華やかなスポットライトを浴びる女性アイドル。東京で夢をかなえた彼女たちは、どんな街に生まれ、どんな風景を見て育ったのでしょうか? 地元の街を出て上京したアイドルに「ふるさと」での日々、思いを聞くインタビュー企画。今回ご登場いただくのは、アイドルグループ「でんぱ組.inc」の成瀬瑛美さんです。
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成瀬さんは福島県郡山市出身。「生まれる前からオタクだった」という少女は漫画家やアニメーターを志し、大学進学と同時に上京。しかし、ほどなくしてネットゲームにハマり、ひきこもり同然の生活を送ることになります。
その後、秋葉原のメイドカフェに居場所を見出し、アイドルとしてデビュー。その道はやがて、「プリキュアになる」という夢をかなえることにつながっていきます。
幼少期から現在までの成瀬さんの歩みを振り返るとともに、夢をかなえるきっかけとなった秋葉原の街、そして故郷・郡山への思いについてたっぷりと伺いました。
大好きな「アニメ」に触れたくて東京に憧れた
―― 成瀬さんの故郷は福島県郡山市。どんな街でしたか?
成瀬瑛美(以下、成瀬) 駅前にファッションビルがあったり、家の近所にたくさんショッピングモールがあったり、福島県のなかでは商業都市と言われていて、比較的栄えていたと思います。ただ一方で、猪苗代湖(いなわしろこ)にも気軽に行ける距離なので、都会的な部分と田舎のほっこりした部分、両方持っている街。すごくいい場所で育ったなと思います。
―― 幼いころの成瀬さんは、地元でどのように過ごしていましたか。
成瀬 アニメや漫画が大好きで、アニメイト郡山の同人誌直売会には小学生のころから行っていましたね。あとは、東北書店(2007年閉店)というオタクが集う本屋さんもあって。店内にオタク向けイベントのチラシがたくさん貼ってあるんですよ。そこが私にとってのオアシス。
東京と比べると限られた場所にしかオタクスポットがないんですけど、だからこそ集まった者同士で仲良くなれるのも良かったですね。
――やはり、幼少期からアニメや漫画がお好きだったんですね。いつから好きになったのか、覚えていたりしますか?
成瀬 生まれる前から(笑)。母親がアニソンのカセットをたくさん持っていて、お腹にいるころからそれを聴いて育ったんです。
しかも、実家の押入れには、少女漫画がぎっしり詰まったダンボールがありました。あるとき「私も(漫画を)描きたい」と母に言ったら、プロが使うようなペンを「これ、わたしの」ってすぐさま出してくれたりもして。母は自分でも趣味で漫画を描いていて、本格的な道具を持ってたんです。
―― まさにオタクの英才教育ですね……。そのころ、特に好きだったアニメを教えてください。
成瀬 当時の郡山で放送していて幼い私でも観られたのは、『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』『美少女戦士セーラームーン』『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』、少し大きくなってからは『プリキュア』。
私が子どものころ、郡山では本当に有名な作品しか放送していなくて……。でも、街の本屋さんに行ってアニメ情報誌を見ると、めっちゃ可愛いアニメがたくさん載っているわけですよ。こんなに楽しそうな作品がたくさんあるのに、なんで福島ではやってないの?って。悔しかったですね。当時はビデオ化されるのを待って、レンタルで見ていました。
―― 存分にオタク活動をするには、やや不自由な環境だったと。
成瀬 そうですね。声優さんのラジオ番組を聴くために東京のラジオ局に周波数を合わせても、何言っているかほとんど分からない。「ジャ・ジャ・ジャ」って、ぶつ切れの音を聴きながら、「いつか東京に行ってやる」と思っていました。
―― 東京への憧れ=アニメへの憧れ、だったわけですか。
成瀬 完全にそうですね。郡山だと、アニメの放送が数週遅れということも少なくなくて。例えば、私が小学生のころに始まった『ポケットモンスター』のアニメは、数週間遅れての放送。当時の『コロコロコミック』には、アニメに登場したポケモンの数を添えてハガキを出すとプレゼントが当たるっていうコーナーがあったんですけど、私は参加できないわけですよ! あまりにも悔しくて、思わず家を飛び出して、東京の親戚の家にポケモンの最新話を観に行ったこともありました(笑)。
―― すごい情熱……。
成瀬 4歳のときにはすでに「絶対にアニメや漫画などのコンテンツにかかわる人間になるぞ」と決めていて、幼稚園の卒園文集にも書いていたぐらいなんですよ。
『りぼん』や『なかよし』『ちゃお』に漫画を投稿したり、友達に読んでもらったりもして。「えいちゃんなら絶対になれるよ!」なんて言ってもらえるので、小学校に上がってからも教室でずっと漫画を描いていたのを覚えています。
ライブハウスに通い詰めた“爆裂に多忙”な高校時代
―― 漫画やアニメ以外に、音楽にも早くから関心をもっていたそうですね。
成瀬 私が子どものころに、郡山駅前にタワーレコードができたんですよ。「タワレコできたらしいぞ。見に行こうぜ!」って地元ではちょっとした騒ぎになって(笑)。そのときは、スピッツさんの『遥か』を買いました。
ただ、もともと郡山には街全体に音楽に親しむ文化が根付いていたと思います。今だと猪苗代湖で夏フェスが開催されていますし、昔は開成山公園で「ワンステップ・フェスティバル」【※1】という伝説的な音楽イベントもあったと父から聞いていました。
※1 1974年8月に開成山公園内の総合陸上競技場で開催されたロック・フェスティバル。内田裕也と石坂敬一がプロデュースを務め、当時国内で人気を集めていた数多くのロックバンドほか、オノ・ヨーコが参加したことでも話題になった

―― 成瀬さん自身が音楽にハマったのはいつですか?
成瀬 直接のきっかけは12歳のとき、いとこがギターを貸してくれたことです。「フェルナンデス・ZO-3」という、黄色いギターでした。それからは街のCD屋さんに、バンドメンバー募集の張り紙を見に行ったりして。子どもなので入れるわけがないんですけど、連絡先が書かれたチラシを持って帰ってみたりとか(笑)。
高校生になると、バンドのライブに通うのが日常になりました。郡山には「HIPSHOT JAPAN」、「Club #9」というライブハウスがあって、土日は必ず、平日でも名のあるアーティストさんが来たら行くしかないと。
―― アニメや漫画に加えて、ライブハウスにも通うとなると、お金もかかるし、かなり忙しいですよね?
成瀬 忙しかったですねえ。趣味の活動資金を得るためにアルバイトもしていましたし、学生なので勉強もあって、爆裂に多忙で、スケジュール帳は常にびっしり。今より時間の使い方が上手だったんだなあ、と思います(笑)。
―― 東京のライブハウスにも通っていたそうですね。
成瀬 夜行バスで、お尻を痛くしながら通っていましたよ! 東京に住んでいる子への羨ましさというか、妬みのような気持ちを抱えながら(笑)。
だから将来の夢のことを考えても、好きなものに触れるためにも、高校を卒業したら絶対に東京へ行こうと決めていたんです。
念願の上京後、即ひきこもり生活に突入
―― その決意の通り、高校卒業後は美術系の大学に進学され、念願の上京を果たしています。
成瀬 当時は、東京に行けば歩いているだけでチャンスが転がり込んでくるぐらいに思っていました。いきなり「アニメーターになりませんか?」ってスカウトされるなんてありえないんですけど(笑)。
―― 東京のどこに住まれたのでしょうか?
成瀬 最初に住んだのは……実は町田方面です。
―― オタクの聖地である秋葉原への距離も、これまでよりグッと縮まりましたね。
成瀬 実は、上京当時はあまり秋葉原に行かなかったんです。もちろん憧れはあって、「オタクのみんなと仲良く遊べる夢の街なんだな」という思いはありました。でも、死ぬほどお金がなくて交通費すらもったいない状態で……。
というのも、当時『RED STONE』【※2】というネットゲームにドハマリして、引きこもり状態だったんです。ネットゲームってプレイヤーにいろいろと役割が与えられるんですけど、いつの間にかギルドマスターに就任していて(笑)。ギルド戦の管理をやらないといけないから忙しいんですよ。学校にもほとんど行かなくなっていました。
※2 2005年に正式サービスが開始されたオンラインゲーム。プレイヤーは他のプレイヤーと協力しながら冒険者として、伝説の「RED STONE」を探し求める旅をおこなう
―― でんぱ組.incには他にもひきこもりを経験したメンバーがいますが、成瀬さんは理由がやや独特ですね。
成瀬 私の場合、別に外の世界が辛くてそうなったわけではないんです。外も楽しかったけど、純粋にネトゲに夢中になりすぎてしまって。たぶん、私が上京するまで外の世界に積極的に出ていっていたのは、自分のパソコンを持っていなかったからでしょうね。パソコンを買ったら、一気にインターネットしかやらなくなってしまった(笑)。
―― 当時、どんな生活でしたか?
成瀬 学校に通わなくなったので仕送りもなくなり、ゲームで忙しいからバイトも増やせない。地獄でしたね……。モヤシと、スーパーで売っていた10円の刺身の「つま」をわさび醤油で食べていました。つまのなかに、たまに大葉が入っているときはうれしかったです。
家賃はギリギリ払えていましたが、ガスは止まりました。ガスが止まるのは余裕なんですよ。水風呂に入ればいいだけなんで。でも、電気が止まるとネットゲームができなくなるので、そこだけは死守していました。
―― 抜け出したきっかけは、なんだったんですか。
成瀬 このままだと家賃すら払えなくなり死ぬなと思ったので、ネットゲームのお仲間に相談してみたんです。そしたら、「秋葉原でメイドさんとかやってみたら?」とアドバイスをもらい、なるほどと。
当時、ニュースで秋葉原のメイドカフェがよく取り上げられていて、ブームになっていたんです。幸い、面接を受けたら有名なお店で働くことができるようになり、その仕事がめちゃくちゃ楽しくて。いつの間にか、ネットゲームのことをすっかり忘れてしまいましたね。
―― 当時、秋葉原のメイドカフェを選んだのには何か理由があったのでしょうか?
成瀬 ネットゲームの影響で、やるからには天下を獲らなきゃいけない!っていうマインドになっていたんですよね(笑)。それで、秋葉原でナンバーワンのお店を目指そうって。
ひきこもり期間は人と全く喋らなかったので、その反動があったのかな。「人と話すの、超楽しい!」となり、秋葉原へ通うのが楽しみになりました。私が本当の意味で「上京した」といえるのは、秋葉原に来るようになってからだと思います。
「秋葉原の女王」になるため、ディアステージへ
―― メイドカフェのステージで歌うようになったことが、成瀬さんのアイドルとしての原点になったそうですね。
成瀬 なぜか分からないですけど、働いているうちにどうしても人前で歌いたくなってしまって! 店長に「お店のステージでライブをやらせてください」とごり押しして、アニソンを歌うようになったんです。
ただ、その時点ではアイドルになろうなんて全く思っていませんでした。歌を歌えば楽しいし、お客さんも喜んでくれるというくらいの感覚で。
―― そのころ、漫画やアニメの仕事へ就きたいという気持ちの方はどうだったんですか?
成瀬 やはり、絵や漫画を描く仕事をしたい気持ちはありました。でも大学の成績が上がらず、ダメだなと思っていたタイミングでもあって……。デザインコースに通っていたんですけど、「君のデザインじゃ使ってもらえないよ」と、はっきり言われていましたから。
ただ、それでヘコんでいたわけでもなくて、「なるほど。じゃあ次の何かを見つけたほうがいいのかな」と。それで、ステージに上がるなかで、歌の道もいいんじゃないかと思うようになりました。
―― しかし、当時はむしろアイドルはあまり好きじゃなかったと。
成瀬 全くですね。当時は二次元のオタクを究めすぎて、三次元寄ってくるな!みたいになってしまって(笑)。今はもちろん大好きですけど、最初は拒否反応がありました。
―― その後、メイドカフェからライブイベントスペース「秋葉原ディアステージ」に移籍されています。
成瀬 ディアステージのことは、メイドカフェのお客さんに教えてもらったんです。「最近できたお店で、接客をする女の子がステージにも立って、しかもそれがめちゃくちゃ面白い」と。実際に見に行くと、お客さんたちの目が輝いていたし、ちょっと変わった女の子が多く在籍しているところにも惹かれて、絶対に入りたいと思いました。
なぜか、ディアステージに行けば、私は絶対に成功する!という確信があったんです。何度落ちても受け続けようと思い、3度目の応募でようやく合格しました。
―― その時に思い描いた「成功」とは、具体的にどんなイメージですか?
成瀬 「秋葉原の女王になる」みたいなイメージでしたね。街でみんなに声を掛けられたり、写真をSNSにアップされて「今日はえいたそに会えたから、いいことがありそう!」とか、そういう存在になりたかった。
また、ディアステージはアイドルやシンガーを目指す女の子たちが集まる場所でもあったので、その時は私もデビューするつもりで入ったんです。アニメシンガーになろうと。
―― 「アニメにかかわりたい」というもともとの目標と、メイド喫茶で生まれた「人前で歌うのが好き」という気持ちが合わさり、新しい夢ができた。
成瀬 はい。ただ、プロデューサーのもふくちゃん(※音楽プロデューサーの福嶋麻衣子氏)から「でんぱ組.inc に入らないか?」と言われたときは、めちゃめちゃ悩みました。でんぱ組.inc自体はすでに結成されていましたが、アイドルなので私には関係ないと思っていましたから。
フリフリの衣装で可愛く踊るよりも、かっこいい曲と電波ソングを両刀で歌えるシンガーを目指していましたし、ソロでやりたい気持ちも強かったんですね。
それでも加入を決めた理由の一つは、でんぱ組の曲を手掛けていたのが畑亜貴さん、小池雅也さんという、アニソンを数多く手がけ、アニメ好きにとっては夢のような方々だったこと。オタクとして、これはやるしかないなと思いました。
―― そこから約10年にわたり、でんぱ組.incとして活動されています。最初はあまりピンときていなかったアイドルを、結果的には長く続けてこられました。
成瀬 最初はイベントに出てもあまりお客さんが集まらなくて、自信を持てない時期も長かったです。でも、途中から光が見えてきて、みんなで頑張って思うがままに進んだら、だんだん楽しくなってきました。今はでんぱ組.inc以上のアイドルはいないと思っています。宇宙イチのアイドルグループですよ。
大人がツインテールで歩ける東京が好き
―― 成瀬さんはこれまで、かなり引越しをされているそうですね。
成瀬 上京以来、10回くらいは引越していますね。最初は町田付近で3回引越して、秋葉原にも一時期住んでいました。激せまのワンルームでした。
―― 秋葉原に住んでいたこともあったんですか。オタクとしては天国のような環境ですよね。
成瀬 天国でした。でも、反面「通う楽しさ」が減ってしまったなって。電車に揺られて、「次は秋葉原~」ってアナウンスされる瞬間も好きでしたから。それに、仕事も趣味も秋葉原で全て完結してしまうので電車に乗ることもなくなりましたし、もうちょっと離れてもいいのかなって思うようになりました。それからもいろいろな沿線の街に住みましたね。
―― 短いスパンで転居を繰り返すのは、いろんな街で暮らしたいからですか?
成瀬 街もそうですけど、物件が好きなんです。ネットで物件を見ていると、引越したくなります。物件の内見ロケとかやりたいですもん。間取りを見て家賃を当てる引越しアプリゲームもやっているので、けっこう詳しいですよ(笑)。
―― ちなみに、理想の間取りはありますか?
成瀬 ずっとワンルームに住んでいるんですけど、もう一つ部屋数を増やして、コミックルーム&プリキュアルームをつくりたいですね。漫画の量もすごいし、プリキュアの声優を一年やらせていただいて、グッズがたくさんあるので。今は趣味のもので生活スペースが圧迫されています(笑)。
場所でいえば、多摩川沿いに憧れますね。河川敷で歌やセリフの練習をしたいです。深夜のカラオケボックスで練習するより、ロマンがあって、青春を感じませんか? 和泉多摩川や登戸の、家から川が見える場所に住みたいですね。
―― プリキュアの話が出ましたが、成瀬さんは2019年2月から1年にわたり『スター☆トゥインクルプリキュア』で声優を務められました。プリキュアは郡山でも放送されていたそうですが、最初のシリーズから見ていたのでしょうか?
成瀬 はい。ふたりはプリキュア(シリーズ1作目)から見ていました。以来、全シリーズを見続け、でんぱ組.incになってからも「いつかプリキュアになる」と決めて、ファンの皆さんの前でも言い続けてきました。
―― プリキュアになる夢と同時に、アニメの仕事に就くという夢もかなえました。今、新たに挑戦したいことはありますか?
成瀬 最終的には「伝説の存在」になりたいと思っています。職業・アイドルではなく、「えいたそ」自体を職業にしたいです。世界中を元気にするマスコット的な存在になりたいですね。
―― 最後に、上京前と上京後の現在とで、どのように東京という街への印象が変わったのかお伺いしたいです。
成瀬 上京する時、おばあちゃんに「東京は冷たいし、危ないよ」って散々言われたんです。でも、東京にも優しい人はたくさんいるし、自分の肌にも合っていました。東京の好きなところは、どんなに変な格好で街を歩いていても、誰も気に留めないこと。大人がツインテールで外出しても平気なところは心地いいですね。
ただ、地元は地元で、すぐに人が話しかけてくれる雰囲気も大好き。田舎と都会、どちらも違う良さを感じます。
―― 地元の郡山にも、よく帰るんでしょうか?
成瀬 年2回、夏と冬に帰っています。たまにしか帰れないので、なるべく友達と会うようにしていますね。いろんな子とご飯を食べるので、めちゃくちゃ忙しいです。

高校時代に通っていたライブハウス「HIPSHOT JAPAN」に凱旋したときの様子
―― スケジュールを詰め込むクセは、今も変わっていないようですね。
成瀬 そうですね。毎回アクティブに過ごすので、帰省=休むという感じではなく、むしろ地元のみんなを楽しませるために帰っているのかもしれません。
でも、それが自分も楽しいんですよ。常に、誰かをハッピーにしたいという思いがあります。私は根がダメ人間なので、それくらいやって世間に還元しないといけないって思っちゃうんですよね(笑)。
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お話を伺った人:成瀬瑛美(なるせえいみ)
福島県郡山市出身。アキバカルチャーを心底愛してやまないつねにテンション高めのヲタクアイドル!またの名をマキシマムえいたそ、口癖は 「バビューン!」。特技は「えい☆ラップ」。
HP:でんぱ組.inc 公式サイト Twitter:@eitaso
聞き手:榎並紀行(やじろべえ)(えなみ のりゆき)
編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。
Twitter:@noriyukienami
WEBサイト:50歳までにしたい100のコト
※記事公開時、タイトルの表記に誤りがございました。3月12日(木)12:55ごろ修正しました。お詫びして訂正いたします。ご指摘ありがとうございました。
編集:はてな編集部