東京から弘前に移住して12年。住むつもりもなかった街に居続けた理由|文・工藤健

著者: 工藤健

東京は僕に大きすぎる街だった。街に出ればたくさんの人がいて、新しい店や情報であふれている。すれ違う人は知らない人ばかりで、誰かに出会うなんて約束をしない限りありえない。東京に長く住んでいたため、それがどこでも当たり前のように感じていたが、小さい街ではそうではなかった。

街を歩いても人にぶつかる心配はない。偶然に誰かと会うことは日常茶飯事。立ち寄った店では知り合いがいたり、新たに紹介される人もいたりする。どちらの街が良いとか悪いとかではない。小さな街が好きな人がいたり居心地が良かったりする人もいると思う。自分に合った街とはいったい何だろうか?

簡単な気持ちで移住

リンゴの旬や「ねぷた」と「ねぶた」の違いすら知らなかった私が、青森県弘前市に移住したのは2012年6月。その年の3月31日に弘前での仕事の話を聞き、その3カ月後には弘前へ移住していた。そして、それから12年。転勤族で全国を移り住んでいた私にとって、弘前は最も長く住んだ街になった。

弘前出身の現代美術家・奈良美智さんが製作した「AtoZメモリアルドッグ」。奧に見える「れんが倉庫」は現在、美術館となり、メモリアルドッグはその中で展示されている(※写真は2012年撮影)

弘前市は本州最北の青森県の西部に位置する津軽平野にある城下町で、人口は約16万人。リンゴの生産量日本一というだけあって、街中にはリンゴのオブジェがたくさんあり、街から離れると、リンゴ畑が広がる。弘前はリンゴの農地が広大すぎるせいか、街の機能が半径約2.5km範囲に集約している。それゆえに、住むには便利な街だと思う。

街中にあるカーブミラーもリンゴの形をしている

春には弘前城がある弘前公園で「弘前さくらまつり」が開催され、夏には「弘前ねぷたまつり」で短い夏を謳歌する。秋の紅葉が始まったと思うと、すぐに冬が訪れ、一面の銀世界に早変わり。文化や伝統、四季の変化が豊かな土地でもある。

青森の夏祭りといえばねぷた・ねぶたまつりが有名だ

仕事もプライベートもグダグダだった20代。30歳になった年にフリーランスとなり、ライターとして独り立ちした。と言ってもかっこいいものではなく、サラリーマンという生き方に慣れなかっただけだった。毎日の通勤が嫌だったとか、会社の人間関係が煩わしくなったとか、自分のやりたくないことを選択肢から外していく消去法のような生き方だった。

弘前に住み始めた理由は単純で、東京の仕事に一区切りがついていたことと、新しい地域新聞の立ち上げのため1年という期間でもいいという条件付きだったからだ。当初は、生活家具の半分を東京に残して弘前に住んでいた。1年後には東京に戻ってくることを前提としていたから。私の気持ちはそれほど軽いものだった。

移住当初、忍者に扮してイベントに参加した著者

今でも覚えているのは、弘前に引越したその週末に、打ち上げ花火のイベントがあったこと。会場には子どもから大人まで大勢の人たちが集まっていた。東京の花火大会と違ったのは、参加者の顔が見えたこと。東京の人混みだと人の顔すら認識できなかったのに、人との距離との違いなのか、新しい街への好奇心なのか、人の顔をしっかり見ることができた。

暗闇の中ではあったが、さっそく弘前で知り合った人たちを見かけた。小さい街なんだなと改めて感じ、「すぐに飽きてしまうかもしれない」などと考えながら、弘前での生活が始まった。

北国に住み始めて雪より困ったこと

移住したその年の冬は、全国ニュースになるほどの記録的な積雪があり、雪かきに追われる毎日となった。とはいえ弘前のことは右も左も分からない1年目。毎年このくらい降るのが当たり前だろうと思っていた(今振り返ると、やはりその年の雪は異常だった)。

朝起きると連日、車がこのような状況だった

東京では見ることがなかった雪景色に感動を覚え、雪かきという初めての体験に楽しさを感じていた。家の雪かきをしていると、近所の人たちが声を掛けてきてくれた。たぶん見慣れない人がぎこちなく雪かきをしている姿が滑稽に思えたのだろう。もしくは心配に感じたのかもしれない。近所の人たちとはすぐに仲良くなった。

雪の壁で車道が見えない歩道。雪国ではこんなに雪が積もることがある

雪で会話がスムーズになるのは「雪国あるある」で、「今年はよく降りますね」「雪が少なくて助かります」などと切り出せば、会話が弾む。雪で近所付き合いがスムーズになったことも多い。

逆もあるようで、寄せた雪の置き場所で揉めることもあるらしいが、少なくとも私の場合は一度もなかった。むしろ困っていると手伝ってくれたり、アドバイスをくれたりする人がいる。東京では近所付き合いなんてしたことがなかったから、たいへん助かった。

弘前へ移住したその年は、東京でも雪が降り、マンションの雪かきは誰がするのかと、放置されたままの雪がテレビで報道されるのを目にした。一方の弘前では子どもの通学路を町会で除雪しようという動きがあったり、重機を持っている人が周辺の除雪もしてくれたりした。消雪設備を備えている家の人からは、困った時はその人の敷地へ雪を捨てていいよと言ってもらったこともあった。

そんなご近所さんに囲まれていると、雪かきを少しでも多くやっておこうという気持ちになる。お互いを助け合うという精神が、雪国は自然と身についているのかもしれない。東京にはない連帯感があった。

年配者の生活道を確保するため雪かきをするボランティア

「外から来たら、雪がたいへんでしょう」と弘前の人に言われることが多いが、雪で困ったことは本当に数回しかない。自然災害だからある程度「仕方ない」で済ませるしかない点もあるが、それより方言で困ったことの方が多い。津軽弁だ。

人の話を聞くことが仕事であるため、地元の人たちから話を聞き取る時に何を話しているのかわからないのは困る。

一度だけ年配者の津軽弁が聞き取れなかった時があって、その家族が通訳してくれた。しかし、その通訳すら聞き取りにくかった。笑うしかない。ほかにも「お土産を車につける」と言われて車に積んでくださいと答えたことがあった。「つける」は津軽弁で「積む」という意味だそうだ。初めて聞いた時は車に本当に付けられるのだろうかと思った。

雪より津軽弁の方がたいへんだ。私にとってはネタ以外の何物でもないが。

街中に設置されている津軽弁の交通安全標語。「急いで道路を渡ると(車に)ひかれるよ」という意味らしい

言葉では表現できないもの

弘前では春になると、弘前公園で桜の花見が始まる。「弘前さくらまつり」は例年ゴールデンウィークにソメイヨシノが見頃を迎えることから、県内外から多くの花見客が訪れる。弘前にとっては一大イベントだ。そのため桜の開花予報を地元住民らは戦々恐々と見守り、一喜一憂する。

近年は温暖化の影響からか、年々桜の開花が早くなり、さくらまつり関係者は気が気でないようだ。本来なら春の訪れが早くなることはそんなに憂うことではないのだが、弘前の人たちにとって、桜はやはりゴールデンウィークに見るものらしい。

弘前公園の夜桜は濠の水面に映り、幻想的な景色を生み出す

夏が近づくと、街の各地でねぷた小屋と呼ばれるテントが建てられ、夜な夜な太鼓や笛の練習の音が街の中に響く。ねぷたまつりは毎年8月1日からスタートするが、この時期になると街全体がザワザワし始める。

まつり当日はねぷたの運行団体の熱気でまさに夏本番。参加すればまた違った感動を味わうことができるだろうが、私はもっぱら見る専門。それでも夏夜に浮かび上がるねぷた絵の勇壮な武者絵や哀愁のある美人画を見れば、こみ上げてくるものを感じずにはいられない。

ねぷた小屋では、ねぷたの準備が行われるほか、笛や太鼓の練習も行う

秋は冬の訪れを少しずつ感じる季節。津軽富士と呼ばれる岩木山が少しずつ頂上から紅葉し始め、紅葉が下りきったころには頂上に雪が積もり始めて白くなる。リンゴの収穫は晩夏あたりから始まり、秋でピークを迎える。

道の駅や産直にはさまざまな品種のリンゴが並び、市場に行けば活気にあふれている。リンゴだけでない。お米や枝豆、ブドウといった野菜や果物も多く収穫され、秋の味覚を堪能できる。

収穫シーズンになれば市場には所狭しとリンゴが並ぶ

そして冬。一面が白く覆われる銀世界。まるで違う世界に迷い込んだような気持ちにいつもなる。雪を喜ぶと、よく雪国の人たちは住んだことがないからと揶揄するが、弘前に住んで12年。今も雪が好きである。もちろん雪かきのたいへんさを実感したり、本当に雪で困ったことがないからかもしれないが、雪をネガティブに捉えるよりポジティブに捉えたいと常々感じている。

さらに冬の辛さを体験するからこそ、春の喜びや桜の美しさが際立つという一面があることも忘れてはならない。不思議なもので、毎日が暖かいと暖かさのありがたみがなく、寒い冬があるからこそ春のありがたみが強まる。

雪が積もる弘前の街並み

一年を通じて感じているのが、その街の空気や匂い、言葉で言い表せないことや住んでみなければ感じ取れないものが確かにあるということ。

東京では四季を感じることが少なかったし、すべてが言葉で片付くような気がした。弘前に住み始めた当初、飽きるかもしれないと感じた気持ちは、いつからか消えていった。小さい街かもしれないが、毎日が発見の連続で、人との繋がりは無限に広がっている。むしろ弘前にいたからこそ繋がれた人たちもたくさんいた。

弘前の繁華街・鍛冶町にある人気スポット。テレビのクイズ番組のようにクイズに挑戦できる

弘前に住み始めたころ、必ずと言っていいほど「こんな何もない土地なのに、よく住んでくれた」という反応があった。これもまた「田舎あるある」。何と比較して何もないと話しているのか、聞いてみたくなる。弘前の桜は日本一と自慢し、ねぷたを誇りに思う人たちでもあるから、本当は東京にはないものがたくさんあることを知っているのかもしれない。

12年も住めば、街にお気に入りの場所ができるもので、昨年、その近くに引越した。地に足をつけるという言葉は好きではないが、街を歩けば声をかけられ、すれ違う街の人たちと交流することも多くなった。東京では感じられなかったことを弘前で感じている。消去法と思っていた私の生き方は、いつしかそれを自分から選んでいたと感じるようになった。

弘前のような街の狭さが苦手な人ももちろんいるだろう。ただ、私にはここが心地よく、「ここにいる」ことを感じられる場所だった。それだけのこと。人と知り合える喜びや会社や家族、友人とも違った人間関係を築けている気がしている。移住の理由なんてそんなもので十分だと思う。

ちなみにねぷたとねぶたの違いを明確に答えられる地元民はあまりいない。ねぷたは弘前、ねぶたは青森、人形ねぷたや扇ねぷた、掛け声の違いはあるが、その違いが何に由来するものでどう違うのかを説明できる人は多くない。単純に見れば分かるだろうと、そんな説明が一番分かりやすい。

著者:工藤健

埼玉県出身。東京では編集プロダクションでライターを経験し、2012年に青森へ移住。地域新聞や地域の情報発信、広報などのお仕事をいただきながら、田舎でせっせと暮らしている。ゲーム、漫画、アニメ好きで、地域と絡ませたイベントなどを主催するほか、かき氷好きがこうじてかき氷のイベント出店も始めた。津軽弁は現在も勉強中。

編集:友光だんご(Huuuu)