90年代、奈良盆地に住んでいた私のバンギャル活動
私はビジュアル系バンドが好きな「バンギャル」と呼ばれる部類の人間だ。バンギャルになったのは小学生のころで、全盛期は中高生時代。そのころ、私は奈良県奈良市に住んでいた。
「若いバンギャル」というと、全国のライブを飛び回っている姿を連想されることが多い。だが、私はV系アーティストをCDや映像、雑誌のみで嗜む、今で言う「在宅ファン」だった。当時の奈良にはライブやサイン会が来なかったからだ。
とはいえ奈良は大阪・京都に出やすいので、越県して現場に行く人は山ほどいた。だから「奈良だからしかたなく在宅だった」というのは言い訳かもしれないのだけど、中学生の私には往復1000円以上の交通費が重かったし、門限を破って親と衝突する度胸もなかった。都会への憧れを内に秘め、奈良盆地内での小規模なバンギャル活動にいそしんでいた。
近鉄奈良駅と鹿
当時住んでいた家の最寄駅は近鉄奈良駅。駅周辺は重要文化財のメッカだし、のどかな田園風景が広がっているわけでもない。初めて訪れた人は「それなりに栄えている」と思うらしいが、地元の若者向けの娯楽は圧倒的に少ない。
歴史景観保護のため、新たに造る建築物には高さ制限があるし、地面を掘ると遺跡が出るので地下施設がつくれない。ショッピングビルの建設は難しいし、地下のライブハウスは今後永代にわたって無理だろう。だから地元の若者は「田舎」と感じてしまう。
観光客向け町家風ローソン
とはいえ、そんな奈良でも710年から784年までは、日本の“首都”だったのだ。授業で平城京を習ったとき、「784年に京都(長岡京)に遷都されなければ、今でも奈良が首都だったかもしれない。ラフォーレ原宿も武道館も、奈良にあったかもしれない。なんで遷都したんだ!?!?」と、当時の奈良県民の失態(?)に憤慨し、大仏や名だたる重要文化財を逆恨みした。
そんな罰当たりな私も、奈良公園の鹿のことは当時からかわいいと思っていた。奈良には鹿は神の使いだという言い伝えがある。しかし地元民にとっては、あがめるとか、ものすごくありがたがるという感じではなく「いて当然」みたいな存在だ。
鎖と戯れる鹿様
あまり知られていないが、奈良の鹿は保護はされていても飼育はされておらず、野生動物として生息している。観光客の皆さんは、駅前や商店街に鹿がいると、すごくキャッキャしてくださるが、地元民にとっては日常風景なのでスルーだ。鹿のせいで交通渋滞などの不便が起こることもあるが「まぁ、しかたない(鹿だけに)」みたいなノリで、それもスルー。鹿と地元民は干渉し合わず絶妙な距離感で暮らしている。ちなみに鹿の糞も人間ではなく、フンコロガシが掃除している。
思い出の奈良ビブレ
前置きが長くなったが、私はそんな近鉄奈良駅周辺でバンギャル活動をしていた。活動拠点は駅から走って30秒くらいの「奈良ビブレ」だ。地下にスポーツジムのプールがあり、館内はいつも塩素くさいことでお馴染みのショッピング施設である。
まずバンギャルとして欠かせないバンドのCDは、3階の「ミュージックライブラリー」というCDショップで調達した。「店頭に無いCDは取り寄せます」という張り紙を真に受けた私は、都会ですら入手しづらいインディーズバンドのCDも取り寄せようとした。
店員さんは「難波に行って買え」と思っていたに違いないが、行けるならとっくに行っている。それができないから奈良ビブレに来ている、ということをわかってくれていたのだと思う。けっこう入荷してくれた。
ほかにもビブレには本当に世話になった。4階のヴィレッジヴァンガードではバンギャルのバイブルである楠本まき先生や、三原ミツカズ先生の漫画を買ったし、バンギャル3種の神器トランクや手錠、市松模様のリストバンドなんかも買った。
V系界隈でポップなファッションがはやったときは、地下のギャル系ショップで蛍光色のサンバイザーを買った。好きなバンドマンの香水がわかれば、3階のメンズ服売り場に嗅ぎに行った。V系に所縁のない洋楽は全然わからなかったが、ビブレ館内BGMでよく流れていた、ヴァネッサ・カールトンの「サウザンド・マイルズ」だけは大好きだった。
2013年1月20日奈良ビブレ閉店の瞬間。現在はマンションになっています
商店街で買った洋服をバンギャル仕様に
都会のバンギャルさんがロリータ服やゴシック調の洋服で素敵にめかしこんでいるのを知っていたので、私もバンギャルっぽい格好をするべく近鉄奈良駅周辺を駆けずり回った。
まず小西さくら通り商店街の啓林堂で「KERA!」とか「ゴシック&ロリータバイブル」を入手。誌面の気に入ったロリータ服を参考に、もちいどのセンター街を爆走して、奥にある「大中」で色と形が近い服を素体として買った。
そのままではフリルやレースがついてないので、近くの「糸手毬」という手芸ショップで買って縫い付けた。レースは大量に買うと高いので、ビブレ向かいの「ふじや靴下」で買った婦人用シミーズを解体し、レース部分を切って使ったりもした。
ちなみに私はバンドマンのコスプレの真似事もやっていた。コスプレ用の白衣(※話すと長くなるが、V系バンドはよく白衣やナース服を着る)は、内侍原町の「ノグチ」で購入した。
髪は当時三条通りにあった「美容室DECIDE」(※現在は平城山駅前に移転)で切ってもらっていた。私は毎度、赤やピンクの毛を逆立てたバンドマンの写真をもって行き「これにしてください」と言った。どう考えても無理なのだが、美容師さんは特に無理と言わず「できるだけ近づけるね。逆立てたときにこうなる形に切るからね」と校則違反にならない範囲で寄せてくれていた。出来上がりは黒髪のままで逆立ってもいなかったが、プロの美容師さんが「近づけた」と言ってくれたのだから確実に近づいたと解釈し、大大大満足した。
ペーパー制作で思いの丈を供養
めったにライブに行けない、ファッションも手づくりが限界。そんな私が一番没頭したのが「ペーパー制作」だった。ペーパーとは個人でつくるかわら版のようなもので、ライブレポートやCDの感想、バンドマンの似顔絵なんかを自由に書いてファン同士で配る風習だ。今でいうツイッターに近いのかもしれない。友人間の回し読みが基本だが、人気のペーパー作家さんには熱烈なファンがついたりもした。
A4用紙にバンドへの思いの丈をびっしり書きなぐり、絵などを描き、配りたい枚数分コピーすれば完成だ。ライブに行けない鬱憤はここにぶちまけて成仏させていた。
ペーパーのいいところは何といってもコスパがいいところだ。A3サイズでコピーすれば2枚つくれるので1枚当たりのコストは5円。制作時間はめちゃくちゃかかるし、すさまじい疲労感と達成感があるのに、たったの5円。最高である。
制作に必要なものは近鉄奈良駅から走って10秒のオフィスキングという文房具店で調達した。画材はそろうし、手差しコピーに寛容なのが最高だった。通常コピー機は片面印刷だが、手差しコピーができると紙の両面に刷れる。素人の手差しは紙詰まりを起こすので禁止のコンビニや文具店が多い中、オフィスキングはOKだった。迷惑なことに、実際何度も紙詰まりさせたが、その都度店員さんが直してくれた。私のV系パッションはA4片面に収まる量ではなかったので、両面印刷ができて本当にありがたかった。
今思うと顔から火が出るが、私はなぜかここで刷ったペーパーを前述したビブレの店員さんや美容室の美容師さんにも配っていた。配られた皆さんは「ふ~ん、ありがとー熱心やな~」という感じで受け取ってくれた。
大好きなバンドがツアーで奈良に
バンギャルの奈良コラムだというのに、一つもバンドがらみのエピソードが出てこないまま3000字以上書いてしまったが、なんと2002年5月20日に、当時も今も大好きなディルアングレイが地元のホール、「なら100年会館」に来てくれたことがある。
実際のチケット
地元にディルアングレイが来てくれるなんて夢のようだったが、奈良県民は自分も含めてナマのエンタメに慣れていないので大声を出して盛り上がるのが苦手だ。しかしそんなことで当日メンバーをしらけさせては大変なので、前もって県内のバンギャルたちと奈良公園で決起集会をした。コスプレして鹿と写真を撮ったり、駅前のジャンボカラオケで「大きい声でアンコールを言う練習」なんかをした記憶がある。
2017年に書いたなら100年会館ライブ前おすすめ観光ルート
ライブ当日は、近鉄奈良駅周辺がバンギャルでごった返した。行基の噴水の前で日本各地から遠征してきたコスプレ仲間(普段は文通で交流している)とたむろしていたら、地元のおばちゃんたちに「今日は何かのお祭り?」と声を掛けられた。
「ディルアングレイっていうバンドのコンサートがあるんです!」と答えたら、おばちゃんたちは「ほぉ~~、ふ~~ん」と言って去っていった。私は地元民がV系に興味をもってくれたことがうれしく、「今日の奈良の主役はバンギャルだ!」と小躍りした。
ライブはメンバーが「奈良!!かかってこい!」とあおってくれるたびにうれしくてむせび泣いた。興奮しすぎて記憶が曖昧だし、都合よく美化されてるかもしれないが、メンバーも楽しそうだった(と思う)し、アンコールに2回も出てきてくれた。本当にうれしかった。
ライブ後、どこかで晩ごはんを食べることを計画していたが、会場を出ると周囲の飲食店は軒並み営業終了し、奈良の街は真っ暗になっていた。私は奈良に来た観光客が、奈良ではなく京都や大阪に泊まることを憂いていたが、こりゃ当然だと思った。都会から遠征してきた友人らは「真っ暗なマック初めて見た!」と爆笑。いい感じに笑いを取れたので大成功だと思った。
なら100年会館。画像は2017年のゴールデンボンバー公演時のもの
近年、奈良もいろいろと変化が起きている。私がいたころより近鉄線が便利になり、大阪・京都・神戸にずっと出やすくなっていた。近鉄奈良駅から大阪の西九条ブランニューに乗り換えなしで行けたときは感動したものだ。イオンのような大きな商業施設もできた。学生のころは駅前に行くしかなかったが、車さえ運転できれば、大きな商業施設も巡れる。生活にもまったく困らない。
そして2010年代になってからはなら100年会館のみならず、地元のライブハウスNEVER LANDにもたくさんV系バンドが来てくれるようになった。
奈良NEVER LAND。外観のかわいさ日本一(蟹めんま調べ)
NEVER LANDはつっこみどころが多いライブハウスだ。すぐ裏がでかい川だったり、フロア真ん中らへんに謎の柱があったり、ちょっとの盛り上がりですぐ熱気がこもってサウナ状態になったりと、地方箱ならではの小ネタが満載だ。
極め付きはステージ側の天井の低さで、長身のメンバーはぶつからないように身をかがめたり、天井のヘリにぶら下がったり、ライブ中に懸垂を始めたり、珍プレーをたくさん見せてくれる。V系バンドは普段キメキメな分、激しいギャップにときめきもひとしおだ。これを読んでくれている方の好きなバンドのツアー日程に奈良NEVER LANDが入っていたら、ぜひ参戦箇所に加えていただきたい。遠征する価値はある。
V系界隈では一時47都道府県ツアーなるものがはやってくれたおかげもあり、2017年の秋には3カ月で10組ものV系バンドが来てくれたし、それ以降47都道府県ツアーじゃないときも昔よりずっと多くのバンドがツアー日程に奈良NEVER LANDを加えてくれるようになった。
前述したなら100年会館も同様に、ライブがものすごく増えたと思う。10代のころはバンドマンがライブに来てくれるだけで発狂して喜んだ私だが、最近はそれだけでは飽き足らず「ライブ後は奈良に1泊してくれ」と欲を出すようになった。2日目は近鉄奈良駅周辺を観光して、柿の葉寿司や天理スタミナラーメンを食し、鹿と戯れ、それらの写真をSNSに上げてほしいのだ。
現在私は関東に住んでいるが、奈良でライブがあるときはできる範囲で里帰りしている。2014年にはまたディルアングレイも来てくれた。
2014年のなら100年会館ディルアングレイライブ。大ホールと中ホールのギャップがすごい
愛あるスルーの達人、奈良市民
ここまで書いてきて気が付いたが、私は奈良にいたころ近鉄奈良駅でバンギャル活動を否定されたことがなかった。全面的に肯定もされていなかったが、珍妙なコスプレで商店街や奈良公園を歩いても、美容院でバンドマンの髪型を無茶振りしても、異様な熱量のペーパーを配り歩いても、地元の皆さんにいい感じに「ふ~~ん、元気やな~」とスルーされた。
多感な10代に、地元で奇異な目で見られたり「ださい」とか「気持ち悪い」とか言われていたら、心が折れたかもしれないし、やけっぱちで都会に出て危ない目に遭ったりしたかもしれない。近鉄奈良駅周辺の皆さんは、私のことを奈良公園の鹿と同じように、保護はしつつも飼育はせず、絶妙な距離感で野生のままのびのびさせてくれていた。おかげさまで、20年程たった今も私はバンギャル活動をし、ペーパーの延長のような漫画や、このコラムを書かせていただけている。ほんとうにありがたいことだ。
近鉄奈良周辺の歴史スポット情報は十分世に広まっているので、今回は私の青春の重要文化財のことを書かせていただいた。観光客の皆さん、これからもぜひ、奈良に遊びに来てください。そして欲を言うなら、ぜひぜひ1泊、泊まっていってください。
著者:蟹めんま
漫画家・イラストレーター。大阪芸術大学卒業後、マンション広告の営業、ウェブ制作会社、スーパー銭湯の事務を経て漫画を描き始める。主な著書はバンギャル(V系バンドのファン)が題材のコミックエッセイ「バンギャルちゃんの日常①~④」(KADOKAWA)11月30日発売の「本当にあった笑える話」1月号(ぶんか社)より新連載開始予定。
編集:小沢あや(ピース)