異国情緒あふれる長崎の街が恋しくて つばきファクトリー・福田真琳の出発点

取材・編集: 小沢あや(ピース株式会社) 構成: 結井ゆき江 撮影: 曽我美芽

つばきファクトリーの福田真琳さんは中国・上海で生まれ育ち、小学2年生から長崎に移り住みました。バレエをきっかけに舞台の世界に憧れ、17歳で「つばきファクトリー」へ加入。その後は上京し、レッスンやコンサートに励む日々を送っています。

今回は福田さんに長崎で思い出深い場所や、ホームシックになったときに励みになった郷土料理についても伺いました。

手遊び歌「でんでらりゅうば」のオルゴールが出迎える長崎空港


―― 福田さんは今もよく長崎へ帰省されていますよね。東京ー長崎間の飛行機移動は大変じゃないですか?

福田:幼いころから飛行機移動が多かったので、慣れているんです。それに、高齢の祖父母が実家で一緒に暮らしているので、たくさん会いに帰りたくて。もちろん気軽に帰れる距離ではないので、まとまったお休みがないと難しいですが、福岡でライブをするときは地元に帰っています。長崎空港で、手遊び歌「でんでらりゅうば」のオルゴールBGMを聴くと「帰ってきたな」と実感が湧くんです。

―― 小学2年生までは上海に住んでいたそうですね。長崎へ引越してきて、街の印象やそれまでの暮らしとのギャップはありましたか?

福田:長崎の自然豊かな土地柄が新鮮で、楽しく過ごせました。「上海の都会的な街並みと長崎、両方が体験できるなんてお得だな」と思いましたね。長崎は他県に比べると、オランダや中国の文化が残る異国情緒あふれる地域で、独特の文化があります。そこがとても魅力的に映りました。

―― 当時はどういうところで遊んでいたんですか?

福田:週末は習い事をしていたので遊びに行く機会は少なかったのですが、中学生のころは「長崎交通公園」でゴーカートをしていました。高校生になってからは、よく佐世保のショッピングモールに行きましたね。「させぼ四ヶ町商店街」や、当時「ダイジャス」と呼んでいた「イオン大塔店」でプリクラを撮って。私はキッズ携帯しか持っていなかったので、SNSではやっている場所にはうとかったんです。だから学校の友達から教えてもらっていました。

―― つばきファクトリーのオーディションのときに着たお洋服など、勝負服は、どこで買っていたんですか?

福田:オーディションのときは、当時お世話になっていたバレエの先生からいただいたおさがりを着て行ったんです。普段は制服で過ごすことが多かったから、あまり服を持っていなかったんですよね。たまに買い物をするときは佐世保エリアやダイジャスでした 。

ハロー!プロジェクト好きの姉に推されてアイドルに


―― 福田さんはバイオリンやバレエなどをされていたそうですね。クラシックの世界から、今はアイドルに。舞台に立つお仕事に憧れたきっかけは?

福田:発表会で、「アルカスSASEBO」の舞台に立ったことですね。有名なアーティストが長崎でライブをするときにも使用される施設なんです。私は「アルカスSASEBOジュニアオーケストラ」にも所属していたので、本当に思い出深い場所です。ここで舞台に立つ楽しさを学びました。周りにはダンススタジオもたくさんあって、習っている友達もいましたし、舞台に憧れる同世代が多かったと思います。

―― 福田さんがオーディションを受けたのは、ハロー!プロジェクト好きのお姉さんから勧められたからだそうですね。

福田:そうです。自分からオーディションについて調べるタイプではなかったので、芸能活動は私にとって未知の世界で、新しい挑戦でもありました。当時は学校のパソコン室で友達の好きなアイドルの動画を一緒に見るくらいで、あまり知識がなかったんです。

でも、バレエを真剣に習っている私の姿を見て、姉が「真琳の強みを活かせる場所だから!」と「ハロー!プロジェクト」のオーディションを勧めてくれたんです。ちょうど、姉の通う大学がコロナ禍でリモート授業になり、帰省していたときでした。

―― オーディションに合格した後、地元のお友達の反応はどうでしたか?

福田:私は交友関係が狭いタイプなので、最初は一部の近しい友達しか気付きませんでした。そのうちハロー!プロジェクト好きの同級生が気が付いて、そこから一気にうわさが広まっていきました。でも、みんな騒がずにそっと見守ってくれましたね。おかげで学校生活に影響もなくて、ありがたかったです。

―― その後、しばらくして上京。初めての東京生活はどんな心境でスタートしましたか?

福田:舞台に立つことが大好きなので、オーディションに合格したときはうれしい気持ちと未来へのワクワクした期待感しかなかったんですけど、いざ上京するとそういう感情だけでは乗り越えられない壁がたくさんありました。

何でも自分でやらなくちゃいけなくなったし、転校もしたので、ホームシックになったんです。これまでずっと家族に支えてもらっていたことを改めて実感しました。そういう時には、母が私の大好きな長崎名物を段ボールに詰めて送ってくれたので、励みになりましたね。

―― お母さまからの荷物には、何が入っていたんですか?

福田:長崎ちゃんぽんや、佐世保名物のレモンステーキのたれ、チョーコーの「かけぽん」、緑屋本店 の「うまくち醤油」ですね。やっぱり、私は九州の甘口醤油が好きなんです。実家から送られてきた食材を使って、長崎の料理をよくつくりました。やっぱり東京と長崎だとスーパーの品ぞろえも違って、親しんだものが手に入らないことも多かったんです。

長崎では「エレナ」で、ちゃんぽんのたれやちゃんぽん麺をよく買っていたんですけど、東京ではそもそもちゃんぽん麺が売ってないんですよ。県民としては衝撃でしたね(笑)。スーパーや長崎新地中華街で見かける「麻花兒(まふぁーる)」という、ねじねじひねったお菓子も見かけなくて、寂しかったです。

帰省時には「くらわん館」で波佐見焼の魅力を堪能


―― 帰省したとき、よく立ち寄る場所はどこですか?

福田:波佐見町にある観光物産館「くらわん館」ですね。波佐見焼の器がたくさん売られている場所で、帰省する度に立ち寄ります。メンバーの誕生日に波佐見焼をプレゼントすることが多いので、それぞれのイメージに合う器を探すのが楽しいんです。

―― 福田さんご自身も、波佐見焼の食器をよく使うんですか?

福田:日常的に使っています。私は抹茶をたてるのが好きなのですが、抹茶椀も波佐見焼のものを使っています。もちろん、実家の食器もほとんどが波佐見焼。小学校の授業参観で、親と一緒に波佐見焼の絵付け体験をしてから興味を持ちました。波佐見焼は割れにくいので、長崎の学校では給食用の食器としても使われているんです。食器を大切に扱う教育がすてきだなと思います。

―― YouTubeチャンネル「つばきファクトリーのhappyに過ごそうよ」では、つばきファクトリーの同期・八木栞さんと一緒に、くらわん館を訪れていましたね。

福田:そうなんです。ろくろと絵付け体験をしてきました。皆さん、波佐見焼というと古風な絵柄の器を想像すると思いますが、今はムーミンなどのキャラクターとコラボしていてかわいい器も多いし、タンブラーやお醤油入れもあるんですよ。

―― 八木さんとは、くらわん館以外にもどこかへ立ち寄ったんですか?

福田:波佐見町にあるカフェ「モンネ・ルギ・ムック」に行きました。ちょうど波佐見焼の食器を使うキャンペーン期間中で、すてきな器でごはんを楽しめたんです。家族と一緒に波佐見町に行ったときは「氷窯アイス こめたま」や「アルブル モンド」に立ち寄りました。「アルブル モンド」は、バターチキンカレーがすごくおいしいんですよ。波佐見町は個人経営のお店がたくさんあるので、非日常感が味わえる素敵なスポットです。

―― ほかにも、長崎にいたころによく行った飲食店は?

福田:家族でお祝い事があるとよく行ったのは、「和風茶屋 里仙」ですね。長崎は海に面しているので海鮮料理がおいしくて、とくに、里仙の「いか活造り」は絶品です。

そしてお祝い事のケーキはいつも「ララフィール」で買っていました。洋菓子店「赤い風船」の「サンケーキ」も有名で、ドーナツ型のケーキに粉砂糖がたっぷりかかっているんです。すごくおいしいんですよ。系列店の「I'm LILY(アイムリリー)」も唯一無二の味で、お土産にすると喜ばれますね。
おやつだと「草加家」の「かんころ餅」も大好きで、母とよく買いに行きました。そのまま食べてもおいしいんですけど、オーブントースターで焼いて食べるのが好みです。

年パスで通った「ハウステンボス」の思い出


―― 長崎といえば、「ハウステンボス」。福田さんは年間パスポートを持っていたそうですね。

福田:小さなころからよく遊びに行ってました。ハウステンボスは、季節ごとにさまざまな催し物があるんです。カラフルな花が楽しめるチューリップ祭や、仮装するとお菓子がもらえるハロウィーンフェスティバルなど、印象に残っています。わが家は季節行事を大切にする家庭だったので、夕方から母と一緒に行ったり、同じく年パスを持っている友達と遊びに行ったりしました。

―― ハウステンボスで四季を感じていたんですね。福田さんといえば動物好き。長崎でおすすめの動物園は?

福田:この間帰省したときは西海市の「長崎バイオパーク」へ行ったんですけど、到着したら閉園時間が近かったので、隣にある「ペットのふれあい広場PAW」で遊びました。佐世保市エリアだと、「九十九島動植物園 森きらら」にもよく行きましたね。遊覧船にも乗れるんです。

―― 動物だけでなく、海も楽しめるんですね。学校の行事でもさまざまな施設に出かけたかと思います。とくに印象に残っている場所は?

福田:長崎は平和教育に力を入れているので、小学校高学年以降は「長崎原爆資料館」を訪れる機会が増えました。訪れる年齢によって、いつも感じ方が変わる場所です。幼いころは「怖いな」と思うだけでしたけど、成長するにつれて平和の大切さを学ぶ場所に変わっていきました。最近は外国人の方も訪れているのを見かけます。

私もせっかく芸能活動をしているので、長崎出身として平和の大切さを発信できたらいいなと思っています。

長崎での単独コンサートを夢見て 差し入れも研究

―― 九州でライブを行う際に、楽屋に持っていく差し入れは何ですか?

福田:知り合いの和菓子屋さんにお願いして、長崎の五島にある「玉之浦(たまのうら)椿」の形のオリジナルのねりきりをつくってもらって持って行ったことがあります。つばきファクトリーに加入してから、玉之浦椿に惹かれるようになったんです。

あと、毎回持っていくのは「九十九島せんぺい」です。ピーナツが入っていて素朴な味わい。オーダーメードするとオリジナルの絵や文字が入れられるらしいので、今度試してみようかなと思っています。

―― 差し入れもオーダーメードで! おもてなしの気遣いがすてきです。地元から東京に戻るとき、長崎空港で必ず買うものはありますか?

福田:岩崎本舗の「ながさき角煮まんじゅう」ですね。空港のお土産屋さんで蒸したてを購入できるんです。飛行機に乗る前に買って、搭乗したら食べます(笑)。

本当においしくて、岩崎本舗を見かけるたびに買っていますね。2021年のハロー!プロジェクト・コンサート「続・花鳥風月」で長崎公演をしたときには、岩崎本舗さんから差し入れをいただいたこともありました。

―― 地元・長崎公演の思い出は?

福田:加入したてでしたし、コロナ禍でコールが解禁されていなかったんです。だから長崎でライブコールを体感したことがないんですよ。長崎はまだまだハロー!プロジェクトの存在があまり届いていないように感じるので、いつかリベンジコンサートがしたいですね。

つばきファクトリーのメンバーと、いつか五島でお仕事を


―― インタビューを通して、福田さんの長崎愛が伝わってきました。今後、地元でかなえたい夢は?

福田:長崎でたくさんお仕事がしたいです。地元紙で取材を受けると、学校や習い事の先生、それに地元のお友達から連絡が来るので、やっぱりうれしいです。

いつかつばきファクトリーとして「アルカスSASEBO」の大ホールを埋められるくらいのライブをして、みんなを招待したいです。

―― 「アルカスSASEBO」は福田さんにとって原点となる場所ですもんね。

福田:そうですね。あと、『ひるじげドン』(長崎国際テレビ)のキャラクター「ながさき犬ちゃん」にもお会いしたいです。独特な声で長崎弁をしゃべるので、ユニークなんですよ。

あとはやっぱり、椿が有名な五島で、つばきファクトリーとしてお仕事をするのも夢です。つばきファクトリーに合格してから長崎の県木が椿だと知って、個人的にご縁を感じていて、今年の4月には、五島列島の一つである「福江島」で、長崎の椿をたくさん見てきました。

―― 上京後も、長崎のいろんなところを旅しているんですね。

福田:地元だと、なかなか王道の観光地って行かないものなんですよね。先日は、「長崎新地中華街」に初めて行きました。ファンの方におすすめの場所を聞かれる機会が増えたので、いろんなところを巡りたいなと思っています。これからも長崎の魅力を発信し続けたいです。


お話を伺った人:福田真琳

2004年10月18日生まれ。中国・上海で小学2年生まで暮らした後、長崎で育つ。2021年7月7日につばきファクトリーへ加入。同期加入のメンバーと共に「リトルキャメリアン(リトキャメ)」と呼ばれる。2024年8月にはつばきファクトリーとして12thシングル『ベイビースパイダー/青春エクサバイト/鼓動OK?』をリリースした。

構成:結井ゆき江 撮影:曽我美芽 取材・編集:小沢あや(ピース株式会社