのタイルとかを見て、日本人もかわいいって思ってくれるけど、当時はまだ日本に受け入れられない時期だった。
日本に来て一番最初に覚えた言葉は『ハデナイロデスネ~』。
3人、4人と同じことを言うので、これは日本の挨拶だと思って、こっちからも『ハデナイロデスネ~』って言っていたの」
――当時の日本人には、アリさんの作品が派手な色に思えたんだ。
当時の商品がないのだが、こういった瓶に伝統的な装飾を施したようなものだったとか
エスニックなタイルは店頭で販売中。派手な色ですねえ
アリ:「その日の夜、日本に住んでいた従弟に『日本の挨拶を覚えたよ、ハデナイロデスネ~』って言ったら、私が落ち込まないように30分も遠回りして、その言葉の意味を教えてくれました」
アリサ:「イラン人って、そういう気の使い方をやたらとするんですよ」
アリ:「でも日本に残ったきっかけはそれだったよ。1990年にイタリアで焼き物の賞をもらったのに、1994年に日本に来たら『ハデナイロ』だったから悔しくて。
日本人が良いと思うものをつくりたくて有田焼を学ぼうとしたけど、英語で勉強できるところが一つもない。それなら日本の大学で焼き物を勉強しようと、まずは日本語学校に入りました。
そこは英語で学ぶ日本語学校だったんだけど、まだ平仮名だけでやっていたとき、『くるまでまっている』という文章を英訳しなさいという問題が出た。
生徒30人全員が『waiting in the car』って訳した。そうすると先生が『ここに車がある訳ないでしょ!』って怒る。『あなたが来るまで待っている』という意味だった」
――日本語、難しい!
アリ:「日本語は単語と単語の間が空いていないから。先生に『私はどのぐらい日本語を勉強したら、日本の大学に入れますか』って聞いたら、2年間しっかり勉強して、入れるかどうかですって言われた」
――試験を受けられるレベルになるまで、最低2年はかかるぞと。
アリ:「人生そんなに長くないから、2年間も日本語の勉強にかけたくない。英語圏の国に行けばすぐに試験を受けられるのに。それで日本の大学を目指すのは諦めました」
――でも日本に滞在を続けたのですか。
アリ:「日本人の考え方がわからないと、シンプルな益子焼とかをかわいいと思えない。その考え方がわかるためには日本人との触れ合いがないといけない。それで埼玉県志木市の市役所でやっていたボランティアの言語交換サークルに通っていました。私が英語を教えて、代わりに日本語を教えてもらう会です。
そのときに彼女(薫さん)と出会って、アリサができて、結婚した。最初は2週間の予定で来たのに、彼女に騙されて来日30年。罠にハマったね~」
薫:「それずっと言っているよね。もう500回くらい聞いたんだけど」
アリサ:「すべての間違いの始まりだ。ママは厚木の大学に通っている、一人暮らしの箱入り娘。せっかく警備員が在中しているセキュリティのしっかりしたマンションに住まわせたのに、自分から鍵を開けたんじゃなんの意味もなかったって、母方のじいちゃんが言っていたなあ」
アリ:「妊娠がわかったときは、イスラム教の宗教儀式での婚姻はしていたけど、まだ日本での入籍はしていなかった」
アリサ:「30年も前に、まだ学生で、デキ婚で、国際結婚で、イラン人で、イスラム教徒。よく許してもらったよね」
谷中銀座に「ZAKUROらんぷ家」という系列店があって、アリサさんはここの店長をやっていた
トルコランプの手づくり体験ができる工房
カラフルなガラスを貼って自分好みのデザインをつくっていくワークショップ。完成品の販売もあり
たまたま日暮里に物件を借りた
アリ:「その頃はイランから商品を輸入する仕事を東京で始めていて忙しかったけど、夜は焼肉屋でバイトもしていた。いつか日本でレストランをやりたいと思っていたから。でも人生の中で、料理を全然つくったことなかったから勉強をしようと」
――全然料理はできないけど、レストランをやりたかったのですか。
アリ:「よく友達と話していて、我々がおいしいウナギ屋さんをやったとしても、日本人はうちのところで食べない。だけど自分たちの料理をやったら、いくら失敗でも、こういうものだろうと思ってもらえる。だから、いつかやろうと思っていた」
――なるほど。
アリ:「でも厚木から東京へ毎日通うのは大変。寝る暇が全然ないくらいだったから、山手線のどこの駅でもいいから物件を借りたいって思って、コンビニで物件情報の雑誌を買ったら、たまたま1個だけ条件に合うのが日暮里にあった。
日暮里に降りたこともなかったけど、駅から出てみたら、ここはすごく日本っぽいって思って。今は少し変わったけど、あの頃は古い建物がもっと多かったでしょう。
物件も超古い家。日本人から見たら嫌なんだろうけど、私から見たら超かっこいい!侍の家!部屋が3個なのに扉が4個!」
薫:「勝手口があったからね」
アリ:「建物の半分が第一次世界大戦の頃、半分が第二次世界大戦の頃みたいな元歯医者さんの家だった」
その家があった場所は駐車場になっていた。ここから何回か引越しをしているが、ずっとこの辺に住んでいる
アリ:「その1階で商売をして、2階にみんなで住んでいたけど、その後、私は人生で一番の失敗をしてしまいました。
家族の楽を考えて、無理をして千駄木にマンションも借りた。でも私が夜遅くに帰るともう寝ているし、みんなが起きるよりも早く出ないといけない。電気をつけても怒られるから、結局仕事場の2階に私だけ寝泊まりしていた。
毎日仕事を頑張りすぎて、家族で一緒にいる時間をダメにしてしまい、私のためにも子どものためにもならなかった」
薫:「マンションといっても、ギリギリみんなで寝られるくらいの広さだったけどね。うちは子どもがいる外国人でしょ。当時は契約できる物件がすごく限られていたから。でも、そこの大家さんは優しかった」
アリサ:「ずっと年中無休で働いていたから、パパとの思い出がほとんどない。ディズニーランドに1回連れて行ってもらったくらいかな。基本的に弟と2人でほったらかし。イランから輸入した売り物のビデオを全部引っ張り出して、ドミノ倒しするのが私の趣味でした」
日本人向けからイラン人向けへの商売転換
アリ:「その頃はイランから品物を輸入して、デパートとかに卸していた。でも1000種類のアイテムを持っていっても、1種類の注文をもらえるくらい」
――なかなか日本人バイヤーに響く商品がなかったと。
アリ:「当時は日本にイラン人がいっぱいいて、彼らには遊ぶ場所がないから、パチンコとかでお金を使ってしまう。イラン大使館に図書館があるけど、ちゃんとビザを持っている人じゃないと使えない。
そういう状況をみたら、私も国のために役立ちたいと思って、現地で一戸建てが買える半分のお金を使って、向こうから本をたくさん輸入した。当時は日本で2年間働いたら向こうで一戸建てが買えた。今は10年働いても買えないけど」
――円安になりましたねえ。
まったく関係ない話だけど、谷中三丁目に大使館というお店もある
アリ:「家の2階を無料の図書館にしたら、そこに来たイラン人が1階にある商品を見て『こんなのここで買えるの~!』って喜んだ。それまで日本人に売ろうとしていたけど、欲しがるお客さんがここにいたじゃんって」
――イランから輸入した商品だから、イラン人が欲しがったと。
アリ:「それで商売を変えて、イラン人のためのハラールショップ(イスラム教徒向けの店)にしました。それまで日本にあるハラールショップは、イランのものが20種類もない。ありとあらゆるものを輸入して1000種類まで増やした。おそらく当時はハラールショップで日本一の売り上げだったよ」
――すごいバイタリティだ。
現在のザクロ店頭でも、トルコなどから輸入した雑貨や食材をかなり安く販売してる
アリ:「そこからIDC(国際デジタル通信)という会社と契約をして、国際電話のプリペイドカードを日本で初めて販売しました。
でもうちが始めて3カ月で他社にたくさん真似されて、20種類くらいのカードがでた。それで価格競争になっちゃって、すぐダメになった」
――あらあら。
アリ:「他にも日本のズボンは股上が短かったから、韓国に縫製に出して股上が長いイラン人好みのズボンをつくったりね。
1999年頃になると、ザクロに含まれる女性ホルモンに似た成分が体に良いとかでザクロブームが来ました。イランは世界一のザクロ産地だったから、注文がザクロばっかりになった。ザクロの実、ザクロガム、ザクロペースト、ザクロジュース。
私の会社も『吉野輸入雑貨』だったのが、気がついたら『株式会社ZAKURO』に変わっていたよ。
その頃に『夕やけだんだん』を登った向かい側に空き物件があったから、このタイミングでザクロという名前でレストランをやったら流行るなと思って、そこを借りたの」
アリサ:「ようやくザクロがオープンしたけど、この話のペースで大丈夫ですか」
――せっかくだから存分に聞かせてください!
ザクロのすぐ横にあるのが「夕やけだんだん」と呼ばれる階段
階段の上から。ここはよくCMやドラマの撮影でも使われる場所とのこと
「日本一ウザい店」と呼ばれるようになった深い理由
――この今ある店からのスタートではないのですね。
アリ:「最初はビルの地下にあるスナックの居抜きで、2年くらい使われていなかったからカビとか大変な状態だった」
アリサ:「天井にミラーボールがあったよね」
アリ:「当時は輸入の商売が忙しくて、レストランをスタッフに全部任せていたら、あまり良くないイラン人のたまり場になってしまって、最初の1年間は月平均16万円の赤字が出た。
しょうがないから自分がレストランに出た。それでも赤字が続くようならやめるかもしれないってお客さんに言っていたら、近所の日本人がパーティーとかをして守ってくれました」
――だんだん日本人のお客さんが増えたんですね。
薫:「アリサも働いたよね。一緒にチラシを配ったり、店の前でザクロジュースを売ったり」
アリサ:「まだ小さい女の子が『ザクロジュースはね、女性ホルモンの成分がね』って似合わない口上を言ってた。これがよく売れるんだ」
奥のビルの地下でザクロがスタートした。そしてここでアリサさんはザクロジュースを売っていた
アリ:「それでどうにか続いていたら、日本人のダンサーがここでベリーダンスの発表会をしたいと相談に来た。テーブルとかイスを全部片づけて、床全面に商品の絨毯を敷いた。今の店と同じイランのレストランスタイル。評判がよかったから、しばらくそのままにしたらお客さんが増えてきたんです」
――確かにテーブルとイスの店と、絨毯の上に座る店だと、雰囲気が全然違いそうです。日本で言えば畳部屋みたいな感じだ。
アリサ:「昔からの常連さんは、この地下時代が一番怪しくてよかったって言いますね」
アリ:「坂上みきさんのラジオで、リスナーが投稿した怪しい店に私が代わって行きますというコーナーで取り上げてくれた。それがきっかけでテレビの取材も来るようになりました」
ザクロではベリーダンスショーが行われている。開催日はアリさんに確認してください
ただ客が巻き込まれる系のダンスタイムなので少しだけ覚悟をしよう
アリサ:「いつ潰れるかどうかという時代が長かったけど、ちょっとずつ軌道に乗って、地下だけでなく同じビルの2階も借りられるようになって、いつの間にか日本一ウザいと言われる冗談路線の店になっていったと」
――あれ、最初はウザくなかったのですか。
アリ:「日本語がそんなにできなかったから、今よりもカタコトで、いつもみんなに『こういうときどう言えばいいですか?』と真面目に聞いていた。
きれいな日本語で接客しようと勉強したけど、それがダメだった。カタコトのほうが外国人らしくて売れていたんですよ。それで代わりに冗談を増やしていきました」
――冗談……
アリサ:「『日本一ウザい』っていうパパの肩書は、テレビのロケで有吉弘行さんがつけてくれて定着しました。家族一同感謝大変しています」
――意外な名付け親が。
アリ:「『王様のブランチ』に出たときは、2カ月間もお客さんが止まらなかったから、3階も借りて、商店街にも借りてって増やした」
――絶好調じゃないですか。
アリ:「でも多店舗展開は全然うまくいかなかった。そこに私がいないから」
アリサ:「うちの店に来る人が求めているものは、中東料理が多くても4割、ウザいおっさん目当てが6割くらい。だからパパがいないフロアの満足度が低いんですよ」
――ずいぶんと珍しいタイプのレストランですね。一種のコンセプトカフェなのかな。
アリサ:「私はアミューズメントセンターの一種だと思っています。もし私がこの店を継いでも、お客さんを満足させられない。私のアイデンティティが日本人とイラン人の両方でも、向こうで育ったイラン人ではないので、日本人が求める変な外国人にはなれないので」
――アリサさんの冗談も見てみたいですけどね。
カタコトの代わりに冗談を増やすという特殊な接客方法を選んだ人
アリサ:「そもそもパパが特別に冗談をたくさん言う人かというと、イランだと普通。よくイラン人は冗談を言うんですよ」
――そうなんですか。
アリサ:「親戚の集まりに1人か2人は、こういうおじさんが必ずいる。前にイランのアートフェスタで、そこのおじさんにパパの石像を掘ってもらったとき、パパに横を向かせるために『あっちの女の人を見て』って向かせておいて、『あんた、なに女の人を見ているの~』って。それがイランの日常」
――まさにアリさんが言いそうな冗談だ。私の知らないイランの一面を知れました。
アリ:「私はイラン人の中では冗談を言わないタイプですよ。ただ、わざわざここまで来てくれた人に対する、おもてなしとしての冗談」
アリサ:「それをおもしろがってもらえたから、パパも求められることをもっともっととやって、もう戻れなくなりました。昔はネタ帳があったらしいです。冗談メモ」
――冗談メモ、見たい。
アリサ:「ただ、パパのトークがいい加減時代遅れになってきたから、改善してほしいなっていう気持ちがすごくある。時代に合わせたウザさに変えてほしい」
――コンプライアンスを守ったウザさにバージョンアップですね。ウザいアリさんが愛され続けるために。
今会えるアイドル、アリさん。疲れとストレスを癒すためにアイスを食べ過ぎてお腹が出てしまったそうだ
ザクロはイランの文化大使館である
――ところでザクロの料理とか雑貨は、ちょっと安すぎないですか。
アリサ:「従業員はみんな困っていますよ。パパの値段設定が安すぎて」
アリ:「日本の報道はイランの悪いニュースだけを報じるでしょ。もちろん悪いところもあるけれど、もっといろいろあるから。私は1人のイラン人として、政治の大使館は港区だけど、文化の大使館は日暮里だよって思っている。
この店を見て、日本人はイラン人とかイスラム教徒を判断するから、どうしても楽しくさせたいし、満足してもらいたい。
もっと言えば、日本人のほとんどはイランもイラクもパキスタンも違いがよく分からない。その責任があるから、できる限り良いサービスをしないといけない」
――ザクロはイランの文化大使館であり、ひいては中東全体のイメージを背負っているからこその値段とサービスなのだと。
冗談はともかく料理は安くておいしい。初めてなら2200円の「食べきれないコース」がおすすめ。これは先日食べたコースの一部
イランの喫茶店で食べられているディージーゲリなど、日本では珍しい単品メニューもたくさんある。法律が変わって禁煙となったため、水タバコはやっていない
アリ:「宇都宮から1カ月に1回食べにくるイラン人がいたんだけど、いつもは月に1度なのに、お土産のお菓子をもって2日後にまた来たことがあります。
今日はどうしたのって聞いたら、宇都宮はイラン人の評判が良くないから、どこの国の人か聞かれても答えたくなかった。でも歯医者さんで聞かれて、嘘は言えないから正直に答えたら、『イラン人なら日暮里のザクロって知っている?おもしろんだよ~』って言ってくれて。うれしくなって、その感謝を伝えるために今日も来ましたって」
――いい話。
アリサ:「でも、全部なりゆきです。パパの才能といえば、成功するかどうかはおいておいて、とりあえず片っ端から試してみる行動力。たまたまその中で当たったのが、このウザいレストランとか薄利多売の雑貨屋だった。
なんでも試してなんでも潰す。ザクロがザクロとして形を成しているのは、がんばってくれている従業員と優しい常連さんと皆々様のおかげ」
薫:「パパは究極のプラス思考だから、そういう苦労をみんな忘れちゃう。私は毎日を過ごすのに精一杯で、先のことなんか考える余裕がなかった。与えられたことをとにかくこなしていただけ。
最初からしっかりしたイメージがあって、それに向かっていく方法もあるかもしれないけど、うちの場合はなにも狙っていなかったよね」
アリサ:「計画と想定は、パパがもっとも苦手とすることだから」
――貴重な話をありがとうございました。
アリえないお値段だそうです
魔法の絨毯は110円から。ただしお人形サイズ
地元民が勧める谷根千の見どころ
アリさんの話がおもしろすぎて記事がやたらと長くなってしまったが、アリサさんに地元民ならではの谷根千(谷中・根津・千駄木)の案内をしてもらったので、こちらもどうぞ。
店から日暮里駅方面に向かった大黒天経王寺の門前。ここに3畳くらいしかない小さな交番があったそうだ。「交番がなくなるくらい治安がいいんですよ」とアリサさん
山門に残る上野戦争の銃弾跡(と思われる穴)
――アリサさんは、どんな子どもでしたか。
アリサ:「生物とか自然が好きだったので、よくママと上野動物園に行っていました。お気に入りはゾウとかパンダではなく、爬虫(はちゅう)類館のリクガメとかオオサンショウウオとかカエル。幼稚園の園長先生がおもしろい人で、椎の実(ドングリの一種)とか、木になっているビワをこっそり食べさせてもらったりしましたね。秘密だからねって。
コロナ禍になって行動制限がされて、自然と触れ合える機会がなくなったのが辛すぎたので、目の前に自然が広がる環境に引越しました。店長をやっていたランプ屋も仕事がなかったし」
「ちょっと歩けば寺と墓。この辺りは江戸の時代から寺だらけでピーク時は約百軒もあったそうです。現在も70数軒はあるかな。この辺で育った人にはお墓が怖いっていう概念がないですね。花見といえば霊園だったし」
お祭りも行われる諏方神社
諏方神社を抜けた先にあるのが西日暮里駅の西脇へと降りる地蔵坂。東京駅から北へ進む新幹線がすべて通るので、ここでよく電車を眺めていたそうだ
――この辺りは子どもの頃と比べて変わりましたか。
アリサ:「すごく変わりましたね。私が小さい頃はほとんど地元の人向けの店しかなくて、中高生くらいが遊べる場所はなかったから、つまんねえ街だなって思っていました。観光客も谷中七福神巡りとかが目的のおじいちゃん、おばあちゃんくらいだったし。
風向きが変わってきたのは、女性3人によって1984年に創刊された『地域雑誌 谷中・根津・千駄木(通称、谷根千)』が少しずつ話題になったからだと思います。谷根千という言葉が広まって、街歩きの楽しさとか江戸文化の振り返りが見直されて、そこからですよね。観光客が増えていったのは」
アリサさんが子どもの頃は正面に富士山が見えたが、だんだんと見えなくなっていった富士見坂
1990年の写真が掲げられていた。「ずっと富士山を見ていたかったけど、新しくできたマンションに同級生が住んでいたりもするんですよ」
谷中銀座から夕やけだんだん方面の様子。この日は火曜日なので人は少ないが、土日となればたくさんの観光客が訪れる
地元民なら集めている、谷中銀座商店街の「せんちゃん」お買い物スタンプシール。商品券や福引券として利用できるそうだ
アリサ:「観光地化が進んだことで、流行りの売れ筋商品を扱う店とか、若い人向けの飲食店が増えました。一方で後継ぎがいなかったり商売が時代と合わなくなって潰れたり、建物が限界になって取り壊されていく。それはそれでさみしくはあるけれど、仕方がないことでもあるのかな。
古い建物を上手にリノベーションして活用したり、街並みに合わせた新しい商売を始めてくれる店も多いですよ」
建物の老朽化で「のなかストアー」が閉店。建て替え時期が迫っている古い物件も多いようだ
小さい頃から通っていた駄菓子屋さんも惜しまれつつ閉店
ベビーカー時代から通っているという創業102年の「後藤の飴」。店内で飴を手づくりしている専門店だ
馴染みのご主人と思い出話。「ママから、おまえはおしゃべりがうるさいからって、口止め飴って言う大きい飴をよく渡されていました」
冬場は飴のシーズン(空気が乾燥しているため口が渇くので飴を舐めて唾液を出して体を守る)なので種類が豊富だそうです。オススメを聞いたら自分の好きな味が一番とのことだったので、あんず飴にしました
路地を入ったところにある中華料理の一寸亭(ちょっとてい)でお昼ご飯をいただいた
看板メニューのモヤシそばは、スープにとろみがついていてずっと熱々。猫舌の人は気をつけよう
かき氷で有名なひみつ堂。冬はグラタンもおいしいそうだがお休みだった
谷中銀座には観光客向けの店だけでなく、昔ながらの地元民が通うようなお店が今も多く営業している
野菜がびっくりするほど安かった
谷中銀座のよみせ通り付近にある福島商店。アリサさんに言わせると「ここは魚屋ではなく貝屋さん」とのことで、もちろん魚もあるが、アオヤギ、ツブガイ、アカガイ、ミルガイ、ホッキガイ、タイラギと貝類が充実していた
魚屋といえばよみせ通り沿いの冨じ家だそうで、「ギンダラの西京漬けがたまらんのですよ」と購入していた。こんなことならクーラーバッグを持ってくればよかった
よみせ通りを南に進むと、鮮魚山長という魚屋も。魚屋をハシゴできる環境はかなり羨ましい。山長の魚が食べられる隣の彬もアリサさんのお気に入り
蒟蒻(こんにゃく)、白滝、竹輪麩(ちくわぶ)、寒天と渋いラインナップが書かれた三陽食品
「月一で戻ってきて一番食べたくなるのがこの店の自家製寒天。ところてんもいいけど、塊のまま一本買って、黒蜜をかけてスプーンで食べるのが罪悪感あって好き!」
ところてんを突いてもらった。一瞬でにゅいんと出てくるのが気持ち良い
「キュっと輪ゴムで縛ってくれるところもいいんですよ!」
持ち帰って酢醤油で食べたところ、エッジの立った歯ごたえのある寒天が素晴らしくおいしかった
続けて黒蜜でもいただく。あんみつに入っている立方体の寒天とは形が違うだけなのだと学んだ
自家製コンビーフで有名な千駄木腰塚の本店。臨時収入や良いことがあった日に寄りたいお肉屋さん
腰塚のコンビーフがたっぷり入ったサンドイッチを購入。これは良いものだ
「麺が好きだったら、是非ここの焼きそばを試してください」と教わった大沢製麺所
ショーケースには茶色くなった深蒸し麺が。これはテンションが上がる
自宅にていただく。良い意味でゴワゴワしたゴムみたいな焼きそば専用麺がたまらない。このタイプの麺が購入できるのは貴重なんですよ
ザクロと同じくらい歴史があるという手づくりパイのマミーズ
よみせ通りを抜けて団子坂下柳通りを越えたところにある、「へび道」と呼ばれるクネクネした藍染川の暗渠(暗渠)。比較的まっすぐな道であるよみせ通り自体も、実は藍染川の暗渠とのこと。へー
この辺りに4軒くらい銭湯があるが、どこもすごくお湯が熱いそうだ
たまに小豆を買ってあんこをつくるときに利用するという丸安商店。豆の専門店が今もあるというのがすごい
あんこ好きのアリサさんが日本一好きなたい焼きだと言い切る、不忍通り沿いの「根津のたいやき」。事前に教えてもらったので、ザクロへ行く前に購入した。午前中に売り切れることも多いとか
材料にあえて卵を入れないことでパリッと焼かれた超薄皮の中には、上品な甘さのつぶあんがたっぷり。初めて食べるタイプのたい焼きだ
前から谷根千という場所に魅力を感じていたのだが、どの店に行けば自分が楽しめるのかがわからず、あまり近づかなかった。この地で生まれ育ったアリサさんに案内してもらったおかげで、好みの店をたくさん知ることができた。また来よう。
そしてザクロの誕生秘話である。日本一との呼び声が高いウザさの裏にある30年の歴史をここに書けたことは、フリーライターとして一生の宝物だと思う。
【いろんな街で捕まえて食べる】 過去の記事
著者:玉置 標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。同人誌『芸能一座と行くイタリア(ナポリ&ペルージャ)25泊29日の旅日記』、『伊勢うどんってなんですか?』、『出張ビジホ料理録』、『作ろう!南インドの定食ミールス』頒布中。
Twitter:https://twitter.com/hyouhon ブログ:https://blog.hyouhon.com/
