京阪、水辺に、菊人形。ちょうどいい街、枚方の街。

著: 西山瞳 

枚方市は、ちょうど良い街です。

田舎すぎず、都会すぎず、大阪に出るのも京都に出るのも同じぐらいの時間で、車だと、奈良もそんなに遠くないです。神戸については聞かないでください。

私はこの枚方で、幼少期から27年間過ごしました。20歳からジャズ・ピアニストとして活動し、26歳でメジャーデビューして、28歳のときに東京に引越したのですが、関西で演奏することも多いので 、今も度々枚方に帰っています。

2022年12月。枚方市駅北口ロータリー

枚方市は大阪府の北東、京都府との境の淀川左岸に位置します。時々、私の関西弁を聞いた他の地域の方から「京都出身ですか?」と聞かれることがあるのですが、位置的に若干京都の喋り方と混ざっているのかもしれません。大阪の都会の方と比べ、おしゃべりのテンポ感は少しゆっくりしています。

ひらかたパークと京阪電車、この二つは枚方の住民から絶大な信頼を得ており、わりと不思議なぐらい、地元の人はひらかたパークも京阪電車も好きで話のネタにします。

京阪電車の車両の乗り心地、運行の安定性、特急なのに特急料金がかからないこと、ダブルデッカー(2階建て車両)やテレビカー(現在は引退)、プレミアムカー(指定席車両)も、自分のことのように自慢してくると思います。 私より上の年齢の人は「技術の京阪」とも言いますね 。私もツアー中に、共演者をプレミアムカーに乗せたり、ダブルデッカーに乗せて得意気になったことが、一度や二度ではありません。

まあ悪いことは言いませんので、一度乗ってみてください。

ダブルデッカー=2階建て車両。特急料金は不要で、旅行気分を味わえます

小中学校のときの私の行動範囲は、牧野〜楠葉(くずは)近辺でした。

牧野駅の近くには、片埜神社という古い神社があります。

初詣や十日戎のときは門からあふれるほどの人だかりですが、普段は本当に静かで、樹齢の長い木に囲まれ、葉音と少し湿った空気とともに、ひそやかに存在しています。この息遣いは、私が子どものころと変わらない。おそらく、その前も、できたときから、ずっと変わっていないのでしょう。

拝殿

南門

樟葉駅東側は、私の子どものころから随分と変わりました。

樟葉駅は「樟葉」と書きますが、周辺の地名は「楠葉」、漢字が違います。この辺りは、1960年代後半に大規模に宅地開発され、大阪にも京都にも行けるベッドタウンとして居住する人が急激に増えました。その一環で、樟葉駅には急行が停まるようになり、デパートの松坂屋や放射状のショッピングモール「くずはモール街」ができて、たくさんの人が住む栄えた街になりました。くずはモール街の中心にはD51型SLを置いた「汽車の広場」があり、モール内には色んな小さなお店も入っていて、楽しかったですね。松坂屋の3階のエレベーター付近にある喫茶店で、ミックスジュースを飲むのが楽しみでした。

現在は、「くずはモール」という大きなショッピングモールに生まれ変わり、とても近代的な駅前になりました。ロータリーと噴水のある駅前広場も整備され、バスや車の動線もスムーズです。

大きく景観の変わった樟葉駅東側に対して、樟葉駅西側の景色は昔とほとんど変わらず、戻ってくる私を出迎えてくれます。

この樟葉駅は、淀川の左岸堤防沿いに位置しており、外周の壁がないのがとても良いです。

駅のホームに立つと、堤防の一部に溶け込んだ気分になります。

淀川対岸にある天王山が見え、晴れた日は、空の青と山の緑、堤防の開けた光景が見えます。東京から戻ってくると、自然がいっぱいのふるさとに戻ってきたなと思いますし、地方公演から戻ってくると周囲の近代的な駅前風景に、都会に戻ってきた感じがします。先に述べた「田舎すぎず、都会すぎず」は、枚方の中でも樟葉駅で一番実感できるのではと思います。

高校時代、枚方市駅から少し北の淀川沿いの高校に通っていたもので、普段の長距離走もマラソン大会も淀川河川敷を走っていました。今、この付近には関西医科大学附属病院が立ち、その隣に2021年に開館した枚方市総合文化芸術センターというとても立派なホールが立っています。今年4月に同ホールでコンサートをすることもあって、打ち合わせのために行ってきましたが、テラスに緑を多く植え、ホールに入ると板張りの床に石造りの壁。外からの光も入るように設計され、自然と調和した空間設計が、とても素敵です。

テラスに沢山緑を植えた枚方市総合芸術文化センター

打ち合わせに来たついでに、ホールの裏から、高校時代、体育の授業のマラソンで走っていた淀川河川敷に出てみました。

この景色は全然変わらなくて、変に綺麗になりすぎていなくて、ほっとしました。

淀川右岸の大阪府高槻市と繋ぐ、枚方大橋が見えます。

枚方大橋。橋の麓には、淀川河川公園があり、休日はたくさんの人が訪れます

これまで枚方から架かる橋はこの枚方大橋だけだったのですが、近い将来、他にも対岸に橋が架かるそうです。以前は、枚方は幹線道路が混むことで有名でもあり、国道1号線で枚方を抜けるのに結構時間がかかっていたのですが、この20年で新しい道路が沢山できました。おかげで、以前のような渋滞するというイメージも大分無くなりました。

東京に住んでいる今、枚方に帰ってくると、私の行動範囲、京阪沿線から国道1号線の範囲ですが、水辺が結構多いなと思います。

もちろんベッドタウンなので沢山の人が住んでいるし、お店もたくさんあれば車も多い。新しい道もどんどんできています。

けれど、淀川をはじめ、絶妙に整備されすぎていない川(穂谷川、船橋川、天野川)、ため池と少しの田畑も多くて、逃げ場所になるような水場がたくさんあるんですね。整備された公園も良いですが、自分だけのぼんやりできる場所を発見できることって結構大事。たまに鷺みたいに川に一人で佇んでいたいし、水辺って、落ち着きます。

東京に住んでいると、こういう場所がなかなか見えないんです。他の地域から来た他所者が、こういう整備されていない水辺の逃げ場を探すのは難しいです。

京阪牧野駅から見える、穂谷川

山田池公園は大阪府下でも有数の大きな公園です。

ウォーキングに来る人、子どもを連れてくる家族、一人でぼーっとしに来る人、それぞれの憩いの場となっています。駅から遠いというのも、良い。

さて、最後はひらかたパークです。略して「ひらパー」。

地元の人間は「アメマ」の発音(↓↑↓)で「ひらぱ」と言います。

他の地域で「枚方出身なんです」と話すと、返ってくるのは大体「ひらかたパーク」か「菊人形」。関西近郊に住んでいたことが少しでもあれば、「♪ひっらぱ〜」というフレーズのCMが何十年と流れていることもあり、すぐひらかたパークを連想するようです。

入場ゲート。2023年1月に前を通った時は、休園日でした

実はかなり歴史の古いひらかたパーク、前身の香里園遊園地は1910年開業なので、もう100年以上になります。

私が子どものころの1980年代、遊園地全盛期には、関西の中でもわりと地味な遊園地として存在していたと思います。派手な遊園地に比べて、刺激的な乗り物があるとか、巨大な敷地ということもなく、ちょうどよい広さで、ファミリーで楽しめて、刺激の強すぎない乗り物が多めでした。

それが、関西の遊園地がどんどん閉園していくなか、ひらかたパークだけは全く変わらず、むしろ存在感を徐々に増していって、今も地元の人間から愛されて存在しています。

先に述べた、枚方といえば菊人形というのも、ひらかたパーク園内で毎年秋に開催している一大イベント「ひらかた大菊人形」でした。毎年の大河ドラマをテーマとした菊人形の大規模な展示だったのですが、2005年を最後に、今はやっていません。

正直なところ、子どもにとっては菊って地味な花だし、大河ドラマの人物の人形で、照明も凝っている分少し薄暗かったりして、興味はなかったんですよ。けれど、毎年菊人形のときは大人から「ひらかたパークに行こう」って言ってくれるんです。ひらかたパークに入れるというだけで、子どもはテンションが上がるので、嬉しかったです。

ひらかたパーク園内は、6月はバラ園のバラが美しく、夏場はプール、冬場はアイススケートリンクになります。なんやかんやで、地元の子どもはひらかたパークに行くんですよね。枚方市の成人式も、ひらかたパークで行われました。

成人式以降はあまり行くことがなくなると思いますが、おそらく枚方で子育てすると、またひらかたパークに子どもを連れて戻ってくるのだと思います。子育て年齢になって初めて気づくのですが、地元の子どもの成長を見守り、大人になってからも寄り添ってくれる、とても心の距離の近い遊園地なのだと思います。アトラクションも新しいものが増えたり、園内も結構変わっているのですが、全体の印象は昔とそれほど変わっていないのが嬉しいです。

枚方の紹介でこうやって記事を書いていますが、どうしても子どものころの思い出が多く、そうなると30年前ぐらいになるので、私にとって思い出深いお店や施設の大部分が、すでに無くなっています。

しかし、これまで挙げた施設や公園は、ずっと変わらず適度なゆるさとともに、残ってくれています。この適度なゆるさが、私にとって大事だったりします。


最後に少し、私事を書かせてもらいます。

私は枚方を離れて東京に引越して15年目になりますが、時々枚方のイベントには演奏に呼んでいただいており、2017年にメセナひらかた会館・多目的ホール(現在は総合文化芸術センター別館メセナホール)で「HIRAKATA LOVE JAZZ」というコンサートをしました。ふるさとでのコンサートの機会は、とても嬉しいものです。

その際に、主催者である枚方市国際文化財団(※2021年3月末解散)の担当者から、アンコールで枚方にちなんだ曲を書いてセッションしてもらえないかと提案がありました。「枚方にちなんだ曲とは…?」と考えたのですが、七夕伝説、くらわんか舟など、たくさん地元の歴史や史跡を思い出すものの、枚方出身と言うといつも「ひらかたパーク」と返されることを踏まえて、CM「♪ひっらぱ〜」のサウンドロゴの音形をモチーフに曲を書いて、アンコールに演奏しました。何より、「♪ひっらぱ〜」はキレが良い。使いやすいし、CMもひらパーも知らない方にも伝わりやすいんです。

そのコンサートで演奏したところ、ジャズコンサートで今まで経験したことのない笑い声が起きまして、あんなにコンサート会場で「笑われた」「受けた」ことは、なかったです。

初演で枚方のお客様に喜んでいただけたのは大きくて、以降、何度も別の地域でも演奏しているのですが、過去に仕事で関西に住んでいたなどで「♪ひっらぱ〜」のCMを知っている人も多く、また、演奏する前に必ず枚方についてお話しするので、確実にクスクスぐらいの笑い声は起きます。

私自身も、そういうレパートリーをもったことで、他の地域で自分の育った大事な街のことをお話しできる機会をもてて、なおかつお客様に楽しんでいただけて、地元と接続できる曲をつくって良かったなと演奏するたびに思っています。

ちなみに、曲のタイトルは「Take the “K” Train」といいます。

Kはもちろん、枚方市民が大好きな京阪電車のK。

ジャズの名曲「Take the A Train」は、「A列車に乗って、シュガーヒルに行こう」という歌ですが、Kに変えて「京阪電車に乗って、ひらかたパークに行こう」。

聴いたら「♪ひっらぱ〜」の音形が頭から離れなくなるように、ピアノやクラリネット、ベースで連呼するように演奏していますよ。

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著者:西山瞳

西山瞳

1979年生まれ大阪府枚方市出身。2005年横濱ジャズプロムナード・ジャズコンペティションでグランプリを受賞後、2006年スウェーデン録音CD『キュービウム』でデビュー。自己のトリオを中心に国内外で活躍し、2010年インターナショナル・ソングライティング・コンペティション(アメリカ)で、ジャズ部門3位を受賞。2015年より、ヘヴィメタルの名曲をカヴァーするプロジェクトNHORHMを率い、アルバム『ニュー・ヘリテージ・オブ・リアル・ヘヴィ・メタル』シリーズは、ジャンルを超えたベストセラーとなる。デビュー以降23作のアルバムをリリースし、ヨーロッパジャズやヘヴィメタルを背景とした音楽性により、幅広い音楽ファンから支持されている。雑誌、WEBメディアなどでの執筆や連載などを通じても、ジャズとヘヴィメタルを横断した活動を継続中。公式ホームページ

編集:ツドイ