二十代のしょぼい自分を散歩で辿る。神谷圭介が暮らした練馬区平和台

著: 神谷圭介

10年前まで住んでいた町へ向かう。引越してからは一度も立ち寄っていない。大学を卒業して半年後に住み始めた町が練馬区の平和台だった。友人とシェアするかたちで借り始めた部屋は3DKで月々8万4000円くらいだったから、折半して1人4万2000円。なるべく広い部屋が良かった。

自分はテニスコートというコントグループのメンバーであり、当時は結成も間もなく大学を出てからもコント公演を続けていくつもりだった。作業スペースや衣装とか小道具などの置き場が出来るだけ欲しかったのだ。

1人で狭い部屋を借りるよりも広くて快適だった。お互い全く気を使わなくて済む関係だったのも良かった。まさかそのまま6年間も住むことになるとは思わなかったが、なんならもう一回更新しても良かったくらい快適だった。
ただなんとなく「さすがに8年も一緒に住むことなくない?」という話になり、なんとなく共同生活は解散になった。



そんなことを思い出していたら、副都心線の平和台駅で降りるはずが和光市駅からの乗り換えを誤り東武東上線に乗ってしまった。でも、そういえば東武東上線の東武練馬駅も平和台駅と同じくらい最寄りの駅として使っていた駅だ。東武練馬駅→住んでいた部屋→平和台駅というルートを歩くことで当時のことを回想しようと考えた。

東武練馬駅

10年ぶりに降りた東武練馬駅。
駅前のサティがイオンになっている。日焼けしたピンクの巨大な立方体にはうっすらSATYの文字の痕跡が残っている。当時の帰宅ルートを歩いていると懐かしい景色が次々と飛び込んでくる。

あ、あの入ったことない焼き鳥屋さん、まだあるんだ。あ、入ったことないあのお寿司屋さんも、まだ健在だ。入ったことないドコモショップに、入ったことのない床屋さん。入ったことのない入りづらい居酒屋。入ったことのないスナック。

一度も利用したことのない懐かしいお店がそのまま残っている。「懐かしい」と「入ったことはないけど」がセットになっている。何だこのセットは。

そうだ。どのお店も中を覗いてはなじみのお客さんばかりな店内に尻込み、入ることもできなかったのだ。まごまごして結局帰るを繰り返していた当時の自分たちを思い出した。一方、お店は当時から変わらず地元に愛されているからこそ、どこも健在なのだろう。

そういえば自分も同居人も利用していた店はほぼファミマ、たまにドン・キホーテだったように思う。20代のころの凡庸でしょうもない生活を思い出した。

川越街道沿いのドン・キホーテ

なんとなくドン・キホーテにも寄ってみた。店内はあくまでドン・キホーテであり、どこのドンキもまあこんな感じで懐かしさとかそういうものはなかった。

ある思い出が蘇る。ある日ドンキで買い物を済ませ出てきた僕の前にママチャリが急ブレーキで止まった。またがっていたのは上下スエット姿の金髪ロングヘアーの女の子。眉毛があったかどうか定かではない。

口元には泡のようなものが付着してる。泡でも吹いたのだろうか。
やや焦点が定まってない彼女が僕に向かって放った言葉。

「はっはふひは、ろほれふか」

脳、支配されてたみたいな言い方だった。
でもそうはっきりと僕に向かって言ってくる。

「はっはふひは、ろほれふか」

二度はっきりそう言っている。どうしていいかわからない事態だ。しかし、瞬時にそのときの僕は「かっぱ寿司は、どこですか?」と彼女が聞いているのだとわかった。これは今でもすごいなと思う。朝で頭が冴えていたからかもしれない。

「かっぱ寿司なら、そこの川越街道に出て右に曲がってすぐのところにありますよ!」
「あふぁっふ」

と、お礼っぽいことを言いながら彼女はまた猛烈にママチャリを漕ぎはじめた。
瞬時に飛び出した自分の名推理にドキドキしながら彼女の背中を見送る。
彼女は猛スピードで川越街道をかっぱ寿司とは真逆に左折していった。

京風鉄板焼き

ドンキを過ぎてしばらく歩くと、唯一ファミマとドンキ以外でわれわれが利用していた京風鉄板焼きの店が見えてきた。ここは本当に美味しくて同居人とも行ったし、舞台の打ち上げでスタッフのみんなとも行ったことのあるお店でとても気に入っていた。
いつからかあまり行かなくなってしまったのは何故だろうと思い返した。

そういえば、あるときテレビを見ていたら、ダメなお店を改造するみたいなテレビ番組でそのお店が取り上げられていたんだった。はるな愛さんがレポーターとしてお店に訪れ、われわれが通い慣れた店に次々ダメ出ししていく。

なんだかやるせなかった。お気に入りのお店が改造されていく様をテレビ越しに観ながら、

「放っておけよ」
「いや経営がアレなのは基本的にめちゃくちゃ立地が悪いのが原因だろうが!」
「どの駅からもめちゃくちゃ遠いからだろうが!」「でも味は確かだろう!」
「その入口につるされてる謎の番傘と壊れたニセの灯籠はご愛嬌だろう!」
「放っておけよ!」

とテレビに向かい罵詈雑言を浴びせたのを覚えている。今考えれば、はるな愛さんは番組の構成に従って進行していただけだ。そのときはわけもわからずはるな愛さんが憎かった。憎んでごめんなさい、はるな愛さん。

マンション

10年前住んでいたマンションに辿り着いた。目の前にあった広い駐車場はわれわれが住んでいたマンションよりも大きなマンションになっていた。ここを引越した当時のことを鮮明に思い出した。必要なものだけを先に引越し先へ持ち出した後、部屋に残された大量の要らないもの山に絶望した記憶だ。

部屋の収納力の上にあぐらをかき、6年の間こんなにも物を捨てずに溜め込んできた。代表的な廃品は、大学のころに課題の制作で使ったスロットマシン4台だ。要らない。本当に要らない。メダルも大量に入っていてすごく重い。よく押入れの床が抜けなかったものだ。

粗大ゴミについて役所に問い合わせたところ、家庭ゴミとして区が引き取れるスロットマシンは2台まで。それ以上は事業系のゴミとみなされるのだという。つまり普通の家庭からでるゴミとしてスロットマシンは2台。それが練馬区の決めた普通の家庭の在り方なのだ。スロットマシンを4台捨てようとしなければ気づけなかった基準だ。われわれは引き渡しのタイミングまでに、これらのどう捨てていいかわからない廃品たちをどうにかしなければならない。もう業者の手を借りるしかなかった。

引き渡しの日の朝、業者の2tトラックにパンパンに詰め込まれた廃品の山を見送り、すれ違いざまに来た管理会社との引き渡しを終えた後、逃げるようにこの部屋を立ち去った。
あれだけの逃げるような立ち去りっぷりは後にも先にもないような気がする。それ以来、10年ぶりに見たマンションは、しっかり10年歳をとっているように見えた。すっかり老けたなあと感じた。

同居人

住んでいた部屋から平和台駅を目指す。10年前とあまり変化がない風景が続く。同居人と通い続けたコンビニへの道も相変わらずの様子だ。

同居人は猫アレルギーだった。しかし猫はすごく好きだった。

実家で猫を飼っていたこともあったらしいが、成人してから猫アレルギーだったと判明したのだという。触りたいのに触るとかぶれる。目の周りが腫れる。触らせてくれる人懐っこい野良猫をつい触っては目の周りを腫らし後悔することもあった。
アレルギー反応とかわいいとが天秤にかけられていた。そんな不憫な同居人が編み出したのはエア猫だ。

エアで猫を脳内で想像する。両手からエア猫のイメージを産み出しそのまま抱っこして撫でるのだ。
これならかぶれることなく猫を愛でることができる。ぱっと見の不憫さはそのままだが本人が納得していればそれでいいじゃないか。

しかし問題があった。実家で飼っていた猫があまり触らせてくれないタイプの猫だったらしく、何度イメージで産み出してもエア猫はすぐに暴れて逃げていってしまうのだという。逃げられてはエア猫を出しまた逃げられる。そんなことを繰り返していた。

これは余談だが、同居人は年1の割合でヘルペスができるタイプだった。あるときヘルペスに薬を塗りながら鏡越しに「どうして出てきちゃったの?どしたの?なんで出てきちゃったの」と子どもに話しかけるような甘い口調で語りかけていた。ヘルペスに話しかける人を初めて見た。そういうタイプだ。

なのでエア猫に関してもそんなに驚きはない。エア猫を出しては逃げられ続け、きっと近隣は野良エア猫でいっぱいになっていただろう。
地域猫と違って去勢手術もできないからエア野良猫は繁殖したい放題だ。いまARでこの辺を見たら、同居人が出したエア猫の孫猫が歩いているかもしれない。そんなエア猫に思いを馳せつつ平和台駅へと歩く。

慣れ親しんだ顔

よく通った道。住んでいた当時の出来事を思い出す道だ。
それはとても寒い季節だった。道の側溝を流れる暖かい排水がものすごい湯気を上げている。通ると臭くてあったかい白い煙に包まれる。
煙の向こうから男が自転車でやってくる。遠くからでもぴんと来る顔だ。お互いに気づき10mくらいの距離で互いの顔が緩む。笑みがこぼれる。「おお。どしたの?」そう声をかけようとした瞬間、相手が誰なのかを完全に思い出した。ファミリーマートの店員さんだった。

最寄りのコンビニだったファミリーマートが閉店したのはこの出来事の約半年前。客と店員という関係の僕らは、お弁当の温め、お箸・スプーンの有無、釣り銭のやりとり以外はしたことがない。でも僕らは5年間ほぼ毎日のように顔を合わせていた。だからだろう。お互いよく知った友人と再会したかのような顔になってしまった。

2人の距離は2m。ほぼ同時に客と店員の関係であったことを思い出した僕らは、緩んだ顔をバツの悪い感じで引き締め直した。ドラマであれば、すれ違う瞬間がスローモーションになり別アングルで何度かリフレインされるだろう。彼と僕の正面からのアングルが交互にカットで切り替わり、このすれ違うシーンを永遠の別れのように演出したはずだ。

確かに僕らは友人ではなかった。でも瞬間的に友人との再会かと脳が間違えた。お互いを何も知ることなく顔だけを合わせ続けた者同士の一瞬の再会だった。ドラマティックな思い出だ。この町で思い返した中では一番良い思い出かもしれない。ファミリーマートが潰れてからは、何かのNPO団体の事務所になってたように思うが、現在の跡地を確認したら焼肉屋になっていて、外壁はゴツゴツとした岩肌になっていた。なんか意外だった。

平和台駅

駅までの道のり。不動産屋と民家、畑、畑、歯医者、歯医者、塾と牛丼屋、民家、特徴のない風景が続く。この特徴のなさが懐かしかった。相変わらず特徴がない。
地下鉄ということもあってか駅前にも駅前と呼べるほどの盛り上がりはない。地上に出たらすぐ道路の十字路だ。
背の高い建物がない駅前に、塔のようにそびえ立つ建物がある。その建物の頂上にはスーパーマーケットの直方体の看板が天高く掲げられている。
天高く仰ぎ見るライフ。天空のライフは未だに健在だった。

20代のほとんどを過ごした街を改めて振り返り、当時のしょぼい自分たち(元同居人を含めた)と再会する羽目になった。

たまたまこのコラムを書いている間に元同居人から連絡があった。当時大家さんに家賃を振り込む為につくったJA農協の口座に2万円ほどの金額が10年放置されているという連絡があったのだという。家賃の端数が溜まりに溜まってそのまま放置されていたらしい。妙な因果を感じる。

「返ってきたお金は家族のために使いました」過払い金請求のことばかり言う弁護士事務所のラジオCMで繰り返されるセリフだ。あれも妙だ。「家族のために使った」という偽善的な言葉に隠された何かに思いを馳せる。

元同居人と焼肉を食べに行くことにした。足繁く通った元ファミリーマートだった場所にできていた焼肉屋にでも行こうか。懐かしいはずの空間は跡形もなく見覚えのない空間になっているはずだ。「懐かしい」と「入ったことないけど」を複雑かつ存分に味わえるはずだ。

 

著者:神谷圭介

7月30日生まれ、千葉県出身。コントグループ「テニスコート」のメンバー、「画餅」主宰。玉田企画や東葛スポーツ、ブルー&スカイ氏作・演出、犬飼勝哉氏作・演出作品、ケラリーノ•サンドロヴィッチ作・演出『世界は笑う』に出演。コントライブ『夜衝』、テアトロコントなど多数。マレビトの会、ドラマ『庭には二羽』では脚本を担当。https://twitter.com/kamiya_keisuke

 

編集:ヤマグチナナコ(Huuuu)