
人生6回目の引越し先に選んだ街
もうすぐ31歳になる。ぬるっと年を重ねて、いまだに足が地につかない暮らしを続けている。これまでの人生で引越した回数は7回。転勤族の生まれではないので、しっかり物心がついた後、自分の意思で引越した回数だ。地元がある石川から、大阪、東京、そして長野。人に話すと驚かれることが多いから、同年代のなかでは少し多いほうなのかもしれない。
今回話すのは、わたしの6回目の引越しについて。2018年の春、社会人1年目から過ごした東京を離れ、長野県上田市に移り住んだ。心機一転で挑んだ移住というより、いい本屋があったので引越しちゃいました、というくらい、ふわっとした感覚だったことを覚えている。

上田市は、長野県で長野市、松本市に次ぐ3番目の規模の都市。新幹線に乗れば、東京へは1時間半で着いてしまうくらいアクセスがいい。駅前には広いロータリーがあり、周辺には飲み屋さんやお土産屋さんが点在しているので、田舎風景を想像して訪れる人間はちょっとびっくりする。
ミーハーな紹介をすれば、NHK大河ドラマ『真田丸』や、細田守監督の名作『サマーウォーズ』の舞台になった街でもある。

上田の夏祭り「上田わっしょい」の様子。自治会や学校、企業などさまざまな団体が参加する盆踊りも有名
そんな上田という街は、生まれ育った故郷でも、親戚や知人が暮らす場所でもなく、文字通り「縁もゆかりもない街」だった。そんな街にはじめて足を踏み入れたのは、引越しを決める数カ月前のこと。当時、わたしは東京の出版社で、月刊誌の編集者として働いていた。自分がやりたくて選んだ仕事だったし、やりがいはとても感じていたけれど、昼も夜もない生活を4年近く続け、精神的にも体力的にも限界を迎えていた。ある時、30代までは無理だな、とあっさり退職することを決めた。担当した最後の特集は「本屋さん特集」。いくつか気になっていた本屋をリストアップして、取材に訪れたひとつが上田市の「NABO(ネイボ)」だった。
雑誌の取材からはじまった移住計画
NABOは、上田市を拠点にするオンライン書店「バリューブックス」の実店舗として営業しており、文学やエッセイ、アートブックに哲学書など、ジャンルさまざまな本が並ぶ。古民家を改装した2階建ての店内には、北欧家具が並び、幅広い年代のお客さんが飲み物を手に、思い思いの時間を過ごしている。
それまでお気に入りの新刊書店はいくつかあったものの、古本屋にはブックオフや、昔ながらの古書店くらいしかなじみがなかった。おしゃれな空間で、耳心地のいいBGMが流れて、スタッフは皆ほのぼのと愛想がよく、次々と手に取りたくなる本が棚に並ぶ古本屋は新鮮だった。

バリューブックスの実店舗「本と茶 NABO」

現在は新刊と古本の両方を扱っている
この時の取材では、当時広報を担当していた原さんに、実店舗以外にも、メインの倉庫や移動型書店のブックバスも案内してもらった。「毎日約1万冊の買い取れない本が出るんです」と、倉庫でコンテナいっぱいの本も見せてもらう。買い取れない本はリサイクルされるが、本の形のままなるべく活用したいという思いから、近隣の保育園や小学校、福祉施設に寄付しているそう。地方の本屋さんがそこまでするのか、と驚いた。

移動型書店「ブックバス」。金土日の週末は下北線路街「ののはら広場」に停車中
移動中の車内で雑談しながら、原さんが「うちも今、編集者募集してるんですよー」という。わたしはすでに退職届を出した身。転職先も決まっていない。「じゃあ応募しようかな(笑)」なんて冗談めかしてしゃべっていた。
その後、近くの古本屋「コトバヤ」や、築100年の歴史をもつ映画館「上田映劇」などを案内してもらった(原さんは映劇の理事も務めている)。上田映劇はもともと街にいくつもあった映画館のひとつで、ハリー・ポッターやジブリ作品など、話題作を上映していたが、定期上映は2011年に終了。2017年にNPO法人 上田映劇が運営するミニシアターとして再開した。レトロで雰囲気のある館内、そして入口に設置された「雷門ホール」の看板が印象的だった。浅草を思わせる光景の理由は、映画『青天の霹靂』で使われた美術セットをそのまま残しているからだという(現在は老朽化から撤去済み)。

100年の歴史をもつ「上田映劇」


オリジナル手帳を購入すると鑑賞した作品のハンコを押してもらえる
夕方になり、予定していた新幹線の時間が近づく。駅まで送ってもらいそのまま解散となった。「いい街だったな」と、東京へ戻る新幹線で思った。これまで取材でいろんな街へいったが、本屋や映画館など、自分が日常的に利用するようなお店を巡ったのは初めてで、「暮らすイメージ」を自然と想像している自分に気が付いた。

NABOの庭で焚き火をした日
その後、無事記事を仕上げ、校了。引き継ぎ作業を行い、最終日には同僚たちに花束をもらったりなんかして、4年弱勤めた職場を退職した。いよいよ無職である。転職活動はもちろんしていない。1カ月目は春休みだと思ってだらだら過ごし、2カ月目に原さんに連絡した。「編集者ってまだ募集してますか?」
面接らしい面接はなく、履歴書的なものを提出したあとは、東京でバリューブックスの社員に2回会い、コーヒーを飲みながらいくつか話をして、気づけば上田の会社に入社が決まっていた。2カ月の無職期間を終え、なんとか社会復帰。そして、私は軽やかに引越しをした。

私が上田を好きな理由
本屋と映画館がある! という軽い気持ちで移住を決めたが、いざ住んでみると、なるほど居心地がいい。上田の暮らしで気に入ったところを挙げてみる。
天気がいい
圧倒的な理由のひとつ、天気の良さ。北陸のよどんだ気候のなかで生まれ育った私は、来る日も来る日も、晴れの日が続くことに歓喜した。調べてみると、実際に日照時間の長さはトップクラス。洗濯の時間が好きになった。
眺めがいい
山に囲まれた立地は、なんといっても眺めがいい。仕事で疲れた時も、運転中ふと窓の外をみると自然が広がっている。休みの日に千曲川沿いを散歩するのも、心地いい時間だった。

家賃が安い
当たり前だが、家賃が圧倒的に安い。借りた部屋は50平米、駐車場付きで4万円。東京ではワンルームの部屋すら借りるのが難しい金額だ。車の維持費を加えても、生活面はかなり楽になった。
東京へのアクセスがいい
冒頭でも書いたが、新幹線が通っているので、1時間半で東京まで出られる。ちなみに故郷の金沢へは逆方向の新幹線にのって、やはり1時間半。都心や地元に気軽に遊びに出られるのはかなり大きなメリットだった。
温泉が多い、安い
長野県には温泉地が多く、老舗旅館も多い別所温泉では、無料で利用できる足湯や、150円から入れる日帰り温泉が楽しめる。

スーパーが充実
おなじみ長野県のローカルスーパーの「ツルヤ」は、とにかく品ぞろえがいい。野菜がでかい。ジャムやお菓子に冷凍食品までリピートしたくなる商品が多数。テーマパーク並みに楽しい。
アウトドアが楽しい
BBQまでとはいかなくとも、外で気軽にごはんを食べれるのはいい。コロナ自粛で外食できなかった時は、職場の庭や河原で、お米を炊いたり、スープを煮込んだり、友人とアウトドア料理を研究して楽しんだ。

はじめて手にした“自分の車”
いいところをたくさん挙げたが、逆に困ったこともあった。気軽にお酒が飲めないことだ。移動手段が電車から車に代わり、仕事終わりにふらっと居酒屋へ寄って帰る、みたいなことのハードルが高くなった。そういう時は、代行を使って帰るか、車を置いて40分かけて歩いて帰ったりした。とはいえ、車社会がめんどうかといえば、むしろすこぶる快適だった。
まず、車があることで、出かけるハードルはぐっと低くなった。好きな音楽やラジオをかけながらのドライブは楽しく、休みの日は上田を抜け出し、牧場へ行ったり、山へハイキングに行ったり、大好きな温泉巡りをしたりした。なにより電車の時間を気にする必要も、ぎゅうぎゅうに詰まった車両にさらに押し込まれることもなくなった!

車で1時間ほど走った先にある美ヶ原高原
はじめて手にした“自分の車”は、弟から引き継いだ、ホンダのストリーム。やんちゃな男性がこぞって乗りそうなその車は、古着のワンピースを好んで着る(当時)26歳の女には不似合いだった(ちなみに弟が大学の入学祝いに中古で買ってもらったその車には、HDD付きのカーナビがあり、前の持ち主が好んで聞いていたのであろう、倖田來未の曲が保存されていた)。
愛着のない車で慣れない運転の日々に、私はよく車をぶつけていた。狭い通路の壁に、駐車場の発券機に、人の車に(事故処理しています)。修理に出すのも億劫で、数年後に乗り換える頃にはフロントはガムテープまみれになっていた。NABOの駐車場に停めたままの車を見て「車、いたずらされてましたよ」と優しく教えてくれた友人。ごめんなさい、それは私が貼ったガムテープです。

ストリームとのお別れの時。正面からの写真は探したけれどなかった(愛着がない)
ひとりもいいけど、できれば誰かと食べたい
上田には、映えるスイーツが自慢のカフェや、夜通し賑わう大衆居酒屋はないけれど、一癖も二癖もある、味のある店は多い。しかもどこもやたらと量が多い。上田へ越してきてからあっという間に顔が丸くなった理由はそこにありそうだ。
お昼ごはんに悩む時は、「ジャイプール」のカレー、「kadokko」の季節のピザ、「美華」の酢豚、「檸檬」のラーメンあたりがよく候補に挙がる。同僚との飲み会には「とりみつ」のもつ鍋が欠かせないし、特別な日には「Fika」でナチュラルワインを楽しみたい。どこもNABOを拠点に歩いていけるから最高だ。

「美華」で迷ったら必ず注文するのは酢豚ライス

自粛で気軽に外食に行けなかった時、「Fika」のワインと「kadokko」のピザをテイクアウトして河原で食べた
上田のローカルグルメといえば、「日昌亭」のあんかけ焼きそばが有名。かた焼きそばの上にたっぷりの野菜とチャーシュー、錦糸卵が美しく盛られている。別添えのからし酢をかけて食べると、なんともまあ、これが癖になるおいしさ。ただ、人気店なのでタイミングが悪ければ振られることも多い。

いつも行くのは「日昌亭支店」のほう。本店は少し味がちがうらしい
しかし、私にとっていちばんのローカルグルメは、上田駅温泉口を出てすぐにある、タイ料理店「ス タイストア」だ。上田でしか食べれないどころか、まるきりタイ料理である。プレハブのような外観に、ゆるい看板がたまらない。ひとりもいいけど、できれば誰かと食べたい。なぜなら量がすごく多いから。というわけで、県外からの友人が上田へ遊びに来たら、決まって案内する場所のひとつになった。少なくともこれまで6人は連れ込んでいる。

傾いた文字がかわいい
店員さんは(たぶん)本場タイの方で、お客さんも(たぶん)タイ人が多い。店内に飛び交うタイ語が心地いい。昼間は混み合うが、時間をずらしていけばスムーズに入れることが多い。そして毎回注文に悩む。10ページ以上にわたるメニューを広げ、端から端まで吟味する。その結果、大体麺類かガパオになる。タイ風ラーメンは数種類あるが、見た目よりあっさりしていて食べやすい。ガパオライスは、備え付けのスパイスで好みの辛さを調整しながら食べる。鍋で出てくるトムヤムクンも大好きなのだが、2人でも多いくらいの量なので頼むのは躊躇する。
ビールが飲みたい時は、隣接する売店(タイの食料品が売っている)の冷蔵庫から勝手に持ってきて、お会計時に空き瓶を見せてまとめて支払う。入店時にシステムの紹介があるわけではないので、ほかのお客さんがそうしているのを見て真似をした。店では、たまに知り合いとばったり遭遇することがある。そんな時は同じテーブルに移動して、ひとりでは食べきれない量の料理や、食べたことのないメニューにチャレンジできるからラッキーだ。

ひとりでも注文しやすいタイ風ラーメン

絶対にひとりじゃ食べきれないトムヤムクンとチャーハン。日本にいることを忘れる味
上田の“行きつけの飲み屋”
わたしはお酒が大好きなのだが、住んでいた家は、駅前の繁華街から車で10分ほどのところにあったので、飲み歩くには不便だった。行きつけの飲み屋をつくることができないまま、アパートの二度目の更新を前に上田を離れることになった。どうせ引越すのだからと、退去日が決まってから、近所で気になっていた居酒屋「小町」に行ってみることにした。中の様子がうかがえず、恐る恐る扉を開けると、「いらっしゃい! ひとり? 女性のひとり飲み大歓迎よ〜!」とママが明るく迎えてくれた。
入ってみるとカウンターだけの小さな店内で、数名の常連客がいた。まずはビールを注文し、そして何かつまみでも……と思ったがメニューがない。「これ好きなの食べて!」と空のお皿を渡される。鰹のたたきや、焼き鳥、ふきの煮浸しなど、カウンターに並んだ料理はすべて「お通し代500円」に含まれるらしい。しゃべりながらも次々とつくっては出してくれる。コスパがいいどころの騒ぎではない。

常連さんたちは両親くらいの年代の人が多かった。嫌な顔ひとつせずに迎え入れてくれ、ほどよい距離感で接してくれる。ビールを飲み干すと、隣のおじさんが自分のウイスキーボトルをついでくれた。終盤には、とろろごはんが出てきて、あまりのおいしさに二杯食べた。3時間ほど滞在して、その日の会計は1100円だった。「来てくれてうれしい、また来てね!」と、繰り返しママが言うので、その後、引越すまでの1カ月の間に3回通った。「今日が最後になりそうです」と話して過ごした日には、「次来てくれたら、飲み代は永久無料! ホテル代もだす!」とまで言ってくれた。さすがに冗談だと思うけど、優しさに笑ってしまった。結局、その日以来、“行きつけの飲み屋”には顔を出せていない。

常連さんたちに愛される看板猫のキュウちゃん
とにかく私はこの街に4年住んだ。そして今は、上田から車で片道1時間の距離にある松本市に住んでいる。しかし、職場は変わらず上田にあるので週1〜2回の頻度で通いながら、休日も誰かに会いたくなったら上田へ行く。つい最近も、上田映劇で「RRR」の応援上映をひとりで観賞して、あまりの面白さに感動を共有したく、終わったその足でNABOに向かい、カウンターで締め作業をしている友人たちに興奮を吐き出した。監督の顔がプリントされたうちわを持って、鼻息荒く現れた私の姿は滑稽だったに違いない。
いつか8度目の引越しをするとして、それでも私は、しつこく上田に通い続けるだろう。帰る家こそないけれど、もうしばらく、この街と付き合っていくつもりだ。

著者:北村有沙

1992年、石川県生まれ。ライフスタイル誌の編集者を経て、長野県上田市の本屋バリューブックスで働く。暮らしや食、本にまつわる記事を執筆。趣味はお酒と映画とラジオ。保護猫2匹と暮らしている。 Instagram:@ar_ktmr
編集:岡本尚之
