創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。
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第2回目の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、『ストライクウィッチーズ』の原作や、『武装神姫』『ガールズ&パンツァー』『アリス・ギア・アイギス』のキャラクターデザインなどで知られるイラストレーターの島田フミカネさんです。
岡山県出身の島田さんは、地元で会社員として働きながら、イラストレーターとしての活動もスタートしました。20代半ばで職場を退職し、1年半ほど東京と岡山の二拠点生活を送りましたが、その後、帰郷。現在も地元・岡山を拠点に活動を続けています。
少女とメカ、両方の魅力を併せ持つ「メカ少女」というジャンルの代表的な描き手のひとりとして人気を集め、長年第一線で活躍する島田さん。コンテンツ産業の中心地である東京から遠く離れた岡山で、どのように創作活動を続けてこられたのでしょうか。創作にかんするこだわりや、島田さんにとっての東京と岡山の違いなどを伺いました。
「半年くらいブラブラするのもいいかな」と上京
――今も地元の岡山にお住まいとのことですが、どの辺りのご出身なんですか?
島田フミカネさん(以下、島田):岡山の県南の方ですね。中心地からは少し外れるのですが、それなりに人が住んでいて、お店などもほどよくあるような場所です。
――やはり、幼いころはアニメや漫画が大好きな少年でしたか。
島田:そうですね。ただ、当時の岡山はそんなにオタクに開かれた土地ではないというか。深夜アニメなんかもあまり放送されない地域でしたから、わりとメジャーな作品にばかり触れていた気がします。
おそらく東京や大阪などの大都市圏に生まれていたら、もっとコテコテのオタクになっていたでしょうね(笑)。
――当時、特に好きだった作品はありますか?
島田:高校生ぐらいのときに読んだ『アップルシード』【※1】です。というか、士郎正宗さんの作品全般に大きな影響を受けたと思います。『ブラックマジック』【※2】のOVA【※3】も観ました。岡山にもレンタルビデオ屋さんはあったので、OVAは観ることができたんです(笑)。
※1 『攻殻機動隊』の作者としても知られる士郎正宗の商業デビュー作となったSF漫画。女兵士のデュナン・ナッツと、全身をサイボーグ化したデュナンの恋人・ブリアレオスの活躍を描いた
※2 士郎正宗のSF漫画。章ごとに登場人物などが変わるオムニバス形式の作品で、移送中に脱走した最高機密兵器のアンドロイド・M-66とフリージャーナリスト・シーベルの攻防が描かれた第4章『BOOBY TRAP』は、『ブラックマジック M-66』というタイトルでアニメ化。士郎正宗自らが監督・脚本を務めたことでも話題になった
※3 オリジナル・ビデオ・アニメーションの略。主に記録媒体での発売またはレンタルを主たる販路としてつくられる商業アニメ作品を指す
――その後は地元で会社員として働かれていたそうですが、一時は東京で生活されていた時期もあったそうですね。
島田:26歳〜27歳ぐらいのことですね。それまでは地元の会社に勤めながら、空いた時間で絵を描いたりしていたのですが、ちょっと疲れたし、しばらくぶらぶらしようかなと思って会社を辞めたんですよ。同人活動で知り合った仲間に「東京に遊びに来れば?」とも誘われていたので、まあ半年ぐらい行ってみるかと(笑)。実家暮らしで、ある程度は貯金もあったので。
軽い気持ちで上京し、1年半ぐらいは友人たちの家を転々としながら生活していました。練馬とか、そのあたりに住んでいる人が多かったので、そこから都心の方に遊びに行ったりとか。
――東京に自分の部屋を借りたりはしなかったのですか?
島田:そうですね、住民票も岡山から移しませんでした。当時は友人たちも独身だったので、ほとんどロハ(無料)で泊めてもらっている感じで。実家にあるのと同じパソコンを買って絵を描きつつ、ときどき家主の仕事を手伝ったりしていました。家賃代わりじゃないですけれど、「色ぐらいは塗るよ」とか言って(笑)。

――そのころには、既にイラストレーターとしてお仕事されていたのですか?
島田:ときどきトレーディングカードや雑誌のイラストなどを描いていましたけど、せいぜい月に1、2枚ぐらい。当然その稼ぎだけでは生活できるわけもなく、東京にいるときはじわじわと貯金を減らしていました(笑)。
ただ、実家が地元で小さな会社を経営していて、自分は長男坊だったものですから、ゆくゆくは家業を手伝うことになるんだろうなという意識はずっとあったんです。東京に出たのも、言ってみたら、それまでのちょっとした休息期間というか。
――イラストレーターとして「東京で一旗揚げるぞ!」という意気込みで上京したわけではなかったのですね。
島田:そういう気持ちは全くなかったですね(笑)。上京と言っても、実家の用事などがあれば岡山にはちょこちょこ帰っていましたし、実際には「東京7:岡山3」ぐらいの割合で生活していたんじゃないかなと思います。
『メカ娘』がなかったら家業を継いでいた
――その後、岡山のご実家に戻り、本格的にイラストレーターとしての活躍が始まります。何か帰郷するきっかけがあったのですか?
島田:まあ、20代半ばにもなって、1年以上もぶらぶらしていたら、親から「そろそろ、ちゃんと仕事をしろ」と言われるようになりますよね(笑)。
それで岡山に戻り家業を手伝いつつ、やはり絵を描くことは続けているうちに、だんだんといただけるお仕事が増えていった感じですね。
――島田さんは「メカ少女」の代表的な描き手のひとりとして長く活躍されていますが、どのようなきっかけで、「メカ少女」のイラストを描き始めたのですか?
島田:当時、「お絵かき掲示板」【※4】というネット文化がはやっていて、武者修行じゃないですけれど、そこで毎日空いた時間に絵を描いていたんです。
そうしたら、あるとき「ミリタリーの擬人化」をやっている小さなグループを見つけて。その名の通り、戦車や銃器などの兵器を美少女として擬人化させるという非常にニッチなジャンルなのですが、もともとミリタリーやメカには興味があったし、面白そうだなと。
それでメカ少女を描くようになり、自分のサイトにも絵を上げていたら、KONAMIのプロデューサーの方が連絡をくださって。それが『メカ娘』【※5】のフィギュア化につながっていくんです。
※4 90年代後半〜00年代前半にかけて人気を集めた絵とテキストで交流する掲示板。掲示板自体にペイントツール機能があり、直接Webブラウザに絵を描くことができた。現在活躍しているイラストレーターのなかには、お絵かき掲示板を利用していた人も少なくない
※5 島田さんが個人サイトに投稿していたイラストからスタートした企画。実在の兵器などを独創的なアイデアで擬人化したデザインが人気を集め、2005年には、KONAMIからトレーディングフィギュアも発売された

イラスト:島田フミカネ
――いきなり大企業のKONAMIから連絡が来て、驚かれたのでは?
島田:そうですね。しかも、最初は「メカ少女のアニメをつくりたい」という話だったんです。でも、アニメの仕事を本気でやるとなれば、もう家業を手伝っている時間はなくなります。当時はまだ専業イラストレーターとしてやっていく覚悟がなかったので、「フィギュアのデザインとかであれば……」と相談し、フィギュアの企画になりました。
ただ、その後ありがたいことに、『ストライクウィッチーズ』【※6】の立ち上げにお声がけいただいたり、同じKONAMIさんの『武装神姫』【※7】のキャラクターデザインをやらせていただいたりする中で、イラストレーターとしての仕事が増えていき、徐々に専業としてやっていくことになりました。もし『メカ娘』がなかったら、今ごろは家業を手伝いながら趣味で絵を描いているような生活をしていたでしょうね。そういう意味でも、自分のルーツの一つと言える作品だと思います。
※6 島田さんがキャラクター原案と原作を務めているメディアミックス作品。もともとは雑誌『コンプエース』でのイラストコラム連載から始まり、2008年にTVアニメ化。シリーズ作品『ブレイブウィッチーズ』などを含め、映画や小説など、現在までさまざまなメディアで展開されている
※7 KONAMIから発売されているアクションフィギュア。漫画、アニメなどさまざまなメディアミックス展開も行われた。島田さんは一部キャラクターのデザインを担当した
擬人化ものは「どう解釈するか?」が面白さ
――現在に至るまで、お話にも出た『ストライクウィッチーズ』『武装神姫』のほか、『艦隊これくしょん -艦これ-』【※8】など、数多くの『メカ少女』作品に携わられてきましたね。
※8 2013年にサービスが開始された育成シミュレーションゲーム。実在の軍艦を美少女として擬人化した「艦娘」が登場する。テレビアニメ、劇場アニメ、漫画などのメディアミックス展開も行われている
島田:改めて振り返ってみても、これだけ長いあいだ描いているのに、描いているもののほとんどは「メカ少女」なんですよね(笑)。よくこんなにもニッチなジャンル一本でやってこれたなと自分でも思います。

(C)2014 島田フミカネ・KADOKAWA/第501統合戦闘航空団
――とはいえ、「メカ少女」というジャンル自体は人気を集めていると思います。
そうですね。昔は本当に好きな人たちの間でだけ楽しまれていたものなのですが、『艦これ』の大ヒットなどの後押しもあって、ジャンルに対する認知度はすごく上がってきました。
ただ、書き手の方はそんなに増えている印象がなくて。やはりメカニックやミリタリーものは、事前リサーチや知識が必要になるので、割に合わないんでしょうね。ライバルが少ないのはありがたいのですが(笑)。
――島田さんが「メカ少女」のキャラクターデザインをされる際に、特に大事にされていることはなんですか?
島田:「メカ少女」も、いわゆる美少女ジャンルのうちの一つなので、まずはかわいいことが大前提。そのうえで、例えば『メカ娘』や『艦これ』などの実在の兵器などをモチーフとする擬人化ものの場合には、資料を取り寄せたりして、きちんと下調べをしています。モチーフへのリスペクトが大事なのはもちろん、「そのモチーフをどのように解釈して、人の形に落とし込むのか?」が重要なので。
――もう少し、具体的に教えてください。
島田:例えば、人の形をしたロボットを擬人化する場合、基本的には、7割ぐらいはほぼ同じようなパターンになるんですよ。腕の位置には腕のアーマーを付けて、頭には角を付けてという感じで、ある程度共通のやり方になるので。
一方で、戦車や飛行機といったミリタリーには、そういった法則がない。人の形ではない「戦車」や「飛行機」のデザインをどのようにして人の形に落とし込むのかということを一から考えなければいけないんです。だからかなり試行錯誤しますけど、逆にオリジナリティを込められる部分もあるので、そこが面白いところかなとも思いますね。

(C) DMM / C2 / KADOKAWA

(C) DMM / C2 / KADOKAWA
――では、「メカ少女」ではない普通の女の子たちが活躍する『ガールズ&パンツァー』【※9】のキャラクターに関しては、どのようにデザインを進められたのですか?
※9 タイトルの通り、女の子と戦車を題材にしたアニメメディアミックス作品。2012年にテレビアニメが放送され、「戦車道」という斬新な設定により広く人気を獲得。作品の舞台になった「茨城県大洗町」は、聖地巡礼の人気スポットとして注目を集め、作品と街が一体になった取り組みも数多く行われている
島田:「かわいさ」は常に重要なのですが、ガルパンについてはとにかく「普通の女子高生がいい」というオーダーでした。
――普通の女子高生でありながら魅力的なキャラクターを考えるのは、逆に難しそうな気もします。
島田:僕も仕事をしていくうちに気付いたのですが、アニメやゲームなどの場合、キャラクターの魅力って絵(姿形)だけでは決まらないんですよ。そのキャラクターに関する物語や声、動きなども全部含めて魅力になる。だから「普通の子がいい」と言われたら、きっとほかの部署の方たちが魅力的にしてくれると信じて、変に奇をてらわずにオーダー通りに描きます。その結果、魅力的なキャラクターになれば、「この地味なところがいいよね」と言ってもらえたりするものなんですよ(笑)。
イラストレーターやキャラクターデザイナーというと派手なイメージもあるのかもしれませんが、クライアントさんやほかの部署の人たちもあっての仕事。だから、取材などで「イラストレーターとしての仕事術」などを聞かれたときには、いつも「〆切を守ること」と答えています(笑)。
「岡山」と「東京」の役割の違い
――もう20年ほど地元の岡山で創作活動を続けられています。東京や、それ以外の場所に移ることを考えたりはしませんか。
島田:今はないですね。イラストレーターをやっている限り、距離による制限は今やほとんどありませんし。
――逆に、岡山で暮らす利点はどういったところですか?
島田:僕の住んでいるところは、中心部の栄えているエリアへもすぐ出られますし、逆に10分も歩けば田んぼが見えてくるほどよい田舎。「あって便利」なものがたくさんあるわけじゃないけれど、「なくて不便」みたいなこともないので、特に東京へ出たいと強く思うことはないんです。
あと僕はまず朝起きたら頭がシャキッとするまで散歩するのが日課なんですけど、岡山だと音楽とかを聴きながら自分のペースでゆっくり歩けるのが良い。農業用水の脇を歩いて「冬でも魚は元気だなあ」なんて思いながら、住宅街からポツンと離れたところにあるコンビニに行って、コーヒーを飲んで帰ってきたりとか。時間があるときは1時間ぐらい歩きます(笑)。歩きながら、デザインのアイディアを考えたりもできますしね。

――というと、東京に出られる機会はあまりないんですか?
島田:いえ、月に一度ぐらいは東京に行きます。もちろん仕事の打ち合わせもするんですけど、目的はほぼ息抜き(笑)。いくら一人でできる仕事といっても、何もインプットがないままパソコンに向かっていると枯れていくんですよ。だから定期的に東京で同業者と情報交換したりとか、気になる展示があれば上野の美術館に行ってみたりとか、そういうことはむしろ大事にしています。
会社を辞めてふらふらしている時期に知り合った人たちとは、今も付き合いが続いていますし、いくらネットが発達しても人間関係は大切ですよね。けっきょく、仕事は人を通して来るものなので。今思えば、軽い気持ちで東京に行ったのは自分の大きな財産になったなと思います。
――うまく、岡山と東京の良いところどりをされている印象です。
島田:そうですね。東京は月に一週間くらい遊びに行く分にはとても面白いです(笑)。逆に岡山は生活の場所であり、日々の仕事を進めるための場所。どちらでも仕事をしてみて分かったのですが、東京は誘惑が多くて、深夜までいろんなお店が開いているから、すぐ遊びに行っちゃうんですよ(笑)。でも、岡山だと「この時間はもうお店も閉まってるから、仕事するか」ってことになる。比べてみると、仕事の進みは岡山の方が圧倒的に上でした。
だからこれからも日々の仕事は岡山、たまの息抜きは東京というスタイルでやっていくと思います。
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お話を伺った人:島田フミカネ
1974年1月26日、岡山県生まれ。地元で会社員をしながら、イラストレーターとしての活動も始め、後に専業イラストレーターに。機械と美少女を融合させたメカ少女のキャラクターデザインで大きな注目を集めた。主な代表作に、『メカ娘』『スカイガールズ』『武装神姫』『ストライクウィッチーズ』『ガールズ&パンツァー』『艦隊これくしょん -艦これ-』『フレームアームズ・ガール』『アリス・ギア・アイギス』など。
Twitter:@humikane
聞き手:丸本大輔(まるもとだいすけ)
広島県因島生まれ。現在は東京在住。専門ジャンルは、アニメ、漫画、VTuber(バーチャルYouTuber)などで、インタビューを中心に活動。アニメ『たまゆら』『終末のイゼッタ』『銀河英雄伝説DNT』ではオフィシャルライターを担当した。劇場アニメのパンフレット、パッケージ商品のブックレットなども多数制作。WEBでは、エキレビ!でレギュラーライターを務めている。
Twitter:@maru_working
※記事公開時、『アップルシード』の説明に誤りがございました。2月27日(木)14:00ごろ修正しました。お詫びして訂正いたします。ご指摘ありがとうございました。