新居に「大家さんがいない家」を選んだ理由とは? 矢部太郎さんの住まいの歴史

矢部太郎さん

お笑い芸人の矢部太郎さん。1階に住むご高齢の大家さんとの交流を描いた漫画『大家さんと僕』は、シリーズ累計120万部を突破。年齢も性別も異なる二人が次第に家族のように心を通わせていく様に、多くの人が胸を打たれました。

しかし、大家さんとの暮らしに至るまでは、階下にライブハウスや居酒屋がある物件で騒音に悩まされたり、過激な自宅ロケが原因で更新を断られたりと、なかなか定着できなかったといいます。今回矢部さんには、そんなこれまでの住まい遍歴と、「大家さんの家」を出たあとの現在の暮らしについてもお話しいただきました。

初めての一人暮らしは「重低音」のするマンション

―― 矢部さんは東京の東村山市出身。20歳で芸人になってからも、しばらくは実家住まいだったそうですね。

矢部太郎さん(以下、矢部):そうですね。一人暮らしを始めたのは、24歳ぐらいのころだったと思います。それまでは実家に住んでいたんですけど、何度か仕事に遅刻してしまったことがあって。それで、仮に寝坊をしてもすぐに都心へ出られる場所に住もうと思い、実家を出ることにしました。考えてみれば、それって遅刻する前提なんですけどね(笑)。

矢部太郎さん

―― 最初に住んだ街はどこでしたか?

矢部:実家がある東村山と同じ西武新宿線の沼袋です。駅から徒歩2分のワンルームマンションでした。家賃は6万円くらいだったと思います。とにかく遅刻をしないよう駅への近さと、あとは家賃の安さを優先したので、間取りや設備にはこだわらなかったですね。だから、住んでから失敗したなと思うことも正直ありました。

―― 例えば、どんな点ですか?

矢部:まずは、床が絨毯(じゅうたん)だったこと。ずっとフワフワしているから、「床」って感じがしなくて落ち着かないんですよ。なんとなく、いつもジメジメしているような気がして、ふと「この絨毯、いつから敷いてあるんだろう」と怖くなったりとか(笑)。

あと、洗濯機置き場がなかったのも不便でした。そんなに頻繁に洗濯するわけじゃないから大丈夫だろうと思っていたんですけど、毎回コインランドリーに行くのって意外と大変なんですよね。洗濯中に知らない人と二人きりになるのも気まずくて苦手でしたし。

それから、一番いやだったのは地下にライブハウスがあったことです。夜の6時くらいになると、重低音がすごくて……。結局そこには2年住んで、更新のタイミングで出ましたね。

矢部太郎さん

―― 沼袋の次はどちらへ?

矢部:次は、さらに都心寄りの新中野です。駅から徒歩2分のマンションでした。少し広くなって、家賃は7万8000円だったかな。前回の失敗をふまえて、床が固いフローリングで、洗濯機も置けるところを選びました。築年数も新しめで日当たりがよかったので、明るい気分になりましたね。前の家はジメジメしていたので、余計に。

―― ライブハウスもないから平穏に過ごせますね。

矢部:でも、今度はその代わりに居酒屋があったんですよ。僕の部屋が2階で、そのすぐ下が居酒屋。最初はお腹が空いたとき、すぐ行けるからいいかなと思ってたんですけど……。

―― そこも、やっぱりうるさかった。

矢部:はい。店内の声や音は聞こえてこないけど、みんな店の外に出てからもけっこう話すんですよ。終電間際の遅い時間に、三本締めの音が何度も何度も聞こえてくる。いったん締めたのにまたしゃべって、何回も「よよよい」ってやってるんです。ちょっと参ってしまい、けっきょくそこも2年で出ました。

室内バイクレースがきっかけで更新できず…

―― 「大家さんの家」にたどり着くまで、何度も引越しをされているんですね。新中野の次は、どんな家でしたか?

矢部:新中野よりも、さらに新宿寄りのマンションです。家賃8万6000円のワンルーム。バストイレ別で、駅から徒歩1分でした。

―― 少しずつ家賃が上がっています。仕事も順調に増えていた時期だったのでしょうか?

矢部:当時は30歳くらいだったと思いますが、日本テレビの『電波少年』に出た後で、同じ土屋プロデューサーの別の番組でレギュラー出演させてもらっていました。

―― 日本テレビの土屋さんといえば、「Tプロデューサー」「T部長」として知られる伝説的なテレビマン。矢部さんもさまざまな企画で土屋さんの無茶ぶりに応えていらっしゃいましたね。

矢部:はい。その土屋さんの番組のロケで、毎回のように僕の家が使われていたんですよ。駅から近くて撮影に便利なので、ほとんどハウススタジオみたいになっていて。

矢部太郎さん

――例えば、どんなロケを?

矢部:僕の部屋を拠点に架空請求の詐欺業者に電話をするとか、外国のあやしい薬を自宅に送ってもらって僕が飲むとか。そういえば、霊媒師のオーディションみたいなことも、うちでやってましたね。番組が勝手に僕の住所を教えちゃうので、突然ピンポンが鳴って上がってくるんですよ、霊媒師が。

あとは、別の番組なんですけど部屋の中でポケバイのレースをしたこともあります。プロのレーサーと僕が競争をするんです、部屋の中で。

―― それは……ひどい……

矢部:それから、部屋が番組の倉庫みたいになってた時期もありますね。

―― 倉庫?

矢部:土屋さんが引越しをしたときに不要品がたくさん出たらしいんですけど、「ヤフオクで売りたいから矢部んちに置かせてくれ」と。一応は番組の企画の一環なんですけど、そんなの絶対に土屋さんが個人的にいらないものを処理しているだけじゃないですか?

ひな人形とか、マッサージチェアとか、ピアノなんかをワンルームに詰め込まれて、寝る場所もなかったです。天井までびっちり物が溢れていて、物と天井の隙間が50cmぐらいしかなかったのを覚えています……。

―― オーナーや管理会社から苦情が来ませんでしたか?

矢部:来ました! 元々オーナーさんは凄く優しい方で、いつも気にかけてくれていたんですよ。最初のころは僕の番組を見て感想をくれたりなんかもして。

でも、さすがにやりすぎだったんでしょうね。ほかの住人の方の目もあるし、「ちょっともう更新は…」と言われてしまいました。エントランスに観葉植物や熱帯魚の水槽が置いてあったりとか、そういう部分も好きで、とても住み心地はよかったんですけど、そこも結局2年で出ることになりました。

「絶対ここに住みたい!」ひと目で気に入った大家さんの家

―― その次に引越したのが、漫画になった「大家さんの家」ですね。

矢部:そうです。とにかく(土屋さんの)物がたくさんあるので、次の家は広いところがいいなと。あとは占いで、「こっちがいいよ」と言われた方角で探しました。別に占いが好きなわけではなくて、当時好きだった女性のお母さんが占い師をやっていて、気に入られたかっただけなんですけど(笑)。結果、条件に合致していたのが「大家さんの家」だけでした。

―― これまでのようにマンションではなく、戸建てですよね。どんな造りでしたか?

矢部:二世帯住宅のような造りで、大家さんが住む1階と僕が間借りしていた2階は玄関も別々でした。2階にトイレもキッチンも全部ついていて、すごく広いんですよ。22畳くらいありました。もちろん、絨毯じゃなくフローリングでしたし、家賃も10万円以内で、そんなに高くない。ひと目で気に入りました。

―― 内見のときが大家さんと初対面だったわけですよね。最初はどんな印象でしたか?

矢部:最初に「ごきげんよう」とおっしゃられて、すごく上品な方だなと。しかも、僕にいい印象をもっていただけたのか、その場で「もし住んでくれたら、余っているウォシュレットをあげるわ。私は使い方が分からないから」と、後付けできるウォシュレットをくださるというのです。そんなものまでついてくるのか……と思って、絶対に住もうと思いました。

矢部太郎さん (c)矢部太郎/新潮社

―― 実際に暮らしてみて、いかがでしたか?

矢部:快適でした。戸建てなので庭があったんですよ。大家さんがいろんな木を植えられていて、季節ごとに花が咲くんです。虫の音も聞こえてきて、地面が近く感じられました。それは、今までのマンションにはなかった良さですね。

部屋自体の居心地もよかったです。ただ、広すぎて持て余しちゃうので、必要ないのに大きい家具を買うようになりました(笑)。三人掛けのソファとか、ダイニングテーブルとか。土屋さんのピアノは最後まで売れず、この家にも持ってきていたんですけど、余裕で置けるスペースがありました。

―― そこでは過激なロケも行われなかったと。

矢部:そうですね。土屋さんの番組が終了したのもありますけど、大家さんの家は広いうえに、わりときれいだったので、若手芸人っぽさに欠けるんですよね。しかも、そこにダイニングテーブルとか、ピアノとかが置いてある。スタッフさんがロケハンに来ても、「なんか違うな」と思われたんでしょうね。

ただ、その代わりにこの間、映画のロケ地になったんですよ。岩井俊二さんが監督をした『ラストレター』です。福山雅治さんが演じる小説家の部屋として使われました。たまたま制作会社に友達がいて聞いたのですが、ロケのしやすい広い家ということで選ばれたみたいです。

大家さんも喜んでくれていましたね。そのときはもう取り壊すことが決まっていたので、映画に残ってよかったねって。

賃貸契約書の「甲」と「乙」を超えた、大家さんとの不思議な関係

―― 最終的には大家さんと家族のような関係を築かれましたけど、引越し当初は、大家さんとの距離の近さに戸惑いもあったんではないでしょうか。

矢部:正直、戸惑いはありました。大家と借主って、賃貸契約書の甲と乙の範囲でしかないドライな関係だと思っていましたから。でも、顔を合わせる度に「お茶しませんか」と誘われるし、帰宅すると「おかえりなさい」と電話がかかってきたりする。正直、最初は嫌でしたね。

矢部太郎さん (c)矢部太郎/新潮社

―― 都内に暮らしていると、ご近所付き合いも希薄になりがちですから驚かれることだと思います。

矢部:そうなんですよ。ただ、あんまりにも会うたびに誘われるので、さすがに申し訳ないかなと思い始めて。当時、僕はあんまり仕事がない時期で暇だったので、一度くらいは行ってみるかとお茶をしたのが始まり。

―― 行ってみたら、心地よかったと。

矢部:そう、楽しかったんですよ。それで、ランチしてお茶して、伊勢丹に買い物に行ってと、どんどん回数が増えていきました。もう、デートみたいな感じですよね。

大家さんは僕がどんな芸人か知らないし興味もなかったので、仕事を離れて会話ができる人がいるのはすごくありがたかったです。

矢部太郎さん

―― 大家さんとのふれあいを通じ、矢部さんの性格や気持ちに変化はありましたか?

矢部:やっぱり、穏やかになったと思います。大家さんといるときは普段の自分のペースを少し落として、自然と大家さんの側に立って物を考えるようになりますから。

それと、以前に住んでたマンションでは隣人が出す音とか下の居酒屋のお客さんの声とかをうるさく感じていたんですけど、大家さんの生活音は全然いやだと感じなかったんですよ。それはたぶん、大家さんと仲良くなったから。知らない人の声や音は鬱陶しいけど、あの大家さんが出している音だったら別にいいやって。

―― 確かに、得体の知れない物音はストレスですね。

矢部:そう思います。だから、マンションでも隣近所の人と仲良くなっておくのは大事なことなのかもしれないですね。顔見知りだからこそ、許せることがあるというか。

考えてみれば、小さいころに住んでいた家はご近所との距離が近かったんです。長屋で、隣同士が連なるタイプの家だったので、隣の人や向かいのおばあちゃんが通りがかりに挨拶してくれました。大家さんの家はそのころの環境に近いものがあって、忘れていた暮らし方を思い出させてくれた気がします。

新居に「大家さんがいない家」を選んだ理由

―― それまで2年ごとに引越しを繰り返してきた矢部さんですが、大家さんの家は長かったんですよね。

矢部:そうですね。9年くらい住んでいました。できれば、ずっと住み続けたかったです。でも、大家さんが体調を崩され、家も取り壊すことになってしまって。

それで、新しい家を探すことになったんですけど、一番の条件は大家さんがいないことでした。

―― つまり会社が管理している物件にしようと。なぜですか?

矢部:やっぱり、前の大家さんと比べちゃったら嫌じゃないですか。それに、新しい大家さん側にも変なプレッシャーをかけちゃうんじゃないかと。すでに『大家さんと僕』の漫画は世に出ていましたから「この人、元大家さんと比べてるんじゃないの? また漫画書こうとしてんじゃないの」とか思わせたら申し訳ないですよね。

―― 確かに、意識してしまうかも。

矢部:だから、いくら間取りが気に入っても「下に素敵な大家さんが住んでますよ」とか言われるとピキーンとなって、違うところにしてくださいって(笑)。管理会社がやっているマンションで、なおかつ管理人さんが3人くらい交代制で回しているところがよかったんです。一人に思い入れや負担がいかないように。変な条件で不動産屋さんも困ったと思いますけどね。

矢部太郎さん

―― でも、それだけ大家さんへの思いが深いのだと感じますし、とても矢部さんらしいと思います。ちなみに、現在の家の住み心地はいかがですか?

矢部:とても暮らしやすくて、気に入っています。築年数は古いんですけど、部屋の中はリノベーションされていてキレイですし、意外と管理人さんや住人同士の交流もあるんです。

この間、隣に住んでる大学生の子が、マンションの共用ロッカーの鍵を忘れて困ってるところにたまたま通りかかって、鍵を貸してあげたんですよ。そしたら、翌日僕の部屋のドアノブにみかんの入った袋がかかっていたりとか。

―― 住人同士顔も知らないというマンションも少なくないと思いますけど、それはすごいですね。

あとは、なんといっても鉄筋コンクリートはあったかい! 大家さんの家は木造で、暖房の効きも悪かったから寒かったんですけど、今の家は冬も快適。さんざん大家さんとの交流を描いておいて申し訳ないんですけど、今はマンションに惹かれている自分がいます(笑)。

でも、一つ共通点があるのはリビングがすごく広いところ。その点だけは、前の部屋に似ているから選びました。だから、今も少しだけ、大家さんちの2階にいるような感じがするんですよ。

お話を伺った人:矢部太郎(やべ たろう)

矢部太郎さん

1977年生まれ。お笑い芸人。1997年に「カラテカ」を結成。芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。初めて描いた漫画『大家さんと僕』で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。

Twitter:@tarouyabe

取材・執筆:榎並紀行(やじろべえ) 撮影:加藤岳 編集:はてな編集部